第22話 ただ愛されたかった


幼い頃から私はこの人が苦手だった。
自分勝手で威圧的で家庭を顧みないこの男に、母はよく怒鳴り声を上げ涙を流していた。絶え間ない喧嘩と崩壊していく夫婦関係、そして不必要な子供達。私が覚えている限りで最も不快な音色が聞こえていた日々の話だ。

「何だよ。気づいてたんならもっと早く声かけろよ」

精一杯睨みつけてやったのに、目の前の男──実父は私をじっと見つめながら嬉しそうに笑った。

「無駄な労力使っちまったじゃねぇか」
「無駄……?」
「張り込みってのも結構疲れんだよ」
「あなたは……自分がどれだけのことをしてるか分かってるの……?こんな脅迫まがいなことまでして……!」
「しょうがねぇだろ。俺も困ってんだからよぉ」

父の口角がいやらしく上がるのを目にした瞬間、全身に鳥肌が立った。思わず視線を逸らし、込み上げてくるものを必死で抑え込む。

「もう縁は切ったはずでしょ?そのために十分すぎるほどのお金もあげた」
「そうなんだけどよ、ちょっとばかし投資に失敗しちまってなぁ。これでも一時は倍まで増やしたんだぜ?言い訳じゃねぇが最近は──」

この人は何をベラベラと楽しそうに喋っているのだろう。あまりにも自分勝手な言い草に反吐が出る。

「……いくら欲しいの?」

人を陥れ金をせびっておきながら、私の大切な人達を苦しめておきながら……!

「一億?二億?」
「あ、ああ……そうだな」
「お金なら腐るほどあるから好きなだけ持っていけばいい」

それで全てが解決するのなら、いくらお金を積んだって構わない。

「そのかわり今度こそもう二度と私の人生に関わらないで」
「おいおい……水臭ぇこと言うなよ。俺達親子だろ?」
「親子だろうと何だろうと関係ない……!これ以上私の大切な人達に何かするのなら……っ」
「分かった。分かったからそう睨むなよ」

これといって反省した様子もなく、両手をあげながら父は言った。
きっとこの男はお金が無くなったら、またこうして私にせびりに来るだろう。親子だからこそ逃れられないとでもいうように、どんな手を使ってでもこの男はどこまでも──。

「そうだ、お前も何か頼むか?久々に一緒にご飯でもどうだ?」
「……結構です」

ぎゅっと拳を握りしめ唇を噛み締める。しばし沈黙が流れること数秒後、父は大きな溜息をついて、思いがけない言葉を私に浴びせた。

「……お前は昔からそうだよな。懐かねぇし可愛げもなくて、昴とは大違いだった」

昴、という名に私の体がピクっと反応する。

「そもそもお前、何であいつの名前で活動してんだよ。まさか俺達への当てつけとか言うんじゃねぇだろうな?」

違う。そんなんじゃない。そう言い返したいのに言葉が上手く出てこない。怒りも憎しみも全てぶつけてしまいたいのに、どうしても体が強張って見動き一つとれなくなる。

「昴もよ、俺達の息子だった割には優秀で出来た奴だったのによ。あんな若さで死んじまうとはなぁ」
「今は、お兄ちゃんの話は……」
「逆にイレギュラーのお前がこんな大出世するとは思いもしなかったな」

「イレギュラー……?」

聞き返す必要なんてなかった。
顔をあげれば、父はあの頃と何ら変わらない視線を私に向けていた。冷たく無関心であることが伝わる目だ。
思えばお兄ちゃんに対してそういった目を向けているのを、あまり見たことがなかったような気がする。かといって父親らしい姿を見せていた訳ではないけれど、多才で優秀なお兄ちゃんを気に入っていたことは確かだった。

「お前を妊娠したって聞いた時、俺は反対したんだよ。ただでさえ金がねぇのに、ガキが二人もいたらたまったもんじゃねぇだろ?」

自分が望まれて生まれた子じゃないことなんて、とうに分かっていた。
それでも今度こそは自分の存在を認めてくれるんじゃないかって。自分の作った音楽が売れるたびに、本当は褒められたくて認めてもらいたくて、ほんの少しでも期待している自分がいつもどこかにいた。

そんなの、ないものねだりでしかないのに。

「ガキなんて作るもんじゃねぇって思ってたけど、人生何が起こるか分からねぇもんだな。俺も、お前も」
「……そうだね」
「まぁとにかく金の方は頼んだぜ。これで最後にするからよ」
「うん……」
「詳細が決まったらここに連絡してくれ。それじゃあな」

父にとって私はお金を生み出す道具でしかない。どれだけ音楽が売れようと全てを手にしたつもりだろうと、一番欲しかった愛情が手に入ることはない。側にいてほしかった人が生き返ることもない。

私は一体誰のために、何のために、音楽を作ってきたのだろう。
思い知らされるだけの時間が流れていく。

「……馬鹿だなぁ、私」

目の前に置かれた父の携帯番号が書かれたメモに、ポタポタと涙が落ちていく。

「でも聞こえなくなったのは……好都合だったかな……」

特別な聴覚を失ったことにより、父の心の音は聞こえなかったから。聞こえていたらきっとそれは世界で一番苦しい音だったに違いない。
彼の綺麗な音色とは正反対の……。



そこから自分がどこをどう歩いたのか。記憶は定かではない。ただそのまま自宅に帰ることは出来なかった。

ぐちゃぐちゃな心を引きずって向かった先は、私と兄の──。

「名前ちゃん、お邪魔するよ。あれ、名前ちゃん……?」

父と別れて数時間後。私のマンションに青山さんが訪れる。

「何だろう、書類が散らばってる。えっと……興信所、から……?」

それは私が忽然と姿を消したことに気がつく瞬間だった。





「さてと、今日は最後に深夜ラジオの生放送ね。あんた達お腹は空いてない?」
「あぁー……えっと……」

姉鷺さんの言葉に最初に反応した龍が、ボクと楽をちらりと見やる。

「ボクは大丈夫です」
「俺も」

ボクも楽も随分と素っ気ない返答だ。もちろん目を合わせることすらしない。その様子にさすがの姉鷺さんも黙ってはいられなかったようだ。

「ねぇ、何かあったの?あんた達三人最近ずっとそんな調子じゃない」
「そ、そうかな?」
「そうよ。この前の振付練習の時に天がいきなり……」
「あぁ!俺やっぱりお腹空いてるかも……!姉鷺さん、何かお願いしてもいいですか……!?」

かなり不自然ではあるが龍のフォローのおかげで、姉鷺さんがそれ以上ボク達を追及することはなかった。

「……分かったわよ。とにかく本番前に喧嘩したりするのだけはよしてちょうだいね」

パタリと楽屋の扉が閉まると同時に、龍がフーっと溜息をつく。
姉鷺さんの言う通り、ボク達はあの日──楽に名前のことを指摘された日以来、ろくに口もきかない状況が続いていた。もちろん仕事上では完璧な立ち振る舞いをしているが、楽屋に戻った途端いつにも増して、ボクと楽の間には険悪な空気が流れていた。

「あ、あのさ……二人とも」

──トゥルルルル。

龍が何か言いかけたところで、ボクの携帯電話が突如鳴り響く。ディスプレイを覗けば、どうやら知らない番号からかかってきているようだったので、ボクは電話に出ることなくそのまま放置し続けることにした。
それでも電話が鳴り止むことはない。

「電話、ずっと鳴ってるぞ」

声をかけてきたのは楽だった。

「知らない番号だから」

先ほどの姉鷺さんに対する態度同様、素っ気ない態度で返答する。再び二人の間に流れる沈黙の中、未だ鳴り止まない着信音だけが響いていた。

「天、出た方がいいんじゃないか?」
「いいって言ってるでしょ」
「でも……」

そうこうしているうちに、ピタリと電話が鳴り止んだ。その直後だった。再びボクの携帯が大きな音を立てて着信を知らせ始める。

「ほら、また……!何かあったんじゃないか?」
「何かって……」

一体何があったというのだろうか。疑心暗鬼になりながらもボクは龍に促されるまま、電話を手に取ることにした。

「……はい」
『もしもし、天か……!?』

万が一を考慮し名前は名乗らずに出ると、電話の向こうからは慌てた様子でボクの名を呼ぶ声が聞こえた。

『俺だ……!時田だ!』
「時田さん……?」

時田さんがどうしてボクに。

『急で悪いが、千からお前の番号を聞いてかけさせてもらった』

事の経緯はすぐに把握することが出来たけれど、時田さんが直接ボクに電話をかけてくるなんて珍しいにもほどがある。それもRe:valeのユキさんに番号を聞いてまでかけてきたということは、きっと何かあったに違いない。
そう瞬時に推測した。

『お前、今どこにいる?』
「今はラジオ局です。これから生放送の仕事があって楽屋で待機しています」
『そこに名前はいるか?』

突如上がった名前の名前に、ボクの心臓が大きく跳ねた。

「……いえ、いませんが」

それでもすぐに冷静さを取り戻し、何事もなかったかのように対応してみせる。
するとボクの返答に何やら時田さんがブツブツ呟いている。いつもとは明らかに違った様子の彼に、ボクは不穏な空気を感じていた。

「何かあったんですか?」
『……名前が失踪したんだ』
「失踪……っ?」

その言葉に楽と龍が一斉にこちらを振り向く。

『いつマンションを出て行ったのかは分からねぇが、青山の話だと携帯も置きっぱなしだって言うし……。普通ならただの外出で話は終わりかもしれねぇが、今のあいつは普通じゃなかった分……それから興信所の──』
「時田さん、落ち着いて下さい」

これほどまでに慌てた様子の時田さんは初めてだった。いつも野心と自信に満ち溢れているあの時田さんがだ。それはつまり彼をそうさせるほどの事が起こっているということでもある。

『悪い……情けねぇところを見せちまったな』
「いえ、そんなことは気にしないで下さい」
『それに状況を説明するには、まず先にお前に話しておかなきゃいけないことがある』

そしてボクに辿り着いたということは──。

『お前と名前のことだがな、俺と青山と……それからRe:valeの二人はもう知ってるんだ』
「それはどういう意味ですか……?」
『お前達、名前のマンションで会っていたんだろ?それが今回すっぱ抜かれたんだよ』

思いきり頭を殴られたような衝撃がボクに走る。

『すっぱ抜いた張本人は名前が昴だということも、名前が住んでいる場所も知っていた。そしてお前らがそこで会っているという写真を手に、うちの青山に接触してきたんだ』

誰にも知られてはいけないなんてことは分かっていた。もちろんボクなりに細心の注意を払って彼女に会っていたつもりだった。それでもそもそも彼女と二人で会うこと自体が軽率だったなどと、今更後悔したところでもう遅い。

『この件を名前に問い詰めたら、自分が一方的に好きだっただけだ、だから八乙女事務所とお前には絶対知られないようにしてくれと言ったんだ』
「それは違います……!」
『なぁ天。本当のことを教えてくれ。お前らは好き合ってるのか?』

奥歯を噛み締め、グッと拳を強く握りしめる。

「少なくともボクはそう思っていました」
『リークの後、名前は一度お前に会いに行ってるはずだ。場所は確かRホテル』
「……はい」
『その時名前は何と?』
「会うのはこれが最後だと……」

さようなら、天くん。
そう言った彼女が今も頭から離れない。
あの日あれほど納得いかなかった彼女の言葉の意図を、こんな形で知ることになろうとは思いもしなかった。
彼女は全てを自分一人で抱え込んで……。

『天、済まなかったな……お前らを守ってやれなくて』
「違います、謝るのはボクの方です……!全部ボクのせいで……っ」

ボクは楽と龍が側にいることすら忘れて声を張り上げた。その姿はとても情けないものだろう。

『もしもし、天くん?』

電話越しの声が時田さんから変わったことに気づき、ボクは項垂れていた頭をパッと反射的に上げた。

「千さんですか……!?」
『うん、そう。茂ちゃん、ちょっとまだ気が動転してるみたいだから、僕が代わりに話すよ』

多忙な千さんまで時田さんのところに集まっているという事実は、事の大きさをよりボクに実感させた。

『今回の件なんだけど、リークしてきたのは週刊誌じゃないんだ。だから八乙女事務所には何の情報も届いてないだろう?』

なるほど。週刊誌じゃないからこそ、ボクはこの事実を知ることが出来なかったのか。でもそれじゃあ一体誰がリークしてきたというのか。

『名前のマンションで興信所から届いた書類が見つかったんだ』
「興信所……?」
『ゆすりをかけてきた人物を特定するためだろうね。僕たちももしかしたらとは思ってたんだけど……』
「リークしたのは一体誰だったんですか?」
『名前の父親だよ』

千さんは少し怒りが混じったような低い声で言った。
名前が苦笑しながら話していた記憶が蘇る。両親はお金の揉め事が耐えなく不仲から離婚したこと。大好きな兄が病死したこと。それから音楽の道を歩み、一人あのマンションで過ごしていたこと。

全てが名前がもう会わないと言った理由に繋がっていく。

『自分の父親が犯人だったという事実を知った名前が、どんな行動を取ったのか予想がつかないんだ。思いつく限り探したけど未だ手かがりは何もない。もう時刻も0時を回っている』

千さんの声からも焦りが伝わる。

『君が仕事中なのは百も承知だ。それでも出来る限りで構わないから、君にも名前を探す協力をしてほしい』

これほどもどかしく情けない事はない。
自分の身勝手で名前も、名前の周りの人達も追い詰めた。それなのにボクは千さんの頼みをすぐさま受け入れることが出来なかった。
本当は今すぐにでもここを飛び出して、ただの九条天として名前を探しに行きたい。けれどTRIGGERの九条天である以上、そう簡単には許されない。ボクには与えられた責務は絶対に果たさなければならない現状がある。

『千さん……!百さんから連絡です!』
『了解、今行く』

電話の向こうから名前のマネージャーの声がする。

『いきなり電話をして悪かったね。また何かあったら連絡するから、そっちももし何か分かったら連絡してほしい』
「……分かりました」
『それと、最後に一つだけいいかな?』

その後続く千さんの言葉に、ボクは絶句をしてしまった。

電話は切れているのにその場から全く動けない。
全てボクのせいだ。ボクが名前を好きになってしまったあまりに……ボクのせいで名前は──。

「苗字に何かあったのか?」

動けないでいるボクに真っ先に声をかけたのは楽だった。

「電話の相手は時田さんと千さんなんだろ?」
「それは……」
「盗み聞きするような真似して悪いとは思ってる」
「天、ごめん……!俺も失踪って言葉が聞こえたところから気になっちゃって……もしかして名前ちゃんが……っ?」

二人は何も悪くない。今だけじゃない。最初から二人は何も悪くないんだ。謝らなきゃいけないのは全部ボクの方だ。

「天、行けよ」
「は……?」
「今すぐ苗字を探しに行け」
「何を言って……」
「ラジオは俺と龍だけで収録する」
「っ、そんなこと許されるはずがないでしょう……!?」
「じゃあお前今すぐ自分の顔を鏡で見てみろよ!そんな顔でまともに仕事が出来ると思うか!?」

そう言って楽は、いつもより厳しい口調でボクに詰め寄った。

「完全無欠のアイドル、お前が常日頃掲げてることだ。今自分はそうだと胸を張って言えるのか?」

言えるはずがない。
楽の言う通りだ。こんなに心を乱している今のボクに、TRIGGERの九条天としてここにいる資格などない。
でもだからといって……。

「天、こんな時だからこそもっと俺達を頼ってほしい」

龍が温かな笑顔を浮かべながら言った。

「楽……龍……」
「ったく、何のために俺達三人でTRIGGERやってんだよ」
「そうそう。グループなんだから助け合ってこそだよね」
「ほら天!早く行け!」

楽の力強い声がボクの背中を押してくれる。

「ごめん、二人とも……っ」

振り絞るような声で謝罪をしたボクは、二人に背を向け楽屋を飛び出した。


行くあてなどないし手かがりもない。だけど駆け出さずにはいられない。

“最後に一つだけいいかな?”

千さんの言葉が頭の中を駆け巡る。

“名前は今音楽を失ってしまっている”

ボクの声を綺麗だと唯一無二な音だと笑顔で言ってくれた彼女が、何も聞こえないと泣いていた。そう知らされてボクは絶句した。
どうしたら彼女が音楽を取り戻せるのか。


“名前の側にいて分かったことがある。僕じゃダメなんだ”


“君にしか名前は救えないんだよ”


地面を蹴る音が、徐々に速さを増す鼓動が、やけに耳に響く。
思い出せ。何でもいい。二人で過ごした時間の中から、彼女に繋がる何かを。


“海で出来た曲なので海の曲ってタイトルなんですよ。とっても安易だと思いません?”


そういえば……確かあの時名前は………。


“その頃何か嫌なことがあると時々二人で海に行ってたんです。えっとS海岸って知ってますか?”


そうだ、海だ──。


「すみません……!急いでS海岸までお願いします!」

乗り込んだタクシーで運転手に行き先を告げる。閉められたドアの向こう側に、ポツポツと雨が降り出していた。
空と海を結ぶその雨は、まるで名前へと繋がる道標のように感じられた。
名前と会う時はいつもこうして雨が降っているから。

キミは今どこにいるのだろう。

ボクの願いはただ一つ。
今はただどうしようもないくらい、キミに会いたい。



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