何処かで聞いた事があった。蛇とは、なんとも嫉妬深く執拗な生き物だと。
そんなことをふと思い出したのは、たまたま道の際に蛇が死んでいたからで。広大な森さえもが私有地のこの学院では、時たまこんな光景を見かける。
確か自分がこちらに住むようになった数日後にも、似たようなことがあった。その時はまだまだ幼く、何も知らない赤子同然の自分はその風景に特別驚きもせず。何かと思わず手を伸ばそうとすれば、従兄に止められた。どうしてかと問えば、彼はその蛇を抱えて森の奥に行った。ついていけば、彼は地面を掘りその死骸を土葬していた。多分、其の時初めて自分は記憶を失ってから"死"というものに直面した。


そして、昔の彼と同じように自分は死体を埋葬した。方法も、あの時と同じだった。
生めた場所を少し土で盛り上がらせ、そこら辺に落ちていた小さな枝をぷすりと刺した。なんとも簡素な墓で申し訳ない、なんてひとつ思い。手を合わせた。

"死"、といえばここ最近――彼が来てから一度に多く触れた気がする。
丁度桜が高らかと咲き乱れる頃。その時はまさか自分がこんな、夢物語のような世界の中に居るとは思いもしなかったろう。そもそも、この世界にそんな非現実的なものが存在しているだなんて想像すらしていなかった。
ふと、思う。もし、自分が彼に逢わなければ自分はあのまま平凡に過ごせていたのだろうか。――否、そんな未来なんて存在するはずが無いのかもしれない。どうあがいても、彼は自分を"求めて"此処に来たのだから。そう考えると、自分が今まで体験してきたことは本当かと現実味を帯びる。

そういえば、と自身の手の甲をじまじまと見つめる。確か逢って間もない頃、何かされた憶えがある。最近何かと色々ありすぎてすっかり忘れていたが。彼はそれを"契約刻印"と呼んでいた気がする。今まで何も無かったが、何かあるのだろうか。今思えばそこら辺りの話は途中で従兄が来てごちゃごちゃとなって――全く聞けてない。もう三ヶ月ぐらいだというのに。

「――」


蝉時雨が煩く鼓膜をつつく。そして、其の音に身を任せて瞳を閉じた。






広がる世界。嗚呼、もういつ振りだろうか。最近ではもうほったらかしに、あちらから話し掛けてくるわけでもなく忘れかけていたせかい。というか、もう何時の間にか朝と夜とでこの身体を分けていたのもあったかもしれない。


「―――何、おまえは何も悪いものを食べてはいないはず。」


佇むひとり。はらむ純白の着物が痛いほどに眼をつく。足下まである長い浅黄色の髪と暁の隻眼。紫の帯がちらりと垣間見る。

背後では落ちては砕け散る何かが降り止まない。しろい、せかい。まるで雪のようだと誰かが云い。
女性になりたがった彼の末路。


「たまに俺がお前を呼び出したりしちゃいけないのか?」

「いけないも何も、今更何を聞くの。」

「お前が俺ならば、わからないはずもないだろ」

冷ややかな瞳が、こちらを見据える。瞳の色自体は暖かい、熱いほどの緋色。まるで温度を持たぬ宝石のようで。静かに流れる髪。
それでも構わず声を上げた。

「最近、ここで何が起こってる」

初夏の殺戮事件。先日の神隠し事件。
ふたつとも、本来顔を出すべきではない世界の裏側がでしゃばった結果。自分が裏側を見渡すようになってからの、ふたつの事柄。

「たかがふたつで何を気取っているの。――それに、おまえが気づかない内にでもそんなこと、よくある噺」

相変わらず冷めた言動をする彼。はらり、着物の袖が揺れた。
そしてまだ止まぬ冷雨。

「どういうことだ、それ」

「どうもこうないわ。おまえには関係ないものばかり。」

すると、触れるその指先。病的にまで白く細長い指が自分の髪を梳いだ。するり、すれば嘲笑うかのように顔を歪ませる彼。少女のような容姿が、自分が目の前をかすむ。

「結論を出すには早すぎると言っているの。しかもおまえはただこちら側の世界を一部覗き見ただけにすぎない。そんなことだけでいちいち己の中で勝手に大袈裟に振舞うだなんて、何も知らぬ赤子と同等のおまえに赦されるはずが無いの。――偽善も此処まで来ると笑うに笑えないわ」

ぶちりっ。細く小さく微笑んでは、彼は梳かしていた髪を勢いよく引き抜いた。直ぐさま走る強烈な痛みに思わず頭を抱える。どうやら、精神世界でも現実世界で痛いものは普通に痛いらしい。
つかつかとそんな風景を横目にすることもなく、翻し去り行く彼。歩くたび鳴る鈴の音。進むたびはらんでは融ける風色の長い髪。

「――ッ、風漸華……おま…っ!」

痛みに堪えながらも、若干反撃する口。それでも彼から零れるものは慈愛でもなく善処でもなく、罵倒のことば。
立ち止まり、何かと思えば開く声。

「これで用件は済んだでしょう」

「っ、誰が勝手に、還っていいなんて言った……っ」

「これ以上聞いてもきりが無いわ」

「ふざけんな…っ」

「そんなに聞きたいことが在ればあの僕にでも聞いてれば」

足掻くひとり。受け流すひとり。足してもひとつ。何ともおかしな話だ、思わず口元が弧を描く。
天を見上げる彼を、そんな自分が傍観しており。足下流れるテープはいつぞやの過去をだだ流しに。所々、黒く塗りつぶされているフィルム。

「嗚呼、後――」

ふと、途切れる声。静かに、このせかいに喰らいついた。
その瞳の色は、今ではもう何色かさえわからなかった。

「――いえ、やはり何もないわ」




瞬間、突然の冷気に目を覚ました。








「こんなトコで寝てると風邪引くぞ」

「――つべっ」

額に冷たい何かを感じ、思わず身体を起き上がらせた。じんじんと、頭が少し後遺症を残す。
風景は先程と変わらず、とある敷地内の森の中。――と言っても、道を少し歩いた直ぐ傍。生い茂る草々の青が目に付く。
蝉の音が、一段と煩い頃合。隣に、人気を感じ。其処には、氷やら保冷剤を入れた袋を持つ少女がおりて。少女はと言うと、少しその光景に笑みを零していた。

「目、覚めたか?」

「生憎様」

やれやれ。腰を上げため息を吐く少女。亜麻色の髪と制服のスカートが揺れた。
それに続き、自分も立ち上がった。くらりと世界が変わり。

「……というか、何それ。後何で時雨こんなとこに」

「嗚呼、これは照美からお前に差し入れ。そして私は私でたまたま用事で通りかかっただけ。以上、これでいいか?」


そんな偶然なんてあるのだろうか。いや、あるのだから彼女は今目の前に居るのだろう。はたり呟く思考。
そして流され受け取る袋。中を開けてみれば、あまりの冷気に白く煙が漂っている。所々甘い匂いがするのは気のせいだろうか。兎に角礼を言い、取り敢えず貰っておく。確かに今年の猛暑にはうってつけだろう。

空を見上げれば、暮れる日。茜色に世界を包んで。一体、どれくらい眠っていたのだろうか。もしかしたら彼女がこなければずっと自分はあのまま眠っていたのかもしれない。そう考えるとある意味恐ろしい。くわばらくわばら。


「――そういえば、この前はミラが世話になったな」

バタバタしてて、言えず仕舞いだったけれど。
ふと、生まれたことば。歩く道の途中。黒猫が口を開いた。
一瞬、何の事やらと思いぐるぐると廻る脳裏。ぴこんっ、軽快な音と共に思い出すひとつ。


「ああ、そっか。あの子のことか――って、あれ」

「冬花から聞いた。」

「あの子って、妖だったんだな……」

「まあ変化したら見分けつかなくなるし、特にミラは上手いから」

そう笑う少女。夕日がその輪郭を照らす。
そんな姿を見れば、一見ただの少女。それでも知っている。少なからず自分は、風漸華を通して血の雨に塗れる彼女を知っている。石畳が痛快な音を嘯く。
一体、誰がこんな事を想像できるだろうか。何事も無く平凡に暮らしてそうな人間が、何事も無かったように剣を振るう様を。

「でも、ほんとうに時雨は強いよな。羨ましい」

何時の間にか口から零れていたもの。言い終わってから自問する。どうして自分は彼女を、"時雨緑"という人間を羨ましがったのだろうか。自分は闘いたくも、そんな世界に足を踏み入れる事さえ未だに嫌悪を憶えているのに。今までだってそうだ。ただ流れ流され気づけばこんなところにまで行き着いた。非現実すぎて、頭が正常な判断をおろそかにしただけなのだ。本来ならば、今頃ただ何も考えず空を見上げているだけなのに。
ぐるぐる廻る後悔にもにた業の懺悔。それでもコレは事実の塊で。どうしようもなく溜息を吐く。

「羨ましい、か」

立ち止まる足下。影が自分を追い越した。花壇の朝顔が蕾を閉じかける。
とある世界の一角。

「だってそうじゃないか。時雨は女子なのにほんとに強いし、それに何でも出来るし、」

「何でもは出来ない」

はたり。白い月が見下ろす俯瞰。時雨の背中が、影に焼きついてこの眼を焦がす。
凛と強く、儚い椿が堕ちる頃。飛行機雲が、尾を引いては消えて行く。

「正直、私を羨んでくれる人が居るというのは嬉しい。でも、私はそこまでするほどのものじゃない」

それに、世界には性別なんて関係無い。
呟く少女。否定的な言葉を徒然、白と茜のこの道に並んでいく。
そういえば、昔の人は月を"異界への入り口の穴"と謳い、信仰対象にしたそうだ。

「この世界に私が生きるには、とても大変だから。ただがむしゃらに足掻いてるだけ。それだけ。だから、私は世界や私に害であろうものは全部消しているだけ。」

また、笑った。其の眼には一寸の悲しみの表情なんて無いのだろう。彼女は強いから。
強い故、悲しむ必要等赦されないのだから。

「……もし、だ。その害のあるものが、赤子だったり、自分の知り合いだったらどうする」

ひとつの疑問。でもそれは残酷なほどの。

「関係無い。」

「それはつまり、」

「殺す。世界の秩序が乱れるのであれば」

ある日従者から小さく聞いた。"時雨緑"は神なのだと。それは、彼女に仕える猫も同じことを云っていたと思い出す。少女は、人間であって人間ではない、現人神。
一体今までも、これからもどんな道を歩むのかは誰にも測定不可能だ。実質、自分の過去さえわからないのに。
と、先程の蛇を思い出した。もしかすれば、あの蛇も誰かに殺されたのだろうか。世界のころしころされるルールによって。

「――じゃあな。男子寮はそっちだろ?」

「え、ああ、」

振り向きざま声を上げた少女。目に見えたのは、小豆色のゴシックでレトロな外装の建物。この学院の男子寮。

「時雨、ありがとな」

「……ん、氷なら照美に言えよ」

「いや、それもあるけど。色々」

そう告げて、ひとり自身の寝床に帰るのであった。

飛行機雲は、完全に姿を消していた。











とある昼下がり。カフェテラスにて、話し込む二人の女子生徒。
片方を"青燈ひかる"、もう一人を"神奈崎リナ"といった。

「ふー、夏休みどっか行きたいなぁーねー、リナ」

「ひかるちゃん、でもわたしたち今年受験が……」

「あー、そういえばそうだったわねー。忘れてた」

「わ、忘れちゃ、だめっ」

穏やかに談笑するふたりの影。アイスコーヒーの水面照らし。
と、蒼い髪を揺らす活発そうな少女がとある人影を見かけた。

「……ひ、ひかるちゃ…?」

「ごめんリナ、ちーと黙ってくんない?」

音を立てないように、ひっそりと椅子を引き、忍び足でその後姿に近づく少女。周りから見ればれっきとした不審者にも見える。

「ふぉおおおおおお!」

そして、叫んだ。雄たけびながら、その背後に飛び込んだ。
其のあまりの光景に、リナは苦笑いを浮かべ。

「……何やってんですか、部長」

「っち!何時の間にそんな気配が分かる子になっちゃったんだよおっ!お母さん悲しいっ」

「誰もアンタの息子じゃねえよ!」

「おお、つっこみにも磨きかかってきたじゃん風丸」

感心し、唸りを上げる少女に何とか避ける少年。蝉がこれまた煩くざわめいて。
呆れては溜息を吐くひとり。
青燈ひかる――高等部3年、陸上部部長。

「どー?聖華祭の準備結構やってるー?」

「一応、仕事ですから」

空色の髪を揺らす風丸。そんな彼に肩を組み、まるでアルコールでも飲んだかのようにつきまとう少女。笑いながら深海色の長い髪が跳ねた。
と、陰のあるテラスの方へ引きづられる。少し捕まれた腕に痛みを感じながら、ふと初めて見る彼女が目を引いた。

「あ、紹介するよ。こっちはうちの後輩の"風丸一郎太"まあ有名だから知ってるかもだけど。で、そっちは"神奈崎リナ"。妹が有名でしょ、ほら"神奈崎レナ"って」

「いや……、すいませんけど全く知らないです…」

そうは言われても。
あまりそんな部類には、全くと言っていい程興味の無い彼にとってそう言う話は全くの無知であり。
あー、と頭を抑えてまた溜息をつく少女。というか本当に誰なんだろうか、そのレナという人は。

「わー、流石毎度予想を越えるわね風丸。まさかそこまで女子に興味が無かったなんて。思春期を楽しめよ少年ン!」

「そういう女子であるはずの部長が男子らしいというのもアレですね」

「やだなー、シャイシャイでシャリシャリなウブ少年代表の風丸の分まであたしは青春を満喫してんのさ。――なんならお勧めのエロ本教えてあげようか?」

「アンタは元からだろッ!」

ぜーはーぜーはーっ。
照り返す地面の温度を身に染みながら、息を整えるひとり。たった数分しかこの場に居ないのに汗だくというのは、今は暑さのせいにしておこうか。
(――陸上では尊敬できるんだけどなあ……)
陸上に関しては全国上位という成績は、そのことに関わったりする人間としては尊敬の的である。しかし、肝心の性格は天真爛漫で思考はエロ親父とも男子の先輩からも称されていた程。そのギャップに初めて会う人間はただただ口を開けることしか出来ないだろう。


「……あ、えっと、はじめまして。神奈崎レナと言います…」

「あ、こちらこそ……」

と、そんなカオス空間の中、清楚な声がふと沸きあがった。控えめに、少し小さな声。背中までの髪に、眼鏡をした少女。胸元のリボンが揺れた。

「そういえば、神奈崎レナって誰なんですか。聞き覚えないですけど……芸能人か何かですか?」

「まあ、うちの学校ではそれに近いんじゃないかな。ほら、今の一年でいつも聖華祭のシスター選考通ってる子。今年も、候補っていうかもう"聖母(マリア)"候補っぽいってさ」

尋ねれば、応える声。夏草が風に揺れる。
"聖母(マリア)"……、何処かで聞いたことがある気がする。

「……まさか、"聖母(マリア)"もわかんないとかほざかないでしょうね……副会長サン?」

先程より少し低いトーンで悟られるその唇。不覚にも背中を悪寒が這い上がってきた。

「――、"シスター選考の中でも一番票数の多かった高等部女子生徒がなれる、いわばシスターのリーダー的存在"」

頭の中手繰り手探られた情報を引っ張り出してくる。そのせいか、まるで棒読みになってしまった。
多分、本能が必死に答えようとした結果だろう。

「よろしい。……あー、忘れたオチだったら面白かったのにー」

「もう部長が何を求めているのか俺はわかりません」

ぶーぶーと頬を膨らませブーイングする少女を横目に時計を見る。どうやら、もうそろそろ生徒会室に戻らなければいけない時刻に。

「……そろそろ時間なんで失礼させていただきます」

「おー、がんばれがんばれー。あたしゃ応援してるよ」

「それはどうもありがとうゴザイマス」

笑いながら彼はこの場を後にした。


一匹の蛇がとある少女の足下で死んでいた。







(ひとはいきる)




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