第8話 レコーディング前夜


青山 昴。27歳。
マネージャー歴は5年。音楽家 昴の専属マネージャー歴は3年。
今僕の人生で一番大切なことは、昴こと名前ちゃんをあらゆる局面で支え、守り抜くことだ。最早それは僕の生涯における使命、と言っても過言ではない。
そんな僕が今まさに、窮地に立たされている。

「…………名前ちゃんと連絡が取れません」

抜け殻のような状態で呟くと、皆が一斉に笑い声を上げた。

「何がそんなに可笑しいんですか……!?」
「お前10も年下のガキに振り回されてんのかよ。相変わらずだな」
「10じゃありません!9歳差です、9歳!」

ムキになって訂正する僕を見て、再びスタジオ内には笑いが起こった。

ここは都内の音楽スタジオ。現場にいるのは時田さんと、いつも名前ちゃんと制作活動をしている、スタジオミュージシャンやエンジニアの皆さんだ。彼等と僕は名前ちゃんの活動初期からずっと一緒に過ごしてきた、いわば戦友のようなものだ。
いや僕はただのサラリーマンで、音楽的技術は何一つないので戦友というのは訂正する……。つまりここにいる全員だけが、唯一名前ちゃんの正体を知る者でもあった。

「そもそも青山くん、ここのところ毎日スタジオに来てるよね」
「名前ちゃんがしばらく来れないってことなので、せめてもの、僕が状況把握をしておこうと思いまして」

と半分は本当で半分は口実だ。制作に携われない僕がここに来る必要性は全くない。
僕の生活は、名前ちゃんのことも自分の仕事のことも、何一つ周りに話すことは出来ない。故に何でも話せる彼等との空間は、何よりも居心地が良いのだ。

「しかしTRIGGERに書き下ろした二曲目も、最高に良い出来だな」

名前ちゃんが、本当に三日で作り直したあの曲だ。作り直すと言った時はどうなるかと思ったけど、これだけのものを生み出す名前ちゃんは、やはり天才だと思う。

「で、TRIGGERのコンサートに行ってから、ガッツリ引きこもりになっちゃったんだ?」

ベーシストの高山さんが苦笑しながら言う。

「はい……そうみたいですね」
「かなりの刺激になったみたいだな。この曲を聞いて改めて思うよ。連れ出すことに決めて正解だった」
「曲がとめどなく溢れてくる、って言ってましたもんね」

TRIGGERのコンサートを見る名前ちゃんの横顔が忘れられない。真剣な眼差しと時に零れる涙。彼女にはどんな音色に聞こえて、どんなメロディーが浮かんだのだろう。どれだけ傍にいても、凡人の僕には理解出来ない領域だ。

「でもさ、名前ちゃんって中学の途中でこの世界入ってきちゃったし、高校は通信でしょ」
「まぁ意図的に俺が閉じ込めてきたからな」
「そう考えると音楽はもちろん、俺達以外の誰かと出逢うってのも、名前ちゃんにとっては凄く貴重なことだよね」

高山さんの言葉に少し胸が締め付けられた。
時田さんの言うとおり、僕達大人は名前ちゃんの外の世界を奪った張本人だ。名前ちゃんには友達らしい友達もいない。それどころか身を隠すような生活ばかりさせてきた。
それでも名前ちゃんは、音楽が作れることが一番楽しいといつも笑っていた。

「そろそろあいつの意志も尊重する時期が来たか」
「今までたくさん我慢させて来ましたからね」

そうして彼女はそれをまた音楽にして、これからもたくさんの楽曲を聞かせてくれるのだろう。

「そのうち恋なんかもするかもしれないしね」
「そしたら極上のラブソングを書いてもらってひと儲けだな」
「は…………恋?」

良い話で締めくくろうとしたのに、僕の思考は完全にフリーズした。僕としたことが、その可能性を忘れていた。今の今までの名前ちゃんは隠れるような生活をしてた故、そのことを心配する必要は一つもなかった。
が、しかし、今後外に出ることが増えれば、恋をする可能性だって無きにしもあらずなのだ。名前ちゃんだって年頃な訳だし……。

「それじゃあ素性がバレちゃう可能性だってありますよね……!?」
「もちろんこのまま世間には明かさねぇが、今後あいつが関わっていく人間で明かしたい奴がいたら、そこはあいつの判断に任せる。外の世界に連れ出すってのはそういうことも含めた話だ」
「でも相手が信用出来るかどうかの判断を、僕達がした方がいい場合だってあるんじゃ……」
「何だ青山。嫉妬か?」
「は!?なわけないでしょう……っ!」

嫉妬というのは断じて違う。僕は名前ちゃんをそういう目で見たことは一度もない。確かにとても可愛いし魅力的だし、好きだという感情はある。でもそれは家族愛……例えば妹を溺愛している兄のような気持ちだ。
恋愛とは違う。そう、僕は名前ちゃんの兄的存在な訳だ。

「お前は兄じゃなくて、完全に母親の立ち位置だろ」

時田さんがとんだ一言をぶっ込んできたものだから、思わず吹き出してしまった。でも母親というワードに、一番しっくりきてしまってる自分もどうなのだろうか。

「それに兄妹の立ち位置ならもういるだろ」
「そうですね。Re:valeがそうでしたね」
「……まぁ、そのまえに本当の兄貴もいるけどな」

少しだけスタジオ内が静まり返る。こんな話ばかりしていると、名前ちゃんの様子が心配になるばかりだ。

「僕、やっぱり様子を見に行ってきます」
「おう。ついでに明日のTRIGGERのレコーディングの件、あいつにどうするのか聞いておいてくれ」
「了解しました!」

僕は時田さん達に深く頭を下げ、スタジオを後にした。


急いで車に乗り込み、名前ちゃんのマンションへ向かう準備をする。念の為もう一度だけ電話をかけてみるも、やはり電話には出てくれなかった。
きっとご飯も睡眠もろくにとらない生活をしているのだろう。料理をするなら食材も必要だ。買い出しをしてから向かった方が良い。

「……何だか本当に母親みたいだな」

そんな独り言を呟きながら、僕はアクセルを踏んだ。

名前ちゃんのマンションに着き、駐車場に車を停める。何度見ても凄いマンションだと、ここに来るたびいつも思う。彼女が住むマンションは完全防音、地下には専用スタジオ、そして何重にもなったセキュリティ。その他にも数々の設備が用意された、音楽関係に特化したマンションだった。
もちろん一般の人が住むには中々難しい賃貸料だ。
ここに住むということは、彼女が音楽で成功した証でもある。同時に浮き沈みが激しいこの世界で、彼女がどれだけ努力を強いられているかということも意味していた。

名前ちゃんから渡されているICカードをかざし、エントランスをくぐると、真っ直ぐエレベーターへと向かった。
ちゃんとご飯を食べてるかな。きっとベッドでは寝てないだろうな。そんなことを考えながら、扉の前でインターホンを鳴らす。
やはり返事はない。
もう一度カードをかざし、玄関の扉を開けた。

「名前ちゃん?入るよー?」

声をかけるもこれも反応がない。奥へと進むとリビングにもキッチンにも、名前ちゃんの気配は感じられない。ひとまずキッチンに食材を置いて辺りを見渡す。部屋は綺麗なままで汚れている様子もなかった。
ということはこもりっぱなしで作業していたのか。
そのまま僕は防音室へと向かう。

「名前ちゃん、僕だけど。開けるよ?」

玄関と同じようにもう一度声をかけ、防音室の扉を開けた。

「あれ……いない?」

いつもお決まりの場所に大抵座っているのに、何故か見当たらない。そのうえ防音室はさきほどのリビングとは打って変わって、ありとあらゆる物が散乱している。予想以上に膨大な譜面や作業量だ。
さらに奥へと進むと、名前ちゃんが一番お気に入りの楽器──ピアノが目に入った。

「……ここにいたんだ」

そっと覗き込むと、グランドピアノの下で眠る名前ちゃんを見つけた。眠るというより、倒れ込んでいると表現した方がいいような寝方をしている。

「名前ちゃん」

呼びかけだけでは起きないので、少しだけ肩を揺すってみた。

「名前ちゃん、起きて」
「ん……」
「こんなところで寝たら体に悪いよ」

僕の声がまだちゃんと届いていないみたいだ。眠たそうに目をこすりながら唸っている。その様子をしばらく眺めて待っていると、ゆっくり瞼が開いて目が合った。

「おはよう。お仕事お疲れ様」
「あれ……青山さん……?もう、朝……?」
「ううん。夕方だよ」
「どうして……ここに?」
「連絡がつかないから、心配で様子を見に来たんだ」

少しずつ目が覚めてきたのか、ゆっくり体を起こし始める。しかしいつものこととはいえ、硬い床の上で眠る名前ちゃんを見つけるたび、僕の心配性も悪化していく一方だ。

「青山さんの顔見たら、お腹空いてきちゃいました……」
「ちゃんとお腹が空いてくれて良かった。材料は買ってきてあるから今すぐ作るよ」

名前ちゃんは嬉しそうに笑った。

名前ちゃんは作業部屋の掃除、僕は夕食作りへと取りかかる。何を食べたいか聞けば、すぐピザと答える名前ちゃんに、僕はいつも和食を作るようにしている。栄養バランスはとにかく大事だ。
そういえば自己管理を怠らないように……みたいな話があったけど、一体誰との会話だったんだろう。やっぱり何度考えても僕じゃない気がする。

「いただきます」

食卓に向かい合って座り、二人で手を合わせる。お腹が空いたので、僕も一緒に食べることにした。

「美味しいー!生き返るー!」
「本当?それは良かった」
「今度この煮物の作り方教えてほしいです」
「うん、いいよ。レシピも作っておくよ」

これでも名前ちゃんは、基本的にちゃんと自炊をしている。作業にこもったら全くしないどころか、食べもしなくなるだけだ。ちなみに僕は元々料理はしない人間だったけれど、名前ちゃんに作るために覚えたら極めたタイプだ。

「部屋を見る限り、かなり曲が出来たんじゃない?」
「依頼された分はほとんど出来ました。ゲームサウンドの仕事がまだ少し残ってますけど」
「え!?あの量を作っちゃったの!?」

まるで宿題を片付け終わった子供のように笑う彼女を見て、目が点になってしまった。やっていることは学校の宿題の何倍も凄いことなのに……。

「だって負けられないから。私も頑張らなきゃ」
「え、誰に?」

数秒の間をおいて名前ちゃんは

「それは秘密」

と答えた。

「え、何。誰……!?」

今まで何でも話してくれた名前ちゃんが、初めて秘密なんて言い出したもんだから、完全に動揺してしまった。今なら思春期の娘を持つ、母親の気持ちが分かるような気がする……!

「……秘密だなんて冗談ですよ。自分に負けられないって言っただけです」

名前ちゃんがふわりと笑う。何というか、上手く流されたような……。
少し前の僕なら名前ちゃんのことを全て把握していたと思う。いや、していた。断言出来る。でも最近の名前ちゃんは前とどこかが違う。それは仕事の意欲やそんなことじゃなく、多分僕にしか分からない些細な違いだ。
変わったきっかけは、番組見学とTRIGGERのコンサートであることは間違いない。
そうだ、TRIGGERと言えば。

「そういえば、時田さんから伝言なんだけど」
「げ。またお説教?」
「違うよ。明日のTRIGGERのレコーディング、名前ちゃんは参加するのかって確認」
「もちろんしますよ」
「これだけ仕事してたんだから、無理しなくてもいいんだよ?」
「絶対嫌です。行きます」

このあたりはいつもの名前ちゃんと変わりない。どれだけ忙しくても疲れていても、音楽に関わることだけは絶対に妥協しない。
変わらない彼女と変わっていく彼女。
一つだけ言えることは、どんな彼女でも僕はずっと側で支えて味方でいるということだ。もちろん感じている変化が、僕の杞憂であれば一番いいのだけれど。

「それからもう一つ時田さんからの伝言。極力スムーズにレコーディングを進めるように、だって」
「……善処はします」

そして僕が心配していた変化というものは、まさかの翌日にやってくるのだった。



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