第35話 普通の女の子


雨が強く降り注ぐ。止むことなく空から一直線に。

「今日は屋外の特設ステージでの出演予定だったけど、この雨のせいで屋内に変更になったわ」
「じゃあリハーサルもし直しだな」
「せっかく大掛かりなセットも作ってもらったのに残念だよ」
「まったくとんだ災難よ!」

姉鷺さんが災難だと言った雨を見ながら、ボクは名前と出逢ったあの日のことを思い出していた。

『キミの方がひどく濡れてる』
『……凄く綺麗』

雨が降るたび、ふとよぎる。キミもこうして、あの日のことを思い出すことはあるだろうか。
でもきっとキミは、天気など微塵も関係ないあの部屋で、今日も一人音楽を作り続けているのだろうけど。

「……ん、天!聞いてる!?」
「聞いてますよ。それで、リハーサルは何時からですか?」
「それがまだ詳細が分からないのよ。もう、こっちはただでさえ忙しいっていうのに」

年末が近づくにつれ、TRIGGERの活動はいつも以上に忙しさを増していた。多分それは名前も同じ状況で、最近は連絡を取る暇すらないほど、互いに過密スケジュールをこなしている。

「あんた達、今日の特番は生放送なんだから、ヘマは許されないわよ」
「Re:valeとIDOLiSH7も出るんだったな」
「そうよ。あの子達には負けられないわよ」
「後で皆で楽屋に挨拶に行こうか」
「龍ったら何をそんな呑気な……で、でもIDOLiSH7の楽屋なら私も付き合っても……」


「こんにちはー!お疲れ様です!」

そんな矢先、勢いよく扉が開いたと思ったら、ゾクゾクと楽屋に人が流れ込む。

「ナ、ナギくん……っ」
「紡。よく来たな」
「天にぃ!」

どうやらこちらから出向く手間は省けたらしい。IDOLiSH7がTRIGGERの楽屋を訪れたことにより、辺りは一層騒がしくなった。

「天にぃ、この頃凄く忙しいんでしょ?マネージャーが言ってたよ。ちゃんと休息は取ってる?」
「陸の方こそ体調管理はちゃんとしてるの?ボクの心配なんかしてる場合じゃないでしょう」
「久々に会ったのにまた天にぃはそうやって……」


「お疲れ!TRIGGERー!」
「あれ。皆お揃いだ」

今度はそこにRe:valeの二人まで訪ねてきた。

「百さん、この前はお世話になりました」
「龍の方こそお疲れ様!かなり飲んでたけど、二日酔いにならなかった?」
「百さんと十さん、二人で飲みに行ったんですか?」
「そうだよ。今度は三月と大和も来る?そうだ、なんなら今日この後行っちゃう?」
「大和くんが来るなら僕も行こうかな」
「あんたが来るなら俺はパス」

そんな会話を横目に見ながら、陸が何か言いたげな顔をしている。

「天にぃはこの後どうするの……?」
「どうするって?」
「もし何も予定がないんだったら、一緒にご飯とか……」
「駄目ですよ七瀬さん、あなたはちゃんと体を休めないと」
「わ、分かってるよ。一織」

相変わらず過保護な和泉一織が、陸の後ろから顔を出す。ボクに対する鋭い視線もいつもと変わらない。

「楽屋には挨拶をしに来たんですよ。ちゃんと礼節をわきまえて下さい」
「分かってるってば!」
「それに今日は、今年一年間のトータルセールスランキングを争う番組です。私達はいつも以上にライバルとして共演する必要があるんですよ」

和泉一織の言葉に、皆の動きが一瞬止まる。
彼の言う通り、今日の特番はあらゆる分野のトータルセールスをランキング形式にして発表する番組だ。そして誰もがトップを取りたいと思いながら、番組に集っている。ただしそれはアーティストのみに限られた話だ。

「年間一位、ね」
「本当の主役は不在だけどね」

Re:vale二人の言葉に陸が首を傾ける。

「それってどういう意味ですか?」

そんな陸に、千さんは笑って言った。

「今年一番トータルで売上をあげたのは昴なんだ」

それは紛れもない事実だった。今年あらゆるアーティストが彼女の歌を歌い、あらゆる場所で彼女の音楽は流れていた。その人気はボク達を凌ぐもので、誰も文句のつけようがない活躍ぶりだった。
けれど彼女が表舞台で直接賞賛されることはない。昴は正体不明でなければならないのだから。


『今度の昴の曲も、凄い売れてるな』
『何をどうやったらあんな風に、次から次へとヒット曲を生み出せるんだ?』
『正体を知っているか?若い男だって話だ』
『俺は複数人いるって聞いたぞ』

この業界にいれば、昴の噂は何度も耳にする。

『どう考えたっておかしいだろ。一人でこんな量の楽曲が作れるか?』
『なるほどな。頑なに正体を隠す理由はそれか』

噂はいつも見当違いなものばかり。

『これだけ売れれば億万長者だ。一体どんな優雅な暮らしをしているんだろうな』
『あーあ、いいよなぁポンポン曲を作ったら、もう一生遊んで暮らせるんだもんな』

彼女が今もたった一人で、どれだけ大変な思いをしているかなんて、誰も──。


「天にぃ?」

陸の声でハッと我に返る。気がつけば手には汗がジワリと滲んでいた。そして、その手に持っていた携帯がブルっと小さく震える。
チラリと画面に目をやれば、名前からラビチャが届いた通知であった。

“今夜の生放送、楽しみにしています。それから、やっと少しだけお時間が出来ました”

その文字に自然と笑みがこぼれる。

「陸、ごめん。ご飯はまた今度」

ボクは今夜会いに行く、とだけメッセージを送ると、再び喧騒の中へと戻っていった。





「陸くんも連れてきたらよかったのに」

そうして仕事を終え真っ先に名前のマンションへ向かったボクに、彼女はそう言った。少しだけ面白くない気持ちになりながら、グラスにりんごジュースを注ぐ。

陸とはスケジュールも合いやすいし、今後もそういう機会は何度もあるだろうけど、名前とはそう上手くいかない時も多々ある。貴重な二人の時間を無くしたくはないし、それにボク以外の男がこの部屋に──。

「名前がそう言ってくれるなら、次はそうするよ」

口から出かけた未熟な想いを呑み込んで、この場に相応しい言葉を紡いだ。あんな風に不安にさせて泣かせたことを考えれば、名前がこうして笑ってくれるなら容易いことだ。

「それじゃあ改めて。年間トータルセールスランキング一位、おめでとう」
「ありがとうございます」

グラスが合わさり音がなる。

「こんな風に乾杯までして頂けるなんて光栄です」
「乾杯と言ってもりんごジュースだけどね」
「それを言うなら、もっと豪華なお食事をご用意出来たらよかったんですけど……」
「そんなのいらないよ。ボクは名前の作るオムライスが一番食べかった」

いつの間にか名前の作るオムライスは、ボク好みのオムライスとなっていた。美味しいって言ってもらいたいから、と張り切ってキッチンに立つ名前を見るたび、こうして一口頬張るたびに、名前の想いが伝わってくる気がして。今のボクにこれ以上豪華な食事はないと言える。

「今日のTRIGGER見ましたよ。凄くカッコ良かったです!」
「ありがとう。結局ランキングではRe:valeに負けちゃったけどね」
「それでも、どちらも素敵なグループであることには変わりないですよ」
「Re:valeといえば、二人が言ってたよ」
「何をですか?」
「本当の主役はキミだったって。ボクもそう思う。今夜の賞賛はキミが貰うべきはずのものだった」
「そんなことないですよ。そもそも私は曲作りしかしてませんし、その数も多い分、必然的に売上が多くなるのも当たり前のことですし……皆さんのように歌ったり踊ったりはしていませんから」
「それを言うならボクは曲を生み出すことはしていない。曲がなければ歌うことすら出来ないよ」

だからもっと誇りに思っていいのに、どれだけ売れようと名前は変わらない。驕らず謙虚なままだ。ただボクはそんな名前が好きであり、どうか変わらずにいてほしいと身勝手な思いを抱いていた。


そうして食事を終えたボク達は、残された時間をソファで寛ぎながら過ごしていた。何気なく見ていたテレビからは、クリスマスに関する特集が流れている。

『今年は友達皆で集まって遊びます!』
『彼氏とデートの予定でーす』
『家族とご飯を食べに行きます』

今年のクリスマスは誰と何をして過ごしますか?と、道行く人にインタビューをしているようだ。無論クリスマスだろうが一日たりとも休みのないボク達には、どれも縁のない話だ。

「世間はもうすぐクリスマスだっていうのに、時田さんは私に夏の曲を作れって言うんですよ」
「冬なのに夏の曲?」
「はい。夏に放送するドラマの主題歌だそうです」

不服そうな顔をしながら、結局キミは素敵な曲を作ってしまうのだろう。時田さんが期待する気持ちもよく分かる。

「普通の女の子だったら、クリスマスはさっきのインタビューみたいなことをして過ごすんでしょうね」

どこか寂しそうに笑いながら名前が言った。

昴の噂を何度も耳にするたび、ボクはいつもこの部屋にいる名前を思い出す。
この小さな部屋の中、たった一人で音楽を生み出すキミを──。

名前は自分が何者か口にすることは許されない故に、安易に人と関わることが出来ない。それどころか外に出る余裕すらないほど、常に仕事に追われている。
同じ歳の女の子が手にする当たり前の幸せも、家族や友達と過ごす何気ない時間も、これからも名前は一切手に出来ないまま。そしてその才能には、計り知れない期待とプレッシャーを抱えている。

そうやって音楽以外の全てを犠牲にして、名前の、昴の人生は成り立っている。

その現実がどれだけの孤独を彼女に与え続けているのか。考えるたび、ボクの胸は締め付けられていた。

「でも私、最近思うんですよ」
「何を?」
「普通の女の子じゃなくてよかったって」

でもそれは杞憂だったことを。

「だって普通の女の子だったら、天くんとこうして過ごすことなんて出来なかったから」

ボクは今日初めて知ることになる。

「雨が降ると、天くんと出逢った日のことを思い出すんです。そしてそのたび思うんです。昴だったから私は天くんと出逢えたんだって。私には音楽しかなかったけど、でも音楽があったから天くんと繋がれた」

自分には音楽しかなかったと泣いていたキミが、隣でこうして幸せそうに笑っている。
ねぇ、それがどれだけボクの心を掴んで離さないか分かってる?

今ボクは誰よりもキミが愛しくてしょうがない。何度伝えても足りないほど、キミもキミの音楽も好きだという気持ちが溢れていく。

「好きだよ、名前」
「天く……っ」

こうしてキミに触れて唇を重ねても、それでもまだ伝えきれてないと思ってしまうんだ。だからもっと。

「急に、どうし……っ、」
「好きだ」
「っ……ん」
「好きだよ」
「待っ……て、ダメ……っ」

ソファに押し倒し性急に触れれば、顔を赤く染めながらこちらを見上げる名前と目が合った。その潤んだ瞳がボクの欲情をより刺激する。

「じゃあ、やめる?」
「それは……」

ボクの腕の中だけでいい。ここでだけはただの普通の女の子でいて。誰のものにもならないで。
ボクしか知らないありのままの名前でいて。

「出逢えてよかった」
「天くん……?」
「そう強く思ってるのは、ボクの方だよ」

ボクもまたキミと二人でいる時だけ、ただの普通の男の子に戻れるから。



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