煩く蝉が耳をざわめかす。晴れ渡った青い空には一点の曇り影も無い。青々しい緑色が眼を突く。眩しくて思わず眼をそらした。

聖ルシーア学院高等部二年B組九番風丸一郎太――もとい俺は学院一大きい大樹の傍で羽を休めていた。
風に揺られて、足元の芝生がくすぐったく流れた。天道虫は止まっていた葉から飛び立つ。透明な羽がぱたぱたと音を鳴らして空に溺れていった。

期末学力考査が無事終わり、後は残る聖華祭だけという、一学期も後残すところの夏日。

「此処は、本来は何か別の神を祀っていたいたのか?」

ふと、声が頭から降って来た。聞き覚えのある音に、首を動かす。そこには案の定、彼が居た。
薄い灰色が揺らめき、世界が眩んだ。塗りつぶしたような黒い双眸が、こちらへと向けられていた。

「―――あぁ、あの祠か。……俺が知っているのは、元々此処にいたひとたちが信仰していた神っていうぐらいしか」
「つまり、姫神の人間」
納得したように彼は頷いた。そして、その単語に思わず吐き気を覚えた。ああもう、聞きたくないっていうのに。

彼は、シャドウもとい闇野カゲトは本来の"風丸一郎太"を知るひとりであり、自称僕である。
俺自身が異能者の系列で大きな力を持っていた"姫神家"の本家筋の人間であり、唯一何故だか生き残った人間ということも、すべて彼に繋がっていた。古来から姫神の者に仕えていた闇野家は、どうやらこの広い世界で唯一の生き残りを探し出したというわけだ。
――それが、本当に自分がそんな家の人間なのかとDAN鑑定でもしてしまおうかと思いもしたが、あの日から自分の中にはもうひとりの自分である"姫神風漸華"が顔を出してき、更には変な力(これが能力だとシャドウは言う)が備わってしまっては否定することが難しくなっていった。

そしてふと、考え込んでいたらひとつの疑問を見つけた。

「シャドウ、」
「どうかしたか?」
彼は相変わらず応えを待っている。まるで、忠実な犬のようだった。
「…………その、だな…。俺は多分、俺もお前のことさえもわからないんだ」
「わから……、ない…?」
「そうさ。俺はお前の能力をたぶん、まだちゃんと見たり知っていないし、俺自身も本当は――
俺自身がどんなことを出来うるのかさえわからないんだよ。」

顔を伏せる。沈黙に、蝉の声が割って入ってくる。彼が待っていたものが、まさか彼も想定外の
ものだったなんて誰も気づきやしなかっただろう。
実を言えば、最近なにもかもがあやふやなのだ。
一体、自分はほんとうは何なのか。一体、何が出来るのか。それだけならばまだこの年頃に良くある悩みかもしれない。だが、最近になって段々と身体は異常をきたしている。最初はまだほとんど何も無かったというのに。

「――――最近さ、突然頭の中に見たことも無い映像や風景が流れたりとか、怪我しても直ぐいつのまにか治ってたりとか、たまにわけがわからない変なイキモノが見えたりとか……」
今までなかったことが、平然と身体に染みこんで来た。それは、一度に襲ってくるようなものではない。徐々に、浸透していくように、浸蝕されるように、手の中におさまっていっている。

かさり。
音に気がついて、隣へと首を動かした。
そこには、跪き右手を恭しく手にとる彼が居た。その光景は、いつかの春雨によく似ていた。
「―――それは、貴方様が本来在るべき存在へと成り往こうとしている喜ばしいことなのです」
そう、彼は云った。嬉しくて、仕方がないというように、目を輝かせて。
それが何故か、無性に恐ろしかった。
「………何、がだ…。」
「…………あぁ、ほんとうに世界は不条理にも程がある」
「だから、何がだ……っ」
彼は手を頬へ摺り寄せ、あぁ嗚呼と嘆く。その姿は、初めてみる狂気じみたものだ。
世界は暗黒に染まっていく。浸蝕、されていく。あの美しい青空さえ飲み込まれる。天道虫は消え去った。麻薬のような花があたり一面に咲き乱れる。その匂いで頭が痛くなる。 
せかいには、かれとじぶんのふたりだけ。

「穢れ狂う竜神よりも清楚に生きる鬼の方がよっぽど神に相応しいというのに」


それは一体、誰の言葉だったのだろうか。





Repeart.







「――――――――っはっ……!」


そこで目が覚めた。
開けっ放しの窓からは鬱陶しいほどに茹だった風が頬を掠めた。ばさぱさり。薄いカーテンがただ流されるだけ流されている。痛いほどの青が目を突く。

厭な、夢を見た。
そのせいか、呼吸はままならない。汗も、夏といえどただ寝ただけではこんなにびしょぬれにはならないだろう。張り付いた髪がくすぐったく首をさする。

身体を起し、汗が気持ち悪いからと部屋の隅へ向かい、シャワー室の戸を開け飛び込んだ。
勢いよく流れ出す水流に乗って、あんなものも一緒に流れ落ちればいいのに。
鏡越しに誰かが嘲っていたような気がした。







「むう。やってくれるね……」
「はむ。そんなセンパイこそ」
「うみゅ。そりゃだって僕だもの」
「んむ。ええ、極度のナルシストですね。」
「まふ。色々沙汰起してくれた君に言われたくはないね」


冷房が効き、甘い匂いが漂う部屋。とある学院のとある棟のとある高級部屋のとある噂部部室。机に広げられた幾つもの甘味類がわしゃわしゃと虚しくもとある人間たちの胃袋に放り込まれていく。因みに今現在はブルーベリーが乗ったタルトが消化されていく途中である。

「喋りながらの食事は行儀悪いよ、ふたりとも」

そんな光景にしびれを切らしたのか、少女が一喝する。夏制服の茶色いプリーツが揺れ、胸元には映える赤いタイ。長い、緋色の三つ編みお下げがゆらりと遊ぶ。

目の前で菓子を貪り言い合いをしているのはどちらとも男子生徒。片方は小麦色の肌に翠色の瞳をし、肩をなでる月色の髪。対するもう一人は、一見少女かと信じてしまいそうな外見。金色の長い髪は現在高い位置で一つに結われ、女子生徒制服の赤色リボンが羽を伸ばす。

「でもねカリン、会話にはタイミングが必要なんだよ。そもそも古来には行儀なんてものは皆無だったしね」
そうですよセンパイ。いち早くどちらが相手を撃ち負かすには、一秒たりとも無駄せず攻撃することなんですよ」
「もうっ。何で会って直ぐに喧嘩なんてしてるのさ? そんなだと食べ物の神様が怒るよーっ」

何でって、そりゃあ。――何となく。
嫌なほど綺麗にハウリングした混声。語尾や口調は若干違うものの、意味は全く同じ。思わず少女は考える事を一瞬放棄した。

かちり、かたり。掻き消されていくその小さな音に目をやる。午後太陽が照り返す夏の頃合。時計の針は静かに円を象っていく。部屋の隅密かに息をする観葉樹が嬉しそうに、窓越しから日光を浴びる。
日曜という唯一の休日に、暇だ暇だと部室に集まってくる彼らは周りから見れば歪だったのだろうか。

「あ、」

ふと照美が声を漏らした。
宮坂は興味なさげに無視をする。気づいた翠鈴が首を傾げた、そのときだった。
彼は、嬉しそうに妖艶と唇に弧を描いた。――まるで、待ち焦がれていた主役が姿を現すような。

「――おや、この匂いは僕が薦めたシャンプーのものじゃないか」
「……日曜の朝から元気だな、お前らは」

ふわり、彼は少し小さく欠伸をした。
開けられた戸の向こうから、夏特有の熱気が流れ込んできた。蝉の声は絶えない。
「風丸、いつ何処でこやつにそんなものを受け取った? こんな……得体の知れない者から何かを貰ってはいけない!断じて!」
「それには、残念ながら僕も賛成ですね。こいつ自体わけがわからないのに、そのわけのわからない奴から更に物を貰うだなんて……っ! もしかしたらのもしかしたらアンなものやコンなものまで入っていたりしたら僕は……ッ!!」
「そこ、変態丸見えだよ」
「………ほら、まあ…、貰ったものだし、使わないと勿体無いだろ」
「うん、前々から思ってたけど風丸君って地味に貧乏性だよね。実際裏腹なのに」
「何風丸さんの良心いたぶってんだこら」
「風丸は、優しいもんねー」

にっこりと、火燐がひとり穏やかそうに微笑んだ。その隣では言い合う三人(主に二人)が蝉にも負けじと騒がしくないていた。












「あぁーっ、もうすぐ夏休みだね! 風丸」
――ガランッ。
それは動じに音を鳴らした。

うんっ、と火燐は両腕を伸ばして背伸びをした。そして自動飲料販売機の受け取りポッドからコーラの缶を取り出した。つぅ、滑り落ちた雫が陽炎の中に飲まれては消えた。
燦々と輝く太陽が眩しく地面を白く焼き焦がしていた。
その中彼女は歩いている。まるで、暑さなんてこれっぽっちも感じていないというように。緋色の長いお下げが遊ぶように流れる。白と緑と青に彩られた世界の中、彼女だけは異様な存在を放っていた。一点の緋色は眩しさの中儚げに。足元の熱の湯気が不定期に揺れた。蝉はどうやら止む事を知らないらしい。

こくこく。喉を通す黒いそれ。端から漏れて伝い落ちた雫が、まるで焦げて煤けた黒い血のようだ。そんなこっちの気なんて知らずに彼女は飲む。コーラが黒いからか、その風景は憎悪を飲み干す聖女のように思えた。

「っぷはーっ」
「っつか炭酸を一度に飲むなよっ!早っ」
「いや……お腹すき過ぎて…」
「お前さっきバームクーヘン全部食ったじゃねえか」

因みに彼女は目を見張る程の大食いであったことをすっかり忘れていた。
しばらく呆れて、頭を抱えた。本当、その腹の中を見てみたい。一体どうしたらそんなにモノがはいるのだろうか。

「……でも、何で自動販売機には数量決定のボタンが無いんだろ。いちいち厄介だなぁ」
「止めとけ月陰。お前何本飲む気だ。そろそろ本気で腹壊すぞ」
「あはははー、ほんと面白いね風丸は。実の実はね、これでもボクは食べ物関連で身体を壊したことは一度も無いのです」

どや顔で腕組をかます少女は、何故か勝ち誇った表情をしていた。
いや、それはただ運が良かっただけだ。

「あっ、」

からんころん。
コインが小さな音を立てて、弧を描いては飛んで行った。どうやら財布から零れ落ちてしまったらしい。
とてとてと火燐が百円玉を拾おうと、日の当たる白い地面まで出た。


其処には、猫がいた。
黒い、影のように黒い毛に、左耳の辺りと尻尾の先が純白無垢に等しい、猫。透き通った、蒼い瞳がじっとこちらを見据えていた。
その姿は何故だか、不吉に思えた。

「ッハ、なんとも無様ですね。気づかない振りだなんて、あなたはそういう人間だったのですか?」


嘲るような声が、何処からか聞こえてきた気がした。
驚いて思わず目の前の黒猫を見る。だが猫は何もせず、ただこちらを眺めているだけであった。――そうだ、そりゃそうだ。猫が喋るなんて在り得はしないのだから。少し、疲れているのかもしれない。今日は早めに寝る事にしよう。


「あっ、有難う猫さん。」
なぜか火燐が近寄る。どうしてかと猫を見れば、その猫の傍に例の百円玉が転がっていた。
彼女は嬉々としてソレを取り戻し、猫を撫でようと手を伸ばした。
だが、猫はそれをかわして何処かへと去って行ってしまった。


「ははっ、」
と、火燐が嬉しそうに笑った。
それほどまでにコインが帰ってきたことが良かったのだろう。

「違うよ風丸。ボクが嬉しいのはね、黒猫に会えた事だよ?」

何を言い出すのか。それでも彼女は笑みを崩さない。
生憎、自分が知っているのは黒猫は不吉という、日本では古来から伝われている伝承だ。

「黒猫を縁起が悪いという人もいるけれどね、イギリスとかでは逆に"幸運の印"とされてるんだから。」

成る程。理解した。
つまり彼女は、幸運の印である黒猫に会えた。つまり幸せが訪れると解釈しているのだろう。



そしてまた、コーラが落ちる音がした。










(また、はじまった)




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