しゃりん、 記憶は知らぬ間におちていく。 しゃりん、 静かに音を立てて。 しゃりん、 世界の雫に溶けていく。 + + + 「アイツとは関わるな。」 そう言ったあの人の目は、柄にも無く真剣で。 ターコイズの瞳はしっかりと自分を捕らえていて。こういう時の彼は本気の時だと、自分の脳が薄らと確認していた。 あの、七年前と同じ眼をしていた。 理由は知らないし、知ろうとすれば彼を傷つけてしまいそうで。 空は澄んだ蒼を一面に、ぽつぽつと泣いた後のように小さく雲が儚げに漂っていた。 身体は確かに痛むけれど、なんとか学院の中庭まで来た。 時計を見ればもうすぐ二時限目が終わるころ。 こんな時間帯に学院をうろうろしている自分は結構非行だと思った。 この学院は広大な敷地に、初等部、中等部、高等部の学び舎。そして太陽に照らされて白銀に輝く白い教会。後は寮。 学院は初等部からのエスカレーター式で、しかし毎回倍率は凄いと改から聞いた。 森に囲まれている此処は確かに環境も良いし、偏差値も結構高いということだから、生徒は上流お嬢様やらお坊ちゃまなどという金持ちの御曹司などが通っている。 特にこの学院の特徴としては、一応全寮制であるが、一人部屋と合同部屋と選べることらしい。これも改が教えてくれた。 四季それぞれで色を変える中庭。真ん中には噴水。 今の季節、赤やら黄色の花々が風と謳う。 そろり、ベンチに座ってみる。 そして、再び巡る記憶。 あの狂った感じの生徒たち。 ――"姫神風漸華(ヒメガミフウゼンカ)"と名乗ったもう一人の自分らしきもの。 薄らと揺らめいていた濁ったような色の焔。 疑問は次から次へと。 夢かと思いても、それではこの身体中の痛みをどう説明しろと。 半信半疑の記憶。 頭はぐるぐるとフル稼働。 特に、気になったのはもうひとりの自分もどき。いや、あれは自分だ。証拠などは無いが、何故だかわかる。あれは、ジブンだと。 では何故、そんなものがいきなり出てきたのだろうか。よく人の心は二分割とは言うが、それならばアレは自分の、いわば"裏"的存在なのか。 考えるほど深まっていく現状。……流石に頭も疲れてきた様子だ。 「何が、どうなってんだ……?」 ぼやいて、空を見渡す。 こう誰か一人がこんなに悩んでいても、世界はその色を変えない。 それは、誰か一人この世から消えても、世界は平然と微動だにその姿勢を変えないということで。 少し、心が寂しくなった。なんだか、なんとなく、なぜだかわからないけれど。 こう思うとやはり、七年前と自分は全く変わっていないと改めて思わされる。 一部の感情が、おかしいのだ。よくわからないが、おかしいのだ。 それは気づいたときから。もしかしたら、七年前兄さんが自分を引き取った前に何かがあったのかもしれないが、それは全くといってわからない。 昔、円堂に"おかあさん"や"おとうさん"というものを聞いて、彼に聞いたことがあったが、笑顔でごまかされた。 "実の親を知りたくない"と言えば嘘になるが、対してそこまで気にせずあの日から過ごしてきた。 多分ごまかされたことで、自分の中でその"おかあさん"や"おとうさん"は死んだと旗が立ったのだろう。それに、そんな温もりを知らない自分にとっては全く想像も出来ないものだったから。 どちらにしろ、記憶喪失というものは何か事故で頭を強く打ったりするか、大きなショックによって起こるものだと聞いたりもした。 もし、もしかしたらその頃の自分はそのショックで記憶を失くしたのかもしれない。 引き取られた時、言葉が全く話せなかったのはとある一種の病気で、大きなストレス=ショックを受けて出るというのも書物で見つけた。 ――しかし、ならば何故その頃自分は人間としての基礎知識……つまりは言語などをほとんど理解できなかったのだろうか…? その病気だっとしても、それは"言葉を話せない、声が出ない"だけであって、"言葉を理解出来ない"ということでは無いのだ。 「相当、悩んでるみたいだね」 大きい眼に、可憐な容姿。まるで人形。 重苦しく回転していた頭が急に、氷で冷やされたかのように飛び起きた。 気づけば目の前には美しくも妖しい金髪を靡かせた、少女らしき人物。 その紅い瞳に、昨夜のもう一人の自分を思い出す。 「えっと……」 戸惑っている自分に笑顔の彼女。不意にもその周りが鮮やかに見える。 「――風丸一朗太」 「!」 突然自分の名を呼ばれて、はっと眼が冴える。 「――な、」 んで、とは言わしてくれなかった。 「そりゃ知っているよ、だって君は副会長だしね」 「……あ」 そうだった、少し忘れていた。 そして黄金は、ふふ、と少し笑みを零しその空を見上げる。 今日は春にしては、まるで夏のように日差しが強い。 花達は風と踊り、その花弁を次の未来のために散らしていく。 ゆらゆら、ふら、ぱしゃぱしゃ。 噴水の水は煌き、まるで神の水のようで。 そしてその背景、静かに佇む神聖なる十字架。教会。 「――ねえ、君はこのまま知らん振りして生きていくつもり?」 ふと、しゃん。水の音のようにすっと入ってきた言葉。 ――知らん振り……? 何故か、何か悪いことをしたわけでもないのに心臓を鷲掴みされたような感覚。 どうして。彼女とはたった今、初めて会ったというのに。 そして、ひとつの予感がよぎった。 "考えを、見透かされている"―――。 「ほんとうに?」 身体を乗り出して、顔を近づけさせる妖しい黄金。 血溜まりみたいな瞳が薄らと細められていく。 その姿は全てを知っているような、いわば神のようで。 「無理だね。君はもう周りの人間のような生き方はできない。」 「……なん、」 喉の奥、出てきそうで出てこなかった言葉が、やっとこさ出たというのに、切り落とされる言の葉。 「……何で、わけがわからないって感じだね」 そりゃそうだ。 わけも分からなく揺れ動くこの感情は、一体。そしてどうしてこんな少女に自分はまるで殺されそうな気分になるのだ。 まるで、全て、ぜんぶわけがわからない。 「ねえ、僕と一緒に来る?」 気づけば、そんな誘いが堕ちてきた。 華は、揺れている。 その白く細長い指は自分の輪郭を器用になぞり。 「人の主を取るつもりか。」 全く、今日にしろ昨日にしろ、毎時驚かされている気がする。 こんなにわけのわからない事が立て続けに起きるなんて、人生最高記録を更新したのではないか。 そう、どうでもいいことを考える自分。 見えた先に居たのは、あの白い獅子のような少年。 自分ではなく、自分の上に乗っている人物を睨んでいた。 闇野カゲト。 「やだなあ、別にとろうだなんて思わないよ。もう君が先越しちゃったからね。」 「―――」 穏やかな黄金の口調とは裏腹に、強く警戒し睨みつける獅子。 びくり、思わずその気迫に身震いした。 風は、自分の髪を靡かせているのに、時が固まったように息もむやみにできない。 「でもね、早く真実を彼に告げない君もどうかと思うけれどね。」 お陰で彼、何もわからずじまいだよ。 穏やかに微笑む中、その言葉は幾多の冷たい棘に包まれており。 彼は、黙っている。 沈黙を、破りはしない。 自分も彼の守る静寂を、押し黙って眺めていた。 ふう、と黄金が溜息をつく。それは朝の陽気に溶けて。 「生憎従者は僕を認めてくれないらしいね。」 そう、零した。 そして、 「まあいいや。結構面白かったし」 笑顔でこちらに向き直る。 先ほどの恐ろしさがなかったほどに。 「じゃあね、また今度。」 そういって歩いていく少女。 金髪が華の中に消えていく。 ふと、彼女が振り返った。 「あ、そうそう。僕、女の子じゃないからね」 「えっ……!?」 軽くウインクして、さっていく、彼女ではなく彼。 「………。」 呆れたように溜息をつく闇野。 そして、呆然としている自分。何がどうなってるのやら。 すた、 「申し訳ありません。」 微かに地面が擦れる音がしたかと思えば、ベンチに腰掛けている自分に跪いている闇野。 「何、が」 「主となる貴方様に、てっきり真実を全て知っていると勘違いした俺の責任です。」 そう、ふかぶかと。 「だから、何が――」 「今一度、貴方様の周りに起こっていることを説明致します。」 俺の、周りに起こっていること……? ふと、頭が冴えた。 「唐突ですが――、」 彼が云う。今、全てを。 その漆黒の瞳が自分の紅い眸を捉える。 「貴方様は、この世界で唯一無二の、神の子孫でございます。」 「――はい?」 思わず声が漏れた。神の、子孫……? 「正確に言うならば、"姫神"の正式後継者。すなわち御子。」 ええと、つまり―――、 「貴方の、本当の血族でございます」 「!」 唇が、そう言った。 喉が、つまりそうになった。 "本当ノ血族"。 七年前に固く閉ざされた、自分の過去。生い立ち。出身。 「貴方様が先ほど俺と契約したのは、姫神の者としか発動できません。」 「ちょ、ちょっと待て。どういう、というか敬語はしなくていい」 更に頭がこんがらがって来る。ヒメガミ?ケイヤク? ぐるぐると廻る廻る思考。 「……ほんとうに、何もご存知無いのですね。」 彼はやはり、と息を吐いて、再びその言葉を自分に振りかける。 空は何事も無いように最果てまで続いている。 そして、すたりと立ち上がる彼。 「では、参りましょう」 手を引かれて、 ◆ やはり彼は何も知らなかった。 誰もいない教会の中に入る。相変わらず重い空気が充満している。 そう、全ては彼は知らなかったのだ。自分の出身も、生い立ちも、全て自分のことを。 そしてわけもわからず立ちすくんでいる主に向き直る。 「話の続きをしましょう。」 そう、大事な話の続き。 「姫神というのは、この世界の有力な日系魔術血統の事です。」 分家も多く過去にはいましたが、7年前からはたりと消えてしまいました。 ただ、自分の知っていることだけを話す。 「この世界には神と同等とされる存在が居ます。それを、"天空の姫君(ソラノヒメギミ)"そんな存在が多く姫神から出現されたため彼らは神の一族と呼ばれた。」 そしてそんな神の一族と名高い姫神と主従関係を気づいていた一族が、我ら闇野一族。 ステンドグラスが無垢なこの空間に彩りを付ける。 「そして七年前、原因不明の大災厄により姫神は滅亡されたとした。――しかし、」 「俺が、……居た…?」 不安げに答える目の前の主。ああ、そうです。 すると、戸惑いの表情を見せ、俯く彼。 「昨夜のアレは貴方様が覚醒する前兆の、僅かな波紋に屍と呼ばれる禁忌物がたかっただけのこと。」 屍。そう、死に未練を抱き、再び現世に舞い戻った哀れな彼ら。 「…………なん、で」 俯いた薫風がぽつり、落とした。 かすれそうな声。聞き取るのがやっとなほど。 「なんで、そんなの、っ」 「しかし此れが真実。」 そう言えば、彼は口ごもってしまった。 Myself、 (Your self) |