これはもう、何年前のことだっただろうか。この身体では記憶力が若干と衰退化していっているような気さえもする。いつか、完全にこのことを忘れてしまう日がきてしまうのだろうか。もし、そうであれば何もかもが無かったことになることもありえるのだろうか――。





広い豪邸と呼ばれる家。何十人もの使用人が仕え、その中自分達は生きてきた。

「やあお帰りリナ、レナ」

全寮制の学校に通う自分達が長期休暇のため久々に里帰りでもしてみると、其処には親戚である一人の青年の姿があった。すらりと伸びた長身に、整った顔立ち。声は優しく、いつも"優しいお兄さん"として姉妹の相手役をしてもらっていた。

「リナにレナは見ないうちにもうこんなに身長が高くなったんだねー!それに美人さんになって、お母様に似てきたね」
「当たり前よ、涙羅兄のお嫁さんになるレナが不細工じゃ駄目でしょう?」
「レナは相変わらず冗談キツいなあ」
「冗談じゃないわ。レナだってひとりのオンナですもの!」

そう自信気に胸をはり堂々と将来を宣言する幼い少女に、涙羅は笑顔で「うん、なら待ってるよ」だなんて(本人は子供の言葉だと軽はずみに感じていたらしい)レナの頭を撫でた。

「じゃあわたし、涙羅兄さんとレナの結婚式プロデュースしたいな!大丈夫。とーってもきれいではなやかな最高の結婚式にするから!」
「うぇえっ?リナまでっ!?」
「そうと決まれば今のうちから計画を立てておかないとね。るーいら」
「楽しみーっ」

夢に花を咲かせ騒ぐ姉妹に、苦く笑みを浮かべながらも幸せにいた青年。
叶うはずも無い理想が燃え朽ちるまでの密やかな時であった。






「ねえリナ」

夜風を頬に感じながら、彼は云った。ある日のこと。

「学校はどうだい。楽しいかい」

静まり返った都会の夜を一面に貼り付けたテラス。そこに彼は細く微笑みながらやってきた。
白い柵に手をつけ、振り返った。短い粟色の髪が揺れては闇に融けた。
そんな質問に悩むことなく、あっさりと頭を縦に振り「ええ」と少し笑った。

「リナもレナも学年トップだなんて流石だな。神奈崎家の未来は明るいや」

涙羅が隣にやってきては、手すりのような柵に腰を降ろした。そんな言葉に次は、少し横に首を振った。流石だなんて、まだ中等部に上がったばかりなのに。未来はそんな直ぐにわからないわ。眉を少しハの字にしてはまたこう少女は云った。

「謙遜しなくていいのに」
「謙遜なんかじゃないわ。だってそうでしょう」

またふたりは笑い合った。それもそうだな、なんて声をあげて笑って見せた。
部屋のライトに気がついた夜光虫が漂い始めた。線を帯、並ぶ影法師の列。
ふはり、笑い終えてその唇がまた動いた。初めて見る文字の羅列。

「あのさ、リナ。」
「どうしたの。そんな改まっちゃって」

瞳さえ、先ほどとはまたうって変わり細く未来を眺めていた。少し固まったような気がしたのは気のせいだったのだろうか。わけもわからず、少女はそんな彼を傍観していた。ふう、白くなるほどの溜息。吐き出されては瞳を閉じた。何かを鎮めるように、心拍数を抑えるように。決意づいたのかまたその線はまた広がった。

「好きな人が、出来たんだ。もう、婚約も済ませた」

言い切った。ごめん、ずっと言えなかった。そう付け足してまた吐いた。今度はあんぐりと口を開け、何もかも空っぽな頭がついていかないとその存在を凝視するひとり。
意味が次第にわかり、その表情は歓喜に変わっていく。心なしか瞳がきらきらと星のように瞬いていた。祝福の音。手を合わせ、体中がそれを感じていた。

「うそ……ほんとう、ほんとうなの? 素敵じゃない!お相手はどんな方なのっ」

好奇心にまかせ飛び上がる乙女。それを抑えながら笑顔を変えず。
そして彼と彼女はちいさなしあわせの名を口にした。





最近、姉とあの人が良く一緒に居る。それも、とても笑顔。どちらとも、自分だって見たことの無い顔ばかり連続する。
聞こえてくる断片的単語は、乙女の誰もが一度は願うものに関することが多い。どうして、なぜ。そんな話を彼女とする必要があるのだろうか。幼いながらに急加速する頭の中のふたつの味噌。
すきだ。だいすき。愛狂おしい。ずっとそう祈っている。消えるどころか、日に日に増している感情。張り裂けそうになったり、異常にときめくだなんて気分屋のこころ。どくとく、耳にまで聞こえる心拍音。病気みたいだけど、病気じゃない。これは初恋と言うのだと、誰かが云っていた。そして、この胸を騒がせる感情の存在をひとり認めた。

どうしてどうしてどうした。彼も、彼女も自分のきもちを知っているはずなのに。なのになのに。何故ふたりだけで楽しく居るの。どうして愛の言葉ばかり口が揃うの。あなたにはじぶんしかいらないでしょう。そう言ったのよ貴方は。ああ、なんて罪なひと。また、引き裂かれそうにここら辺りが痛い。いたくて、いたくてしょうがない。喉が締め付けられるように、呼吸がまともにできない。目を満たすのはしょっぱい小さな海。いつか泡になるのだろうか。なんで、なんでなんでなんで。貴方はいつもレナを好きだと言ってくれたじゃない。愛してるって、ずっと傍にいるって約束したじゃない。うそうそうそ。うそつき。うそつきうそつきうそつきうそつき。こんな感情を"裏切り"と呼ぶらしい。ずっと、うそついてたのね。だましてたのね。幼いからって、こどもだからって、てきとうにあしらわれていたのね。今、ようやく全てがわかった。禁断の果実でも食べちゃいたい。もう、何もかもそうだったのね。色とりどりのせかいは、一瞬にしてモノクロせかいに切り替わる。あぁあぁあーあーあー、ああー。つみびとには、ばつをあたえなくちゃ。しょうがないでしょう。これが、あなたのやってきたことなのだから。


気づけば隣には、一匹の蛇が居た。しゅるるると舌を巻き出しては、玩具みたいにすぐ引っ込めた。

「憎いか、あの女が。姉が」

A.Yes.

「食いちぎりたいか、あの男を」

A.Yes.

「すべてすべて、壊したいとは、呑みこみたいとは思わないか」

A.Yes.

「ならば、私とともに往こうではないか」


契約成立、そう大蛇は口元を歪ませた。
幼い少女は禁断の契約を交わした。
幼い少女は蛇にとり憑かれた。

数日後、ひとりの男が行方不明になった。











久しく、彼女のゆめを視た。過去の記憶。いつしか、消えたもの。


「リョク、お前は神なるものを信じるか?」

長く、艶やかな髪を靡かせ縁側にて彼女は問い掛けた。

「どうして、そんなことを聞くの」
「ひとつ、お前の考えを聞いてみたかったのじゃ。リョクは頭が良いからの」

そう言ってあなたは笑った。満足げに、雲ひとつもないような空に似た笑顔で。ふと見上げてみれば、本日の天候も文句なしの晴天であった。縦に首を振れば、自分の長い神が少し揺れた。

「――そうか。」

またそう微笑んで、細く白いてのひらが自分の頭を撫でた。くしゃくしゃくしゃ。少しふぁさりと髪が乱れた。

「翠葉姉さまは、しんじてないの?神さまを」
「さあ、どうじゃろうな。童自体神のようなものであるしの。」
「姉さまでも、解らない事があるの?」
「神と同等であろうがなかろうが解らぬものはひとつやふたつあるものじゃ」

そうむくりと頬を膨らめた彼女は、何かを引っ張るように手を引き、其処から現れた異形生物を抱いては縮こまった。

「――リョク、これだけは覚えておれ。童はお前が神を信じるか否かを強制も、肯定し否定するつもりは少しも無い。だがな、ひとのこころほど大きな影響力があるものは無い。特に"信じる"という行為については、それこそが一つの大きな力となる。信じるだけで、あるはずの無かったものが"あったように"なることも幾度無くあるじゃろう。その中で、お前はお前自身の信じる"真実"を見出せ」


そういって、彼女は遠くを見据えていた。















激しく音をたかり上げて、地面に叩きつけられる冷ややかな硝子の雫。垂直に降る雨は時に土を抉っていた。

「明日だっていうのに嫌な天気だね」

チョコを一口あんと放り込んで緑川が言った。彼の言うとおり明日はいよいよ聖華祭なのだ。生徒会室では最後の準備として、いつものメンバーが席を埋めていた。今まで手伝ってくれていたシャドウにも、これ以上彼が必要な出番も無いし、なんにしろ余り彼をこき使いたくないということで先に部屋に帰ってもらった。

「逆に今のうちに降ってくれた方が、明日は晴天に見舞われるかもしれないぞ」
「おーっ。確かにそれもそうかもなぁ……流石鬼道会長」
「そうは言ってもこれは少しばかりキツすぎやしないか……?」

風が無いだけまだマシかといえようか。最早ゲリラ豪雨と疑ってしまいかねない程。

「まあ寮に帰んの嫌がってたヤツも多かったしねー」
「俺、一階」
「お疲れ風丸。一番被害ヤバそうだけどガンバレ」

ぽんっ。肩に慈悲の手が添えられた。思わず溜息を吐き出した。それでも雨は止むことどころか、いい気になって更に強く振り続ける。

確かに通路や無事に寮にまで戻れるかというのも心配であるが、それよりも引っかかることがあった。ただ、それだけが主に気がかりなのだ。

「……姫柘榴大丈夫かな」
「あれ、そんなん育ててんの風丸?」
「昔兄さんから貰ってさ。それからずっと」

自分がこちらに引き取られて、間もなくの頃に従兄が「部屋に花が無いと寂しいだろう」と持ってきてくれたものだった。ベランダで育つ姿は幼いながらに感動を覚えたことも在る。小さな赤い花を幾つも咲かせ、やっと見つけた小振りなその果実はなんとも可愛らしいものだった。

「雨で花、散ってなきゃいいんだけどな……」


ひとり、曇天の灰色を見つめていた。








「凄い雨だね。まさに"豪雨"だ」

ぽつり。謳うように呟いた。返って来るのは反響した自身の声だけ。

「あぁ、やっぱり寝ちゃったんだ」

振り返り、ソファの方へ焦点を変えた。明かりもつけず、暗く混沌とした闇にふたりは居た。
小金色の長い髪を揺らし、その頬へ手を伸ばした。軽く、亜麻色の髪が手に馴染んだ。閉じられた瞳は何もものを言わず。脈は整い、寝息が少し手を湿らせた。横顔はいつか見た少女によく似ていた。でもきっと、あの少女の方がまだ救いようはあったのだろう。

「そうだね。夜からまたお仕事だものね」

その手を首へと這わせた。まるで蛇か何かが通るように。とく、とく。それでも絶えず変わらぬ息の根。心拍数は正常。流れる色も、あかく指先の奥すり抜けていく。ぐるぐると、廻り巡るそれは、最早終わりを知らぬ輪廻とよく似ていた。
それでも少女は足掻き続ける。過去を大事そうに腕の中に抱きしめ、あの日伝えられた意思と共に風を眺めて。終わらぬ旅を続けている。



「もう、あのまま眠っていればよかったのに」


あの燃え盛る彼岸花と瓦礫の中で。





(うそつき)




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