「い、嫌だ……く、っ来るなああっ!」

暗闇と同化した暗黒という名のオフィス。昼間は常日頃、この場所で多くの人間がストレスや課題やら何やらと戦っているらしい。しかし其れは単なるイメージの産物であり、俗に偏見とも言う。――そう、もうひとりは片隅に思考をちぎらせた。


壁一面に広がるはこの夜の風景。こんな世のいろ。
月は今にも千切れそうで。ネオンが下界を照らし、天を潰している。
とある男性の叫び声、悲鳴、荒ぶり、あちらこちらに飛ぶ思考、拒絶反応。其れさえも押しつぶされている、今宵寝静まる頃。

その中、覗く姿。漆黒に堕ちた歪んだ闇。

「お、お前はあれかっ!あの連続殺人犯かっ!?そうなのか、そうなんだろうっ!」

焦る男。佇む影。
闇色に染まったフードを被っているせいで、その表情は全くわからない。ただ唯一判るといえば、その雲さえも引き裂きそうな大鎌の先端が時たま床を振動させるということ。
そしてそれに負けじと対抗する男。

「顔、顔を見せろっ、警察に突き出してやる!この気違いがっ、この、殺人鬼がっ!」

思考がとぢりとぎれと切れていく彼の思考は、その言の葉を悪戯に残酷に無慈悲にばら撒いていく。
その滑稽な姿を、黒の中から猫のような眼が彼を捉えていた。
そして恐怖が彼のなかを這いずりまわり、次第には呂律さえも怪しくなっていた。


「――やっぱり、ヒトは煩い。」

ぽつり、ほつれ、此処に来て初めてその影から堕ちたそれ。

「んだァッ!餓鬼がっ」

歪む男顔。最早精神は崩壊し、正常になど戻れはしない。
そしてそんな輩を見下す。瞳は槍のように、研ぎ澄まされた刃のように鋭く、冷たく。


気がつけば彼は、ニンゲンという生物の中に凝縮させられている赤にまみれた中身を曝け出すことになっていた。
悲鳴、いや声など出せる訳が無かった。いや、その双眸がそうはさせなかった。
有明月を射抜いた瞳が、その刃が、彼の腸を抉りては無残に無感情に残酷に切裂いたのだ。


元は薄白いはずの四角い機具たちは、この闇に包まれただけでも表情を変えたというのに、飛び散った紅い蝶が其処に住処を移した。
床には大きく広がる朱雀。散り散りにはねる羽根。
通常ならば一生嗅ぐ事の無い異臭。それがこの無機質なフロアに広がる。植物たちはその羽根にて命を枯らしていく。

がちゃり、今現在一匹のニンゲンを狩った狂気がうねりを上げる。

一見彼の二倍以上の大きさの魔鎌。それはどろどろと、映した白銀の帯を塗りつぶしていく。
そして最後にはその頬へと伝い堕ちる。べっとりと、鉛臭いにおいが鼻をつく。

「――気持悪い。もう絶対おれの目の前に現れるな。たとえ、屍になっても」

そう吐き捨てて、その姿は魔鎌が作り出す陣によって跡形も無く消した。





* 





そしてまた昨日より物騒な一日が始まった。

"重症・目撃者死亡。会社員までもが死亡。被害は拡大の一歩へ"

テレビだったりインターネットだったり、ニュースだったり。
昨日重症、目撃者と言われていた人々がどうやらこの世を去ったらしい。
傷口からすれば、やはり其れは大きな刃物。特に会社員は徹夜残業中に襲撃、その姿は前例の五人よりも最も酷かったという。中身は抉りだされ、幾多もの傷。犯人は彼と密接な関係だったのか、警察は調べを進めているらしい。
しかし未だに犯人の足取り、指紋さえもつかめていないと。

事件がさっさと終わるだろうと予想していた従兄は、仕舞いには電話と書類に追われ、その助手は主より多忙に色々と駆け回っている。

「――」

中庭のベンチから見上げれば、地上のことなど知らずに清々しくそして遥かに靡く青空。なんとも空虚感を覚える。

色とりどりに咲き誇り、揺れる花たちさえも嫌なほど眩しい。
残酷、そう言えばいいのだろうか。なんとも浮世は上がって下がって。未来さえ嘆いている人たちが居るというのに。世界は気にせずゆっくりと廻っている。


「あ、風丸さん。どうしたんですか、日曜日なのに」

ふと少女の声がしてその在処を辿った。するとそれは自分から駆け寄ってきた。
その姿は過去に幾多も見えたシルエット。淡く長い髪を風に遊ばせている。

「久遠、お前こそどうしたんだ。」

若干女性が苦手な風丸でも一応対等に話せる数少ない人物。

「いえ、ちょっと部室に忘れ物を取りに。」
「はあ…、相変わらず仕事熱心だな。」
「選手のサポートをするのがわたしたちの役目ですから。」

そう微笑むは"久遠冬花"という、サッカー部マネージャーのひとり。サッカー部とはある意味腐れ縁な風丸は知って当然であった。

花が風に浚われる、晴天の下。

「皆嘆いてましたよ、"殺人事件のせいで街に出られない!"って」
「まあこればかりは仕様が無いさ。俺らがどうこう言えることじゃないし。」
「それで、抜け出そうとしたら瞳子先生に怒られてました」
「あーあ、……あの人怒らせたら危ないぞ。」
「風丸さんは怒られたんですか?」
「……いや、ちょっと円堂が叱られているのをちらっと」
「円堂さんらしいですね。」

無意味に続く会話。
そうしていれば、何かの予兆のように強く風が吹き上がる。ぱさりさら。花弁が彼方へ旅立っていく。

「今日は風が強いな……」
ばさばさと風に乗る髪を押さえながら。
するとそれはこの予兆だったのか、そう過去の彼なら言うであろう。
碧の双眸がこちらに向いた。

「――そういえば、話少し変わるんですけど。」

瞬間、悪寒が駆け上った。つめたくも、あたたかくもない、何か。

「風丸さん、最近体調がよくないみたいですけど、大丈夫ですか」

全くもって、またあの"この世の万物"では無い輩と出会った時のような、そんな――。

「……風丸、さん?」


「え、あ、あぁ……別に、うん…。大したことじゃないよ」

そうやって、また昨日のように煽る言葉。
ただ、逃亡心が彼を焦らせる。これは、危ない。なんだか判らないけれど。直感的な、何か。


「じゃ、じゃあまた明日」

そして彼は、風丸一郎太もとい異端児はベンチを駆け出していった。ひゅふぁり。針のような風が彼を見送った。

「――」


彼の姿は既に消えていた。
相変わらず俊足だと彼女は思考をひとつ。

「――まだ感じていないのかしら。」

ほろり、ただの独り言。
彼女をかき消してしまいそうな風が、中庭を突き抜ける。そして、影を揺らす。

そして彼女が見据えた先。
風丸が走り去った先。











「風丸さん、奇遇ですね」

にこにこと笑顔なひとり。ひとひとり。

「……宮坂?」
「どうしたんです、そんな顔しちゃって。何か理事長にでも言われましたか?」
「や、そういうわけじゃなくて、ただ。」
「ただ?」
「まさかお前に逢うとは思わなかったよ」
「だーから、偶然ですってば。偶然。偶然は突然訪れるものですよ、先輩」

そう彼を明るく茶化す金髪を靡かせる少年。
風丸はいつも、こう接してくる彼を"向日葵"のようだとよく思う。
何事にも明るく、前向きで、一生懸命な彼を。

「あ、そうだ風丸さんちょっとひとっ走りしませんか?僕やることなくて暇で暇で」
あははーと、頭をかく彼。その姿はまさに可愛い後輩というもので。
「だからこんなところにいたのか。」
「はい、やっぱグラウンドは堕ち付きますね。」
「トラックがあるからか?」
「それもあります。」

元気良く言う彼。
「――流石だな、宮坂は」
「え、何がですか?」
「中学でも結構賞とってたっぽいし。」
たまたま聞いた話を持ち出す。
「い、いえいえ!ぜんっぜん!風丸さんの方が凄いじゃないですかっ」
わたわたと風丸を評価する宮坂の目は、確かに輝いており。

「だって貴方は、」

ぼくのあこがれのひとなんですから。










(加速する心拍プラネット)




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