第30話 星空の不協和音 楽しかったパーティーが終わり、また一人、昴として作業部屋へとこもる日常に戻ってきた。 いつもなら孤独な作業ではあるのだけれど今回は違う。Re:valeとの共同制作という、特別な仕事に取り掛かっていたからだ。誰よりも尊敬するRe:valeとの仕事となれば、いつも以上に制作への意欲が湧いてくるのは当たり前のことだった。 だからこそそんな毎日が楽しいはずなのに。 「どうしちゃったんだろう……」 当の私は携帯画面を見つめながら、数え切れないほどの溜息をついていた。 表示されているのは、溜息の原因である九条天の名前と彼の電話番号だ──。 天くんの様子がおかしいと思ったのは、パーティーの終わり頃からだった。そのあたりから天くんは私と一切目も合わせてくれず、その表情はどこか怒っているようで、近づけば本当に不機嫌な音が天くんから聞こえてきてしまった。 きっと私が勝手に陸くんとの仲を取り持つようなことをしたからだろう。それを怒っているんだ。 その時はそう思っていた。 『先日はすみませんでした……陸くんのことで勝手なことをしてしまって……』 『どうして謝るの?ボクは久々に陸と話せて楽しかったけど』 『そう、ですか……それは良かったです』 ならどうしてまだ不機嫌な声色をしているの? 『用件はそれだけ?』 『あ、お忙しいところすみません……!』 『じゃあ稽古に戻るから』 余韻もなくブツリと切られてしまった。そんな電話もあんなに冷たい態度をとられたのも、初めてのことだったと思う。 それは思った以上に胸が苦しくて、そうなったら話すこと自体が怖くなってしまって……それ以来天くんとは電話もラビチャもしなくなってしまった。 「私、何かしちゃったのかな……」 もしかして、嫌われちゃった……? 口に出すことすら怖くて、その言葉はグッと心の奥底に呑み込んだ。 ──トゥルルルル。 そんな矢先、握りしめていた携帯が突如鳴り出し、私の体がビクリと大きく反応する。画面に現れた名前は天くんではなく千さんだった。 深呼吸を一つする。いつもの私に戻らなきゃ。悟られないように、心配かけないように。千さんは鋭いところがあるから。 「お疲れ様です、千さん」 『お疲れ様。名前、今どこにいる?』 「今ですか?自宅ですよ」 『急で悪いんだけど、今からあおりんに頼んで僕の楽屋まで来てほしいんだ。曲について早急にちょっと決めておきたいことがあって』 昴もRe:valeも互いに多忙な身だ。それでも私の場合はひたすら作業をしているだけだからまだしも、Re:valeは違う。楽曲制作や音楽活動だけじゃなく、ドラマや映画、バラエティ番組にラジオと多岐にわたって活動しなければならない。 共同制作の時間が設けられてるとはいえ、それ以外にRe:valeと細かなスケジュールを合わせることは、極めて困難なことではあった。 『分かりました。では今すぐ向かいますね』 『ありがとう助かるよ。局の前でおかりんがスタンバイしてくれてるから案内してもらって。時間はたっぷりあるから、譜面でも何でも制作に携わるものなら何でも持ってきていいよ』 『名前ー!』 「この声は、百さんですか?」 『そうだよ!とにかく気をつけておいでね!たくさんピザを用意して待ってるから』 「ふふ。ありがとうございます。冷めないうちに急いで行きますね」 変わらない大好きなRe:valeの音色だ。千さんの優しい声は安心感を、百さんの明るい声は元気をくれる。 そうだ昔も落ち込んだ時は、こうしていつも二人に元気づけてもらっていたっけ……。懐かしくて嬉しくて。でもなぜだか今は泣きたくなるような気持ちだった。 ◇ 急遽、青山さんの車で向かったテレビ局の前では、千さんの言ったとおり岡崎さんが私達のことを待っていてくれた。 「ここから先は僕が案内しますね」 「お忙しいところすみません。よろしくお願いします」 「いえいえ。今日はミュージックジュエリーの5時間生放送なんですけど、昼のリハーサルから始まって夜の本番終了までとなると、とにかく待機時間が長いんですよ」 なるほど。それで千さんはたっぷり時間があるって言ってたんだ。 「それにしても凄い人の数ですね」 「新人から大御所までそうそうたるアーティストが出演しますからね。毎年恒例とはいえプロデューサーを始め、スタッフの皆さんも力が入るんです」 「そうなんですね。これだけ大規模な収録は初めてなので、少しでいいから見学してみたい気もします」 「ダメだよ名前ちゃん。今回の楽曲はあまり制作期間が設けられてないんだから。特に千さんとの時間は一秒足りとも無駄には出来ないよ」 「そんなに追い詰めなくても、ちゃんと分かってますよー青山さん」 「名前さんの気持ちはよく分かりますが、僕としてもそうして頂けると大変助かります」 岡崎さんにまで頭を下げられたら、頑張らないわけにはいかない。もとよりどんな仕事でも手を抜いたことなど一度もないのだけれど、やはり今回のような共同制作は自分一人で作るのとは訳が違っていた。 そんな風に力が入ってしまっている私を、Re:valeの二人は見抜いていたのだろう。電話越しの声がいつも以上に柔らかかったのは、きっとそのせいだと思う。 「千くん、百くん。名前さんがいらっしゃいましたよ」 「名前ー!待ってたよ!」 岡崎さんがRe:valeの楽屋を開けると、百さんが一目散に私に駆け寄り抱きついてみせた。 「さっきちょうどピザが届いたところだよ。早く一緒に食べよう。オレもお腹凄く減ったし」 「モモ、食べるのは後。まだ何の作業もしてないじゃない」 「えー!そしたらせっかくのピザが冷めちゃうよ!腹が減っては戦はできぬって言うし!」 「制作は戦じゃないんだけど」 「でもたまにユキは死にそうになりながら曲作ってる時あるよ?」 「まぁ……そうね」 「ほら、やっぱり戦じゃん」 いつもと変わらない二人のやりとりに、思わず笑みがこぼれてしまった。 「百さんの言うとおりですね。お腹が空いていたら良い曲も作れないですよね」 「よし!じゃあおかりんとあおりんも、一緒に食べようよ」 「いえいえ、僕は……」 「遠慮しないでよあおりん。僕たち一緒に飲み明かした仲でしょ?」 「そうそう。朝までね」 「あおりんったら全然寝かせてくれなかったもんね」 「忘れられない熱い夜だったよね」 「え……!?そんな、僕は……っ!名前ちゃん、誤解しないでね!そんなことは断じてないから!」 Re:valeのからかい癖が青山さんまで飛び火している。今度は私も声を出して笑ってしまった。 ここに来て良かった。落ち込んでいた気持ちが晴れていく。 いつだってそうだ。Re:valeの二人は出逢った日からずっと兄のような存在で……だからあの日の千さんだって、きっといつもと変わらず家族のように接してくれただけで深い意味は──。 「……てる?名前。名前?」 「あ、はい……って、わぁ!」 いつの間にか百さんが顔を覗きこんでいて、思わず後ずさりしてしまった。 「何その反応……!モモちゃん傷つくじゃん……!」 「すみません……っ、そういうんじゃなくて」 「じゃあどういうの?」 気付けば百さんの顔が近くにあって、その端正な顔立ちに驚いてしまったのだ。今の今まで忘れていた。百さんも千さんも兎にも角にももの凄く格好良くて、究極のイケメンだということを。 当たり前だ。いくら家族のように側にいてくれるとはいえ、二人はトップアイドル──それも絶対王者のRe:valeなのだから。 「百さんが格好良すぎるからですよ。そんな風に顔を近づけられたら誰だって驚きます」 「うわ、凄い殺し文句」 素直な気持ちを伝えたら、今度は私が千さんにからかわれた。 「珍しい。モモが照れてる」 「だってオレ、名前に格好良いって言われるの初めてじゃない!?」 「え、いつもお会いするたび言ってませんか?」 「それはRe:valeに向けて言うやつでしょ?今のは何かそういうんじゃなかったじゃん!」 「モモの言いたいことは分かるよ。反抗期の妹が急にデレた時みたいなやつでしょ」 「そう!まさしくそれ!」 「私、お二人に反抗したことなんてありませんよ」 「ものの例えだよ。それよりモモばかりズルいな。僕は?僕は格好良くないの?」 「ユキはいつだってイケメンだよ!」 「ですよねー」 「いや、そうなんだけど、そういうのじゃなくてさ」 そうして皆でピザを食べて、待機時間はRe:valeと共に楽曲制作に打ち込んだ。 三人の熱い気持ちが共鳴して楽しい時間が続くことも、私と千さんが互い譲れなくて意固地になってしまうのも、それを百さんが間に入って宥めるのも、昴として活動しだした頃と何も変わらない。 お互いがどれだけ有名になろうとも、変わることなく兄妹のようにいようと、百さんが言ってくれたあの日のまま……。 ◇ 楽曲制作の目処がついたところで、Re:valeの衣装やヘアメイクの最終チェックが始まる。ここから先は音楽を作るだけの私には踏み入れられない世界だ。ファンの待つ先へ向かう二人の背中が、とても大きく眩しく感じる瞬間でもある。 「じゃあ僕達は行ってくるよ」 「はい。お仕事頑張って下さいね」 「名前は?本番見ていくの?」 「出来れば見て行きたいなとは思ってるんですけど……」 「じゃあオレ達のステージを存分に楽しんでってよ!」 「ただし音に酔うようだったら無茶しちゃダメだよ」 「はい、いつもお気遣いありがとうございます。では遠くから応援してますね」 ガチャリと楽屋の扉が開けられる。二人の後に続いて私も楽屋を後にした。その時だった。 「あ、千さん百さん!」 聞き慣れた声が聞こえて思わず心臓が跳ね上がった。いつもなら躊躇わずに振り向けるのに、今はそうすることが出来ない。 「龍じゃん!お疲れ様!」 「お疲れ様です、百さん」 「先日のパーティーではありがとうございました」 「楽の方こそ、あの日は色々手伝ってくれてありがとね。天は?元気してた?」 「はい。おかげさまで」 世界で一番大好きな声がする。ずっとこうして聞きたかったはずなのに、どうしてこんなにも苦しいのだろう。 「あれ、苗字も来てたのか?」 「今の今まで僕達の楽屋で曲を作ってたんだ」 「それってもしかして共同で作るって言ってたやつですか?」 「そう。僕が出演するドラマ主題歌のやつ」 苦しくて苦しくて。こんな思いをしたのは初めてで。どうしていいのか分からなくて。 普段の私ならきっとこんなことしなかったと思う。でもいざ天くんを目の前にしたら、理性よりも先に感情が動いてしまっていた。 「天くん……私、あの……っ!」 気が付けば今にも泣きそうな震えた声で、天くんの名前を呼んでいた。 瞬間、それがいけないことだったということが分かる。Re:vale、TRIGGERの全員が一斉にこちらを振り向き、同じ音をぶつけてきたからだ。それは私を危惧する不穏な音色で、私は一気に不安感に襲われてしまった。 「ごめんなさい……私……っ」 一瞬にして頭が真っ白になっていく。絶対にやってはいけないことをやってしまった。 ここはテレビ局で今日はたくさんのアーティストやスタッフがいて、怪しまれるような行動は一切してはならない。いや、そんなことどこにいようと誰がいようと当たり前のことだ。天くんがTRIGGERである以上、私が昴である以上、暗黙のルールだったはずだ。そして最大の理由は私達が好き合っているからこそ、どんな感情の機微も絶対に隠し通さなければいけないことだった。 それなのに私はその全てを忘れて、TRIGGERの九条天ではなく、ただの九条天に対して名前を呼んだ──。 「天。10分くらいならまだ大丈夫だから」 「俺達は先に行ってる」 「百、僕達も行こうか」 「分かった。名前、また後でね」 皆が気を利かせてくれたことは、すぐに理解出来た。それと同時に私の手が天くんによって強く引っ張られる。声をかけることもままならないまま、そのままの勢いで引きずり込まれたのは、TRIGGERの楽屋だった。 バタンと強く扉が締まったと思ったら、二人きりの楽屋に静寂が広がった。流れる沈黙に心が焦る。 何か……何か言わなきゃ。 ちゃんと謝って、話を──。 そう思った矢先のことだった。 「キミはここがどこか分かってて、あんな風にボクの名前を呼んだの?」 初めて天くんの声に対して耳を塞ぎたいと思ってしまった。その声はあまりにも鋭く身がすくむような音をしていて、大好きな綺麗な音色など全く存在しないものだったからだ。 「それで?」 「え……?」 「呼び止めたからには用があるんでしょう?」 天くんが怒っている。今もあの日から変わらない不機嫌な音色がしている。一体私はどうすればいいのだろう。どうして私達はこうなってしまったのだろう。 “聞こえないなら直接聞けばいい” 千さんは音が聞こえなくなった私にそう言ってくれた。でも今はそれとは違う。こんなにもうるさいくらいに音が聞こえてるのに、目の前の天くんの気持ちが何も分からない。 「私……何か気に障るようなことをしましたか?もし私が何かしてしまったのなら言って下さい。嫌な思いをさせてしまったのなら謝りますし、直してほしいことがあるならちゃんと直します……っ」 「……別にキミは何もしてないし、謝ってもらうようなことも何もないよ」 「嘘……じゃあどうして……」 泣くな。 「どうしてそんな音をさせてるんですか……?」 泣いちゃダメ。 「もう……私のことは、嫌いになっちゃいましたか……?」 天くんの旋律が乱れていく。ああ、こんな音をさせたいわけじゃないのに。 「そういう話ならボクは行くよ」 「天くん……っ!」 「そんな話をするためにボクはここにいるんじゃない。ここには仕事をしに来ているんだ」 「私だって……ここには仕事をしに来たんです……!」 「そう。ならRe:valeの楽屋から出てこないで、ずっと曲を作っていればいい」 「そんな言い方……」 「もうこんな風にボクを呼び止めないで」 「分かってます……そんなの、ちゃんと私だって……」 全部分かってる。好きになってもらえたことも側にいさせてもらえたことも、全部奇跡だって分かってる。元々愛されるはずのない私だったんだから、ここで駄々をこねたってないものねだりなんだって痛いほど理解している。 分かっているから、これ以上こんなに苦しい不協和音を聞かせないで。 これ以上私から奪わないで──。 「もう……聞きたくない」 「名前……?」 「もういいです……もう天くんには二度と話しかけません……!」 思ってもいないことをぶつけて、私はTRIGGERの楽屋から勢いよく飛び出した。走りながらずっと思い続けていたことがある。 もし本当に私を嫌いになってしまったとしても、もう私達の関係が元に戻ることができないとしても、天くんの綺麗な音色だけはどうか聞かせてほしい。それは私が世界で一番大好きな音色で、例え側にいられなくとも私達を繋いでくれるものだから。 だから神様、どうかその音色だけは私から奪わないで下さい──。 そう祈るような気持ちで願い続けながら、涙を流した。 [ back ] |