音も無く墜落した蝶。
ただ其れを眺める狼。


「……む…、」

そんな風景が瞼を掠めた。長い黒髪と一部白髪が、顔に張り付いて。空いていた体の穴も、自身が妖という特徴に助けられたか、ほぼ塞がっていた。だが、ひとつ追加効力を継いでいるという事実にも直面し。

(……こんなに治癒が早いのは、主の傍に居たからか…)

まだ完全に塞ぎきっていないそれに手を当ててみる。ぐちゅり、まだ赤に塗れた肉が見えていた。
改めて自身の主人の偉大さを改める。彼女の力が大きすぎる為か、彼女の傍に長く居ると多少影響を受けてしまう場合がある(本人はちゃんと制御を行っているのだが)。それが悪影響なのか良い影響なのかは分からないが、それでもそのお陰で今死ねずにすんだのだから。否、こんなことで死んではただの蟻ではないか。馬鹿か、と口に言わずに自分を罵倒する。


「何、威勢がいい割には封印程度しか出来ないのですか。」

「そういう貴様もやられてただろう。さっさと変化して寝ておけ」

そんな狼の傍に歩み寄る。足下には蚕の繭のように、はたまた卵のように丸く束縛され意識も無いアリス。女王は地におとされた。

「今は、こちらの姿の方が何かと楽なだけ。そういう貴方こそ変化しないのですね」

「するほどのことでもない。」

取り敢えずひと段落ついた空間にて、猫と狼の会話。足下にはまだ少年少女が眠っている。


「――で、まさか考えもなしに行動したのではありませんね?現状ではただあの輩は寝ているだけ。さっさとしなければ直ぐ起き上がってきますよ。」

何時の間にか解かれた髪を広げ。わき腹辺りに咲いた赤椿を抱えている。
中央ぶら下がる鳥篭は傾き。鳥篭をしたから触れず、支えるようにはたまたつまみのような柱頭のようなものが聳え立っている。多分、下へはあそこから繋がっているだろう。
そんな予想を片隅に、其処へ近づく。

「何をするつもりだ」

「どうもこうも、今は停止しているもののいつかは再開されるでしょう。ただその通過路を壊すだけ。」

「今現在その通過路に人間が居たならどうするんだ」

「おや、貴方のような人間が他人の安否を心配しますか」

「今はそんな事どうでもいいだろう」

「まあこの話はよしとして。――貴方が心配することではありませんよ。一応、人間のことは視野に入れてますから」

がしゃりっ。風を巻き起こし、存在させたのは黒光りする巨大な筒。重工機。バズーカ。
其れを両手で抱え、ピントを合わせる。目指すはただあの塔。

「それは、姫君の意思からか」

その0.1秒後、火は放たれた。
轟音をひとつ、胡桃のように弾けさせ。その塔に透明な波紋が広がり。
塔が崩れ落ち壊れることは無かった。

「……ええ、そうでなければわたしがわざわざ人間と馴れ合うようなことをするとでも?――まあ、貴方は半々ですが」

その機能を停止した塔を眺めながらミラが呟く。其れがカタチに変わることは無く。
そんな背を眺める闇色。くすんだ純白のワンピースが切れ切れに。
風は、大きい。

「――人間なんて、クズの塊。穢らわしい」

憎悪に似た声色が亡きアリスの楽園に響く。

本当を言えば、人間なんてどうでもいい。生きようが死のうが、正直自分には関係ない。ただ、主がそんな者の生死等を尊いたりするから、自分は此処にこうしているだけ。

いつも、気づけば手には握りつぶした果実のようなものがこびりついていた。それを、思う気持ちなんぞ持ち合わせても居らず。純白を知らない白猫。
それでも、貴方はそんなわたしの傷口をぬぐってくれた。自身が穢れると知ってなお、この手を綺麗にしてくれた。ただ、そんな音が聞こえる。

しろいしろい、あかいゆきのなか。

「……それでも、主がそんなことを望んでいないのならばわたしはその行為をころす。主の為、この四肢を投げ捨てでも構わない。」


ただ、強い意志が流れ込み。いっぴきの身体を満たす。
何にもすがることなく生きてきた、寄生猫の噺。

そして、その塔に、柱に触れようとしたときだった。
目の前を、青い線が掠めた。



「このせかいはね、ちひろのせかいなの。だからね、みんなちひろのおもちゃなの。おにんぎょうさん。」

そして背後、聞き覚えのある音。唄うように、ハミングするように。
大きな花を背負った少女。


ぼとんっ。
吸い込まれる被害者一名追加。

そして、気づいた。今になって、やっと気がついた。
この世界では誰も逆らえないのだと。少女がつくりだした世界なのだから、少女に都合の悪いことは全て全部弱まるのだと。
つまり、はじめから突破口なんて無かったのだ。迷いの世界に取り込まれた時点で、もう何もできやしなかったのだ、と。



闇色の双眸。可憐に凛々しく黒百合が咲いた。











伸びる放物線。其れは赤と鋼色。
闇色アリスと漆黒狼。互いに守るものを抱え。甲高い音が鳴り響いては反響する。

何故か、先ほどから自身の主の気配がこの世界に漂っているのは気のせいだと思いたい。だが、世界はそれを赦してはくれず。壊れる音が、どこからともなく自身から聞こえてくる。

先ほどよりも強い力。笑ってしまうような。足下から生えてくる管を避けながらよろけながら、苺ジャムが体から溢れ出してくる。天井見下ろす縫い包みたちが笑っては投げつける。

「あら、げんきなんだね。でもね、おにんぎょうさんってふつううごかないものでしょう?それにうごいているとつかれるでしょう。だからはやくとまらないの?」

触れるはずの無いその白い手が額から頬の輪郭をなぞる。するり、赤が伸びた。

(……やはり、混血といえども、人間か…っ)

遠くなる意識。よく自分は立っていられるものだと思う。
どうやら、この世界では人間は強制的に意識があるはずがないらしい。自分が先ほどまで動けたのも、微量ながら妖の血が混じっていたからであり。それでも、もうそろそろ時間切れのようらしい。

笑顔を浮かべ見守る少女。ゆらゆらと放物線、その身体を突き刺して。









ぺきりっ。


ぱたりっ。


転がる狼。腹から溢れ出す赤い薔薇。女王の好んだ薔薇は白か黒か。
その床下、彼の主は瞳を閉じ。何も感じず。
鳥篭。ゆらりぐらり揺れて観賞する少女。憎しみと憎悪のハート。


ばりばり。

皹いる感情なんてもう無く。ただ少女は満たされ。歪んだトランプをぐしゃりと握りつぶした。
嗚呼、もう自分はひとりじゃない。くらい、こわいせかいにひとりじゃない。おともだちが、みんないる。くるしくない。いたくない。
これで、わたしはすきにいきれるの。これからここであそんで生きるの。


「生きたいの?」

「いいえ、とっくにちひろはいきてるよ。なにをいってるのかな」

「ほんとうに、そう思う?」

「いきてるもん。ちひろはいきてるもん」

「足も、腕だってもう無いのに?」

「でもしんぞうはあるよ」

「ほんとう?」

「ほんとうだよ。ちひろはいきてるよ、ほらっ!」


振り向き、広がる漆黒のスカート。ひらひらと蝶があちこちに舞って。
目の前の彼女に云う。手をあげ、アピールする。
すると、確認したように少女は云う。

「いきてるでしょー!」

へへーとわらう無邪気な少女。

「うん、此処では生きてる。」

「そうだよ、いきてるの。」

「じゃあどうして足も無いのに立っていられるの?」

「ちひろはね、もともとあしがないの。だからいつもこうやって、ふしぎなちからですごしてるの」

「すごいね。まるで死んでいるみたい」

「うーのにーにによくおうちでいわれた。でも、しんではないよ」

「家には帰らないの?」

「かえれないよ。」

「どうして?」

「かえりたいけど、ちひろはもうかえれないよ」

俯き、あるはずの無い足下を見下ろす少女。何も、残っているはずも無く。

「だってもう、かえりかたをわすれちゃったもの」

「そう」

「ここからはなれれないの。」

「どうして?」

「わからない。ただね、ここからはなれようとするとうさぎさんがひっぱるの。だめって」

「帰りたいんだよな」

「うん」

「じゃあ、私が此処から放してあげる。――もう、苦しまなくていい。泣かないでいいから。」

ぼろぼろと落ちる真珠を掬い、その小さな頭を撫でる。抱える継ぎ接ぎだらけの兎が水に浸り、おおきなリボンが上下する。
ふと、少女の瞳が深い漆黒からいつか見た翡翠色に変わる。足下、ついてきた黒猫が出口を指差す。

右腕が弧を描いたと思えば、出現する刀。翠に光を帯。

ぼろぼろと崩れ出す世界にてアリスに十字架を授けた。






(アリスは夢から醒めた)




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