( そのいち )




駆け抜ける影。ゆらゆらとその波紋になぞらえて。
明るい橙のネクタイが時折葉を掠める。風は真新しいように。
白い髪がぱさぱさと生き物のように動く。木漏れ日がそんな彼を穴だらけにする。
駆け鳴る足音。それは確かにこの時の中に刻まれて。
彼の髪と同じ色のシャツがぱたぱたと風を避ける。金魚が泳ぐその色に良く似た肩掛け鞄が一定のリズムを保ち、小さく音を奏でる。

隣を横切る大人や人々。色とりどりにその時間を装飾していく。褐色色のタイル張りの地面が、霞め行く車たちさえも。
ただ、見える世界はとても色鮮やかで。少年の色褪せた鼈甲色の双眸に流れて。
そんな、日々の中。
でも、それでも自分は此処に居ると思えることがしばしばある。例えばそれは、目の前亜麻色を揺らす長髪の少女であったり。そんな、日常。


「、緑っ!」

たん、たんっ。
また、新しくリズムを刻み込んでは彼はその背中に手を伸ばす。青空が、隙間憎らしいほど鮮やかに世界を覆っていた。

はらり、なだり。気づいたように弧を描くその髪。太陽に晒され、所々赤ばんで見え。瞬時、風を起こし。円を描いてはその焦点から立ち去り。闇よりも深い漆黒が、冷ややかにそれを見ていた。
そして、彼は地面と昼のご挨拶をすることになった。
一瞬、夜に顔を出すオリオン座が目の前を過ぎった幻覚を、太陽の下彼は夢見たのであった。






「――っつー!」

「自業自得」

ひりひりと痛む鼻を抑えながら夏の昼。
そんな痛々しい彼に少女は彼に手を差し伸べることも無く、ただ冷ややかに小さく突き放すだけであって。制服の透き通った水色よりも、いまどきよく見る氷の山以上にひんやりと周りの空気を凍らし。黄色いシロップのリボンが風に揺れる。
目の前の信号が青から赤に変わる。

「あ」

「……後、いい加減さっさと帰るのやめてくれないか?」

そんなちらつく人並みを見渡しながら、気づく灯る赤男。
後ろでは立ち上がり、はらう少年。そんな冷ややかな彼女に吐き出すそれ。
ちらりと、自分より少し背の高い少年を見てただ言う言葉。

「どうして私がお前を待たなきゃいけないの」

「そりゃ……だって、」

「……お前は他の奴ら――豪炎寺とでも帰ったらいい話」

どうせ、行き先は同じなのだから。
呟いては少女の脳裏を掠めるニンゲンたち。

「何で其処で豪炎寺が出てくるんだよ」

はてな、と道端に疑問符を落とす少年。一体どうしてこなったのか。
過ぎ行く人々。時折同じ制服を着た人間がちらりと視界の端に映る。
雨のように、絶え間なくその足音は聞こえる。そんな、交差点の前。
ふと、そして彼はその少女の言葉の意味を自己解釈する。

「もしかして緑、豪炎寺に嫉妬して…!」

「っ、馬鹿!何で私がそんなことしなきゃいけないんだッ!」

ばさり、思いもしなかった言葉のチョイスをした義兄に振り向き一喝する少女。
思わず大声を張り上げる。その女子中学生の声を聞いた周りの人々が一斉にこちらに視線を泳がした。
それに気づき、はっと縮こまる。他人ほど彼女の心を支配するものは無い。少し、その髪が揺れた。

「え、だってそう言う意味じゃ」

「……ワカラナイならわからないでいいだろっ。いちいち余計な考えを押し込めるな」

「何大声で言い合ってるんだお前等」

ぎゃーすかがやがや。
そんな周りから見れば夫婦漫才のようなふたりに近付く影。これまた、色素の薄い髪をかきあげた少年であり。もう一人と同じ制服を着ており。
呆れた顔でとある兄妹を見ていた。


「近所迷惑だろ」

「あっ豪ー、いやだって緑が」

「もうお前は黙ってろ」

「え、緑それ酷い」

「……夫婦漫才は家でやれ」

「んな……っ!?誰が夫婦だ!」

「何でそんな怒るんだよ緑。"夫婦"って言い換えれば"家族"ってことだろ?なら同じじゃないか」

「……………」

「……林、其処は普通否定するところだぞ」

「え、俺なんか変なこと言った?」

ピーポー、ピーポー。
彼等がそんな小さな話を展開していれば、とある聞こえる電子音。ふと見上げれば、赤い男は立ち去り青い男が道をひらき。
そんな交通ルールに則って進む道筋。不安定な音ばかりがただ先を急かす。
彼等もその一人一人であることには変わりなく。否定も、肯定も出来ないもの。


鼓膜を突き破る電子音は暫くしてから止んだ。



風景は肌を掠める。いくらどんなに色鮮やかなものさえ、少女にはただの有害物質にしか捉えることが出来ない。
ビルは立ち並ぶ。全てを遮るように、影をつくる。
道は指し示す未来を作り上げていく。分かれたこの道で、今現状でとある一人とはぐれるように。
振る手の影。そして隣ではそれに受け答え、振れる手。

ただ、それを直ぐ傍で傍観する。現実的距離は1mより小さいというのに、心情的距離は遠く、図れないぐらい離れているんだろう。
彼女は別れというモノに対して恐怖感を抱いている。それがただ、また明日会うことがあろうとも。何故か意味もわからず虚無感を感じるのだ。


揺らいで揺らぐ空を見上げては、たまに少女は思いにふける。ふと、たまによくわからないが、まるで発作のようだと。この感覚は夜に良く似ている。何故こうも、諦めた過去をこうしてまた情を掘り返すように眺めているのか、訳がわからなくなるときがある。
それはきっと、多分昔とは環境が変わったからかもしれない。あの頃よりは多少、心あたりに余裕が出来たのだろう。
だから、こうしてまた諦めはまたこの未来にさえ落胆を覚える。確かに、こんな自分を引き取ってくれた今の父親やらには感謝しているが。

それでも、この狂った身体はどうにもならない結果。

(――………好きで、こんな化け物になったわけじゃないのに)


いつか願った声。今では歯軋りにしか変わらず。
そして、少年少女は帰宅路についた。








「お帰りなさい」

そう、広い玄関を開けた瞬間奉げられた言葉。いつものことながらだというのに、少女は少し驚く。また余計な事を考えていたのだろうと思考が安定する。

この樹来家には母親が居ない。元々身体が弱かったこともあり、自分を産んだと共に息を引き取ったらしい。
だから、実質この家には血族的な意味では女性は居ない。正式な血族は自分と父親だけ。目の前笑顔に自分たちの帰りを迎えてくれた、エメラルドの髪を揺らす女性は一応自分たちに仕える存在。でも、気づけば一緒に居たようなものだから、確かに母親というものには近いのかもしれない。

「うん、ただいま。紫苑」

「学校はどうでしたか?」

「いつもどおりだよ。特別変わったことなんて無いし」

「そうですか。」

そう言って微笑む彼女。白いワンピースが揺れる。
確かに身内でも紫苑は美人だと思う。とある人には白い百合が似合うとまで言われたらしいが、言われてみればそうだと思う。
少し後ろに居る少女に関しては、初め逢ったときのことは未だに忘れられない。一年位前ということもあるのかもしれないが、彼女も充分美人だと思う。
……って、自分は何を考えているのだろうか。はたまた思考が断絶する。


「さ、緑様はお先にお風呂にされますか?」

「え、何で緑が先」

「レディファーストというモノですよ、林」


それに今は夏ですからね。女の子には気になる時期なんです。
そう言いながら、緑の荷物を受け取る紫苑。途中、遠慮がちに何かを話し込んでいるようで。
そんなガールズトークを聞き流しながら、自分はさっさと自室へと戻った。










「不機嫌ですか」

「そういう風に見える?」

「ええ、林はあの方によく似ていらっしゃいますので」

そう笑う彼女。

そっか。そう息を吐き出して天上を見上げる。特殊じみた模様が白く、その雪のように白い下地に描かれている。

緑は、此処に来た時から他人――人間というものを苦手としていた。薄い皮に包まれた恐怖感情。
自分は彼女がそうなってしまった原因なんてものは知らない。ただ途中経過で出会った人間なのだから。自分は、彼女が背負ってきたものなんて知ることさえ皆無で。
かといって彼女が今まで乗ってきた電車を知ることなんて出来ない。生きてきた拍子も、見てきた色さえも、聞いた音さえも全く違うのだから。彼女の心の音さえもわからない。

でも、そんな彼女は人じゃなければ声を上げるのだった。
つまり、今傍に居る紫苑。彼女は普段はひとがたにその姿を変えているだけの妖。つまり、人外的存在。
そんな、妖にはこころを開く。
どうやら、緑は対人恐怖症に追加して、"人を信じることが出来ない"らしい。
あれから一年ぐらいは経って、少しは納まり、徐々に普通に話せるようにはなっている現状。けれども、それでも今まで取り返しのつかないほどの深い傷跡を付けれれた彼女は人に全てをさらけ出すのを恐れている。


確かに、わからない気もしない。

「――紫苑、」

ふと、口ずさむ単語。
そして、それに反応する音。もう何も、変わることは無く。
ひゅるり、風が戸を叩いた。

「……人って、どうしてこんなにもわけがわからないんだろうな」

「どうしたのです、いきなり」

「………ただ、さ」

ちらりと、その瞳を垣間見る。あざやかなむきしつ。
淡色ばかりのモノクロームが散らばって。広い広い屋敷のどこかに隠れて。


「人間って、妖よりもくろいんだな。いや、妖が白いだけかもしれないけれど」

そう呟いては吐き出すそれ。氷よりも冷たく、温かくも無いそれ。温度を持たないゆら。
そして自分は無性に笑えて来たのであった。









ひとつぶ掬った
(つまりさ、自分のほうが嫉妬してたんだ)








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