第3話 天才音楽家“昴”


苗字 名前。18歳。
好きなものは音楽。中でも作曲をすることが、小さい頃から大好きだった。

今から数年前。とある雨の日のこと。
当時の私は、最寄駅に設置されたストリートピアノで、毎日演奏していたことがあった。演奏した曲は有名な曲でも何でもない。私が作った誰も知らない曲。
その時偶然その場に居合わせたのが、音楽プロデューサーである時田さんだった。

『今の曲は何だ?』
『え……?』
『初めて聞く曲だった。誰の何て曲だ?』
『これは私が作った曲ですけど……』

な、何?一体誰?何だか凄い怖い顔してるし。このオジサン、怪しすぎるにも程がある……!

『その曲が本当にお前の作った物なら、今から俺と一緒に来てくれ』

ほら!やっぱり怪しい人だった!
そう思った私は、一目散に時田さんの目の前から走って逃げたのだ。


そんな私達が再び出逢ったのは、それから二週間後の同じ場所でのことだった。
あそこで弾きたいけど、またあの人に会ったりしないかな。いやいや、考えてみればこれだけの人混みなんだし、会う確率の方が低いに決まってる。ちょっとだけ。ちょっとだけ様子を見ていないようなら──。

『おう。やっときたか』

見つかったが最後。そんな笑みを浮かべて、彼は私を見るや否や、右手あげて駆け寄ってきた。
今のはまるで私を待ってるかのような口ぶりだった。すぐにでもこの場から逃げればいいのに、思うように足が動かない。

『とりあえず忘れ物だ』
『あ……私の傘!』

あの日、咄嗟に逃げ出してピアノの横に忘れてきたんだっけ。

『二週間待ったぞ』
『……何の話ですか?』
『その制服、S中だろ。この前ここで会った時間帯を考えても、ここに来るなら放課後だろうと安易に予想は出来た。だから二週間、毎日この時間帯に張ってたんだ』

今すぐ逃げることは出来た。そもそも最初からこの場所に立ち寄らなければ、彼のことなどいくらでも避けることが出来たはずだなのに。

『貴方は一体何者なんですか……?』

それがどうしても知りたかった。この小さな疑問と好奇心が、私の心の奥底にこびりついて離れない。だから私は再びここに来てしまったのだと思う。

『この前は渡しそびれたからな。こういうもんだ』

これは、名刺?

『怪しいもんじゃねぇぞ』

そう言って笑う彼がより怪しく思えたが、それは渡された名刺ですぐに覆される。
その名刺に“プロデューサー 時田尚茂”と綴られてあったからだ。

『時田尚茂って、あの音楽プロデューサーの!?』
『お、何だ。知ってるのか?』
『当たり前です!知ってるも何も、あの天才プロデューサー時田尚茂ですよ!?この前発売した成瀬 廉の2ndアルバムも聞きました!今回のアルバムはベースに高山さんを迎えたことにより、よりハイセンスな仕上がりになってて、私本当に何度も聞いてて……』

──って、何を一人で熱くなっているのだろう。
楽曲制作が大好きな私は、音楽は聞くだけじゃなく、制作している人達にも常に関心があった。それを誰かと共通の話題になることなど、この歳では皆無に等しい。そのせいなのか、堰を切ったように話し出してしまった。

そもそもこの人が本物かどうかの証拠なんてない。プロデューサーのフリして騙す人達もいるって話もあるくらいなんだし。

『中坊なのに、よく高山のことまで知ってるな』
『あ、いえ。別に……』
『何だ。嬉しそうに捲し立てたと思ったら、また信用してねぇって顔に逆戻りか』

再び彼を疑い出したことをすぐに見透かされる。何だかそれが恥ずかしいような怖いような気がして、私は思わず俯いてしまった。

『信用出来ねぇんなら廉に会うか?』
『え……?廉って』
『成瀬 廉だよ。今日ちょうどこれからライブがあって、俺もこの後楽屋に寄る予定だったしな』
『な……、ちょっと』
『なんなら今すぐ廉に電話して──』
『だ、大丈夫です!そこまでしなくても、大丈夫……っ!』

彼があまりにも本気の声色で言うものだから、私は必死にそれを遮った。この人は嘘なんか一つもついていない。彼から感じる音色が、私にそう教えてくれている。
じゃあ彼が本当に時田 尚茂であるのならば。

『──貴方の目的は一体何ですか?』

彼に真っ直ぐ問いかけた。
すると彼も真っ直ぐ答えてくれた。

『あの曲を作ったのがお前だという言うのなら、目的は一つだ。俺と一緒に音楽を作らねぇか?』

この人と一緒に音楽を──?

『率直に言う。俺はあの一瞬でお前の才能に惚れたんだ』

行くあてもなく、聞かせる相手もいなかった私の音楽を、一番最初に見つけてくれたのは時田さんだった。紛れもなく時田さんのこの言葉と出逢いが、私の運命を変えた瞬間だった。
人混みの中、互いに顔を見つめ笑みを浮かべる。

『俺を疑ってたんじゃなかったのか。今度は急に信じきった顔しやがって』
『それは貴方の音が──』

そこまで言いかけて、咄嗟に言葉を呑み込んだ。

『音が、何だ?』

きっと言っても信じてもらえない。それどころか変な子だって思われる。そうやって隠れて生きてきたから、他人に話したことは一度もなかった。

『……信じてもらえないかもしれないですけど』

でもなぜか時田さんにだけは、一切の躊躇いもなく話すことが出来た。それは彼からおびただしいほどの音色が、終始鳴り響いていたからだ。これほどのものは聞いたことがない。この人がどれほどの音楽に囲まれて生きてきたのか、私にははっきりと分かる。
正直彼みたいな人に出逢うことは初めてだった。

『どんな音でも音階が分かったり、音に色を感じたりする人っていますよね』
『ああ。絶対音感と共感覚だな』
『私もそうなんですけど……それとは別にもう一つ。私には人と対面すると、その本人から音色が聞こえる力があります。それでその人の感情とか内面が、何となく読み取れてしまうんです』
『読み取れる?』
『例えば貴方は一切嘘をついてないし、深く音楽に携わる生活をしている。時田尚茂と言うなら納得がいく音が貴方から聞こえる、と言いますか……』
『なるほど……超聴覚、みたいなもんか』

物心ついた頃からこうだったから、私も詳しくは分からない。そのせいで音の渦──つまり感情の渦に呑まれて、心身に支障をきたすことも多々あった。今は自分でもそれなりにコントロール出来るようにはなったけれど。

『そいつは面白え才能だ』
『……気持ちが悪いとか、頭がおかしいとかは思わないんですか?』
『気持ち悪い?別にそうは思わねぇよ。一線で活躍する音楽家には、凡人には理解出来ねぇもんがある。まぁその中でもお前は希少なタイプかもしれねぇが』
『そんなもんって。そんな軽い言い方……』
『人と違うって悩んでたのか?』
『だって、私みたいな人なんて絶対いないと思ってたし……』
『じゃあ尚更良かったな。お前がこれから生きる世界は、そんな奴らがうじゃうじゃいる世界だぞ』

予想外の言葉に思わず目を見開く。そんな私に時田さんは続けてこう言った。

変人が集まる世界へようこそ──と。

天才音楽プロデューサー時田尚茂との出逢いは、私が音楽家として生きる人生全ての始まりだった。

『お前の曲は必ず売れる。この先、俺と曲を作り続ける人生を選ぶなら、普通の生活には戻れないと覚悟した方がいい』

時田さんは繰り返しそう言っていた。
自分の曲が?まさか。
私も繰り返しそう言っていた。

『この曲を15歳の天才少女が作ったと知ったら、世間は黙ってないだろうな』
『またそうやって。時田さんはいつも大袈裟すぎます』
『馬鹿野郎。俺が言うんだ。間違いねぇよ』

そして時田さんは、私にいくつかの指示をした。

『お前の存在や素性は、必要最低限の人間にしか教えるな。表立った活動も一切禁止だ。専属マネージャーを一人付ける。もちろん音楽活動については他言無用だ。両親には俺から説明する』
『な……、そこまでする必要あります……!?』
『俺の言った通りお前の曲が売れたとする。その先に何が待っているか分かるか?お前の才能と金に群がる汚え大人達が、わんさか湧いてくるんだよ』
『そんな湧いてくるだなんて、虫でもあるまいし……』
『いいか?大金が生まれる場所ってのは、お前が思っているより何倍も汚え場所なんだ。お前みてぇなガキは一気に引きずり込まれて、ボロボロにされるのが落ちだぞ』

やけにリアリティがある声色のせいで、一気に寒気がした。

『金で揉めるのは嫌いだろ』
『……はい』
『それから本名も伏せるから、別な名前を考えろ』
『名前まで!?』

時田さんの言葉が全て信じれるものかどうかは分からない。上手くいく保証もない。けれど右も左も分からないたかが15歳の私が、音楽に携わる道を選ぶには、時田さんを信じる他なかった。
私が音楽活動するための名前、か。
それなら一つしかない。

『では名前は昴にします』
『──すばる、か。中々いいじゃねぇか。大抵は名前のイメージから男だと思うだろうし、ミスリードを誘う良い名前だ』
『本当ですか?良かった』
『じゃあ今日は天才音楽家 昴の誕生記念日って訳だ』
『またそうやってすぐからかう』

その後時田さんの言う通り、昴という音楽家は鮮烈なデビューと共に、驚異的なスピードで世に浸透していった。私の予想を遥かに超えて、私の曲はヒットをし続けたのだ。
しかしどれだけ売れようと、昴はその名前以外、全ての詳細は不明だった。正体不明の存在は更に人々の関心を呼び、世間では様々な憶測や噂が飛び交った。当時は業界内ですら、昴の話題で持ちきりだったそうだ。

当の私の生活にも様々な変化が起きた。学生としての生活より、社会生活を優先せざるをえなくなったこと。時田さんを始めとする仕事仲間が増えたこと。一人暮らしを始めたこと。
一番嬉しかった変化は、大好きな音楽を作り続ける環境が出来たこと。そして私の音楽を求め楽しんでくれる人が、この世の中にたくさんいる、ということを知れたことだった。
それが何よりの幸せと歓びだった。





スタジオの隣にあるパスタ屋で、ピザを頬張りながら、雨に濡れる窓を見つめる。
うん。いつ来てもここのピザは絶品だ。

「何か考え事?」

一緒にパスタ屋に付いてきてくれた、マネージャーの青山さんに問われる。

「いえ……何だか昔の事を思い出しちゃって」
「昔の事って?」
「時田さんに初めて会った時の事です」
「ああ、その話なら僕は何度聞いても飽きないなぁ。二人の天才がストリートピアノをきっかけに、運命的な出逢いを果たすってね!」
「だから青山さんは、私達を美化しすぎなんですよ……」

専属マネージャーである青山さんは、活動当初からずっと側にいてくれている。今は時田さん同様、信頼出来る人間の一人だ。一緒に過ごしている時間で言えば、一番多いのは青山さんだと思う。

「そういえば二人が出逢った日も、雨が降っていたんだっけ」

二人で窓の外を見つめる。
雨の日に出逢ったと言えば、楽譜を拾ってくれたあの人。どうしてるかな。メモはちゃんと渡してもらえたかな。電話……かかってこないな。
あの綺麗な声、何度考えても彼のような気がするけど……。
いやいやまさか。私の勘違いに決まってる。あんなところであんなに有名な人が、偶然楽譜を拾うなんてあるはずない。

「……TRIGGERはあの曲を気に入ってくれるかな」
「当たり前じゃないか!絶対気に入ってくれるよ!」
「だといいんですけど」
「時田さんも凄く褒めてたし」
「あんなのあの一瞬だけですよ。戻ったらさっさともう一曲書けって急かされますよ、きっと」
「あはは。時田さんは素直じゃないからね」

私にはやるべきことがたくさんある。だから今は楽譜のことは一度忘れて、TRIGGERの曲を完成させることだけ考えよう。
そう自分に言い聞かせた私は、この後スタジオにこもる日々が続くのだった。





TRIGGERに昴の楽曲が届いたのは、それから二週間後の事だった。

「さぁ、やっと昴の新曲が届いたわよ!」

事務所に集められたボク達の元に、姉鷺さんが上機嫌でやってきた。パソコンを広げ、鼻歌混じりでカチカチと作業を進めていく。

「どんな曲なんだろう」
「楽しみだな」

楽と龍の声も、いつも以上に弾んでいた。

「準備はいい?じゃあいくわよ」

部屋が一斉にシンと静まり返る。数秒の沈黙のあと、イントロと共に昴の新しい音楽が部屋に響き渡った。
誰も何も発さない。でも思っていることはきっと同じ。

──なんて美しいメロディーだろう。

ボクもすぐにそう感じた。龍からはすでに笑顔が溢れているし、楽は自然と体でリズムを取っている。そして肝心のサビはどんなメロディーなのかと、全員が心待ちにしていたその瞬間。ボクは自分の耳を疑った。

いや、まさか。

でも僕ははっきりと覚えている。あの楽譜に書かれた美しい旋律を。

……このメロディーは──。


「宅配ピザ……」


曲が終わると同時に、思わずポツリと呟いてしまった。

「は?天、今何て言った?」
「いや……何も」

咄嗟に口元を抑え、視線を外した。

「凄く良い曲じゃないか!」
「そうね!これをTRIGGERが歌ったらって考えたら、ゾクゾクしちゃったわ!絶対売れること間違いなしよ!」
「俺達でより完璧に仕上げないとな」

皆が口々にそう言うのがよく分かる。天才音楽家の名に相応しい素晴らしい楽曲だ。
昴──名前以外は正体不明の音楽家。
ボクがあの雨の日に拾った楽譜が、昴の楽譜だったとしたら。

昴の正体はあの──。

ボクはもう一度昴の音楽を聞きながら、あの日を、そしてあの子の顔を思い浮かべていた。



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