第1話 宅配ピザ


遅い。腕時計を見て溜息をつく。すでに予定時刻から15分オーバーだ。
どうしたものかと考えていると、再度電話が鳴った。

「申し訳ありません九条さん……!近くで事故があったみたいで、全く動かない状況でして……」
「それじゃあ仕方ないですね」
「今事務所に、別の車を用意出来るか確認してるんですが、まだ返事が──」
「分かりました。なら自分で現場に向かいます」
「え!?」
「事務所にはボクから伝えておきますので」

迎えの車が来れないとなれば急がないと。外は雨だ。傘も忘れずに持っていこう。
身支度を整えて家を出ようとすると、消し忘れたテレビの音が大きく響いた。

『本日のゲストは、あの大人気男性アイドルグループ、TRIGGERです!』
『キャーーーー!』
『ようこそお越し下さいました。いやぁ、物凄い歓声ですね!』
『ありがとうございます』
『皆さんもちろんご存知でしょうが、改めて自己紹介をよろしくお願いします!』

『こんばんは、TRIGGERの九条天です』

テレビに大きく映るそれは、紛れもなくボク自身だった。
画面越しの自分と目が合った瞬間、ボクはリモコンの電源ボタンを押した。ボクのスケジュールは分刻みだ。遅刻など絶対に許されない。何よりボク自身が許せない。

──そう。九条天は、常に完璧でいなければ意味がない。

静まり返った室内をもう一度見渡し、玄関へと向かった。


ニ年前、ボクが16歳の時。
アイドルグループTRIGGERは結成された。メンバーはボクの他にあと二人いる。結成したその日から、ボクはTRIGGERのセンター九条天として生き続けている。
それは文字通り己の人生を、命をかけて、だ。
アイドルとして24時間365日完璧でいることは、ボクの理想であり日常だった。無論、それを苦だと思ったことは一度もない。

そんなの無理だと言う人達もいる。ついていけないと嘆く人達もいる。醜い嫉妬や憎悪にまみれた芸能界に反吐が出る時もある。それでもボクはどんなことがあろうと、TRIGGERが最強であることを証明し続けたい。し続けなければならない。
それは他でもない。ボク達を応援してくれいるファンの為に──それがボクの原動力で全てだった。

「雨がひどくなってきた……」

家を出てから休まず走り続けた足を止める。傘を打ちつける雨音は、先ほどよりも増していた。
ここまで来ればもう少し。これなら何とか生放送に間に合いそうだ。
もう一走り、そう思った矢先のことだった。

「どいて下さい!ごめんなさい……って、わあっ!」

大きな声と共に、勢いよく何かがボクの体にぶつかってきたのだ。

「……っ、いてて」

一体なに?

傘から覗くように視線を向ける。飛び込んできたそれが女性だと気付いた時には、彼女はすでに地面に尻もちをついてしまっていた。

「ご、ごめんなさい!」
「こちらこそすみません」
「お怪我はありませんか!?」
「いえ、ボクなんかよりも──」
「ああ!私のせいで服が……っ、どうしよう!クリーニング代……!」

彼女は落ちた傘も拾わずに、ほんの少し濡れただけのボクの服を心配していた。地面に思いきり尻もちをついたせいだろう。ボクなんかより

「キミの方がひどく濡れてる」

そう言って傘を差し出すと、彼女はすっと真っ直ぐこちらを見上げた。先ほどまでひどく慌てていた様子が嘘のように、二人の間にだけ静寂が流れる。
滴る前髪から覗く大きな瞳。まずは彼女を気遣うべきなのに。
迂闊にも雨に濡れた彼女を綺麗だなんて──。

「……凄く綺麗」

──え?

ボクは何も口走っていない。
じゃあ今のは彼女が──。

「あ、ごめんなさい。変なこと言って……って、そうだ!楽譜!」

何が綺麗だと思ったのか聞く間もなく、彼女は地面に散らばった楽譜を拾い集めた。

「本当ごめんなさい……っ!とにかく今は急いでまして、このお詫びは必ず……!」
「あ、まだ……」

そう声をかけても、気づいた時には、彼女は再び走り出してしまった。

お詫びって、名前も連絡先も何も知らないのにどうやってするの。ずぶ濡れのまま人の心配ばかりして……変な子。

あんなに急いでた理由は、この落とし物に関することなのだろうか。彼女が一枚だけ拾い忘れた楽譜を手に取り、ボクも再び彼女とは逆方向へと走り出した。





滑り込むようにビルに入り、エレベーターで息を整える。
時計が指すのは本番15分前。何とか間に合ったみたいだ。
エレベーターの扉が開くと同時に、物凄い形相でマネージャーの姉鷺さんがボクを迎えた。

「天……!やっと来た!」
「遅くなりました」
「もう!私が迎えに行くまで待っててくれたらいいのに、走ってくるって聞いてどんな思いでいたか……!」
「走らなきゃ生放送に遅れるでしょう」
「そうだけど……っ、最初から私が迎えに行ってたら良かったのよ!あのポンコツ社員ったら……!」
「非常事態なんだから彼に非はありませんよ」
「でも服も濡れてるし……ほら天が来たわよ!タオルは!?急いでメイクもしてあげて!」

大慌てでスタッフ達がボクに駆け寄る。歩きながらタオルを受け取ると、そのままボクは楽屋へと足を進めた。

「天……間に合ったんだな!大丈夫だったのか!?」
「ごめん。遅れた」
「天が謝ることじゃないだろ。ほら、水でも飲んで」
「ありがとう、龍」

楽屋に入るや否や、ボクの心配をしてくれたのは、同じTRIGGERのメンバーである十龍之介だった。
龍に渡された水を一気に飲み干し、鏡の前に座る。

「九条さん入りました!」
「メイク失礼します」
「衣装は!?こっち持ってきて!」

周りが更に慌ただしくなっていく。

「おい」

その中でひときわ低い声が、背後からした。

「3時間の生放送、今夜限りの番組特別メドレー、リハなしぶっつけ本番。大丈夫なのかよ」

声の主はもう一人のTRIGGERのメンバー、八乙女楽だった。

「楽、そんなことより台本持ってきて。一部差し替わったって聞いたよ」
「おい。そんなことって」
「じゃあ余計なお世話」
「あ!?お前またそうやって……!」
「まぁまぁ二人とも!」

ボクと楽が言い合いになって龍が間に入る。TRIGGERのいつもの光景だ。でも今は正直言って、楽に構ってる時間は微塵もない。一分一秒が惜しい。
ボク達を応援してくれるファンの子達。支えてくれるスタッフの皆。関わってくれる全ての人達に、常に最高の自分で応えたい。
いい加減な仕事だけは絶対にしたくない。

「天、何があっても俺らが全力でフォローするよ」
「龍も余計なお世話だよ」
「お前、龍にまで……!」
「二人とも誰に向かって言ってるの」

鏡に映る自分の姿を見つめる。
ボクはTRIGGERの九条天。ボクはボクの道を行く。

「本番5分前です!」
「楽、龍。行くよ」

彼らと共に一番の頂きへ。

「ったく。遅れた奴が偉そうに先頭切りやがって。ヘマすんじゃねぇぞ」
「楽こそリハしておいてミスなんてしたら、後で大説教だよ」
「天、楽!さぁ今夜も思いっきり楽しもう!」

三人足並みを揃えてスタジオへ向かう。照明の先には歓声の渦が待っていた。


リハーサルをしなくたって、楽と龍に呼吸を合わせることなど造作もないこと。不安も焦りもそこには全くなかった。

「九条さん、いつも以上に完璧ですね」
「……あの子には本当に頭が下がるわ」
「TRIGGERのおかげで高視聴率間違いなしだって、プロデューサーも褒めてましたよ」
「あったりまえよ!」

不思議だ。雨の中を走って来たはずなのに、何故だかいつも以上に体が軽い。声が伸びる。いつだってそうだ。トラブルが起きた時だからこそ、それを乗り越えた時には最高に気持ちが良い。
曲が終わる直前、そんな想いがボクの全身を駆け巡った。

「TRIGGERの皆さんでした!ありがとうございました!」

そうして周りの心配をよそに、ボク達は全ての仕事を完璧にこなしてみせた。

「お疲れ様!最高だったわよ!」

マネージャーのご機嫌な声に迎えられ、再び楽屋に戻る。

「さすが天。完璧だったよ」
「可愛くねぇ奴」
「それはどうも」

やりきったボク達は自然と笑顔になっていた。

「貴方達、すぐに着替えて用意してちょうだい。次の現場に向かうわよ」
「はい」
「天は雑誌の取材。楽と龍はラジオの収録ね」

すぐさま着替えて移動車に乗り込む準備をする。今度こそ自分が運転するんだと、姉鷺さんは息を巻いていた。


「まだ雨が降ってるわね」

外に出ると、雨はまだ止まずに降り続けていた。

「荷物を取ってくるから、天は先に乗っててちょうだい」

車の鍵が開けられ、言われた通り先に一人で乗り込む。静まり返った車内には、打ちつける雨音が響いていた。
そういえばあの子はこの雨の中、何をあんなに急いでたんだろう。
必死に拾い上げていた楽譜と、忘れていった楽譜。片方は今、ボクの手の中にある。ボクはおもむろに鞄から楽譜を取り出した。雨で少し皺になってしまった楽譜には、まずこう書かれてあった。

「……“仮タイトル 宅配ピザ”の1サビ」

は……?

……これは一体何の楽譜なの?

しかもピザの横に陽気な文字でNEW!!って書いてある。
新曲?ピザの新商品?
……理解に苦しむ。

でも五線譜の上にはズラリと音符が並べられており、一目で素人が書いた物ではないことが分かった。
これは彼女が書いた物……?
若い女の子だったから、音大生とかの可能性もある。もしくはどこかのレコード会社の新人社員。いや、考えすぎだろうか。
ひとまずボクは目の前に並んだ音符を、鼻歌でなぞってみることにした。

たったワンフレーズのことだった。とても繊細で美しいメロディーだ。それが一瞬にしてボクの心を掴んでいく。一度も耳にしたことはない美しい旋律が、この楽譜には確かに存在していた。

「これを彼女が……?」

いや、まさか。
誰か有名作曲家やアーティストの関係者、という線の方がまだ現実的だと思う。何にせよこの楽譜は、元の持ち主に返した方がきっといい。

「問題はどうやって返そうか」

考えながらもう一度楽譜をなぞって口ずさんだ。やっぱり凄く綺麗なメロディーラインだ。

“……凄く綺麗”

ふと彼女の言葉を思い出した。何に対してそう思ったのか。ボクは今それを、とても知りたい衝動に駆られている。

「ごめんなさい。遅くなったわね」

ガチャリと勢いよくドアが開き、息を切らした姉鷺さんが運転席に乗り込んだ。

「次の雑誌の取材なんだけど、三本立て続けに入っているから、その前に軽く何か食べておく?」
「…………」
「天?聞いてるの……って。何見てるの?それ」

バックミラー越しに、ん姉鷺さんと目が合った。

「宅配ピザ、かな」

嘘は言っていない。これは宅配ピザの楽譜なのだから。

「ピザ?天が?」
「何か変なことを言いました?」
「だって貴方、人一倍食べる物には気を遣ってるじゃない。オムライス以外の炭水化物は特に」
「そうですけど……でも今は何だかそういう気分で」
「へぇ、珍しいこともあるものね」

お互いの話は違えど成り立つ会話に、思わず笑みを零してしまった。

「そういえば今度のアルバムで、あの昴がTRIGGERにニ曲も作ってくれるって話。もうすぐ一曲目が出来上がるみたいよ」

昴──すばる。
数年前に突如現れた天才音楽家の名前だ。今や日本中の誰もが、その存在を知っていると言っても過言じゃない。公表されているのは昴という名前のみで、年齢や性別など、ありとあらゆる詳細が不明とされている。

作詞能力の高さもさることながら、注目すべきは作曲編曲能力。ただ一つ確かなことは、昴は誰もが素晴らしいと感じる音楽を生み出す、稀有なメロディーメーカーなことだった。

「昴の話を持ちかけてきたのって、時田さんでしたよね?」
「そうよ。天才音楽プロデューサーの時田尚茂。詳しい経緯は分からないけれどね」

天才の名の通り、プロデューサー時田尚茂をこの業界では知らない者はいない。ボク達TRIGGERも何度か一緒に仕事をしたことがある。その時田さんから、昴からの楽曲提供の話が来た時は、うちの社長がかなりご機嫌だったのを覚えている。

「時田さんがどうかした?そうそう。彼、レコーディングにも参加してくれるそうよ」
「……それは凄く楽しみですね」
「何でもレコーディングに限っては、超曲者って話もあるけどね」

昴の曲はこれまで幾度となく聴いてきた。楽曲提供してもらえるのは光栄なことだし、どんな曲が出来上がるかとても楽しみにしているのも本当だ。
ただ今は、目の前のこの曲に心を惹かれてしまっている自分がいた。

「……ピザより美味しいのかな」
「は?ピザ?」

そんなことを思いながら、ボクは楽譜を再び鞄の中へとしまいこんだ。



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