すこし、昔話をしようか。

初めて、彼に会ったのは確か小学校だったような気がする。気がするのは、思えばかなり昔の話だから。多分低学年という頃だったから、ということもあるかもしれない。
別に、特別彼に何かがあったわけではない。ただ少し、もの珍しさが当時好奇心をくすぐったのかもしれない。しれない。全部、随分と経つ今となってもいまひとつわからないのだ。可笑しいと、君は笑うかもしれない。でも、本当のことなんだ。
確かに、他の子供と違って少し妙に落ち着きがあったし、かといって何かを諭すわけでもなく。変にえらそうにすることもなく、当時から噂されていた彼の家系を知る子供達はあまり彼に近づきはしなかった。否、きっと近づけなかったのだろう。自分がイメージする人間と、あまりに違うと怯えていたのかもしれない。ああ、自分? 自分はそんな光景をただ傍観していただけ。とあるガキ大将でもなければ、ただひたすら逃げ回っているいじめられっこでもなく、はたまたそんな逆でもなく。多分一番これでもか、というくらいの中央線上景色を眺めていた気がする。その代わり、逆に更に浮だった気も後々気がつくのだ。容姿的問題は、もうオプションだ。
なんとも言えない空気が其のちいさな子供社会に流れていたのだろう。主に、何時の間にか人間観察をしていた自分にとってはそんな風に見えた。今ではもうすっかり慣れたのか、そんな感じはこれっぽっちも感じないが。どちらにしろ、其の当時はそうだったのだ。ここら辺り、いや全国的に有名な家系の人間だったのだから、仕方ないといえば仕方の無い話なのかもしれない。だとしても、そんな一言で片付けられるような情景はあの時子供だったからかもしれない。子供は、時に純粋すぎてそれさえもが凶器になることだってある。

「おまえってさ、」

ふと、あたまからふってきた音。雨にも似ていた気がする。実質、其の時は暗雲轟く大雨の日だった覚えが。通り過ぎていく過去。

「何」

外に出られず、教室にたまり、仕舞いには廊下を駆け抜ける生徒たちを怒鳴る女教師の声。おそろしやおそろしや。そう言ってひそひそと教室の端っこでトランプを広げるグループ。いつもどおり黄色い声に包まれた自称ガールズトークを繰り広げるグループ。絵をかきあいっこしては小さく微笑む塊。そして、夢の中へとダイブしている生徒がちらほら。元気なもんだ、と少し年離れした思考を告げる生徒。そんな風景を眺めるだけの自分。そして、何故か接点も無いはずなのにやってきた某生徒。ふわふわと、栗灰色の髪と共に飴玉みたいな眼がこちらを見下ろしていた。
自分の席でぐたり、やることなすことも無く転がっていた身体を少しおこす。少し、彼との距離が近くなった。なんだろうか、何かしただろうか。ヒステリックに叫ぶようなことはせず、ただ漠然ととぼとぼと思い当たるようなものを探す脳内。すれば、またひとつ。

「まえからおもってた。女みたいなのに、すごい男っぽいって」

「なぐられたいか?」

何かと思えばそんな話か、考え損した。とあるコンプレックスのひとつを堂々と、しかも本人の前で言う彼にこの瞬間興味のスイッチがカチリと切れられたのであった。確かに、其の時はそうだったのだ。そんな、はずだったのだ。
昔から、顔やら容姿やらのせいでよく異性と間違われる事が度々あった。特に、小学生低学年あたりは、男女異性同士あまり服の上外見的にはさほど変わらない。そのせいもあり、嫌気がさすほどそのことについてああだこうだ言われたりもした。その結果、元からよりも更に口調や仕草が男おとこと急激に傾いていったのであった。そのギャップに、初めての人間にはよく驚かれた。そしてそこで嘲笑いながらこのことに触れてきたやつには大概アッパーを食らわしたのも、さほど遠くない思い出だ。

「ちょっと、うらやましくて」

「………はぁ?」

少し微笑しながら彼はそう言った。言ったのだ。まさか、こんな自分を"羨ましい"だなんて。初めてそんなことを言われた。
一瞬パラメーターが一気に上がろうとしたが、冷静なもうひとつの思考が待てと止める。それは、こいつ自身はそんなことを言われたり思われたりしたことがないからなんじゃないか。自分が男女やら言われた事が無いから言えることなんじゃないのか。
瞬時パラメーターは0を通過し、気づけばマイナスへと下がっていた。更に、眉間の皺が増えた気がする。

「おれさ、行動とかすごいおそかったりするし、だからって何かできるかって言われてこたえても、"女っぽい"とかよくいわれるし……。でもおまえはちがう。すごくつよくて、そんな言い分なんてすっとばすじゃないか。それが、とってもうらやましくてさ」

細く、眉をハの字にしてこどもは微笑んだ。ふわりと髪が揺れて、思わずごくりと息を呑んだ。
確かに、少女と偽ってもおかしくないのかもしれない。
よくよく見れば、その指先だって白く細長いし、身体だってごてごてとしてはいないし、大人しめに薄くやわらかくカールする毛先だって。というか肌白。下手すると自分より白いかもしれない。
………って、一体自分は何を考えているのだろうか。相手は同姓。男子だしかも。まだ女子同士ならわかるけども……いやいやそれはそれで違うだろ霧野蘭丸。
ぐるぐると、少し混乱する頭。何かのゲームであったルーレットみたいな感じがした。

「うあーっ!」

「っ!?」

「もういい」

「へ、」

何もかも放り投げるように声を上げれば、イキナリの事に驚いた彼がびくりと身体を震わせた。
雨は未だしとしとと止むことを知らず。

「ふーん、おれがうらやましいのか。」

そう言えば、頷く。イエス。縦に首が振られた。
ひじを立て、顎を支えた。
少し、笑った。まさか、自分から一番遠いと思っていた人間が、実は一番近いところで見ていただなんて。

「じゃあさ、これからおれが色々教えてやるから。うらやんでるだけなんて歯がゆいだけだろ?」

「え、でも……」

「なーにぐずぐずしてんだ。男ならすぱっ!ときめろよな」

「う……ごめ…、」

ふと見上げれば、今にも泣き出しそうな曇天。うるうると目じりにビー玉が溜まっていく。こちらもまたいきなりのことに慌て、思わず鞄からタオルを取り出した。因みに母親が今日は雨だからと自分に持たせたものだった。

「あやまるな。……ったく、だからいわれるんだぞ」

「………ひぅ…、うぁ、ごめ、」

「だーっ!いいからさっさと拭く!あ、鼻水はつけんなよ」

ごしごしと、そんな濡れた顔を拭いてやる。何時の間にか席からも立ち上がり、目線は同等に並んでいた。
その風景は真新しく、おぼろげで。


「――まあいい。おまえさ、さっき何か出来るとかいってたよな」

やっと泣き止み、拭いたタオルからふたつの琥珀石が覗いた。また、頷いた。うん。

「何ができる?」

「……ピアノなら、すこし」

「すごいじゃんか」

「え、」

「すごいっていってるんだよ」

「そ、うかな……女っぽい気がするけど」

「なんでそうなるんだよ。」


男とか女とか気にするなって。

相変わらずな彼の頭をなでながら、また自分は口を開いた。
大雨の中、ひとつ太陽と月が花開いた。




(懐かしいなって笑っておくれ)