第25話 君を全力で守るために とても満ち足りた気分で目覚めた朝だった。 ゆっくりと瞼を開け隣に視線を向ければ、いるべきはずの人物の姿が見えない。 辺りを見渡しベッドから起き上がる。すると昨夜まで床に散らばったままだった衣類が、きちんと畳まれてサイドテーブルの上に置かれているのを見つけた。 やはり彼女は先に起きている。 衣類に袖を通しリビングへ向かうも、そこにも名前の姿はなかった。ならば考えられる場所は一つ。 防音室の重い扉を開けると、予想通りグランドピアノの前に座る名前を見つけた。 同時に僕の耳にとても柔らかく心地良いメロディーが聴こえ始める。それは驚くほどに美しく繊細な音であり、名前らしいようで名前らしくない曲だった。 「あ、天くん。おはようございます」 急に音が止んだと思ったら、こちらに気がついた名前が笑顔を向けてくれていた。 「おはよう。ねぇ、今の曲は?」 「今の、ですか?」 そう言って名前がもう一度ポロンと指を走らせる。 「初めて聞いた」 「これは昨日浮かんだメロディーを形にしたものです」 “メロディーが、浮かんで……っ” そういえば行為の最中にそんなことを言っていたなと思い出す。 「あの後夢の中でもずっと音が鳴ってて、そうなると一度起きて形にするまで眠れないんですよ」 「そう。それで何時からここにいるの?」 「朝の5時くらい……ですかね」 昨日二人で眠りについた時には、すでに朝方3時を回っていたはずだ。ということは名前は2時間寝たか寝ないかという計算になる。 「え、あれ……怒ってます……?」 僕は一切表情に出したつもりはないから、僕の音で感情を察したのだろう。 「体は?」 「体とは?」 「体は大丈夫なのって聞いてるんだけど」 「あ、でも作業し始めたら徹夜することもよくあるので、そのへんは全然慣れっこ……」 「睡眠時間だけじゃない。昨日は深夜にあれだけ雨にも打たれた。そのうえ初めてだったでしょう──」 初めてという言葉に反応した名前が、目を見開いて一気に顔を真っ赤に染める。 「えっと、それは……はい。大丈夫です」 「本当に?」 「はい。その……天くんがとても優しくして下さったので……」 何、そのいちいち可愛い反応。 少し俯いて照れくさそうな名前に、理性が音を立てて崩れそうになる。 「もう音楽を作ることなんて出来ないって思ってたのに、またこうしてメロディーが湧くようになるなんて……天くんには本当に感謝しています」 「それはだからボクが──」 「だから多少の無理をしたって、今はとにかく幸せなので大丈夫です」 ボクの気も知らないで名前はふわりと笑ってみせた。 彼女がもう二度とあんな風に苦しみ涙を流すことがないように、この笑顔をいつまでも側で見ていられるように、ボクはボクに出来る全てで彼女を守りたい。 こんなにも誰かを好きになったのは初めてのことだった。 「ねぇ一つだけ聞きたいんだけど」 それから誰かに対してこんなに独占欲を感じるのも初めてだ。 「あの時メロディーが浮かんだって言ってたのが今の曲なら、つまりはボクに抱かれた時の曲ってこと?」 「抱かれ……っ、いえあのそういう訳じゃ……!別にそのやらしい曲とかじゃないですよ!?」 「うん。物凄く綺麗な曲だった」 「本当ですか……?」 「リリースしたら確実に売れるだろうね」 問題はそこだ。 もしこの曲を時田さんに聞かせたら、確実に世に出すために動くだろう。ということはおのずとこの曲を手にするアーティストが出てくるということだ。 そう考えたらボクの独占欲は溢れる一方だった。 「問題は今の曲をリリースすることになったとしたら、この曲を誰が歌うのかってこと」 「そうですね、天くんはどなたが──」 言いかけたところで名前の顎を掴み、強制的に視線を交わらせる。 「冗談でしょう?誰にも歌わせるつもりなんかないんだけど」 「天くん……っ?」 「名前の初めてはボクだけのものだよ」 そのまま唇を重ね名前の口を塞ぐ。口内に舌を這わせ深く攻め立てたのは、昨夜の行為を思い出させたかったからだ。息苦しさを訴えてくる名前を無視して、何度も角度を変えては己の意のままキスを繰り返した。 止まらないボクをどうやって止めるのかと思えば。 「っ、あの、私ではなく……朝ご飯を食べませんか……っ!?」 あまりに可愛らしい台詞に思わずクスリと笑ってしまう。そしてその可愛さに免じて、ここらへんで止めておくことにした。 「そうだね。一緒に作ろうか」 二人で協力して作った朝ご飯が、向かい合わせに座ったダイニングテーブルに並べられていく。とはいえボクが作ったのは卵焼きくらいなもので、後は全て名前が作ったものだ。 和食で統一された美味しそうな朝ご飯なのだけれど、ボクには腑に落ちないことがあった。 「この並びでいちごミルク……?」 「あ、天くんもいちごミルクの方が良かったですか?」 ゴクゴクと美味しそうにピンク色の液体を流し込みながら彼女は言った。さすが特注のいちごミルク専用自動販売機を発注させただけのことはある。 ミネラルウォーターで大丈夫と断ると、そうですかと言いながら名前は二杯目のいちごミルクをコップに注いだ。 「私の中ではピザといちごミルクの組み合わせが最強なんです」 「他に好きな食べ物はあるの?」 「あとはドーナツとかも好きです」 「へぇ、ボクと同じだね」 「天くんもドーナツがお好きなんですか?それなら近所にオススメのドーナツ屋さんがありまして、今度いらっしゃった時に……」 そこまで言いかけて名前は口を閉ざしてしまった。どうしたのかなんて聞く必要はない。ぎこちない作り笑いを浮かべて俯く彼女の心情を、何となく推理出来たからだ。 きっと彼女はこう思っているに違いない。 「最初で最後の夜、とか思っているんでしょう?」 「え?」 「昨夜のキミから凄くそんな感じがした」 そうじゃないとキミの方から一線を越えたいだなんて言うはずがないとも思った。リークされていることに関してはまだちゃんと解決した訳じゃないし、時田さん達から許しを得た訳でもない。 問題をクリアにしない限り、名前はボクとこうして会うことに不安しか感じないだろう。 「ボクはキミを諦めるつもりは毛頭ないし、キミを守るためなら何だってする」 「ダメですそんなの!」 「じゃあキミがしたことは?」 再び名前が黙り込んでしまった。 けれど今なら何も知らずに守られていたボクの気持ちが容易に想像出来るはずだ。 「もう一人で無茶なことはしないで」 「……それは天くんも同じです」 「名前がボクから離れないと誓ってくれるなら」 自分でも卑怯な言い方をしていると思う。でもそうでもしないと、名前はまた一人で解決しようと無茶をする気がしたからだ。 「……天くんの側にいる覚悟」 そうポツリと呟いた名前が、深呼吸を一つして再びボクの目をじっと見つめる。そして少しの沈黙の後、彼女はゆっくりと自分の思いの丈を伝えてくれた。 「私、天くんのことが好きです。この気持ちにはもう嘘をつきたくありません」 「もちろんボクも同じ気持ちだよ」 「でもだからと言ってそれは恋人になりたいとか、今よりもっともっと会いたいとか、そういったことではありません」 「それはどういう……」 「TRIGGERの九条天の恋人はファンの皆さんだということは、私も重々承知しています」 名前のこの真っ直ぐな目は、レコーディングの時や音楽の話をした時に見たことがある目だ。 「だから天くんは今まで通りお仕事を一番に優先して下さい。天くんに好きだと言って頂けただけで、私には十分すぎるくらいなので」 「名前……」 「例え離れていても会えなくても私の想いは変わりません……それにいつでも音楽が私達を繋いでくれますから」 名前のこの目がボクは好きだ。誰よりも強い意志が宿った目が。 「あ、でもこうして会える時があるのなら、それはもちろんもの凄く嬉しいですけどね」 ボクも名前もこの世界にいる以上、普通の恋は出来ないだろう。それを全て理解したうえで、ボクの側にいる覚悟をしてくれたのだ。 こんな恋二度と巡り会えない。そう強く思った。 「今後のこと、時田さんや事務所にはボクの方からちゃんと話すから」 もう二度と離れなくてすむように。 「それから名前の言う通りボクがTRIGGERというアイドルグループの一員で、そして名前が音楽家の昴である以上、普通の恋愛を望めないことは事実だと思う」 「はい」 「ただ一つだけ覚えておいて」 「何をですか……?」 「ボクがTRIGGERの九条天ではなく、ただの九条天に戻るその時だけは、一番にキミのことを想うから」 そう告げると名前の目からぽたぽたと涙が零れ落ちた。 「これは……違うんです……っ、そんな風に言ってもらえるだなんて思ってなかったから……」 「ねぇ名前」 「……はい」 「ボクに約束させて。ボクの全てをかけてキミを大切にすると」 その約束を胸にボク達は時田さんに連絡を取り、名前が落ち着いたことを伝えたうえで、話し合いをしに行くこととなった。 ◇ 事務所で待ってる。 時田さんに電話をするとその一言だけを告げられた。指示された通りマンションで待機していると、名前の専属マネージャーである青山さんが迎えに来た。そのまま車へ乗り込み事務所へと向かう。話し合いは時田さんと青山さん、そしてボク達の四人で行うとのことだった。 扉の前に立つと何とも言えない緊張感に包まれ、ボクと名前は揃って大きく深呼吸した。 「失礼します」 そして互いに拳をぎゅっと強く握り、時田さんが待つ部屋へと足を踏み入れた。 「おう」 張りつめた空気の中、最初に口を開いたのは時田さんの方だった。ぶっきらぼうに聞こえる一言だったけど、名前の顔を見ると先ほどよりも強張りが無くなっている気がする。 もしかしたら彼女の中で予想していた心の音が、時田さんからはしなかったのかもしれない。 「まぁひとまず座れ」 その指示には素直に従うことは出来なかった。 まず最初に迷惑をかけた分は、ちゃんと謝罪をしようと二人で決めていたからだ。 「あのその前に……勝手にいなくなったりしてごめんなさい」 「時田さん、彼女は何も悪くありません。ボクが彼女を好きになったのが全ての原因です。処罰ならボクが全て受けます」 頭を下げると、その上から時田さんの溜息が聞こえた。 「二人とも、頭を上げろ」 相応の処罰を受ける覚悟はしていた。グッと歯を食いしばり時田さんを見つめる。 けれど時田さんの口から出てきた言葉は、ボクの予想を大きく反したものだった。 「お前らが謝る必要なんてどこにもねぇよ。今回のことはお前らを守りきれなかった、俺達大人の責任だ」 「それは違います……!」 「名前、天。悪かった」 あの時田さんが頭を下げている。隣にいる青山さんでさえ驚いている様子から、これは時田さんの独断での行為なのだろう。 頭を上げて下さいと声をかけると、時田さんの目が今度は名前に向けられる。 「名前、音は……どうなった?」 「……天くんのおかげでまた聞こえるようになりました」 「そうか。良かったな」 「あの……っ、怒ってないんですか?」 「おい何だ、聴覚は戻ったんじゃなかったのか?お前なら俺が怒ってるかどうかすぐ分かるはずだろ?」 時田さんが笑顔を見せてくれている。それだけで大きな安心感に包まれる。 「お前らを引き離すような真似はもうしねぇから安心しろ」 「え……?」 「まずお前ら二人のことだが、これ以上は一切他言無用だからな。あと今後のことを考えて、八乙女事務所には俺から話をつけておいた」 これで八乙女社長、姉鷺マネージャー、そして楽と龍が名前が昴であることと、ボクとの関係性についてを知ることとなった。 「それから名前、お前近いうちに引っ越せ」 「え、どこへですか?」 「後で僕から新居の資料を渡すね。ちなみにもう手続き済みだから、すぐにでも引っ越し可能だよ。セキュリティレベルも更に上がったし、近隣も含めて今よりもっと良いところだから安心して、名前ちゃん」 一夜の間にもの凄く色んなことが動いていたことが分かる。そして次々と出てくる時田さんの早急な対策と行動力が、彼が業界一の敏腕プロデューサーであることをより強く物語っていた。 「お前らの逢瀬はそこでしろ」 「時田さん、でもボク達は──」 「天、お前が誰よりも完璧なアイドルとして活動していたことはよく分かってる。名前もそうだ。お前ら二人ともその若さで誰よりも働いて、そして誰よりもこの音楽業界に貢献してきた」 反対されたとしても何度でも頭を下げて処罰も受けて、いつか名前との関係を認めてもらえたらと思っていた。 「名前が好きになった奴が、TRIGGERの九条天で良かったと素直にそう思う」 それなのにこんな風に認めてもらえていただなんて。 隣にいる名前からすすり泣く声が聞こえる。それは悲し涙なんかじゃなく、紛れもない嬉し涙だ。ボクには彼女の気持ちがよく分かる。 「まぁお前らが離れたら音楽が生まれねぇって言うんだからしょうがねぇな。名前には昴としてまだまだ稼いでもらわねぇと困るからよ」 「っ……時田さん」 「で、何か湧いたか?」 「……湧いたって?」 「曲だよ曲。こういう大きな変化があった時の名前には、とびっきり良い曲が湧いてくるのがお決まりだろ」 その言葉に体がピクリと反応してしまう。今朝方制作していたあの曲が見つかったら、時田さんは絶対にリリースすると言ってきかないだろう。 ……確かにあれはとびっきりの曲だった。 「ちっ、何だまだかよ。じゃあさっさと新しい曲を書いてこい。お前は大事な──」 「ドル箱ですからね……」 時田さんと名前が笑顔で見つめ合う。二人にはボクなんかでは入る余地もないほどの強い絆があることを、改めて知った気がした。 まだ全てが解決した訳じゃない。 けれどもう二度と離れないようにボクは──。 ◇ 名前と天との話し合いから一週間ほど過ぎた頃。俺はとある奴に会うべく車を走らせていた。 『時田さん、準備は整いました』 「おう。もうすぐ着く」 『了解しました。ではこのままK倉庫でお待ちしてます』 都会から外れた場所にあるK倉庫。何に利用するか知るものはごく一部の人間しかいない。暗闇の中、車のヘッドライトだけが光る道を走り続ければ、目的の倉庫は草むらの中から姿を現した。 車を止めシャッターの鍵を開けて中へと入る。 「なぁ!頼むからこれを解いてくれ!何だよお前ら……っ!何なんだよ!」 一歩足を踏み入れれば、一人の男が喚き散らしている声が聞こえる。多数の男達に囲まれて地面に転がっているそいつのところへ、俺はゆっくりと近づいて行った。 「遅かったですね」 「悪い。ご苦労だったな」 「で、こいつの始末はどうします?時田さんが来るまでの間、あまりに五月蝿いんで一発撃っておこうかと考えてたところなんですが」 「まぁそう急くな。ちょっとばかし待ってくれや」 手足を縄で縛られた男の顔を覗けば、あちこちに痣や傷がついているのが見てとれた。それも真新しいものばかりだ。 俺はそいつの髪の毛を思いきり掴み、無理やり顔を上げさせた。 「よぉ。久しぶりだな」 「っ、お前は……確か、名前の……!」 二度と会いたくなかった男が、青ざめた顔で俺を見上げている。 「お前どういうつもりだ!何なんだよこれは……!」 「その台詞、そっくりそのまま返してやるよ。テメェこそどういうつもりだ?」 「何のことだ……っ」 「おいおい。ここまできてとぼけんのかよ」 「がぁ……っ!痛ぇ!」 「本当こんなクソったれが父親だなんて、つくづく名前は可哀想な奴だよ」 こうして顔を合わせるのは三度目になる。こいつの顔を見るたび吐き気がするのもお決まりだ。嫌悪感しか感じないこの男の正体は、全ての元凶である名前の実の父親であった。 「いいのかよ……っ、有名プロデューサーがこんな拉致みてぇなことして……」 名前の父親の足取りを追うために、俺は興信所ではなく裏の世界に住む奴らを利用した。こいつの素性を調べ後をつけ、拘束して拉致をしここまで連れてきた。 芸能界はとてもきらびやかな世界である反面、金と欲に塗れた者達が蠢く汚い世界でもある。巨額な富が動く背景に綺麗事など通用しない。無論名前達は何も知らないし、一生知る必要もない。地獄に落ちるのは汚い大人である俺だけでいい。 「最初に喧嘩を売ってきたのはテメェの方だろ?」 「俺は名前に……っ!」 「馬鹿かテメェは。名前一人で何十億、何百億の金が動くと思ってんだ」 「ぐっ……う」 「クリーンなことだけで成り立ってる訳がねぇだろ。お前が喧嘩を売ってきた世界はそういう世界だよ」 状況を理解したのか、途端に名前の父親が大声を出して暴れ出す。しかしすぐさま囲んでいた屈曲な男達によって押さえ込まれ、身動き一つとれない状況にされていた。 「つい最近九条天がお前に接触しただろ?」 「あ、ああ……」 「あいつ、話し合いの後も名前を守りたいって俺に何度も頭を下げに来て、そのうえ自分一人でお前のことを探してあててよ。あの若さで大した男だよ。なぁ、天は何て言ってた?」 「名前のことは……そっとしておいてほしいと……」 「他には?」 「……それだけだ」 「おい。足をやってくれ」 俺の合図に隣にいた男がすぐさま拳銃で足を貫いてみせた。今までとはまるで違う、凄まじい悲鳴が倉庫内に響き渡る。 「金品の受け渡しの約束もしただろうが……」 「ぐうう……!痛え痛え……っ!」 「あいつはあいつなりに必死に名前を思ってんだよ。それを利用しやがって」 「がはっ……!」 「このままバラして溶かされてぇのか?」 「ご、ごめんなさいごめんなさい……!もう二度と近づきません!誓います!誓いますから……っ!」 もう一度涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった男の顔を持ち上げる。 「名前はもうテメェの娘なんかじゃねぇ。あの日からずっと俺の娘なんだよ」 「はいっ……!はい!」 「これ以上うちの娘に関わるようなら次は殺す」 「はいっ、分かりました……!もう二度と関わりません……!絶対に!」 これで全てが解決したかは分からない。ただ俺にしてやれることはこのくらいのものだ。俺が父親だなんて名前にしてみればとんだ迷惑な話だろう。結局俺もクソったれな父親であることは変わりないのだから。 「さぁ獲物を仕留めるのは次回に持ち越しってことで!皆悪ぃな」 「いえ。報酬金額は変わらないのですから、処理の手間が省けた分こちらは得しましたよ」 「じゃあまた何かあったら頼むわ」 「はい。お嬢様によろしくお伝え下さい」 「何だよ。お前がそんなこと言うなんて薄気味悪いな」 「僕も大好きなんですよ、彼女の曲」 にっこりと笑う男に背を向け、ひらひらと手を振り倉庫を後にする。 「誰かを好きになる、か」 遠い昔の事しか思い返せない。 ただ一つ、人生をかけて惚れ込んだものがあるとすれば、名前の音楽だけがそうと言える。 あいつの曲が聞き続けられるなら俺は何だってする。 そんなクサい台詞を思い浮かべながら、俺は雲にまどろむ月を見上げた。 [ back ] |