第24話 初めての 雨の中、再び想いが通じ合った私達はタクシーへと乗り込んだ。 天くんが携帯を片手に私を見つめる。 「誰に連絡を……?」 「時田さんに」 そのまま携帯を耳に当てる天くんを、今度は私が見つめ返す。 「もしもし時田さん?九条です。はい、その件なんですが、無事見つけました」 電話の向こうで時田さんはどんな反応をしているだろうか。怒っているのか、それとも呆れているのか。はたまたその両方かもしれない。 「とりあえず彼女をマンションまで送ります。はい、それはもちろん……」 不安な気持ちがどんどん広がりギュッと目を瞑る。すると車内に入ってから繋がれたままの手を、天くんがより強く握り返してくれた。 「名前に、ですか?」 急に自分の名前が上がりドキリとしてしまった。咄嗟に顔を上げると天くんは耳から携帯を遠ざけ、どこか心配そうに私を見つめている。 「時田さんが代わってほしいって言ってるけどどうする?出たくなければ責任持ってボクがちゃんと話をするよ」 その言葉に私は大丈夫、とだけ告げて天くんから携帯を受け取った。微かに手が震えている。でも時田さんにはちゃ自分の思いを伝えたい。 「もしもし、時田さん……?」 『……名前か?』 「あの、えっと……心配かけて本当にごめんなさい……」 『お前が謝ることじゃねぇよ。今は無事に帰ってきてくれればそれでいい』 身勝手な行動をこっぴどく怒られると思っていたのに、何故か時田さんはそうはしなかった。電話越しに聞こえるのは安堵に満ちた声だ。 「私、その……」 『名前、お前がしばらく落ち着くまではとにかく天と一緒にいろ』 「え……?」 『八乙女事務所も含めこっちのことは全て俺が話をつけておく』 「っ……でも」 『お前がちゃんと話せる状態になったら連絡をしてこい。事務所から迎えを寄こす。ただしマンションからは出るなよ』 時田さんが何を考えているのか、私にはさっぱり分からなかった。天くんと一緒にいることを全面的に反対されると思っていたのに……。 戸惑う私の顔を天くんが覗いている。これ以上何を話していいか分からなくなってしまった私は、もう一度天くんへと携帯を戻した。 そうして天くんは再び少しの会話をした後、時田さんとの電話を終えた。 「……ボクに名前の側にいてほしいって」 天くんも予想外といった表情をしている。でも互いの手は強く握られたままだ。 私だって天くんとはもう離れたくない。でも天くんがTRIGGERの九条天として、私が昴として活動する以上、それをそのまま口にして良いかは分からなかった。 そうして私達はマンションに着くまでの間、一言も発することなく過ごしたのだった。 ◇ 無事自宅へと送り届けてもらった私は、急いでバスタオルを取りに行った。 「先にシャワーを使って下さい」 「ボクはいいから名前の方こそ先に行っておいで」 「ダメですよ!このままじゃ天くんが風邪を引いてしまいます……っ」 「それは名前だって同じでしょ」 「でも天くんが先に……」 「いいから早く」 強引に腕を引っ張られ浴室へと連れていかれる。説得するための言葉を発する前に、そのまま扉をピシャリと閉められた。多分戻ってもまた同じことの繰り返しな気がする。 そうとなれば一分一秒でも早く上がらないとと、私は急いでシャワーを浴びた。冷えた体が少しずつ温まっていく。 「……どうして時田さんは天くんと二人きりになることを許してくれたんだろう」 もう会えないと思っていたところから一転したのだ。やはり何度考えても時田さんの意図が読み取れない。 「天くんと二人きり……」 改めて言葉にすると余計にドキドキしてしまう。 「馬鹿……っ、今はそういうんじゃないでしょ……!」 自分の顔を両手で叩き必死に冷静さを取り戻そうとする。今は深く考えるな、そう言い聞かせてシャワーを終えた私は天くんの待つリビングへと向かった。 「すみません……お先に頂きました」 「おかえり。体、温まった?」 「はい。天くんも早く体を温めて下さい」 「じゃあそうさせてもらおうかな」 「天くんの服は洗濯して乾燥機にかけておきますね。青山さん用の着替えでよければ、乾くまでそれを着ていて下さい。タオルはここです。シャンプー類はここに。遠慮なく何でも自由に使って下さい。あ、お腹空いていませんか?天くんが上がってくるまでの間に何か軽食でも用意して──」 突如、天くんの手が私の顔に触れた。 冷静になれと言い聞かせていたのも束の間、そんなもの一瞬で崩されてしまいそうになる。 「緊張してる?」 「へ……っ!?どうして、そう」 「名前みたいに音が聞こえなくても大体分かるよ。そもそも名前はそういうの顔に出すぎだし」 天くんの言葉の直後、私の顔が一気に熱を帯び始めた。きっと今は真っ赤に染まっているに違いない。 「ねぇ、どうして緊張してるの?」 「いえ!別に何も!」 「当ててあげようか?」 「な……っ!」 「なんてね。あんまりいじめて嫌われても困るから、このへんにして行って来るよ」 緊張している音など微塵もしない天くんは、何とも余裕な笑みを浮かべて浴室へ去っていった。当の私はその場にへたりこんでしまいそうな勢いだ。 「しっかりしろ……私……っ」 天くんがいなくなったリビングで大きく深呼吸を繰り返す。するとテーブルに置きっぱなしにされたあるものが目に入った。 興信所から届いた書類だ。 瞬間、頭を殴られたような感覚に襲われた。 私は何を浮かれていたのだろう。 まだ父のことだって何一つ解決してはいない。今後TRIGGERや八乙女事務所にだって、もっと迷惑をかけることが出てくるかもしれない。 私が天くんの側にいたいと叫んだところで、普通に考えればそんなこと許されることじゃない。今はこうして互いの気持ち以外には何も干渉のしない時間を過ごしているけれど……。 そうか。何となく時田さんの考えていることが分かった気がする。 きっと“今だけ”二人でいることを許されたんだ。 私の気持ちに整理をつけるため。 今夜が私と天くんの最初で最後の夜──。 「……。名前」 「……っ、きゃああ!」 興信所の書類を握りしめたまま俯く私の視界に、突如天くんの顔が現れる。あまりの驚きに思わず悲鳴に近い声を上げてしまった。 「何度も呼んだんだけど」 「え、あ、ごめんなさい!」 「シャワー、ありがとう」 「あ……はいっ」 いつの間に上がってきたのだろう。全然気が付かなかった。 慌てふためく私の顔を天くんがじっと見つめている。ダメだ。この目に見つめられると全て見透かされてしまう気がする。 「……ボクがいなくなって一人で寂しかったって感じじゃないよね。何か不安になるようなことでもあった?」 「え……?」 「今にも泣きそうな顔してる」 ほら。やっぱりこうして気付かれちゃう。 今瞬きをしたら涙が零れてしまいそう。だからグッと歯を食いしばって不安も全て呑み込んでみせた。 「私……天くんには本当に感謝しています。私を探し出してくれて、こうして失った音楽も取り戻させてくれた」 大丈夫。もう絶対に迷惑かけたりしない。 「天くんの言う通りです。私はもうこの世界から離れられない。でも音楽があるからいつだって繋がっていられる」 「名前……」 「……それが分かったからもう大丈夫です。今度は一人でも乗り越えられます」 自分に言い聞かせるように言った。それでも天くんは私の目を見つめたままだ。 どこか納得していないような、そんな音をさせながら。 「……ボクは大丈夫じゃない」 その言葉の真意を聞こうとする間もなく、天くんの顔が目の前まで近づく。そっと頬に手が触れた瞬間、キスをされるのだと経験の浅い自分でも理解した。 「てん、く……ん……っ」 天くんの唇が重なり名前が上手く呼べない。唇の隙間から酸素を取り込むだけで精一杯だ。 「っ、ぁ……」 それなのにそんなことお構いなしとでもいうように、天くんの舌は口内へと深く侵入してみせた。唾液の絡み合う音がやけに響く。それはまるで聴覚すらも愛撫されているような感覚だった。 「てん、くん……っ、くるし」 僅かな隙間から言葉を零してみるも、後頭部を抑えられより深いキスが落とされる。まるでこの行為に苦しさ以上の快楽があることを、私に刻むようにだ。 そして脳裏を掠めるのはただ一つ。 今日はこの先があるかもしれない。 そう考えると一気に全身に力が入り、カチンコチンに硬直してしまった。もちろんそれに天くんが気付かない訳がない。 天くんは私からそっと唇を離し 「大丈夫、安心して。これ以上名前が嫌がるようなことはしないから」 そう言って優しく微笑んでくれた。 「髪、乾かしてくる」 遠ざかっていく天くんに少しだけホッとした自分がいたのは事実だ。けれど同時に急激な寂しさがこみ上げてきたことも事実だった。 この恋は普通の恋じゃない。いつか終わりを迎えなければいけない時が来るかもしれない。もしかしたら今夜だけかもしれないなら尚の事だ。 それに私は側にいることが当たり前だった人を、突然失ってしまう悲しみを嫌というほど知っている。 飾られた写真立てに映る兄の姿を見て、強く拳を握った。 「ドライヤーありがと……って、名前?」 天くんが困惑してしまうのも無理はない。髪を乾かし終えた天くんにいきなり抱きついたのは私の方だった。 「……嫌、じゃないです」 「え?」 「さっきの、キス、以上のことされても……」 経験の無い私にとってその先に進むにはどうしたら良いのか、これは間違ったやり方なのか。そんなこと全く分からない。抱いている気持ちを精一杯伝えることだけが、今の私に出来る唯一のことだった。 天くんは今どんな表情をしているだろうか。ドキドキしていると、私の体がフワリと宙に浮いた。 「天くん……っ?あの」 「寝室は向こう?」 「はい……、あの……えっと、まずその前に下ろしてもらえませんか……!?」 「やだ。今は一秒だって惜しいから」 「でも……っ」 「誘ったのは名前の方でしょ」 私をお姫様だっこした状態で、天くんは寝室へと足を踏み入れる。そしてそのまま優しく私をベッドの上へと下ろし、すぐさま覆い被さった。まるで逃げることを許さないとでもいうように。 「震えてる」 「ふ、震えてなんかいません」 「ふふ。強情」 「それはその、初めて……なのでもちろん緊張はしてますけど……でもちゃんと覚悟は出来てますから」 ジッと天くんを見つめると、ほんの少しだけ天くんは驚いた表情を見せた気がした。何か間違ったことを言ってしまったのではないかと一気に不安が駆け巡るも、すぐに天くんからその表情は消え今度は笑顔が生まれた。 「ちゃんと大事にするよ。名前の初めて」 それを合図に天くんのキスが降り注ぐ。先ほどのキスよりもより熱っぽく濃厚なキスだ。 「……っ、んぁ」 正に溺れるという表現が適切なほど深く絡み合い、私の口の端からはだらしくなく唾液が零れた。 天くんの首に腕を回し、口内を弄る舌に必死に応える。きっと私なんかの拙い行為じゃ天くんは満足しないと分かってる。 「積極的な名前、可愛すぎ……」 でも目の前には嬉しそうに口角を上げる天くんがいた。 天くんのとても綺麗で端正な顔、白い肌。世間が天使と称するのがよく分かる。私だっていつもこうして見惚れてしまう。 「ん……?そんな蕩けた顔してどうしたの?」 「あ……その……」 今度は少し意地悪そうに笑って見せる。 「先、進むよ」 天くんは一つ一つ私が不安にならないように確認しながら行為を進めてくれた。 ボタンを外され露わになる膨らみが大きく脈を打っている。天くんに見られている、それだけで心臓が飛び出てしまいそうだ。 そこにクチュリと天くんの舌が這った。 「あっ……!」 思わず漏れてしまった声に自分でも驚きを隠せなかった。キスとはまた別な、より強烈なものが私を襲ったからだ。 そのまま天くんは器用に舌で突起物を転がし、空いていた手で胸を揉みしだき始めた。 「ん……っ、ぁ」 それだけで私の体は電流が走ったかのようにビクビクと勝手に反応してしまう。頭の中を支配する感情は、初めて生まれた感情。 ──気持ちが良い。 「天、くん……それ……っ」 「好き?」 「ちが……っあ、ダメ、です……っ」 「っ、ダメじゃなくて、良いでしょ」 容赦ない愛撫に抵抗など出来るはずもなかった。正常な自分を奪われ、執拗に攻め立てられる体が天くんの手の中に堕ちていく。 「んっ、んー……っ」 せめてこれ以上はしたない声を出さないようにと口を手で塞いでいると、それすらも天くんは許さなかった。 「声、我慢しないで聞かせて」 「そんな、あ……っ、あ」 「ほら。名前の声、凄く綺麗な音がする」 「ん……っ、やぁ」 あと少しでどうにかなってしまいそうなところで、天くんの顔が胸から離れていった。そうしてはぁはぁと乱れた呼吸を繰り返す私を見下ろしながら、天くんは自身の服をバサリと脱ぎ捨てた。 それがあまりに色っぽくて、私は思わず息を呑んで……。 なんて見惚れてる場合じゃない……! 私の知識が正しければこの先は──。 「そこ、は……!触らないと、ですか……っ?」 天くんの手が秘部へと滑り落ちる直前だった。大きな声を出す私を前に、天くんの手がピタリと止まる。 「触らないと、だね」 「で、ですよね……」 「それにちゃんと解さないと痛い思いするのは名前の方だよ」 「それも、何となく分かってはいるんですけど……」 それでもやっぱり怖い気持ちは拭えない。 「じゃあ口でする?」 「はい!?な、何をおっしゃいますか!それこそ余計に恥ずかしい……っ!」 何を言い出すかと思えば。何だかあまりにもビックリして、逆に恐怖がどこかへ飛んでった気がしないでもない。 そんな私にふと音が聞こえた。それは目の前の天くんから聞こえるとても新鮮な音だった。 「わ……」 「どうかした?」 「……初めて聞きました」 「何を?」 「天くんの緊張の音です」 「は…………?」 ほんの一瞬だけ天くんの頬が赤く染まった気がする。でもその表情も聞こえていたはずの音もすぐに消え、再び天くんの口角が上がった。 「へぇ……随分と余裕があるんだ」 「え、いや……違」 「じゃあ遠慮なく」 「天、くん……待っ……」 「ボクの音なんて分からないくらい気持ち良くしてあげる」 天くんの細く長い指が容赦なく私の膣内に沈んだ。 私が余計なことを言わなければ、もっとゆっくり慣らしてくれたのかもしれない。沈んだ指は膣壁を擦りながら奥へ奥へと侵入していく。 「ちゃんと濡れてるね」 「あっ、ん……」 初めこそ微かに感じる異物感に違和感はあったものの、自分でも次第に感覚が変化していくのが分かる。蠢く指に応えるように漏れる声、ビクつく体。全てが天くんによって塗り替えられていくようだ。 行為をどれだけ続けていたのか。時間の感覚などとうに失ってしまった。残されたのは解された体に与えられる快楽の感覚だけ。 「も……っ、ダメ……」 「うん。名前のナカ……凄いことになってる」 「変に、なっちゃい、ます……っ」 「だから気持ち良いの間違いでしょ?」 あと少しで大きな波に襲われそうな感覚の中、突如膣内から天くんの指が抜かれる。 何が起きたのか分からないままで虚ろな瞳で見つめていると、今度は天くんの体ごと私に沈み始めた。 この先の行為を確信した瞬間だった。 「待っ、て下さい……っ、今」 「待たない」 「メロディーが、浮かんで……っ」 「メロディー……?」 天くんの動きが止まる。 「確かに音楽から離れないでって言ったのはボクだけど……」 「天くん……?」 「今はボク以外のことを考えるのは禁止」 「あっ、待っ」 「覚えていて。いつだってボクが欲しいのは昴じゃなくて、目の前の名前だから……」 「あああ……っ!」 天くんのそれが私の体を貫いたと同時に、私の目からは涙が零れた。それは痛みからくるものではなく、私個人を受け止めてくれたことへの歓びから流れ出た涙だった。 天くんの優しい指が涙を掬う。 こんなに美しい音色を聞いたのは初めてだった。 貴方の音色とはまた違う。これはきっと貴方と私の音色が混ざりあったもの。 再び私の魂が音楽が生み出していく。 「天くん……っ、好き」 「っ……ボクも好きだよ」 繋がれた手を強く握りながら、私達は初めての夜を迎えた。振り続けていた雨が止んだことにも気が付かないまま。 [ back ] |