第6話 最高の夜への招待状 九条さんとの再会から一夜が明けた。 帰宅してから作業部屋に引きこもりっぱなしのため、今が昼なのか夜なのかも分からない。 「……そういえば何食食べてないっけ」 そろそろ何か胃に入れた方が良いか考えるも、リビングへ繋がる扉を見つめるだけで、そこを開ける気にはならない。 ここは私の住むマンションの一室。必要な機材とあらゆる楽器で埋め尽くされたこの防音室は、私にとってこの世で最も大切な空間だ。楽曲制作を開始すると、私はいつもこの部屋に引きこもる。それも衣食住を忘れるくらいに引きこもる。いくら立派なベッドルームがあろうと、この部屋で横たわって寝てる方が断然多いのが事実だ。 結局ご飯も食べず作業を続けていると、ピアノの上に置いた電話が鳴り響いた。 「どっちだろ……」 この携帯の電話帳に登録されている人物はたったの二人──時田さんか青山さんしかいない。 時間とタイミング的に電話の内容は、曲の進捗状況についてだろう。ついでに食事と睡眠の確認。説教だったら今は聞きたくない……なんて思いながら通話ボタンを押した。 『どうだ?進んでるか?』 「時間が惜しいので、電話を控えて頂きたいくらいには」 『ははっ、そう言うな。俺も色々と調整かけなきゃいけねぇ立場だからよ』 電話の相手は時田さんだった。確かに私の出来次第で、先のスケジュールは全て調整が必要になる。それを全て管理しているのは時田さんだし、文句を言うのは当然だと思う。 「三日で仕上げるって言ったのは自分なので、ちゃんと三日で仕上げます」 『一週間は時間をとってやれるから心配するな。それよりお前、食事と睡眠はどうしてる?』 ほら来た。この話題。 「大丈夫、心配いらないですよ」 『じゃあ昼は何食った?』 「えっと……出前の蕎麦、かな」 怒られるのが嫌で咄嗟に嘘をついた。でも最近美味しいお蕎麦の出前を見つけたのは本当だ。あぁ、思い出したら何だか食べたくなってきた。 『いつも言ってるが程々にしろよ』 「出来たらすぐに連絡しますね」 『ちなみにアルバム曲で出来上がってないのは、お前の曲だけらしいぞ』 「程々にしろって言いながらプレッシャーかけてくるあたり、時田さんって本当容赦ないですよね」 『金にならねぇことには、とことん興味がねぇだけだ。だからさっさと仕上げて持ってこい』 そう忠告をされ、一方的にプツっと電話が切れた。 「あの人これ以上稼いでどうするんだろ」 思わず切れた電話に向かって漏らしてしまった。 電話を切られて一分も経たない内に、再度電話の呼び出し音が鳴った。画面に表示された名前は二人のうちのもう一人、青山さんだった。 『もしもし名前ちゃん?今どんな調子?』 「ちょうど今、誰かさんに早くしろってせっつかれたせいで、忙しいのがより忙しくなったところです」 『はは。相変わらず容赦ないね。時田さんは』 時田さんはオブラートに包むような言い方は一切しないし、いつでも直球だ。そのかわり褒める時もストレートだから、それが私のモチベーションに繋がることもたくさんある。 『何か手伝えることはある?僕に出来ることなら何でもするから、遠慮しないで言ってね』 「青山さぁん……っ」 時田さんとは真逆で、青山さんはとことん私に優しくしてくれる。私にとって二人は飴と鞭のような存在だった。 『ご飯はちゃんと食べた?』 「はい。食べました」 『何を?』 「出前のお蕎麦です」 『…………名前ちゃん。嘘だよね?』 しかし実は優しいと見せかけて怖い存在なのは、青山さんの方だったりする。今だって簡単に嘘だと見破られた。 『名前ちゃん、あらかじめ蕎麦って答えを用意してたよね?』 「な、何で」 『仕事している時の名前ちゃんは、基本飲食に興味が無くなるし、ご飯を食べることすら忘れるレベルまで没頭する。だからいつもご飯は?って聞くと、数秒経ってから答えるんだ。それが今は即答だったよ』 ……名探偵青山、恐るべし。 『どれだけ名前ちゃんと一緒にいると思ってるの』 正直こうなった青山さんは、誰にも止められない。 『あれだけご飯はちゃんと食べなさいって言ってるのに……!』 「……分かってますよ?」 『分かってない!』 これは厄介なことになった。過保護モード全開の青山さんだ。 『そんな生活して本当に倒れたり、病気にでもなったらどうするの!?』 「んー……皆さんがお金を稼げなくなります」 『本当に君は何にも分かってないよ!時田さんの言葉を真に受けてどうするの!』 青山さんが予想以上に声を荒げるものだから、耳から少し携帯を離してしばし考える。 病気になったら、か──。 『よし。じゃあ今からそっちに行って、僕がご飯を用意するから』 「え…………だ、大丈夫!本当に大丈夫ですから……っ」 『遠慮しなくていいよ。いつものことだし』 青山さんは私の部屋の合鍵を持つ、唯一の人物でもある。私が作業に没頭しすぎて音信不通になったりすると、必ず青山さんが訪れて、身の回りの世話をしてくれる。青山さんの言ういつものこと、とはそういった日常のことだ。 「今日は本当に大丈夫です!ちゃんとご飯も食べますから!」 もちろん青山さんの気持ちは嬉しい。でもTRIGGERの曲を三日で仕上げるためには、正直このまま一人で作業に没頭したいのが本音だった。 『……本当にちゃんとする?』 「します。今からピザを頼みます」 『またピザ……!?ちゃんと栄養バランスを……』 「大丈夫です、ピザを食べたら良い曲が出来ますよ!宅配ピザ2を楽しみにして下さい!それでは」 『あ、名前ちゃん!待っ──』 まだ青山さんが話してる途中だったけど、電話を切ってしまった。申し訳ないけど、こうでもしないと作業に戻れないし、今は一分でも多く時間が欲しい。 とはいえその前に。蕎麦じゃなくてやっぱりピザでも食べようかな、とピザ屋のチラシを眺めた。 その矢先、三度目の呼び出し音が鳴る。 絶対また青山さんだ。画面を見なくても分かる。もう一回家に来ないように念を押しておかないと、と意気込んで私は電話を手に取った。 「今から本当にピザ頼もうと思ってましたから!何ならそっちで頼んでもらっても構わないです!マルゲリータLサイズ一枚!」 『…………は?』 え?誰…………? 電話越しに聞こえた一音は、青山さんとは全く違う声をしていた。一瞬で頭の中がパニックに陥る。この番号を知ってる人は時田さんと青山さんしかいない。それなのに今電話の向こうにいる人は、二人のどちらでもない。 じゃあこの人は一体──。 『ボクはピザ屋じゃないんだけど』 そして続けざまに聞こえてきた声で、私は再度パニックに陥った。この声色に聞き覚えがあったからだ。今回は多分じゃない。 「……どちら様ですか?」 絶対的確信はあったけど尋ねてみる。すると彼はひと呼吸おいて 『九条です』 と答えた。 予想通り電話の相手は、TRIGGERの九条天だった。 「ど、どうして電話を……!?」 『どうしてって、電話番号を渡してきたのはキミの方でしょう』 確かに九条さんの言う通り、番号を教えたのは私の方だ。でもそれは相手が九条さんだと知らなかったからで……。 『昨日、続きは電話でって言ったはずだけど、もう忘れたの?』 「忘れてはいませんけど……まさか本当にかかってくるとは思わなかったので……!」 『それはボクが嘘をつくような人間に見えたってこと?』 「そんなことは……っ!全くもって!」 九条さんは天使のような容姿を持つ小悪魔キャラ、というのが世間に認知されている情報だ。しかし電話越しの九条さんの小悪魔度が、増している気がしないでもない。 『ピザの話をしてきたってことは、今は仕事中?』 ピザで悟られるあたり、恥ずかしいことこの上ない。 「ちょうどTRIGGERの曲の制作中でした」 『そう。それは忙しいところを邪魔しちゃったかな』 「いえ、全然大丈夫です!問題ありません」 『制作中なうえにしかもそれがボク達の曲か……それじゃあコンサートの話は野暮だったかもね』 「コンサート?何のお話ですか?」 『時田さんから聞いてないの?』 ついさっき話したばかりなのに、二人とも九条さんに関する話なんて一つもしてなかった。私の知らないところで、何か話が進んでいたのだろうか。 『今週末にTRIGGERのドームコンサートがあるんだ』 その話題ならニュースで見たことがある。ツアーとは違う一夜限りの特別公演のせいか、あまりの人気でチケットの入手が困難だって話を見た。 『あの収録の後、時田さんをコンサートに招待したよ』 「そうだったんですね。いいなぁ時田さん」 『ボクはキミも一緒に招待したつもりだったんだけど』 私も一緒に招待……!?そんな話一切聞いてない! 『もちろんキミは時田さんの姪で、プロデューサー業の勉強のためってことで話は通してる』 「そうでしたか……お気遣いありがとうございます」 『会場はバルコニー席が関係者席になってて、それも少数の席でちゃんとセパレートになっているから、他の関係者ともあまり接触しなくて済むと思う。キミが来るにはちょうどいいかなと思ったんだけど……仕事なら仕方ないね』 私に傘を差し出してくれた時と同じ、九条さんの優しさが音で伝わる。私の正体が昴だってことを誰にも明かさず、むしろ最大限考慮してくれている。 完璧なアイドル、小悪魔なキャラ、どれも九条さんであることには変わりない。けれどそのどれにも根底には、人一倍の優しさがあるような気がしてならなかった。 そもそもどうして時田さんは、その話を私にしてくれなかったのだろう。私の楽曲制作が最優先事項なのは分かってる。だからコンサートに行くことがそれを邪魔すると判断した?だったらそれは大間違いだ。 邪魔どころか俄然やる気が出てきた。 「私、TRIGGERのコンサートに行きたいです。行かせて下さい!」 『でもそうは言っても仕事があるでしょう』 「大丈夫です!元々三日で仕上げる予定でしたので、週末は空いてます」 『無理してないならいいけど……キミがそう言うなら待ってるよ』 「はい!凄く楽しみにしています!」 時田さんがどう言ってたのかは分からないけれど、絶対に三日で仕上げてみせる。それも誰にも文句は言わせない曲を作ってみせる。 出来るならコンサートというものに行ってみたい。純粋に音楽の勉強がしたい。もっと色んな世界に触れたい。今後プロデューサー業も本格的にしていきたい。それからそれから……。 『……さん。苗字さん、聞いてる?』 「はい……っ、はい」 『ボクも昴の新しい曲を楽しみにしてる』 「絶対良い曲に仕上げますね」 『意気込むのはいいけど、ピザばかり食べて自己管理を怠らないように。ちゃんと栄養バランスを考えること』 この様子からすると、九条さんは自己管理に関しては徹底しているのだろう。私の生活ぶりなんて見たら絶対呆れられる気がする。 「ピザは止めてお蕎麦にします。最近凄く美味しい出前のお蕎麦屋さんを見つけたんですよ」 『ねぇ……それ、ボクが知ってる蕎麦屋じゃないよね?』 「え?九条さんもよくお蕎麦屋さんに行かれるんですか?」 『いや……違うけど。知り合いっていうか、知らないっていうか……』 九条さんの言ってることがよく分からなくて、私は電話を片手に首を傾けた。 『それじゃあボクはこれで。無理しない範囲でお仕事頑張って』 「九条さんもお体には気を付けて下さいね」 『またコンサートの夜に』 「はい!お忙しいところお電話して下さって、ありがとうございました」 またね、という言葉を残して九条さんとの電話が切れる。私は一つ深呼吸をして電話を置いた。 まさか本当に九条さんから電話が来るとは思わなかった。そのうえコンサートに誘ってもらえるなんて、こんなにありがたい話はない。 何だか顔が熱いしまだドキドキしている。相手が九条さんだからなのか。こんな自分は初めてで戸惑いが隠せなかった。 落ち着かせようと深呼吸を繰り返していると、四度目の呼び出し音が鳴った。今度はちゃんと画面に表示された名前を見る。青山さんと表記されたの文字に、日常生活に戻ったような安堵感を覚えた。 『もしもし?名前ちゃん?何度もごめんね』 「ううん、全然大丈夫ですよ。まだ何かありましたか?」 『……ん?忙しい割には何かやけに素直だね?』 一気に冷や汗が出た。確かに時間が無い時や追い込まれてる時の私は、反応が薄かったり悪態をつくことが多い。青山さん曰く、唯一不機嫌な私になるタイミングらしい。不機嫌どころか、電話に出ないことすら多々あるくらいだ。そんな私から考えると、多分今のは上機嫌すぎた気がしないでもない……。 これ以上悟られまいと、今一度電話の内容を問う。 『TRIGGERの九条くんから、今週末のドームコンサートに来ないかってお誘いがあったんだ』 それって、さっき九条さんが言っていた内容と全く一緒だ。 『名前ちゃん、この前の収録現場で九条くんと話す機会があったんだって?』 「え……と、はい。少しだけですけど……」 少しどころか正体がバレてますなんて知られたら、相当怒られること間違いない。九条さんも秘密にしててくれてるみたいだし、余計なことは言わない方が得策だ。 『正確には時田さんに話があったんだ。姪の名前ちゃんも勉強を兼ねてどうかって』 本当の姪かどうかはさておき、と青山さんは付け加えた。 「そうだったんですね」 『時田さんから名前ちゃんに伝えておくように言われてたんだけど、僕としたことがすっかり忘れててごめんね』 犯人は貴方だったんですか青山さん!ご飯なんかより何倍も大事なこと伝え忘れるなんて! 思わずガクっと項垂れてしまった。 「それで時田さんは何て言ってるんですか?」 『本当に三日で曲が出来れば行ってもいいって』 項垂れてた様子から一転。思わずガッツポーズをしてしまった。 「私、絶対三日で仕上げて行きます!」 『無謀なことをする気じゃないよね?』 「大丈夫です。ちゃんとご飯も食べますし、睡眠も取ります」 『本当に?』 「ピザだけじゃなくて、ちゃんと栄養バランスも考えます。自己管理を怠らないようにって言われたばかりですし」 「自己管理?誰に?」 誰ってそれは。九条さん──と出かかった言葉をゴクリと呑み込んだ。 今さっき絶対に隠さなきゃって強く思ったばかりなのに、自分は何を言おうとしたのか。青山さんとは何でも話してきた仲だから、隠し事をするっていうのは中々難しいものがある。 なんて言ってはいられない。 「ほら、さっき青山さんが言ってたじゃないですか……!ちゃんと栄養バランスをって……」 『あの時話の途中で名前ちゃんが遮っちゃったし、自己管理なんて言葉使ったかな?』 「ええ、使ってました……!」 間違いなく!確実に!と青山さんに言い聞かせる。腑に落ちない様子ではあったものの、何とかそれ以上話は掘り下げられずに済んだ。 三日で書き上げれば、週末はTRIGGERのコンサート。その約束を何度も青山さんと確認する。 そして青山さんとの電話が終わると、私は早速お蕎麦屋さんに出前の電話をした。電話した先は、最近お気に入りの“そば処山村”さんだ。そういえば九条さんが蕎麦屋さんについて、何か言いたそうにしていた気がする。今度話す機会が合ったら、山村さんのことだったのか聞いてみよう。 「よし、曲もコンサートも待ってるって言ってくれたんだから、全力で頑張らないと!」 再び私の頭の中にメロディーが流れ出す。そのメロディーは三日間、一度も止むことはなかった。 [ back ] |