第21話 因果応報 一体どこまでいけば、完璧な九条天を手に入れることが出来るのだろうか。 どんなことがあっても九条天は揺るがないと、そう思っていた。 『……さようなら、天くん』 あの日の彼女の声が表情が全てが、今も脳裏に焼きついて離れない。そしてそのことが今もずっとボクを苦しめ苛立たせている。 こんな滑稽な様、TRIGGERの九条天にはあるまじきことだ。だからボクはいつも以上に完璧な自分を目指した。 「楽!ほらまた遅れてる!」 「……っ、分かってる!」 「龍!右手の角度!」 「ごめん……っ!」 今日のTRIGGERの仕事は、レッスンスタジオで新曲の振付練習をすることだった。ボクはそこで楽と龍を相手に、朝から声を張り上げていた。 「はぁ……っはぁ」 「二人とも休んでる暇はないよ。三人で揃えられる日は今日しかないんだから」 「……天の言い分はよく分かるよ。でも集中力を持続するにも限界がある」 「龍の言うとおりだ。一度休憩を入れよう」 「勝手なことを言わないで」 「さっきから勝手なのはお前の方だろう……!?」 「その前に出来ない方が悪いとは思わないの!?」 「楽!天!」 楽に乱暴に掴まれた胸倉を離される。ボクは乱れた服を整え、二人に背を向けた。 けれどそんなボクを楽は逃しはしなかった。 「天、お前何をそんなにイライラしてる」 「別にイライラなんてしてないけど」 「今日のお前は……いや、違うな。Rホテルでの撮影明けからだ。お前の様子が明らかに変わったのは」 「は……?」 「俺達が気づいていないとでも思ったのか?」 「何のこと?」 「この際はっきり聞いてやる。お前がそうなったのは苗字が原因なのか?」 楽の言葉に思わず反論の言葉を呑み込んでしまった。何か発さなければ、このタイミングでの沈黙は肯定と捉えられてしまう。それなのに上手く言葉が出てこない。 常に完璧でいなければいけないのに、楽にも龍にも悟られているほどボクは──。 「……彼女は何も関係ない」 「悪いが俺にはそんな風には思えないな。お前らがいつから知り合いなのかは知らないが、昴が……苗字が俺らの前に現れてからお前は明らかに──」 「だから関係ないって言ってるでしょう!?二度と彼女の名前は口にしないで!」 そうしてボクは二人から逃げるようにして、レッスンスタジオから姿を消した。 「龍、俺達の予想通りだな」 「……じゃあやっぱり天は」 「ああ。あいつは苗字に本気で惚れてるんだ」 最悪だ。 楽と龍を置き去りにして、レッスンも放り出してしまった。こんなこと今まで一度だってしたことはない。 今からでも戻って……一体何を話す?例え相手が楽と龍だとしても、名前とのことを気軽に話せる訳がない。 感情に任せて歩いていた足取りがピタリと止まる。 そして程なくして頭の中に浮かび上がったのは、名前が突然もう会えないと言ったことへの違和感だった。 あれが彼女の本心ではないとボクは今でも思っている。もちろんそう信じたいだけだと言われればそうだ。 じゃあ何故彼女はボクから距離を置いたのか。時田さんやマネージャーに止められた?ならば彼らはどこからその情報を知った?今の僕のように、名前も誰かにボクとの関係性を話すことなど出来なかったはずだ。 もしもボクらのことをリークしたのが週刊誌だとしたら、名前は一般女性として扱われ、真っ先にうちの事務所に情報が来るはずだ。 名前が昴だとバレていると前提したら?でもそうだとしたら一体どこから漏れた? ……いくら考えても違和感が拭えない。でも名前の周りで何かが起こっている気がしてならない。 取り出した携帯で名前へと電話をかける。 『おかけになって電話番号は現在──』 けれどその電話が彼女へ繋がることはなかった。 キミは今どこで何をしているのだろう。 そしてボク達を唯一繋ぐ音楽が、今のキミにはどう聞こえているのだろうか。 雲一つない空を見上げながら、ボクは力いっぱい拳を握った。 ◇ 私の世界はいつだってあらゆる音で溢れかえっていた。 その中でも綺麗な旋律の中に混じって蠢く人間の感情の音は、うるさく苦しいものばかりだった。それは何度耳を塞ごうとも消えることはなく、私を追い詰め、時には絶望へと引きずりこむ。 音の聞こえない普通の世界とはどんな世界だろう。 考えることすら無意味だったはずの世界で、今私は確かに生きている──。 「……凄い静か」 「え、何か言った?」 ぽそりと呟くと青山さんがキッチンから顔を出す。 「いえ、何も──」 「そっか。よし、夜ご飯が出来たよ」 「……今日もすみません」 自分だけの特殊な聴力を失ってからどれくらいの時が流れただろう。あれ以来、私はこうしてマンションに引き籠もり続けていた。 「じゃあ僕は仕事に戻るね。もうすぐ千さんが来てくれる予定だから」 そんな私をなるべく一人にしないようにと、青山さんは千さんと交互にマンションを訪れてくれていた。もちろん二人には毎日当たり前に仕事があるし、千さんに至ってはRe:valeとして物凄く多忙な日々を送っている。 それなのに私なんかのために……。 ピーンポーン。 「お、噂をすれば千さんだ」 インターホンの音に反応した青山さんと入れ替わるように、千さんが私の目の前に現れる。 「こんばんは」 そして罪悪感でいっぱいになりながらもどこかで安堵している私に、千さんは変わらない笑顔を向けてくれた。 「これからご飯?」 「はい。千さんは?」 「僕は収録で結構食べたから今日はもういいかな」 「あ、もしかして今日の収録って、この前お話ししてた料理番組の収録ですか?」 「うん。思ったより面白かったよ。モモの料理が凄くてさ。スタジオも大盛り上がり」 千さんは私がこうなってしまった理由を問い詰めるようなことは一切しなかった。こうして側にいて他愛のない会話だけをしてくれる。 出逢った時からそうだ。いつだってこうして寄り添ってくれる優しさは今も変わらない。 「明日は何のお仕事ですか?」 「新曲のPVの撮影かな」 「朝から……?」 「何か不都合なことでもあった?」 「ううん、そうじゃなくて……。千さん、あの……やっぱりごめんなさい……」 「どうして名前が謝るの」 「だって普通の人の何倍も忙しいはずなのに私のせいで……」 どれだけ千さんが優しくても、迷惑をかけていることには変わりはない。ほんの僅かな時間でも家に帰って休みたいはずなのに、私の存在がどれだけ負担か。そう考えたら頭を下げずにはいられなかった。 それでも千さんは私を責めることなど一切せず、笑顔を浮かべたまま優しく頭を撫でてくれた。 「名前が昴として活動し始めた頃のことを覚えてる?」 「はい。もちろん覚えています」 「あの頃、名前はよく僕の家に来てたよね」 その頃私は千さんの家を訪れては、楽曲制作に関する技術や知識を教わっていた。どれだけ忙しくても千さんは私を迎え入れてくれて、私もそんな千さんに甘えていた。 「毎日プレッシャーに押し潰されそうで、よく千さんに弱音を吐いていましたよね」 甘えていたのは音楽のことだけじゃない。 両親とも縁を切り本当に一人になってしまったことへの孤独、音楽家として成功するかも分からない未来への不安、当時の私はいつも決壊寸前だった。 「一人じゃ眠れないっていつも千さんの家に押しかけて……今考えるととんだ迷惑でしたね」 「そう?僕は一度もそう思ったことはないよ」 思わず嘘だと思ってしまう。 でも私はこの優しさにいつも救われていた。泣きたくなるような温かい優しさに……。 「……千さんの子守唄、大好きだったな」 眠れないと寂しさを吐き出す私に、千さんが特別作ってくれた曲。千さんは子守唄だと言ってよく聞かせてくれた。兄が作ってくれた海の曲のように、私にとっては大事な思い出の曲だ。 「最近はもう聞く機会も無くなっちゃいましたけど、千さんはまだ覚えていますか?」 千さんはこちらをじっと見つめたまま、何故か急に私の問いかけに反応しなくなってしまった。 「……千さん?」 沈黙に不安を覚えもう一度彼の名を呼ぶ。すると千さんは少し困惑した表情を浮かべながら私の顔を覗いた。 「音楽の話をしてもいいの?」 「え……」 「君に会っても音楽の話はしないように。そう言われたよ」 「そんなの、誰が……っ」 いや、千さんに聞くまでもない。そんなこと指示するのはきっと時田さんくらいなものだ。きっと今頃腑抜けになった私に呆れているに違いない。 「みんな君を守りたくて必死なんだ」 「……分かってます。私が音楽を生み出さないと、お金は生まれないですからね」 「名前、それは違う。君を守りたい一番の理由は、みんな純粋に君と君の音楽が好きだからだよ」 そんなはずはない。だって私はドル箱だっていつも時田さんは言っていた。どれだけ多くの時間を過ごしても、私達は皆ビジネスという関係性の中で繋がっている。そこに無償のものは存在しない。 「……音楽の話をするなっていう言葉の意図は、名前の心が壊れないようにするためだろうね。でも僕は君から音楽を遠ざけることは出来ないと思ってる」 「それは、どうして……」 「音楽は君の魂そのものだろう?」 私の魂──。 今までそんな風に考えたことなど一度もなかった。けれど千さんの言葉が、正に自分の真意であるかのような感覚を覚えている。 今はもう私にとって音楽は、生きるために必要不可欠なものだ。そして命を削って生み出した昴の音楽は私の魂であり、兄の魂でもある気がした。 「音が生まれない苦しみは、生み出す者にしか分からない。もちろん僕も今まで散々それを味わってきた」 「千さんでも……?」 「うん。曲が書けない苦しみに何度も追い詰められて、そのたびもう無理だって、自分の才能は枯渇したんだって弱音を吐いてきた。そして君のように絶望に呑まれて、僕の中に溢れていた音が聞こえなくなったこともある。でもどんなに苦しくても、結局音楽から離れることなんて絶対出来なかったんだ」 「どうしてですか……?」 「その答えは君も分かってるいるはずだ」 「それは……何よりも音楽が好きだから」 私達は0から音楽を生み出す者同士。時田さんとも青山さんとも、そして多分天くんとも……ここまで分かり合うことはきっと出来ないと思う。千さんしか寄り添うことの出来ない心の場所が私にはある。そしてそこは以前兄が寄り添ってくれていた場所でもあった。 「僕の場合、それと同じくらいモモの存在も大きかったけれどね……」 その証拠に千さんから聞こえる深層の音は、兄にとても良く似ていた──。 「千さん……いつもの子守唄、聞きたい……」 「お安い御用ですよ。お姫様」 千さんは防音室からアコースティックギターを持ってきてくれた。それを組んだ足の上に置き弦を弾く。流れてくるのはとても美しく安らかな旋律。 そしてそれは、私が音楽が大好きだということを思い出させてくれる音色だった。 それでもまだ私にはいつもの音が聞こえない。 「……名前のそれは嬉し涙?それとも悲し涙?」 千さんに指摘されて、自分が涙を流していたことに気がついた。弦を弾いていた指が頬に触れ涙を拭う。 「私……ずっとこの特殊な聴力が、自分だけに聞こえてくる音が嫌いでした。知りたくもない人の感情が聞こえてくるたびに苦しくて、それを口にしたら気味悪がられて……だから必死でコントロールしなきゃって、そう生きてきました……」 「……うん。知ってる」 「でもきっとあの力があったから、私は音楽を生み出せていた……」 馬鹿みたい。失った今だからこそよく分かるなんて。 「大好きな音楽を聞いてるはずなのに、やっぱり何にも聞こえない……。千さんの気持ちが何にも分からない……っ」 とんだないものねだりだ。あれほど聞きたくもないと言っていた音色を、今私はこんなにも切実に求めている。 何のために?昴として再び活動するために?否、そんな立派なものじゃない。だって私はただ──。 「名前、聞こえないなら直接聞けばいい」 「っ……直接?」 「“何を考えているの?”ってさ。そしたら僕は正直にこう答える。“君を守るためなら何だってする”ってね」 時田さんから君を紹介された時の話だ。そう言って千さんは静かに話の続きを切り出した。 「最初は名前の才能に驚かされたし、同じ作曲家として正直嫉妬もした。でも15歳でこの世界に飛び込んできた経緯を聞いて、名前が背負った物の大きさと、その覚悟が相当なものだったこともすぐに理解した」 千さんの手が再び私の頬を包む。その箇所がまるで熱を帯びたみたいに熱くなっていく。 「この世界はとてもきらびやかだけど、反面卑劣で汚いことも、苦しくて辛いこともわんさか蔓延っている」 「だから僕はどんなことがあっても君のことを守るって決めたんだ」 ポタポタと流れる涙は嬉し涙か悲し涙か。でもさっきからずっと、千さんの真っ直ぐな瞳が私に訴えかけている。差し出された気持ちは本物だと。 「感情が聞こえないなら、何度でもこうして言葉にして伝えてあげる。名前がちゃんと信じられるまで」 Re:valeがたくさんの人から愛される理由がよく分かる。 「そして君が再び心から笑える日までずっと側にいるよ」 千さんも百さんも、こんなにも素敵な二人が奏でる音楽が、人の心に響かない訳がない。 「ありがとう、千さん……。私、Re:valeのお二人が、Re:valeの音楽が大好きです……」 けれど私は大好きだと口にしながら、千さんに本当の気持ちを見せることは出来なかった。千さんはこんなにも本当の気持ちを伝えてくれたのに。 だって本当のことを言って嫌われたくなかったから。だからいつものようにいい子のフリをした。 ◇ 数日後、私は誰にも告げることなく外へと足を運んだ。音楽を失ってから私がマンションの外に出たのは、今日が初めてだった。 久々に見上げた空から眩しい日差しが差し込む。光を避けるようにより深く帽子を被り直した私は、マンションのすぐ側にある喫茶店へと向かった。 店内に入ると昔懐かしい音楽が私を迎えてくれる。でもそんなことを今の私に嗜む余裕はない。目的は窓際に座る一人の男。 「……ここ、いいですか?」 「あ?」 男の許可を得る前にドスンと腰を下ろす。 「何だ、てめぇは」 「週刊誌にしては、何で青山さんを選んで直接接触したのかが不明だった。普通は事務所に脅しをかけるはずだから」 「おい」 「そのうえ私が昴だと知っていて、且つ私の住んでる場所も知っている人物なんて早々にはいない。だから犯人を絞るのは容易だった」 「一体さっきから何の話をしてやがる……?」 「でも貴方が犯人だという証拠がない。だから興信所に頼んで早急に素性を調べてもらったの」 「は?興信所……?」 「もちろん結果は予想通り」 これも全て天くんを守るため。 あの日私も彼を守るためなら何だってしてみせるって、そう誓った。 ゆっくりと深く被った帽子に手をかける。 「貴方はこうしてマンションの周りを張って、私と彼の写真を撮った」 千さん。貴方の言った通り、私も何よりも音楽が好きです。その気持ちに偽りはありません。 だけど千さんのように立派な志と純粋な気持ちがあって、音楽と生きる道を選択した訳じゃない。 ──私には音楽しかなかったんです。 それしか生きる道がなかった。 千さんに幻滅されたくなくて、同じなんだって思われたくて嘘をつきました。 「それをネタに青山さんを脅したんだよね?」 「……お前」 「そうでしょう?お父さん」 もし特別な聴力がなかったら。 もし兄が死んだりしなかったら。 もし両親に望まれて生まれていたら。 少しでも普通の幸せを手に入れていたなら、私は音楽の道を選んでいなかったかもしれない。 私が本当に欲しかったものはただ一つ。 誰かに愛されて誰かを愛したい──。 ただそれだけだった。 [ back ] |