第7話 We are TRIGGER 三日間で仕上げるという約束通り、私はTRIGGERの楽曲制作を期日内に終えてみせた。 そして迎えた週末。あいにくの雨の中、今夜TRIGGERがコンサートを行う会場へと向かっていた。 「あと何分くらいですか?もうすぐ会場に着きますか?」 「名前ちゃん。危ないからちゃんと座っていなさい」 「おいおい。遊園地にでも行く子供かよ。俺は子守なんざする気はさらさらねぇぞ」 「そういうことを言うんでしたら、私子供だからもう曲作りませーん。時田さんとも仕事しませーん」 「はっ。三日であの曲を作った音楽バカが、この生活をやめられるかよ」 時田さんの言葉に口籠ってしまった。こうして反抗しても、いつも時田さんには敵わない。それが悔しくて膨れていると、青山さんはそんな私を見ていつものように笑っていた。 「ぶーたれてると不細工になるぞ」 「いやいや時田さん、それは違います。名前ちゃんは膨れっ面でも可愛いですよ。やっぱり元が良いからなんでしょうね。美貌と才能を兼ね備えた天才音楽家ですからね。新曲も素晴らしい出来でした。あれをTRIGGERが歌うと考えたら想像しただけで、少しウルっときましたよ僕は」 「青山……お前の名前に対するそれ。本当気持ち悪いな」 「は!?何をおっしゃいますか!」 「確かに最近の青山さんは重いしくどい……」 「名前ちゃんまで何てことを……!」 「つうかお前本当、雨女だな」 どんどん雨足が強くなる様子を見て、時田さんは私に言った。 ──雨か。 再び後部座席の背もたれに寄りかかる。そして九条さんと出逢った雨の日を思い出しながら、移りゆく窓の景色を眺めていた。すると片手に握っていた携帯が、通知と共に光るのが目に入った。 “もう会場には着いた?” 差出人は今夜の主役の九条さんだ。 まだ移動中、ですが……もうすぐ、着きますっと。届いたラビチャにすかさず返信をする。実は電話の一件以来、九条さんは時々ラビチャを送ってくれるようになった。 “今本番前だって言うのに、龍が差し入れのケーキ食べ始めた” “直前にケーキですか!でも十さん可愛いですね” “へぇ。ボクよりも?” “九条さん……また私の事をからかってますよね?” “覚えておく。苗字さんは龍みたいな人が好み” “九条さーん!” ラビチャなら同じ九条さんとのやり取りでも、電話より緊張することはなかった。少しだけ冗談も言い合えるようになって、前より距離が縮まったように思える。 “冗談はさておき。気を付けて会場に向かって下さい” “本番前にも関わらずお気遣いありがとうございました!人生初のコンサートを目一杯楽しみます!” “コンサート、初めてなの?” “はい、初です!なので凄くドキドキしています” 時間を空けることなく続いていたやり取りが止まる。既読になっているから読んでいるとは思うけど、本番前だから忙しいのかな。そう思い画面から目を離そうとすると、九条さんからの最後の返信が届いた。 “じゃあ今夜は、忘れられない最高の夜にしてあげる” 表示された文章を見て一気に顔が熱くなる。それに伴って心臓もうるさいくらい音を立て始めた。 通知音を消しておいてよかった。こんな自分を時田さん達に見られたら、絶対隠し通す自信なんかなかった。 そうこうしているうちに、いつの間にか私達が乗る車は会場へと到着した。 車から降りると、時田さんが先頭をきってスイスイと歩いていく。私はその背中を小走りで追いかけた。 さすがこういった場所に来慣れてるだけある。この広い敷地の中、迷うことなく関係者専用の入口に辿り着いた。 開演時間が差し迫っていることもあって、そこには私達以外の関係者は見当たらなかった。すぐさま館内スタッフが私達を案内してくれる。物珍しくキョロキョロしながら歩いていると、時田さんに軽く小突かれた。これじゃあ伯父と姪というより、親子の方が説得力がありそうだ。 頭をさすりながら案内された通路を行くと、九条さんが言ってた通りのバルコニー席が用意されていた。 「こちらが関係者様のお席になります」 スタンド中央上部に位置する席は、広々としたステージと、それを覆い尽くすファンの皆がよく見える。 「私なんかが関係者席に座っていいんですかね……!?」 「何言ってんだ。この中でお前が一番立派な関係者だろ」 「はい、名前ちゃん。これ」 腰を下ろすも落ち着かない私に、青山さんが何か筒状のスティックのような物を差し出してきた。 「グッズのペンライトだよ」 「わぁ!ライブ映像で見たことあるやつだ!」 「少しは一体感が味わえるかなって思って」 「ありがとうございます!ふふ、綺麗」 キラキラ光るペンライトを軽く振る。会場は今か今かと待ち受ける大勢の観客で満席だ。待ちきれなくてメンバーを名を叫ぶ声もたくさん聞こえる。何度も時計を見ながら彼等を待ち続けると、その時は一瞬にして訪れた。 会場が突如暗転し、同時に大きな歓声が上がった。壮大な演出が始まり一気に熱気が上がる。会場全体にイントロが響き渡り、映し出された三人のシルエット。TRIGGERのコンサートが幕を開けた瞬間だった。 「凄い……こんな始まり方なんだ!」 「随分とカッコ良いオープニング演出だな」 「さすがTRIGGERですね。最新技術を最大限に生かした演出です」 そしてついに照明が彼等に当たり、その姿がハッキリと現れる。彼等の顔がスクリーンに映し出された瞬間、割れんばかりの歓声が上がった。 「いくら演出に金をかけても、それに釣り合う技量が無ければ意味はねぇ。TRIGGERが凄いのはここからだ」 イントロが終わり、三人の歌声が会場中に響き渡る。歌声から届く迫力と音圧は、私の体の芯まで震わせた。 小さな部屋で作っている音楽とは違う。音源となり媒体を通して流れる音楽とも違う。 彼等の歌声、ダンス、表現、演出、セット、観客の声、熱狂。そしてTRIGGERの想いと、彼等を取り巻く全ての人達の想い。ありとあらゆるエネルギーが、この空間で重なり合って音楽を形成している。 「名前ちゃん……?」 青山さんに声をかけられて、私の頬から涙が零れ落ちていたことに気がついた。その涙の理由は一つ。“感動”そのものだった。 「これがコンサート……これが生きた音楽なんだ……」 二度と同じ音は存在しない。今日ここにいる全員で作り上げている音楽。つまり私には生み出せない音が、そこには確かに存在した 「今日は雨の中、俺達に会いに来てくれてありがとな!」 八乙女 楽。 トップレベルの実力もさることながら、彼にはとにかく華がある。甘くもありクールでもある彼の魅力が詰まった音色が、多くの人を惹き付けているのがよく分かる。さすが抱かれたい男NO.1だ。 「もっともっと皆で盛り上がっていこう!」 十 龍之介。 ワイルドでダイナミックさが武器の彼は、その体で表現されるダンスが魅力の一つだ。全開のセクシーさに注目されがちだけど、実は一番誠実で意志の強い音色を奏でている。 「皆に会えて嬉しいよ!」 九条 天。 現代の天使と呼ばれるTRIGGERのセンター。美しいまでの透明感はその見た目だけではなく、歌声や表現全てに散りばめられている。誰よりも洗練された彼の存在は、TRIGGERの魅力そのものを表していると言える。 TRIGGERからの熱い刺激を受けて、私の中からとめどなく音楽が溢れていく。今すぐに生まれ落ちたいと音楽が、うるさいくらいに、頭の中で鳴り響いている。 もっと音楽を作りたい。彼等のように皆を喜ばせたい。TRIGGERに負けないくらい音楽を楽しみたい。 こんな風に思えたことは初めてのことだった。 “今夜は忘れられない最高の夜にしてあげる” この日見たTRIGGERのライブは、九条さんの言うとおり、生涯忘れることの出来ない一夜となった。 コンサートが終わると同時に、私は鞄から五線紙を取り出して無我夢中で書き殴った。音楽が溢れすぎて、脳がキャパオーバーしたかのような状態だ。 「名前ちゃん、いったん移動して……」 「青山。30分だけ待ってやれ。今は何を言っても聞かねぇから」 「はい、分かりました」 「それから打ち上げは俺だけ参加しておく。お前は名前をマンションに送ってくれ」 「でも……」 「どうせこのまま引きこもるんだろ?名前」 首を縦に振って肯定する。今は言葉を発したり目を合わす数秒すら惜しい。 「じゃあ後は頼んだぞ」 それだけ言い残して、時田さんは先に会場を後にした。その後私達が退席したのは、約束の30分がきっちり経過してからのことだった。その間移動中でも車内でも、ひたすら作業を止めない私を、青山さんはただ静かに見守ってくれていた。 「名前ちゃん、家に着いたよ」 青山さんの言葉にハッと顔を上げる。気づけばいつの間にやら車は家の前に着いていた。 「あんまり無茶をしすぎないようにね」 「ご心配ありがとうございます。私、たくさん良い曲を書くので待ってて下さい」 「分かった。楽しみにして待ってるよ」 青山さんに別れと告げると、雨上がりの水溜まりを蹴って走る。そうして私はいつもの如く作業部屋に籠るのだった。 ◇ コンサートを無事終えステージ裏を進むと、大勢のスタッフがボク達を迎えてくれた。 「お疲れ様でした!凄く良いライブでした!」 「ありがとうございました」 通路の途中にいるたくさんのスタッフにお礼を言いながら、三人で楽屋へ向かう。楽屋の前にはすでに姉鷺さんが待機していた。よく見ると既に泣いているようだ。 「あんたたち……っ!ほんっとうに、最高のライブだったわよ!」 「おいおい。泣きすぎだろマネージャー」 「だって……っ」 「まぁまぁ楽。ライブが大成功だったって証じゃないか」 「最高に気持ち良かったしね」 そう言いながら一番乗りで楽屋に入る。するとボクのすぐ後を追って入った楽から、鋭い指摘を受けた。 「天。お前いつになく機嫌が良かったな」 「別に変わりないけど」 「いや、良すぎるってくらい良いだろ」 「一夜限りの特別公演なんだ。天もいつも以上にテンションが上がってたってことだよね」 いつも通り龍がボク達の間に入る。楽の言うとおり、ボクはとても機嫌が良い。もちろん龍の言うとおり、特別公演が成功を収めたというのも理由の一つだ。 でも理由はもう一つある。ボクはそれをいつものように、ポーカーフェイスで隠し通した。 ジャケットを脱ぎ、用意された水を飲み干す。楽と龍が談笑しているのを横目に、ボクは携帯画面に目を向けた。 “今日はお招き頂きありがとうございました。生涯忘れられない最高の夜になりました。良い曲をたくさん作って、TRIGGERに追いつけるよう頑張ります!” 思わず顔が緩んでしまった。ボクの気持ちがいつもと違う理由は、彼女であることに間違いはなかった。 「……おい。何だその顔」 「何が?」 「いや、今お前……」 平然を装って楽の言葉を受け流す。ボクとしたことが油断した。そのうえ一番見られたくない男に見られてしまった。 「ボクのこと見てる暇があったら、さっさと着替えたら?」 「冷血ハリネズミが、んな顔して笑ってるせいだろ」 「笑ってなんかない」 「いや、笑ってた」 「そもそもキミには一切関係ないでしょ」 「何だよその言い方は!」 「ほーら二人とも!早く着替えて打ち上げに向かおう!」 楽のお節介に捕まったら厄介だ。昴の秘密はもちろん、彼女に関することは全て悟られないようにしないと。もう一度想いを改めて携帯を閉じた。 打ち上げ会場に足を運ぶと、そこに居たのは時田さんだけで、苗字さんの姿はなかった。いつも通り事務所の方々や、コンサートスタッフに挨拶をして周る。今日は皆、一段と盛り上がっている様子だった。 そんな中ボクは、一人賑やかな会場を離れ、人気のない場所へ移動した。辺りに誰もいないことを確認すると、ポケットから携帯を取り出す。そして電話帳から彼女の名前を探し、呼び出し音を鳴らした。 『もしもし』 電話越しから聞きたかった彼女の声がする。それだけで不思議と満たされていく。 『お疲れ様です九条さん。あの、どうかなさいましたか?』 「いや。キミが打ち上げ会場にいなかったから」 『あっ……すみません。すぐに曲作りがしたくて、先に帰宅させて頂きました。もう打ち上げは終わったんですか?』 「まだ打ち上げの最中だよ」 『そうなんですね……!私ったらいつもお気遣いさせてしまってすみません……!』 気遣いなんかじゃなく、ボクがキミに電話したかっただけだ。 ボクたちが見た景色は、キミにはどう見えていたのか。ボクたちが届けた音楽が、キミにはどう聞こえていたのか。キミのことがもっと知りたくて仕方がなかった。 『今夜のコンサート、本当に素敵でしたよ!個人的にはアンコール明けのストリングスアレンジが最高でした!もう何度も自然に涙が出てきちゃって……!TRIGGERの皆さんとスタッフの皆さんとファンの皆さん、全員で作り上げたあの唯一無二の空間、正直あれには敵わないって思い知らされました』 いつも以上に饒舌に話す彼女に、自然と笑みがこぼれる。 「天才と言われる昴にそんな風に言ってもらえて、とても誇らしいよ」 『そもそも私は天才なんかじゃないですから』 彼女の才能を一番過小評価してるのが、彼女自身だなんて皮肉な話だ。けれどそれが魅力でもあり、絶えない向上心を生み出すのかもしれない。じゃなきゃこれだけ世間に認められた存在でありながら、いつまでも貪欲にはいられない。 『そうだ!今宅配ピザのライブアレンジを考えてたんです。とりあえずピアノアレンジで試したんですけど、オケなんかもいいなぁって思ったりして……』 ゴトリと音がして、彼女の声がより響く。 『聞こえますか?』 「うん、聞こえるよ」 返事をすると続けざまにポロンとピアノの音がした。電話をスピーカーにしたのだろうか。 『ピアノアレンジ、どうしても九条さんに聞いてもらいたくて……ちょっと弾きますね』 その言葉にボクは集中して耳を澄ませた。 黙って聞き続けること数十秒。音楽に魅了されるというのは、こういうことを言うのだろう。ボクが拾った楽譜の曲が、ピアノの旋律に乗ってより美しい音色に生まれ変わっていた。 真実を再度確認する瞬間だった。 「キミは本当に天才音楽家の昴なんだ……」 その声はピアノによってかき消され、彼女に届くことはなかった。 彼女がどれだけ才能に溢れた人間かを、改めて思い知らされる。このまま心地良いメロディーに身を委ねていたい。それと同時に尊敬、憧れ、羨望と、あらゆる感情が彼女に向けて生まれている。 彼女の存在はボクを色んな意味で刺激していた。 「今のアレンジ、次のアルバムツアーで活かしたいな」 『本当ですか?』 「今度のツアーコンセプトに凄く合ってるしね。ピアノとオーケストラの生演奏とかも良いかも」 『それならやっぱりオケ版も作りましょうか!今とにかくメロディーもアイディアもどんどん溢れて凄いんですよ!』 より弾む声から、彼女の笑顔が想像出来る。まだもう少しこの声を聞いていたいと思った時。 「天ー!?どこ行ったの?」 姉鷺さんの大きな声がした。 「じゃあボクはそろそろ戻るよ」 『はい。あの……九条さん』 「何?」 『改めて、今日は素敵な夜にご招待下さり、ありがとうございました』 「どういたしまして」 電話を切るのが名残惜しい。そう強く思いながら通話を終え、ポケットに携帯を戻した。 呼吸を整えてその場を離れる。 ボクは自分がTRIGGERの九条天であることを再認識させて、姉鷺さんの声がする方へ向かった。 [ back ] |