第19話 rainy day、別れと嘘 「ここに映っているのは名前ちゃんと……TRIGGERの九条くんで間違いがないか聞かせてほしい」 青山さんの質問に何か返さなきゃいけないのに、頭の中が真っ白になってしまって言葉が全く出てこない。でも目の前の写真に映っている人物は、間違いなく天くんと私だ。 「この写真はTRIGGERの打ち上げの時なんだよね?時田さんが服装や背景から間違いないって言ってるんだけど、それはどうかな」 確かにその写真は先日打ち上げの帰りに、天くんが送ってくれた時のものだ。ただこの時側には紡さんもいたはずなのに、あたかも二人きりだったとでもいうように上手くカットされている。こういった手口は週刊誌にはよくあることだ。 「これだけなら誤解だって話で終われるんだけど、問題はこっちだ。ツーショットこそないけれど、九条くんが名前ちゃんのマンションから出てきたところが、こうして複数枚撮られている」 天くんは私の部屋を訪れる際は、変装はもちろんタクシーの利用方法すらも全て警戒していたはずだ。 そのうえで天くんの行動を追っていたということだろうか。 いや……その前にもっと不可思議なことがある。 「実はこの写真は週刊誌から送られてきたものじゃないんだ」 「じゃあ一体誰から……」 「分からない。見覚えのない男が直接これを僕に渡してきたんだ。それもわざわざ僕を待ち伏せしてだ」 「待ち伏せ……?」 「その男は確かにこう言った。昴とTRIGGERのスキャンダルだって」 全身から冷や汗が吹き出た。 「名前ちゃん、これが何を意味しているか分かるよね?」 青山さんの低い声が体に響く。 いつだって優しい音を聞かせてくれる青山さんから、こんなにも哀しく乱れた音がするなんて。事態がどれだけ深刻か痛いほど思い知らされる。 「その人は、私の素性を知っている……」 「そう。君が昴だってことも、そしてあのマンションに君が住んでいるということも、その男は分かった上で脅しをかけてきているんだ」 「そんな……っ」 「名前ちゃん、九条くんとのこと……どうして黙ってたの?」 言葉が出ない。 目の前がチカチカする。 取り返しのつかないことをしたと、空気が音が振動が私を責め立てる。 「名前」 その声に私の体が大きくビクついた。 今の今まで沈黙を貫いていた時田さんが口を開く。 「本当のことだけ教えろ。お前らは付き合ってたのか?」 「……いいえ」 「分かってねぇな。嘘をつかれた方が後々面倒なことになるから、今ここで吐けって言ってんだよ」 時田さんは私と天くんが付き合っていると思っているんだ。今の答えじゃ決して逃さないとその目が言っている。 「これが世に出たらどれだけの騒ぎになると思ってる?」 私達は恋人同士じゃない。 けれどそれはただ単に、お付き合いをしようという言葉を交わしていないだけだ。互いに好きだと告げたうえにキスまでしていて、お友達ですだなんて言える関係でもない。 思考よりも感情を優先して、浮かれて油断した私がバカだった。 彼は絶大な人気を誇るアイドルなのに──。 「天も呼んだ方が話は早いな。おい青山、八乙女事務所に──」 「私が一方的に好きだっただけです……!」 張り上げた声が部屋中に響き渡り、時田さんの動きが止まる。 「私が九条さんにしつこく付きまとったの!だから彼は関係ない!」 今瞬きをしたらきっと涙が零れてしまうだろう。 だからと言って私に泣く資格なんてない。軽率だった、それが全てだ。 それでも彼にだけは絶対に迷惑をかけたくはない。彼の夢を壊したくはない。 「八乙女事務所の方はこの事をもう知っているんですか?」 「いや、まだうちにしか仕掛けてきてねぇ状況だ」 「相手の要求は?」 「とりあえずは金だ。ただ幾らかはまだ……」 「では私が全額払います。億でも何でも相手の要求通りで構いません」 「名前ちゃん!それはいくら何でも……っ」 「全て私の責任です。だから全て私が対応します。そのかわり八乙女事務所には……九条さんにだけは絶対に知られないようにして下さい」 バカな私に唯一出来ることがあるとすれば、全力で天くんを守ることだけ。 そのためなら何だってしてみせる。 「九条さんにはもう二度と会いません。それからコンサートもTV局もスタジオも、今後アーティストと関わるような場所には二度と行きません」 「二人とも……!ちょっと一回冷静に話し合いましょうよ!」 「青山さん、私は至って冷静です。今までが冷静じゃなかっただけの話ですから……」 「何を言ってるんだ!こんなんじゃ全然……」 「時田さんもひとまずはそれで納得して頂けますか?」 微かに震える声を悟られないように、必死に強がってみせた。二人の目が怖い。早くこの場から立ち去ってしまいたい。 「……ひとまずはな」 「では男から何かしら次の動きがありましたら、すぐにでも連絡して下さい」 二人に背を向けドアへと向かう。 「名前、どこへ行くつもりだ……?」 「どこって家に帰るんですよ。あそこに閉じこもって音楽を作るのが私の仕事ですから」 私は精一杯の作り笑顔でそう言い放った。 バタリとドアが閉まると同時に、急いで青山さんが私の後を追ってくる。 マンションに帰るなら送らせてと言いながら、青山さんは車を取りに駐車場へと走っていった。 その背中を見つめている中、メッセ―ジを受信した携帯が通知音を鳴らした。バッグから携帯を取り出し、ディスプレイを確認する。 そこに浮かんでいたのは彼の名前だった。 “先日はお疲れ様。名前は家で仕事中?” “もし今時間があるなら電話したい” 画面を流れるメッセージに視界が揺れる。 もう二度と会っちゃいけない。分かってる。だからこそ最後にちゃんとお別れが言いたい。 一粒だけ涙がポタリと画面に落ちた。 「名前ちゃん。車の用意が出来たよ」 青山さんの声がして急いで涙を拭う。そして私は彼に一つだけ頼み事をした。 「青山さん……一つだけ、たった一つだけでいいんです。私の我が儘を聞いてもらえませんか……?」 ◇ 私を指定の場所まで連れて行って下さい。 その言葉に青山さんは何も聞き返すことはせず静かに頷くと、指示通り私を送り届けてくれた。 青山さんには目的の場所から少し離れた所で降ろしてもらい、自分の行先を悟られないようにした。 目的地はRホテル。雨が降る中小走りで向かう。 “私は電話じゃなく会ってお話がしたいです” そう返信した私に、天くんは今の状況を説明してくれた。 連絡してくれたのはちょうどドラマ撮影の空き時間が出来たからだということ。Rホテルで撮影していて、仮眠もかねて部屋を取って休んでいたということ。 そして最後のメッセージには、天くんがいるとされるホテルの部屋番号が記されていた。 大きな深呼吸を一つする。それでも心も体も何もかもが重くて息苦しい。これが最後だと言い聞かせ部屋の前に立ってはみたが、インターホンを鳴らそうと伸ばした指先は震えていた。 そこから数秒後。カチャリと鍵が開く音がして、天くんが顔を覗かせた。 「どうぞ」 「……すみません。お邪魔します」 通された部屋は俗に言うスイートルームというやつだろうか。もちろん私はこんなに豪華な部屋に泊まったこともなければ、テレビや雑誌でしか見たこともないから憶測だけども。 「仮眠を取るならどうぞってホテルの人が気を使ってくれたんだ」 「素敵なお部屋ですね……」 「ここまでしてくれなくていいのにって思ってたんだけど、名前が来た今は感謝してるかな」 変わらない天くんの笑顔。綺麗な音色。 彼の全てをこんなにも好きになってしまった。 「名前?そんなところで立ったままどうしたの?」 「天くんに……お話があって」 「……それは良い話?悪い話?」 「あ……えっと、その」 「ごめん、困らせた。名前が会ってまで話したいだなんて珍しかったから。続けて」 でもそれも今日でおしまい。 「もうこうして天くんとお会いするのは最後になりましたので、ご挨拶に伺いました」 「……は?」 「それでどうしてもお礼が言いたくて……今までありがとうございました。本当にお世話になりました」 「ねぇ。それ何の冗談?」 声色がはっきりと変わった。 同時に部屋の空気が一気に貼りつめ、天くんの感情が一気に流れ込む。 「会うのは最後ってどういう意味?」 「そのままの意味です」 「何があったの?」 「……何も」 「じゃあ誰に言われたの?」 「私が自分で決めたことです」 ふーっと天くんが大きく息を吐く。そして少しの沈黙の後、彼は私にこう質問した。 「ボクのことが嫌いになった?」 即座に返答出来るはずがなかった。 「へぇ。今度はすぐに嘘をつけなかった」 好きじゃない、嫌いになったなんて、そんな嘘を天くんを目の前にして言えるほど、私は強い人間じゃない。 「キミは確かにボクのことを好きだと言ったはずだ」 「……好きは好きでもそれは恋愛の好きじゃなくて、画面越しの……TRIGGERの九条天への憧れみたいなものだったんです。それを私が恋だって勘違いしていたんです」 「勘違い……?」 「それに天くんみたいな人気アイドルと一緒にいれれば、皆にも自慢出来るしステータスにもなるっていうか……」 でも彼を守るためには、彼から離れるためには、どんな嘘でもつかなければならない。 「嘘つくの下手すぎでしょう。ボクと一緒にいることが自慢出来るって、キミが?一体誰に?」 「それは……」 「損得勘定で動く人間なんて嫌というほど見てきたボクだ。キミがそうじゃないことだなんてすぐに分かる」 「天くんは本当の私を知らないだけです……!」 「仮にそうだとしても、ボクはボク自身の目で見てきたことしか信じない」 天くんの手が私の腕をギュッと強く掴んで離れない。 痛くて痛くて。でもこの腕なんかよりこの心の方が何倍も痛くて。 「ボクはこれからもキミに会いたい」 必死に唇を噛んで涙を堪える。 「無理なんですもう……」 「キミが何て言おうとボクはキミが好きだ」 「離して……っ」 「ボクの気持ちまでは否定させない……!」 こんな力があるから余計なものまで聞こえてしまう。 離れたくないと、張り裂けそうな音が嫌というほど天くんから聞こえる。 こんな音色聞いたことない。 苦しくてこの音に溺れて窒息してしまいそう。 ──もう何も聞きたくない。 「待って、名前」 「やだ、っ」 「行かせない」 「んん──っ!」 無理やり塞がれた唇に甘さを感じてしまった自分に吐き気がする。この期に及んで私はどこまで浅ましいのか。 「つ、……っ!」 思い切り噛んでしまったせいで、天くんの唇から薄っすらと血が滲み出ていた。 結局私は貴方を傷つけることしか出来ない。だからこんな嘘つきな女、早く嫌いになって。 「……さようなら、天くん」 「っ、名前……!」 振り返らなくたって天くんがどんな表情をしているか、私の名を呼ぶ声色で分かる。 もう二度と会いたいだなんて思わぬように、自分の感情も二人の思い出も、そして天くんの音色すら全てを、私は心の奥底へと深く沈めたのだった。 ◇ ホテルを出れば外は土砂降りの雨が降っていた。 ちょうど良かった。こんなに雨が降っているなら、大粒の涙を流したって誰にも気づかれることはない。 冷たい雨に打たれ重い体を引きずる。 するとどこからともなく差し出された傘により、雨が音を鎮めて私の周りから消えてしまった。 「……名前ちゃん」 「青山さん……どうして……」 「ごめんね……どうしても名前ちゃんが心配で、つけるような真似をして……」 どうして青山さんが泣きそうな顔をしているの? 悪いのは全部全部私のせいなのに……。 「一緒に帰ろう……?」 本当は離れたくない。 あの人が大好きだって大声で叫びたい。 今の自分を全て投げ捨てて、普通に恋をして生きていけたらどんなに楽だっただろうか。 馬鹿みたい。そんなことありえない。 私も天くんもこの運命から音楽から逃れられるはずがない。 私達は誰よりも音楽を愛し、そして自分が奏でる音が誰かを幸せにする歓びを知ってしまったから。 もう二度と普通になんて戻れない。 いつだって全てを犠牲にして、欲しいものはたった一つしか手に出来ないんだ。 「うわあああん……っ!」 黒い傘の中、私は青山さんの胸で、子供のように涙を流し続けた。 この雨と涙と共に流した心はどこへ向かうのか。 そうして天くんへの心を失ってしまった自分は、次第に雨音すらも聞こえなくなってしまっていた。 [ back ] |