少年には、少し疑問があった。 現在、視界の片隅に視える少女。その膝元には黄色い物体が。 しかし、あの妖は限られた人間にしか見えない。妖の力が小さいためだ。 だが少女はそんな存在に触れていた。実際、見ることは出来たとしても触れることが困難という場合があるというのに。彼女は、それを抱いていた。 あの時だってそうだった。あの、魔鎌の時。 ただひとひら、舞い揺らぐ頃。 + 「少し手伝ってほしい」 そう、ひとこと。 夜更け。雨は彼女を待ち構えていたように泣き止み、ただその輪郭をすべる雫だけが残り。一部灯火を揺らめかせる外灯がそれを照らす。 月は、眩しいほど輝きに満ちており。 横たわるふたりを見つめながら、ひとり。少女は足音をならす。その音は世界を振動させるような錯覚を、誰かが憶えた。 この庭には生々しい戦闘の傷跡が真新しく月光を受け止めていた。所々地面がえぐられているような場所も見受けられる。 「――なんとも。相変わらず派手めが好きなんだな、お前等って」 ふう、とため息をつき少し笑みを浮かべる少女。歩き出すその背は何とも混沌と化しており、逆に其れは全てを飲み込む無のようでいて。ただ、夜の中。 そして其の直後、ひとりの従者は。闇野カゲトは其の目を見張ることになる。己の、目の前の現状に対して瞬きさえも忘れるほどに。 少女の、その力に飲まれそうな錯覚を起すのだろう。 その右腕が空を斬り。ゆらり、揺らいで消えて。 霧雨の雫はその祈りに応え。僅かな光の筋を帯。 「"消去"」 そう、ひとこと。ひとはら。否、彼女にとってはそれでよかったのだ。彼女の、彼女自身を成り立たせる根源が"消失、消滅"ならば。 瞬時、シャドウが今までに体験も、感じたことさえも無い程の力。喩えるならば、豪雨の中躍り狂う乱舞の竜。其れは滝を登り、天へと舞っていく。時には咆哮をこの浮世に響かせ。 とてつもなく大きい力の渦。其れを苦もなく吐き出すはその少女。 自分より同じか、少し低い背丈のなんら変わりない少女。一体何処からそれだけの力が出てくるのだろうか。誰もが一度思う疑問。 そしてたった何秒後。再びその色を鮮明に取り込んだ頃。 ふう、と少し息を零す。それは月に溶け込んで、ゆらいで誰かの隣。 夜更けの晩、再び色彩を取り戻した花たち。その光を帯びるは煌く噴水。水しぶきを上げ。 その洒落た足元でさえ。元に戻っており。 中央には振り向いた少女がおり。その翡翠の閃光は漆黒に飲まれ。 亜麻色の髪がふわり、風と遊んで。 「すまないけれど、其処の一年も担いで欲しいんだ。……生憎私では運べない。」 驚きで何も言えない少年に対し、彼女はそう言の葉を芽生かせた。氷の夜に。 そして彼らは合間見えた。この箱庭の中で。 嗚呼、出来ればその一年は自室に入れさせたいんだけれど。OK? そう、申し訳ないように笑うひとりが其処におり。その場面だけ切り取れば、彼女はただの少女だったはずだったというのに。 水面歪んで世界も変わり。 取り敢えず、あまりの出来事に若干頭がスローモーションしている少年はそれに了承した。 普通、男子寮に女子が入ることは滅多に、否絶対と言っていいほど無に等しい。 しかし今回はまた別。一応軽く重体の人間が此処にいるのだから。 取り敢えずその流れ出す紅色を、白く清潔感に満たされた帯でとめる。じんわりと其処が赤に侵蝕していった。 手馴れたように少女が包む帯と言われる其れをぐるぐると。くるぐるくるころりんこ。回る廻るかるま。純白は何処にも無く。気づけば色褪せ。 シャドウが出来るのは一応の応急処置程度。生憎ながら対して医学知識は持ちえていない。強いて言うのならば、人間の急所や何処をどうすればああなるかという、どちらかと言うと殺傷の知識。元々隠密行動、忍者とは行かないが暗殺やそんな裏仕事をしてきた彼だからこその知識。 しかし、そんな彼でも彼女の手さばきを見ていればそれなりの医学知識を持ちえていることが多少わかる。何処で拾ってきたのかはわからないが、結構な。 だが今はそんなことにふけている場合では無かった。またひとつ、シャドウの中で疑問がふつふつと。 「――何故生かす」 最大の疑問。 兎にも角にも、彼は必要の無い程命を狩りすぎた。夜な夜な街に出ては魔道具を使い人間を一人二人どころか二桁を越える命を殺した。殺人魔と呼ばれるほどに。 そんな少年。人の子。それを、生かすというのだ。もう彼一人では償えない程の罪を犯した囚人を。 「こやつはどちらにしろ最早償えない程の大罪を犯した。もう、これ以上世界を乱さないよう殺した方が的確ではないのか」 じゃぎりんっ、カーテンの隙間。蒼暗い部屋に小さな月の光。そして豹が差し出すは黒光する刃。その先は少女のがら空きの背後首。うなじは白く。 ふと、その刃が首を掠める。彼女が振り向いたことにより、その左半分に弧を描き。その切り口からは鮮やかな花弁が堕ち。滴る雨のように。 あかく、そのめをこがしゆき。 「確かにそういう考えもある。――けれど、それだけじゃ駄目なんだよ。これほどの罪を犯した奴はもう、死んだところでどうにかなる話じゃない。」 淡々と、その流れ落ちる赤い雨のように少女は言葉を堕としては滴り行く。 「最大級では無いとはいえ、こいつは少なからず罪を犯した。いくら命があっても足りないくらいに。――だから、だ」 せめてもの、彼がこの罪を全面的に受けるための絶対事項。 「それが、こいつを生かすということなのか?」 そう闇色が問い返せば、漆黒は揺らぐことは無く。意思は揺らぐことなく。 気づけばその花弁はシャツにまで堕ちて行き、蝶が蛹から開花した。 「………嗚呼、後」 ふと、少女の唇が動き。 別に私を殺そうとするのはかまわないけれど、多分お前じゃ私は殺せないよ。 「それに、逆にとある奴らに殺されるかもしれないから。」 そう、なれた口調で。 そして気づけばとある部屋に行き着いた。 「あ、もう終わってたんだ」 「お前が呆けてる間にな」 「相変わらず酷い言い様だね」 「対等な代価だろ」 「もー、女の子なんだからそんな物騒な代価なんて払っちゃ駄目。めっ」 「ならお前が私の分まで女子らしく居ればいいじゃないか」 「え、何この女子放棄発言」 「別に放棄はしてないぞ」 「そんなこと言ってー。モッテモテのモチモチだろうに!」 「意味不明な発言するな。わからん」 「ナウなヤング的な言葉を言ってみただけだよ」 「何処が」 目の前で繰り広げられるいざこざトーク。ああ言えばこう言い。ころごろ転がっては壁にぶつかり。そして堕ちては跳ねて反響して。部屋中を転げ回って。廻って周ってサヨウナラ。 唖然とその光景を眺め。あまりにも混沌としていたので。 目の前、対になったソファの上。横たわり、掛けられた自身の上着。 ふと、主の顔を盗み見る。穏やかに眠り、その瞳は閉じられて。流れた髪が更に艶やかへ。 流石、とでもいうのか。中性的な顔立ち、華奢なその四肢。あの姫神次期当主なだけはある。同姓だとわかっていても確かに彼は美しい。その華は色鮮やかに。 「――まあ、というわけだ。私の仕事はもう終わったから帰る」 「えー、此処にいないの?」 「若干眠い」 「此処で寝ればいいじゃない。どうせ二時間も要らないでしょ」 「部屋に不法侵入してくる奴の近くで寝たくない」 「駄目だよー、人疑ったら」 「疑うも何も決定事項じゃないか」 そう言残すと少女はその扉を開けて去っていき。 足元ひとつも残らず音たちは帰りて。その花弁が部屋に残留することは無く。 「御免ね。あの子はああいう子だから」 そうやって言う黄金は、多分誰よりも腹が黒かったのだろうか。 * 夕闇。堕ちて。昇る。月は。誰の名を呼ぶ。蒼く。藍に。ゆらいで。あい。アイ。愛。遭い。 そしてふたりは其処に居た。 凪ぐ風が頬を掠める。記憶と現実が交差して。幻想が俯瞰からこちらを傍観している。 足元転がる思想。ころころりとカルマが下から覗き込んでは哂ってる。重い鎖を引きずる誰かを、道化師が転んでは嘲笑う。滑稽で相応しいと、ひとりを指差して。 空に開いた大きな穴。そんなもの、今宵はこれっぽっちも忘れ去られて。忘却返却失脚蟻んこ堕っこち厭ってやだって嘆いて聞こえ。ぽろほろころり。一等星は虚しく燃えて。 「――今日は新月だってな」 揺らぐ髪を掻き分け、少女が足元鳴らし。弾けて生まれ飛んでって。 「―――」 かさばる髪を放ってはその閃光を見定める少年。指先弧を描き。環状線に生えて。 そんな夜。本校舎屋上。微かに灯る外灯。ここぞとばかりに絶賛自己主張中の夜空。 ただ、静寂の中ふたりは喧騒を背負い。 唐突に割り出す唇。 「貴様は何者だ」 がしょり、何かが割れて壊れて崩壊するような。ぼろぼろ。壁がはがれていく。 しかしその漆黒の閃光が揺らぐことは無く。 「言ってたろ、照美が」 「あやつはあくまでも貴様が"能力者"という情報しか提示していない」 そもそもあの人間の言うことは信じがたい。 そう吐き出す。すると、思い立ったように目を見開く。ふと、途切れた葉が宙を漂い。 「…………………あれ…?」 気づいて、無かったのか………? 三秒後、雄の獅子はその頭を地面にぶつけることになり。 すれ違って指結んで (どうか解れないでと祈る) |