第33話 ごめんね、好きだよ


千さんの家を出た直後から、涙もメロディーも止まることなく流れ続けている。たった一度しか聞けない千さんの曲。それはきっと一生私の中で鳴り続けるのだと思う。
千さんが私を好きだったというメロディーが、ずっと──。


辿り着いた真っ暗な自室で、電気も付けずにその場に座り込み続ける。
私のために作られた曲だと、千さんはそう言って思いの全てを聞かせてくれた。私はそれをちゃんと受け止めることが出来ただろうか。あんなに優しくて素敵な人を、一瞬でも傷つけてしまったのではないかと思うと、自分がとても悍ましい存在に思えた。けれどそんな自分すらも包みこむように、千さんは笑って私の背中を押してくれた。ずっと私のことだけを思ってくれていた。
最後には兄と同じ音色を響かせながら──。

『いいよ。何も言わなくて。伝わっていればそれで十分だから』
『名前。天くんと仲直りしておいで』

あれはちゃんと全部千さんの本音だった。それなら私がやるべきことはたった一つしかない。

「ちゃんと……千さんの気持ちに応えなきゃ……っ」

バッグから携帯を取り出し電話帳を探る。怖くてずっと押せなかった名前をタップし、息を整える間もなく呼び出し音を鳴らした。
1回。2回、3回。そして6回目のコールの後、その音は私の耳を一瞬で支配してみせた。

『はい』

その声を聞いてしまったら、もう駄目だった。止まることなく涙が溢れ出す。

『もしもし?』
「ふ………っ、……」
『名前……?』
「天、くん……」
『名前、どうしたの?』
「会いたい……っ」

泣きながら振り絞って出た言葉は、天くんに会いたいという、たったそれだけの言葉だった。ゴトリと携帯が音を立てて床に落ちる。

本当はずっと怖かった。天くんに好きだと言ってもらえて、これ以上の幸せはないはずなのに。心のどこかでは不安を抱えていた。
両親に愛されず最愛の兄も失った私に残ったものは、音楽と孤独だけだった。この世界に飛び込んでいくら売れようとも、いつだって私には不安が付きまとっていた。いつか私の曲も私自身も、必要とされなくなる日が来るかもしれない。そう、心のどこかでは怯えていた。だからいつも大人だらけの環境の中で良い子のフリをして、いらないって言われないように必死に繕ってきた。

私は無欲なんかじゃない。失うのが怖くて何も手に出来ない、臆病者なだけ。もしかしたら千さんとの関係が、形を変えて無くなってしまうかもしれない。天くんだってこのまま私の側から離れてしまうかもしれない。

今この瞬間も失うことがとてつもなく怖くてたまらない。息をすることすら忘れてしまいそうなほど。こんなにも苦しい。

どうかお願い、誰か──。


──ピンポーン。

時間にしてどれくらい座り込んでいただろう。自分の息遣いしか聞こえない部屋にインターホンの音が鳴り響く。ゆっくりと立ち上がり、重い体を引きずりながらモニターを覗き込めば、そこには天くんの姿が映っていた。
返答しなければいけないのに、無言でエントランスのセキュリティを解除する。コンシェルジュからの問い合わせに入室の許可を出すと、そのままゆっくりと玄関に向かった。ここで最後のインターホンが鳴らされるはずだったけれど、それを待つことなく私は玄関の鍵を開けた。

「わ、……名前……っ?」

勢いよく扉を開けた先には、ちょうど鉢合わせた天くんが立っていた。

「天くん……っ」

雪崩込む私と共に天くんが中へと入り、ガチャリと扉が閉まる。リビングに続く廊下で再び座り込む私に合わせるように、天くんもまたその場に座り込んだ。

「こんなに泣いて、一体何が……」
「ごめん……っ、なさい」
「落ち着いて。名前」
「私、っ……う……っ」
「大丈夫だから。ゆっくり呼吸して」
「は、い……っ」
「そう、ゆっくり……うん。いい子」

天くんの指が止まらない涙を何度も拭う。
この手がいつか私から離れてしまうことが、こんなにも恐ろしいだなんて。だからどうか。

「嫌いにならないで……」
「え……?」
「私、ずっと怖くて……っ、でもちゃんとするから……っ」
「名前?」
「だから、っ……一人にしないで……」









そう、名前は消え入りそうな声でボクに訴えた。その瞬間ボクは名前の体を思い切り引き寄せ、強く抱きしめていた。

「当たり前でしょう、キミを一人になんて絶対にしない……!」

ボクの幼稚な態度が、こんなにも名前を追い詰めていただなんて──。

名前を好きになってからというもの、ボクは自分の未熟さを何度も思い知らされていた。名前のこととなると、嫉妬も独占欲も思うようにコントロール出来なくなる。何もかも完璧にコントロールしてきた、このボクがだ。
そのうえ募る苛立ちを名前にぶつけて……どうしようもない自分に心底嫌気がさす。

「ごめん……こんなに泣かせて。本当にごめん……」
「違うんです……っ、私が」
「名前は何も悪くないよ」
「でも」

何を言っても言い訳にしかならない。ならばせめて名前の不安を少しでも取り除けるように、自分の想いを素直にぶつけるべきだ。そう思ったボクは名前の顎を掴み、顔をこちらへと向けさせた。

「好きだよ。名前」
「っ……んっ」

好きだという気持ちを伝えたくて、名前の唇を強く塞ぐ。何度も何度も角度を変え、名前が息をする暇もないほどキスを落とし続けた。

「ん……っ、ぁ」
「好きだ……っ」
「んん……っ、待って、くるし……」
「ダメ。まだ、もっと」

強引に口を開けさせ舌を捩じ込むと、名前の体が小さく震えた。小さな舌を捕まえて絡め口内を弄ると、抱きしめていた体から徐々に力が抜けていくのが分かった。

「んっ……っ」

口内から水音がし始め、名前の口元から絡み合った唾液が滴り落ちていく。胸元を押し返されようともキスをし続けていると、次第に名前の体が傾き始めボクが覆い被さる形となった
「はぁ……っ……」

唇を解放すると、名前は肩で呼吸を繰り返していた。顔を覗き込めば、涙はまだ静かに流れているようだった。
もう一度そっと涙を拭い、名前の体を起こす。そしてそのままボクは名前の体を持ち上げ、寝室へと歩き出した。

「天くん、あの……」
「本当にごめん。全部ボクのせいだ」

そして辿り着いたベッドの上に、名前を優しく下ろした。

「名前がボクに対して不安がっていたのを知っていながら、冷たい態度を取ったりしたから」

名前がそっとボクの顔に手を伸ばして触れる。きっとボクの音を聞いているのだろう。いつの間にか涙が止まった瞳が、こちらをじっと見つめている。

「落ち着いた?」
「はい……すみません。あんな子供みたいに泣き喚いて……」
「だから名前は謝らないで」
「でも天くんを困らせたかったわけじゃないのに……」
「それなら今ボクからは困った音が聞こえてるんだ?」
「いえ……それは違います」
「名前はボクが怒ってるって思ってたみたいだけど、そもそもあれは怒ってたわけじゃなくて……キミと千さんに嫉妬してただけだから」
「私と、千さんに……?」
「ちょっと待って。今はボクの音を聞かないで。絶対情けない音をしてるから」
「あ、はい……っ、ごめんなさい」

そんなことを言ったところで、名前には全て筒抜けなのだろう。

「……がっかりした?ボクがこんなに子供じみてて」
「がっかりなんて、そんなこと絶対ないです……!だってそれは天くんが私のことを好いて下さってるからこそであって……それに、ちゃんと聞こえてます。ここに来てくれた時からずっと……」

それはきっとボクが名前を好きだという音だろう。
何があろうと常に完璧でいることがボクの常識だ。でも名前の前ではその常識が、いとも簡単に覆される。いつだってその聴覚が本当のボクを見つけ出してしまうから。だからこそ九条天がありのままでいられるのは、名前の側にいる時だけなんだ。

「ボクは誰よりもキミのことが好きだよ」

例え全てがキミには聞こえてしまうとしても、それでもこうして言葉にして伝えたい。触れ合って確かめたい。キミを二度とこんな風に泣かせないために。

「それをボクに証明させて」

再び名前の唇にキスを落とす。今度は先ほどとは違う、優しく丁寧に触れるだけのキス。その一つ一つに好きだという気持ちを乗せて繰り返す。

「天、くん……っ」
「……ごめん。苦しかった?」
「ううん、そうじゃなくて……私も、天くんが好きです……」
「名前……」
「だから、もっと……」

そう言って今度は名前がボクの唇を奪ってみせた。そのうえあろうことか、割られた口内に小さな舌が侵入してくる。ドクンと脈打つ体の中で、何かが大きく弾けそうだ。こんなことをされて冷静でいられるわけがない。

「名前……っ、待っ……」
「嫌でした……?」
「そうじゃなくて、今日は優しく抱いてあげたいから煽らないで……じゃないとまたキミを泣かせちゃうかもしれないから」

不安にさせた分、それを埋めるように優しく抱いてあげたい。そう思っていたのに。

「優しくなんてしなくていいです……私は天くんのそのままが欲しいんです」
「それ、本気で言ってる?」
「天くん、好きです。大好きです。ずっと側にいて下さい。私を離さないで……」

そんな風に言われて理性を保てるわけがない。今すぐ名前のナカに沈みたい。自身を激しく打ちつけて愛情を刻みたい。押さえつけていた欲望がボクの中から一気に湧き上がるのを感じた。

指を滑り込ませ、名前の秘部に深く侵入させる。ビクンと大きく反応した体は、いつも以上に水音をさせボクの指をきつく締め付けあげた。
名前が心も体もボクを迎え入れようとしてくれていることが、こんなにも嬉しいだなんて。

「名前、ごめん……もう我慢出来ない」

本当はもっとゆっくり愛してあげたいのに。

「今すぐキミのナカに入りたい」

そう言ってキスを落としながら、ボクは身勝手に自身を貫いてみせた。

「あ……っ、ん──っ」
「っ、名前。ごめん、こんな急に」
「だいじょぶ、です……っ、あ」
「その分ちゃんと気持ち良くしてあげる」
「ああっ!そこ、は……っ」
「うん、名前の好きなところ」
「やぁ、っ……んっ」
「それとここ、でしょう」
「あぁ──っ」

名前のナカが大きくうねりながら、ボクをきつく締め付ける。漏れる矯声も潤んだ瞳も、ボクの腕を強く掴む小さな手も、その全てがボクを掻き立てていく。

「ん……っ、なに……?」
「凄く可愛いなって思って」
「いきなり、何を……」
「ああ、ほら。目を逸らさないでこっちを見て」
「だって、天くんが……っ」
「今だけでいい。ボクを、ボクだけを見て」

自分の中にこんなにも欲が渦巻いているだなんて、名前に出逢うまで気づかなかった。ボクがこんなにも取り乱されるなんて、そんなこと出来るのは後にも先にも名前だけだろう。

たくさんの人に愛されるキミを、今この瞬間だけでいいから独り占めしたい。

「天くん。それは私のセリフですよ」
「え?」
「今この瞬間だけでいいから、天くんを独り占めさせて下さい……」

そんな独占欲をキミも同じように抱いているだなんて。

「名前、好きだよ」
「あっ、んんっ」
「好きだ」
「あぁ……や、ぁ──」
「だからボクの側にいて」
「はい、っ……」
「絶対に離れないで」
「あ、もぅ……っ、ああ──っ!」

瞬間、名前の胎内がビクンと大きく震えた。全身に力が入り名前がギュッと目を瞑る。そしてボクをキュウキュウと圧迫し続けるその様が、よりボクを高揚させた。

「もうイッちゃったんだ。可愛い」
「んっ……あ、まだ」
「うん、まだだよ。もう少しだけ」
「天くん……っ」
「二回目からはちゃんと優しくする」
「それって……っあ!」

達したばかりの名前のナカで、再び律動を加速させる。一度で終わるつもりなんて毛頭ない。ボクが名前をどれだけ愛しいと思ってるか証明するために、何度だって抱いてあげる。

キミが二度と孤独を感じて涙を流すことがないように──何度も。







深夜、暗い寝室で静かにシャツに腕を通す。一通り身支度を終えその場から離れようとすると、背中からキュッと微かに引っ張られる感覚があった。
振り返れば、ベッドから体を起こそうとする名前と目が合った。

「起こしちゃったかな」
「いえ……ウトウトしていただけで、まだ眠ってはいなかったので……」

背中を掴んでいた名前の小さな手を、キュッと握り返す。

「……TRIGGERの九条天の音になりましたね」

名前がふわりと笑いながら言った。自分では意識したつもりはなかったけれど、着衣した瞬間からどこかでスイッチが入っていたのかもしれない。

「……もしかしてそれって、名前に寂しい思いをさせてたりするのかな」

今は名前だけのボクだったけれど、この部屋を出ればすぐさまボクはTRIGGERの九条天としての人生に戻ることになる。ボクがアイドルである以上、普通の恋は出来ない。そのせいでまたこうして不安にさせることも多々あるだろうし、重荷になる時がきたっておかしくはないだろう。
そう思って問いかけた。

「私のせいで余計な心配をかけさせてしまいましたね……でももう大丈夫です。十分すぎるほど天くんのお気持ちは伝わりましたから」
「本当に?」
「本当です。それに私は嫌われてしまったんじゃないかと思って不安が強くなってしまっただけで、アイドルとしての天くんに対しては不安や寂しいと思ったことはありません」

名前が柔らかな笑顔を浮かべる。

「普通の女の子なら寂しいって思うのかもしれませんが、でも私は寂しいと思う前に、TRIGGERの音楽も九条天の歌声もずっと聴いていたいって思ってしまうんですよ。天くんと同じです。ただの苗字名前である前に、私は音楽家の昴なんですね。きっと」
「……名前」
「だから大丈夫です。寂しいなんて思うはずがありません。二人でいる時の天くんも、ファンと音楽を大事にする天くんもどちらも私の好きな天くんですから……」

改めてボクはキミに出逢えて良かったと、心からそう思う。


『……凄く綺麗』


あの雨の日に、ボクの音に触れてくれて本当に感謝している。そのうえ互いに惹かれ合い、互いに大好きな音楽の世界で共に過ごすことが出来ているだなんて。こんな奇跡もう二度と巡り合えないだろう。

「ありがとう、名前。ボクもキミとキミの音楽が好きだよ。誰よりも」

だからずっと聴かせて。キミの隣でずっと──。

そうしてボクは幸せそうな顔をする名前に、また一つキスを落としてみせた。



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