第34話 We are TRIGGER 楽屋編 「おい、名前。お前ここで何してんだ」 「何ってミックスダウンですけど」 「その作業の前に頼んでた曲がいくつかあっただろ」 「ありましたね」 「ありましたねって、お前……それを先に片付けてくれって俺は言ったはずだぞ」 「はい、なので言われた通り片付け終えて、今この作業をしています」 「は……?」 珍しく時田さんが驚いた表情をしている。その顔が面白くて笑いを堪えていると、額をコツンと小突かれた。 「何がどうなってんだよ」 「えー頑張ったのに褒めてくれないんですか?」 「もちろん褒めてやりてぇところだが、随分無茶したんじゃねぇかって心配にもなるだろ」 時田さんがそう言うのも無理はない。少し時間をかけてもいいと言われ、期日もかなり余裕をもってくれた仕事を、私がほんの数日で仕上げてしまったからだ。自分でも驚きの早さだと思う。 けれど無茶なんて一つもしていないし、もちろん一切妥協もしていない。 「何かあったのか?」 時田さんにそう聞かれ、先日の千さんと天くんとの事が一気に頭の中を駆け巡る。 あの日千さんは生涯忘れることのない、たった一度だけの大切なメロディーと想いを届けてくれた。天くんは全身全霊で、私が最も欲している愛を何度も何度も与えてくれた。 自分は一人じゃないのだと、確かに愛されているのだと教えてくれたあの夜。私はやっと孤独から救われたのだと思う。 私には私を必要としてくれる人がいる。色んな人が私を支えてくれている。目の前の時田さんも、いつも側にいてくれる青山さんだってそうだ。私の周りにいてくれる大切な人達のためにも、そして私の曲を好きだと言ってくれる人達のためにも、私は頑張らない訳にはいかない。 それに気付いてからというもの、どうしようもないほどの音の洪水で、頭の中が溢れるようになった。時田さんが口にする一皮むけたともまた違う。まるで全身の細胞が全て生まれ変わったような感覚だった。 「何があったか詳しくは言えないんですけど……ただ一つだけ言えるとしたら、時田さんが大好きなお金稼ぎが、まだしばらくは出来そうですよ」 ずっとメロディーが鳴っているので。それもきっと売れるやつばかり。 そう付け足すと時田さんは、思いのほか優しい笑みを浮かべ、私の頭をぐしゃりと撫でた。 「時田さんこそ、今日は収録現場に行くって言ってませんでした?あのほら、最近力を入れてるグループの」 「そうだったんだがな。予定変更だ。現場にはお前が行ってこい」 「え、私がですか?」 時田さんの顔がいつもの何か企んだ笑顔に変わってる。きっとまた面倒なことを押し付けられるに違いない。 「違ぇよ。逆だ逆。むしろご褒美ってやつだ」 「ご褒美?」 「さっき姉鷺から連絡を貰ってな。その収録にTRIGGERも来るそうだ。来るならお前も連れてきたらどうかって話だったんだが」 時田さんから携帯画面を見せられる。そこには確かに今日のTRIGGERのスケジュールが、事細かく記されていた。つまりこれはご褒美として、天くんに会ってこいということなのだろう。 「頼んでいた仕事が終わったんなら、遠慮なく行ってこい」 「と言っても、こっちの作業に手をつけてしまったばかりなので……」 「これは俺がやっておく」 「でも」 「何だよ。そんなに働きてぇなら、死ぬほど仕事入れてやろうか?」 「い、行きます……!行かせて頂きます!」 素直に行くと言えない私のせいで、時田さんが恐ろしいことを言い出した。そのうえ青ざめた私を見てケラケラと笑っている。 「冗談に決まってんだろ」 「冗談に聞こえないんですよ、本当……」 「浮かれて本来の仕事を忘れるなよ」 この人の気が変わらないうちに、今すぐにここを出よう。そう思った私は急いで帰宅の準備をして、青山さんと共に収録現場に向かった。 ◇ そうして私達は予定通りテレビ局に辿り着き、いつものように時田さんの姪として仕事をすることにした。途中、青山さんが知り合いのスタッフと話し込んでしまったので、彼を置いて一人収録スタジオへと向かった。 久々にこういう現場に来た気がする。時田さんの言う通り浮かれてヘマしないようにしなきゃ。 気を引き締めて廊下を歩いていると、早速目に飛び込んできたのは八乙女さんと十さんの姿だった。声をかけようとするも、もう一人知らない誰かの姿が見え、私は上げかけた手を静かに下ろした。 「八乙女くん、この前の心霊番組ではお世話になったね」 「こちらこそありがとうございました」 「ちょうどよかったよ。あの時君に言いたいことがあったんだ」 「何でしょうか?」 「君、たくさん憑いてるんだよ」 「憑いてるとは?」 「女の人の生霊ってやつが。うじゃうじゃと」 一体八乙女さん達は何の話をしているのだろう。聞き間違いじゃなければ、憑いてるとか生霊とか……。 「楽に生霊……!?」 「モテる男は大変だね。でも僕なら祓ってあげられるよ」 「そうなんですか!?楽、良かったな……!」 ほらやっぱりそういう類の話をしてる……! ここはきっと見知らぬ顔をして通りすぎた方がいい。そう思い足早に通り過ぎようとしたその時。 「わ……っ!」 腕を引っ張られ、足止めをくらってしまった。 「よう。苗字」 「こんにちは、八乙女さん……」 「あれ、名前ちゃん」 「十さんも。こんにちは……」 「八乙女くん、この子は?」 「ああ。気にしないで下さい」 「八乙女さ……」 「いいからここにいてくれ」 八乙女さんに小声で囁かれる。何か頼るようなその声色に、私は大人しく腕を掴まれたままこの場にいることにした。 「それでさっきの話なんだけど」 「お祓いの話でしたよね?」 「時間が出来たらここに連絡してくれるかな。なるべく早い方がいい。このまま放っておくと君によくないことが起こるよ」 「分かりました、ありがとうございます。では」 八乙女さんは名刺を受け取り頭を下げると、そのまま私の腕を離すことなく歩き出してしまった。 「や、八乙女さん。一体どこへ……っ」 「TRIGGERの楽屋に決まってるだろ」 何故私も……!?ああ、でもそれなら天くんに会えるかも……って違う違う!それはこういう形じゃなくて、影からそっと見守るような形で会おうと……! 「甘い物は好きか?」 「甘い物、ですか……?」 「差し入れでたくさん貰ったから食べていけよ」 「そうだよ名前ちゃん。久しぶりに会えたんだし、ぜひゆっくりしていって」 強引な八乙女さんと優しい十さんに流された私は、結局あれよあれよとTRIGGERの楽屋へと足を踏み入れてしまった。 ドキドキしながら辺りを見渡すと、どうやら天くんは不在のようだった。急に襲ってきた緊張が解け、徐々に落ち着きを取り戻す。 「で、苗字」 その矢先、八乙女さんに声をかけられ再び緊張感が私を襲った。 「あの霊媒師は本物か?」 「霊媒師、とは」 「さっきいたあの男だよ。生霊がどうとか言ってた。それは本当か?」 真剣な眼差しでこちらを見つめる八乙女さんと目が合うこと数秒。 ああ、なるほど。そういうことか。八乙女さんが私にあの場にいてほしいと言った理由が分かった。彼が本物かどうか、私にジャッジしてほしかったのだろう。 私にはそれが本当か嘘か、聞き分ける聴力があるから──。 「嘘ですね」 「……やっぱりな」 「え!?あの人霊媒師じゃないの……!?」 「さぁ……そのへんはよく分かりませんが、ずっと嘘をついてる音がしてましたよ」 八乙女さんが深い溜め息をつく。 「じゃあ何であの人は、生霊が憑いてるだなんてそんな嘘を楽についたんだ?」 「お祓いだなんだって言って、金を巻き上げる魂胆だろ」 「あの人、結構有名な人なのに……」 あれが俗に言う悪徳霊媒師っていうやつなのだろう。やたらと気持ち悪い音をしてたから心霊的なものかと思ったけれど、詐欺師の音だったとは。 「悪いな、急に楽屋に連れてきたりして。苗字がいてくれて助かった」 「俺も騙されるところだったよ……ありがとう」 「いえ、そんな。私は何も」 「そんなところに立ってないで座れよ。シュークリーム食べるか?」 「どら焼きもあるよ。それから王様プリンの差し入れもあったはず。ほら、ここに座って座って」 促されるままソファに座ると、私を挟むような形で両隣に八乙女さんと十さんが座った。 「遠慮なくたくさん食べろよ」 「ジュースは飲む?」 抱かれたい男ランキング一位と二位のお二人に挟まれて、平然としていられる女子などいるのだろうか。そのうえこうも大人の男性の音をぶつけられては……こ、これは身が持たない……! 「どうした?」 とどめを刺すかのように八乙女さんに顔を覗かれ、鼓動が一気に早くなる。それは恋といった類のものではなく、音楽が生まれる瞬間の高鳴り。 彼の低い声が響いたと同時に、私の頭の中は物凄い早さで音楽を奏で始めた。 「苗字?」 「そのまま動かないで下さい!今、ほら」 「は?」 「凄く良い曲が……」 絶対に出来る。メロディーが急速に駆け抜けていく。やっぱり私、この間からおかしい。スポーツ選手がゾーンに入るだなんて言うことがあるけれど、まさしくそんな状態に似ていると思う。 「八乙女さん、私の曲を歌う気はありませんか?」 「いきなり何の話だ?」 「八乙女さんにピッタリな良い曲が出来そうなんですよ」 「いつ?」 「今です」 頭がフル回転し始めたら、今度は急激に甘い物が欲しくなった。驚いた表情を見せる八乙女さんをよそに、私は遠慮なくシュークリームを頬張ってみせた。 「曲ってどんな曲なんだ?」 「生霊ソングです。タイトルは悪徳霊媒師で」 「苗字、お前……っ」 「ごめんなさい。冗談です、冗談」 「上等じゃねぇか……」 「あ、でも曲が出来るのは本当ですよ?今ずっと鳴ってますから。八乙女さんにピッタリの凄くカッコいい曲です」 再び八乙女さんが私をじっと見つめる。よく考えてみれば八乙女さんに冗談を言うなんて、調子に乗りすぎたかもしれない。 「怒らせちゃいましたか……?」 一応怒ってる音はしないけれど尋ねてみると、八乙女さんは小さく口角を上げて笑ってみせた。 「いや。冗談言って、年相応に笑ってる姿がいいなって思っただけだ」 「え?」 「天もお前も早熟すぎなんだよ。特に天はもっと年相応のガキらしく──」 「ボクが何?」 一瞬にして、私の頭の中の音楽が掻き消されてく。代わりに支配したのは私の最愛の音、のはずなのに。何故こんなにも冷たく刺さるような音をしているのか。 恐る恐る振り返れば、そこには眉間に皺を寄せた天くんが立っていた。 「どうして名前がここにいるの?」 「そ、それはですね……時田さんが代わりに収録を見てこいって言ったのが始まりで、たまたま通りかかって生霊が嘘だったので、でも悪徳霊媒師は八乙女さんに曲を……」 「は……?」 私のせいで、天くんの眉間の皺は深まる一方だ。 「苗字とはさっきたまたま廊下で会ったんだよ。それで楽屋に来いって俺が誘ったんだ」 「そうそう。甘い物もたくさんあったから、名前ちゃん食べないかなってね」 「勝手なことを……」 「そうですよね……すみません、勝手に楽屋に入ったりして。私ってば何て軽率な行動を……」 「いや、そうじゃなくて」 「何だよ。素直に会えて嬉しいって言えばいいだろ」 「そうだよ天。俺らだって久々に名前ちゃんに会えて嬉しいんだから」 今度はみるみるうちに天くんの顔が赤く染まっていく。 「ね、名前ちゃん」 「はい!私も皆さんにお会い出来て嬉しいです」 と思ったらまた眉間に皺が寄っている。 「苗字、これも食うか?」 「だから勝手に餌付けしないで」 「何だよその言い方は」 「楽、天も一緒に食べたいんだよ。ほら、シュークリームとどら焼き、どっちがいい?」 「太るからどっちもいらない」 ああ、変わらない。いつものTRIGGERだ。こうやって言い合いしながらも、互いを大切に思ってる音がする。 「あんた達!また言い争ってるの!?」 扉が開け大きな声で入ってきたのは、マネージャーの姉鷺さんだった。それもまた変わらないの光景の一つだ。すぐさま頭を下げて挨拶をすると、姉鷺さんはウインクを返してくれた。 「楽、龍。リハーサルの時間よ」 「お、やっとか」 「天は30分後に合流して」 「天だけ?どうして?」 「あんた達二人は今日ミニコーナーの枠があるから、先にそっちのリハーサルもしなきゃなの。ほら早く」 姉鷺さんがグイグイと、八乙女さんと十さんの背中を押す。 「あ、苗字。お前の曲、楽しみにしてる」 「またね、名前ちゃん!ごゆっくり」 八乙女さんと十さんは、手を上げ笑顔で去っていった。その笑顔に穏やかな気持ちになったのもつかの間、楽屋には何故か不穏な空気が流れ始めている。 「名前」 「はい……っ」 背後から声をかけられ、背筋がピンと伸びる。 「こっちに来て座って」 天くんに先ほどの八乙女さんと同じように促されて、私は再びソファの同じ場所に腰を下ろした。 「今日は?仕事?」 「時田さんが手掛けてるグループが今日この番組に出るんですけど、変わりに収録現場を見てこいと言われまして……」 「そう。それで楽達に会ったんだ」 一緒に悪徳霊媒師にも会いました。嘘のお祓いでお金を騙し取ろうとしたんです。それを私がこの耳で暴いてお手柄だったんですよ。 だなんて馬鹿みたいな話、天くんが信じてくれるだろうか。とはいえそれが真実なのだけど、やっぱり作り話のように聞こえる。ダメだ、何かこの空気を変える別の話を──。 「で、楽が楽しみにしてる名前の曲って何?」 上手く話なんて出来る訳がない。聞かなくたって分かるほど、天くんがあからさまに感情を剥き出しにしている。だってこれはもう。 天くんが、確実に妬いていらっしゃる……! 「天くん、ひとまず落ち着いて下さい……っ、そんな妬くようなお話じゃないですから……!」 「それはボクが判断するよ。だからとりあえず、洗いざらい話して」 蛇に睨まれた蛙とは正にこのことだと思った。 そうして事の顛末を話し終えると、天くんは大きく息を吐いてみせた。段々と天くんの感情の音が、激しかったものから心地良いものへと変わっていく。多分、自分の感情をコントロールしているのだと思う。 「本当にいたんですよ?その霊媒師」 「分かってる。疑ってないよ」 「あと八乙女さんは何も悪くなくて、私が勝手に……」 「それも分かってる。それがキミの才能だってことも、キミの音楽は独占出来ないってことも全部」 「天くん……」 「分かっていても悔しいものは悔しいし、どうしてボクより先に楽なんかに曲を……」 それでも消えない嫉妬心が、何だか愛おしくて堪らなかった。 「笑いごとじゃないんだけど」 「ふふ、すみません」 「本当はその笑顔も、あんまり他の人達には見せたくないって分かってる?」 「天くん……?」 「ボクの名前なのに」 「ん……っ」 そう口にしながら、天くんが優しく私の口を塞ぐ。とびきりの愛情を乗せて、甘く口内を侵していく。 そんなこと口にしなくたって、いつだって私は天くんだけのものなのに。 「天く……ん……っ」 そっと天くんの胸を押し返す。 「ごめん、やりすぎたかな」 「いえ……そうじゃなくて……」 私もちゃんと口にしなきゃ。ちゃんと同じような気持ちを抱えてるって。天くんだけが独占出来る私のとびっきりの愛情を──。 「全部一気に吐き出しますからね?」 「名前?」 「私だって同じです。ううん、それ以上かも。私だって九条天を誰にも渡したくありません。私だけを見てほしい。私にだけ笑いかけてほしい。私だけを好きだって言ってほしいし、誰のものにもなってほしくない……って。でもそんなの絶対にありえないって分かってますし、お仕事の事も全て理解してます。それでも本当は心の奥底ではこういう気持ちをたくさん抱えているんですよ私も。天くん以上に幼稚な気持ちを、本当に、それはもう、いっぱい……」 捲し立ててる途中で恥ずかしくなってしまって、思わず顔を伏せてしまった。でもそんな私を天くんは絶対に逃さない。顎を掴まれ、すぐさま捕らえてしまう。 視線が交わる静寂の中、心臓がうるさいくらいに音を立てていた。 「可愛いことばかり言って、困らせないでくれる?」 「可愛くなんかないですよ……我儘なだけで」 「いいよ。もっと我儘になって好きなだけ独占して。ボクもあともう少しだけ、名前を独占したい」 いい?と聞かれて頷けば、再び天くんと唇が重なった。いつもなら何度かキスを重ね続け、このまま徐々に深くなっていくはずだけど──ここは互いの仕事場だ。 それを察した私達はすぐさま、距離を取り視線を逸らした。もう少しだけ触れていたい。そんな感情を押し殺していると、天くんが耳元でそっと囁く。 「……近いうちキミの家に行っていい?」 「はい、もちろんです」 「よかった。じゃあ続きはその時に、ね」 そう言って天くんは何もかも見透かしたように、小悪魔且つ天使の笑みを浮かべていた。 [ back ] |