第4話 マネージャー“青山昴”


「ふふーん。ふーん、ふふふーん」

テーブルの上に項垂れる私の頭上で、先ほどから陽気な鼻歌が聞こえてくる。この曲は私の曲、それも完成させたばかりのTRIGGERの新曲だ。何度も繰り返されるフレーズを耳にしながら、我ながら良く出来た曲だと改めて思った。

「はい、名前ちゃん。紅茶が入ったよ」
「ありがとう青山さん」

紅茶を受け取りながら、青山さんをじっと見つめる。

「あ、鼻歌のこと?この曲、今僕の一番のお気に入りなんだ」

青山さんとは言葉を交わさずとも、こうして互いの思っていることが分かる時が多々ある。いつもこうやって私の曲を褒めてくれるし、絶妙なタイミングで紅茶を出してくれたりする。こうなってしまってからは、彼に対して依存していると言っても過言じゃない。実際に青山さんがいなかったら、私なんか出来ないことだらけだ。

「青山さんくらいですよ。こうやっていつも褒めてくれるのなんて」
「そんなことないよ。皆当然、名前ちゃんの凄さを分かってるよ」
「……私なんて何にも凄くないです。むしろもうダメかも……」

自分の分の紅茶を持って、青山さんが向かいの椅子に座った。

「悩んでるのはTRIGGERの二曲目?」
「……はい。八割くらいは出来てるんですけど、でも実はいまいちしっくりきてないんです」
「しっくりこない、かぁ……」
「作業は進んじゃってますし、今更なんですけどね。でも一曲目と比べると、どうしても納得がいかなくて……」

弱音なんか吐いても曲は書けない。分かっているけど吐かずにはいられない。そんな時、私はいつもこうして青山さんに話を聞いてもらっていた。
いくら天才と持て囃されても、常々曲が降りてくる訳じゃない。悩みながら苦労しながら生み出した作品だって、数え切れないほどある。制作する上で時田さん達とぶつかることだってあるし、アーティストと相性が合わない時だってある。自信作だと思ったものが思ったより人気がなかったり、サクっと作ったものが売れたりすることだってある。

それでもいくら弱音を吐こうとも、立ち止まることだけは許されない。この三年間行き詰まるたび、こうして必死にもがいてやってきた。

「昴は誰よりも順風満帆で、輝かしい音楽人生を歩んでいる、なんて言われてるもんね」
「現実の私なんて全然違うのに」
「そうだね。名前ちゃんが曲を生み出すために色々悩んだり、苦労してきたことなんて、僕か時田さんくらいしか知らないからね」

再び頭を抱えていると、とあるCMがテレビから聞こえた。それは近日、人気音楽バラエティー番組のSPが放送される、という内容のCMだった。

「これSPでやるんだぁ!」
「ああ、これかぁ。今回も出演者が凄く豪華みたいだね。そういえばTRIGGERも出演するみたいだよ」

画面に数秒、TRIGGERの文字と共に彼らの姿が映る。仕事で見れないかもしれないから録画しておこう。そのうちこういう音楽番組でも、TRIGGERが私の曲を歌ってくれる日が来るんだ。
早く見たいなぁ。生で聞いたらどんな感じなんだろう。

見たいなぁ……出来るなら生で、近くで……。

って。そうか、そうだよね!
見たいなら──。

「私、そろそろこういうのも見に行きたいです」
「え?こういうのって?」
「こういう音楽番組の収録とかライブとかです。思えば私、ずーっと生の音楽に触れ合う機会だけ、与えられていませんよね?時田さんはいっつもダメの一点張りだし」

素性を隠す理由も、この業界に慣れてきた今なら少しは分かる。それが私を思ってのことだってことも理解してる。だからこそ私もずっと、時田さんの言うことをちゃんと全部守ってきた。

「高校もちゃんと卒業したし、私ももう立派な社会人ですよ?」
「それは確かにそうだけど」
「私、行きたいです」
「でも時田さんが何て言うか……」
「お願い!」

引き下がらない私に、青山さんがふーっと深く息を吐く。どうやら根負けしたようだ。

「分かった。とりあえず時田さんに聞くだけ聞いてみるよ」
「本当!?ありがとう青山さん!」
「断られる可能性の方が高いからね?」
「もちろん!ダメ元だと思ってますから」
「でも名前ちゃん、どうして急に行きたいだなんて思ったの?」

やばい。言葉に詰まってしまった。

「……社会、勉強?」
「なるほど。社会勉強かぁ」

嘘はついていない。前からずっと興味はあったし、スタジオとは違う音楽現場に行ってみたかったのも本当だ。
でもきっかけになったのはTRIGGERだ。

──TRIGGERのセンター、九条天。

本当は私の楽譜を拾ってくれたのは、もしかしたら彼なんじゃないかってずっと思っていた。もしあの日の彼が九条天ならば、それをどうしても確かめたかった。

あの日、彼から聞こえる音色があまりにも綺麗で、あの音にもっと包まれていたいって本能で思ってしまった。そんな彼の音色に触発されたのか、あれからまた私は、驚くほどたくさんのメロディーが湧き上がるようなった。言葉で表すなら音楽性が広がった、と言うべきか。

「あの……青山さん。私、今まで時田さんの言う通り、ずっと素性を隠して生きてきましたよね」
「うん」
「でも最近思うんです。変わらない生活を続けていると、生まれる音にも限界があるんじゃないかって」
「……名前ちゃん」
「もっとたくさんの音楽に触れたい……」

青山さんは一瞬だけ驚いた表情をしていた。そして電話してくるねとだけ言い残して、部屋を後にした。


そうして青山さんが部屋を出てから10分。戻ってくる気配は一向にない。行ってもいいか聞くだけなのにさすがに遅すぎる。

「きっと時田さんが怒ってるんだ……それでまず青山さんが説教されてるに違いない……!」

正直今になって、行きたいって言ったことを後悔しそうになっていた。

「どうしよう……やっぱ生意気な意見だったかな……?」
「何が?」
「だから私が急に収録を見に行きたいとか言ったから……」
「うん。オッケーだったよ」
「なんだぁ!オッケーかぁ!良かったぁ……」

……って、今何て!?

驚きながら振り返ると、いつの間にか背後にいた青山さんが、満面の笑みで親指を立てていた。

「オッケーって本当ですか!?」
「うん、時田さんから行ってもいいって許可貰えたよ。良かったね」
「嘘……こんなあっさり?」
「時田さんも色々考えていたみたい。どうせなら名前ちゃんが言い出したこのタイミングで、ってことみたいだよ」
「そっか……とりあえず良かった」

絶対にダメだって言われると思っていたのに。こんなにもあっさり許可が貰えると、逆に気が抜けてしまう。

「それで急な話なんだけど、番組の収録日が今日みたいなんだ」
「今日?これからですか!?」
「うん。だから急いで準備して向かうよ」
「……は、はい!」

さすがにそこまで考えてはいなかった。こんなにすぐ実現するなんて。すぐさま私の心臓が大きな音を立て始めた。





緊張すると言いながらも、嬉しそうにする名前ちゃんを見て、僕も思わず笑顔になってしまう。名前ちゃんと専属マネージャーである僕との出逢いは、彼女が15歳の時。つまりデビュー当時まで遡ることになる。

まだ僕自身も未熟で、マネージャー業を始めて数年しか経っていない頃だった。天下の時田さんに呼び出された時には、大緊張のあまり吐きそうになったことを覚えている。何を言われるのかと思えば。

『今日からこいつの面倒を見てくれ』

そう言った時田さんの横には、一人の少女が立っていた。聞けばその子はまだ中学生だと言う。

『お前もこの業界に、衝撃を与える一員になってくれ』

時田さんがニヤリと笑う。音楽業界を揺るがす衝撃。それは彼女が天才音楽家として、世に羽ばたくことを意味していた。時田さんは僕に彼女のこれからのプロセスを、事細かく丁寧に説いてくれた。

時田さんがこれだけ入れ込んでるなんて、彼女は一体何者なのか。どれほどの才能の持ち主なのか。その幼い姿からは到底計り知れなかった。

『初めまして、青山昴です。これからどうぞよろしくお願いします』
『え……?』

固まる彼女を見て僕も固まってしまった。
何か不味いことでも言ったかな……!?

『ははっ!そういやお前も昴だったな』
『え?え?』

訳が分からないままキョロキョロしていると、彼女がふふっと小さく笑った。

『初めまして、苗字 名前です。音楽家としての活動名は昴です。こちらこそよろしくお願いします』

僕は偶然にも彼女と同じ、昴の名の持ち主だった。この瞬間僕は勝手ながら、彼女に対して運命的なものを感じていた。


その後僕は名前ちゃんの才能と凄さを、一番近くで目の当たりしていくこととなる。彼女が生み出すメロディーは、どうしてこんなにも惹きつけられるのだろうか。
初めて彼女の曲を聞いた時、僕はマネージャーであることすら忘れ、一瞬で彼女の大ファンになってしまったのだ。
天才であることには変わりないけど、彼女はいつだって等身大で生きていた。リリースした曲が売れれば凄く嬉しそうにしたり、曲作りに悩んだり落ち込んだりすることだってあった。
僕はそれをずっと傍で見てきた。そして日に日に想いは強くなる。

──僕が彼女を全力で支えたいという想いだ。

『青山さん、何だか疲れてるみたいですね』
『え?そんなことないよ』
『今日はもう終わりにしましょう!』
『名前ちゃん、何でそんな急に……』
『私には聞こえるんです。疲れたーって音が』

超聴覚の話を聞いた時は正直驚かされた。今でもその感覚を分かり合うことは出来ない。けれどそのせいで消耗していく名前ちゃんをたくさん見てきたし、逆に何度も助けられたこともある。彼女はいつだって優しい女の子だった。

それから名前ちゃんは絶対に、その才能にあぐらをかいたりはしない。それどころか自分の凄さに、あまりにも鈍感なくらいだ。
誰よりも勤勉な努力家で、僕はこんな良い子のマネージャーになれて、本当に幸せ者なんだ。
だからこそ名前ちゃんが、もっと外の世界に触れたいと言った時は、全力でサポートしてあげたいと思った。

例え時田さんにこっぴどく怒られようと、僕が全力で叶えてあげ──。

『あぁ。それならちょうど今日が収録だから、今から連れてこい』

時田さんに、貰えるはずがない許可を貰おうと電話をしたら、いとも簡単に貰えてしまった。
当然怒られると思っていたから、肩透かしを食らった気分だった。

『俺もそろそろだとは考えてたんだ』
『こういう機会をですか?』
『ああ。これまでの三年間、あいつは才能だけでトップに登りつめて、ここまでやってきた』
『才能だけだなんて……!名前ちゃんはちゃんと人一倍努力もしてます!』
『そりゃ維持するための努力だ。新しい何かは生まれない』

生まれる音に限界がある、と言った名前ちゃんの言葉を思い出した。二人は同じ未来を想定してる。凡人の僕には分からない感覚だ。
一番傍にいるはずなのに、理解出来ない感覚がある。僕は何だか悔しさでいっぱいになった。

『どれほどの才能でも、いつか枯渇して限界が来る。この先は経験や刺激が不可欠になるからな。それを得るためにも、そろそろ籠から出してやらねぇと』
『昴の正体を公表するんですか?』
『いや、する気はねぇよ』
『では一体どうするんですか?』
『外の世界には連れていくが、リードはしっかり付けとくって話だ』
『時田さん……!そんな言い方……!』

僕が食ってかかると、電話の向こうの時田さんは笑い声を上げていた。

『はは!お前相変わらず名前が好きなんだな』

時田さんに指摘され、はいと即答した。もちろんその感情は恋愛じゃない。どちらかと言うと、家族に対するそれに似てる。

『青山、名前にしっかり付いててやってくれ』
『それはもちろんです』
『悪い虫がつかねぇようにしろよ』
『……何だか父親みたいな台詞ですね』
『あ?まだそんなジジイじゃねぇよ俺は』
『それは失礼しました』
『ったく。それから現場に来るのは良いとして、いくつか注意事項を、お前から名前に伝えてくれ』

時田さんは、名前ちゃんの希望を受け入れる代わりに、いくつかの条件を提示した。そのどれもが彼女の意思を尊重し、そして彼女を守ることを前提としたものだった。
僕も大概だけど時田さんも大概だ。彼が誰よりも名前ちゃんの才能に惚れ込んで、誰よりも名前ちゃんを守ってきたんだ。

時田さんとの電話を切り、急いで名前ちゃんの元へ向かう。その後僕達は時田さんの指示通り、テレビ局へと向かった。



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