ゆらり、ゆらぐ揺り篭の中。まわりに溢れるはヒトガタを成した其れ。 その中央、長く黒髪を漂わせるひとりの少女がおりて。 はたり、閉じた瞼が視界を見渡す。ぐらり、ゆれいで。 気付けば彼女はもう、其処には居なかった。 ◇ かつかつ、かつ、かつかつかつ。 近づいてくる何か。 「――っ、はっ、はぁっ……、っ」 それよりも速く足音を鳴らし、駆ける少女。其の音は夜空に木霊して。 しかし、それでも近づいてくるもの。音さえ消えたと思えば、この足音よりも速く、少女に近づいてくる其れ。 長い、長い廊下。少女にとっては、ただの悪夢でしかなく。 それでも、聳える影。迫る闇。全てを飲み込んで。 「――っ」 秒速で奔る影。しかし、後一歩近づけなくて。 ただ、一瞬の出来ごとであった。 其れは影よりはやく、閃光は翡翠に輝き。反射して煌く刃。揺らぐ栗色の髪。 たくさんの、わけのわからないことばかりがおきて、つづいて。 めのまえにはだれか。そのまえにはいぬにんげんみたいな、きみょうできもちわるいの。 ぱさり、 倒れる音。気付けば少女は夢の中へ。 ふわり、揺れる短い髪。幾分小さな身体が闇に融け。長く漆黒に染まった廊下へと想いを募らせる。その横顔を月が浮き彫りに。 そして揺らぐは新たな視界。 ぱくり。その鮮血に塗れた口から飛び出したのは、はじけた蕾。華が、咲き乱れた。 ひょこりと飛び出したその姿。 人間の形をした其の身体。その背には虫のように小刻みする透明な羽根。大きさは彼女の半分くらいで。 其の姿を例えるならば、妖精。 ――寄生虫……、いやこの場合"寄生霊"か。 そう冷静に理解する思考。その刃は研ぎ澄まされて。 くすくすと虫のように啼く妖精。しかしその閃光は動じず。 っ、た 過ぎ去る風。静かに月を包んで、神無月。 その身体に紅い華と蝶が飛び交って。既に其の手には紅い糸を手繰らせた刀は無く。 そして、その羽根は切り裂かれ、堕ちて、躯が宙を舞い。 黒と紺が混ざったようなこの路に、新たな色が加わった。其の色はひときは鮮やかで。 くらり、真っ二つにわれ、落ち消え逝くもの。 さはり、風が靡いて、其の瞳は漆黒に消え。 ぱたり、全てが終わって。 振りかえれば後方に人の子ひとり。 其の横顔は年相応に、幼く。 かつ、かつ、かつ。 多分先程のを見て失神したのだろう。そっと、その肌に触れようとして、自分が赤泥まみれと思い出す。 頭の中で云う音。――"浄化" 音沙汰もなしに、気付けばその身体には先程の染みひとつも無く。ただ、ヤツと会う前の姿のままで。 そして再びその額に右掌を触れさす。 例えるならば、空虚に堕ちてきたビー球。其れが弾けて、在ることなすこと、全てが無に還り。 ふと、瞼を開いてみる。くらり、一瞬眩む脳震盪。 月明かりがふたりを照らして。その横顔を浮き彫りに。 さと。その寝顔がすぐ傍に。抱きかかえた其の身体。少し重量があって、なんとかバランスをとる。 はたまた、ぐるぐると廻る少女の記憶。そして、一粒掬う。 「――…あそこか、」 ふと、見据えるとある部屋。 たんっ、 音が聞こえた時にはもう、其処に誰もかしこも居なかった。 妖が倒れていたはずの場所さえ、もう既に元通りになっていた。 さんさんと降り注ぐ太陽。跳ね返すは白い床。じりじりと、焦がしりて。 高等部校舎屋上。こんな昼間に無駄に灼熱な場所へと足を踏み入れる者は少なく。しかし、そんな場所にふたり、男女が木陰のベンチに座って。 はむり、さくさく。何かがはさまれている、いわばサンドイッチのようで、ハンバーガーとも似ているサンドを食べる少女。その表情は少なからず輝きに満ちており。 其の隣水を飲む少年。ゆらゆらと、煌いては揺らめいて。 季節外れの暑さが此処に満ちて。 「梅雨は夏の一種?」 ふと、そのサンドを食べ終えた少女が疑問を並べる。 「まあ、初夏ではあるな」 それに答えるは色素の薄い髪を逆立てた少年。ちゃぷり、手元の水が揺れて。 空を見上げれば、その蒼は清々しく、色褪せず。それに装飾するかのように、ぽっかりと揺れ存在する雲。記憶に揺れ浮かび。 ふと、隣の少女を見る。栗色の両側に垂らした髪が光を受け、少し赤ばんで視える。その漆黒の瞳はいつぞやも変わらず。 「そういえば風丸がお前のとこに入ったらしいな」 亜風炉照美が言っていた。 ひとつ、思い出しては切りだす話題。ゆらゆらり、水面は揺れて。 はてな、そうなのかと相槌を打つ彼女。ふわり、その髪が揺れて。 (……そうだろうと思った) ころり。ひとり心中思考を手繰らせる少女。その中少年に悟られることは無く。 「たぶん、照美が半ば強制的にでも入らせたんだろ。」 「……時雨でも知らなかったのか」 「そん時きっと居なかったろうし、いちいちそんなこと聞かないから」 なんとも彼女らしい返答だと、少年はひとり思い馳せ。 「あいつ、陸上やってたのに何で今更アフロディも入れたんだろうな」 「何かやらかしたんじゃないのか。副会長のほうが」 「……そんなタチじゃないぞ、風丸は」 「ん、私はあいつと話したことさえ無いからどうもこうも言えないけどな」 そう言って閉じる唇。 っと。 音がしたと思えば、ベンチから立ち上がる彼女。さらり、風が起きて。 「そろそろ戻る」 そう言って彼女は屋上のドアを開けて行った。 ひとつ、その瞳に残りて。 「おや、これはこれは時雨君ではありませんか。」 ふと、階段を駆け下りる時、すれ違った気配。温度。身体。 びくり、思わず肩が跳ねて、反射的にその顔を覗き込むことに。 其の顔は見慣れた教員の一人であって。細い足が近づいてくる。 「――研崎、先生…」 「今回の試験、流石素晴らしい結果でしたね。次回も期待していますよ」 にこり、笑う顔。深緑が揺れ、て。 「それでは私は用があるのでここで」 かつかつ、かつ、かつ。 過ぎ行く足音。その残留は未だに漂っていて。 「―――……」 完全にその音が消え去った後、ひょっこりと現る黄金が。ゆらり、蝶のように。 「相変わらず治らないんだね、其れ。……えーと、"対成人恐怖症"だっけ?」 嗚呼、でもリョクの場合特に男の人だから"対成人男性恐怖症"とも言うのかな。 薔薇のように紅い瞳を覗かして、彼は言う。 「……紅茶飲みたい」 重いため息をこぼし、何とか紡ぐ言葉。とぼとぼ、歩く足。 それに慌ててついていく。長い髪が曲線を描いて。 「あんまり紅茶飲むとたぷたぷなるよ?」 「良いんだよ、一応身体には良いらしいから」 「へえ、リョクってばそんなこと気にしてるんだ」 そんなの、全く意味の無いことなのに。 昼下がり。沈み逝く太陽。嗚呼、こんなことをしていればまた、夜がはじまった。 幾多もの足痕と夏風 (陽炎となりて) |