第18話 雨雲レンズ 今夜行われるTRIGGERのツアーファイナル公演。 そのコンサート会場に私はいた。 「今日は関係者の方々もかなり来ていますね」 「おう。こうも有名人だらけだとお前には逆に好都合だろ。気兼ねなく楽しめ」 確かに目の前にはテレビで見たことある人達がたくさんいる。これなら時田さんの姪として潜り込んでる自分が、下手に注目されることはまずないだろう。 「俺はちょっと用があるから抜けるぞ」 多方面に多くの関係者がいる時田さんは、こういう場では常に声をかけられる存在だった。有名音楽プロデューサーの名は伊達じゃない。 時田さんと離れ一人になった私は、部屋の隅に立ち尽くしたまま周りを眺めていた。こうして見ると女優さんやモデルさんっていうのは、心底綺麗な人ばかりなのだと改めて思う。無論引きこもってばかりの自分とは大違いだ。 “ボクは名前のことが好きだよ” 不意に先日の天くんの言葉を思い出した。 こんなきらびやかな世界にいる人なのに、どうして自分を好きになってくれたのだろう。未だに夢なんじゃないかと何度も思ってしまう。 「かーのじょ。一人?」 俯いたままでいると頭の上から声が降ってきた。誰かと思い焦って顔を上げるも、目の前にいる彼の姿で戸惑いはすぐに安堵へと変わった。 「百さん!」 「名前ー!」 声をかけてくれたのが百さんだと分かると、思わず笑顔が零れてしまった。そんな私を見てか百さんが両手を広げ、私をぎゅっと抱きしめてくれる。 「こらモモ。そんなことしたら目立つよ」 「そっか……!ごめんごめん」 もちろんその横には千さんもいる。 「名前も来てたんだ。まさか一人でじゃないよね?」 「いえ。時田さんと一緒に来たんですけど、時田さんは用があるからっていなくなってしまって」 「じゃあ戻って来るまでオレ達といようよ!」 「いいんですか?」 正直一人になった途端、場違いなんじゃないかと心細くなっていたところもあったから、百さんがそう言ってくれて凄く嬉しかった。にこにことご機嫌になる私の耳元で、百さんが内緒話をするように囁く。 「そういえば名前の新曲聞いたよ!凄く良かった!」 「本当ですか……!?」 「うん、オレあの曲すっごい好き。あれってIDOLiSH7が歌うんだよね?」 「そうですよ。あ……そういえばお二人にお伝えしなきゃいけないことがありまして……」 「どうしたの?改まって」 どこか心配そうな千さんに顔を覗かれる。 IDOLiSH7に自分の正体がバレてしまったことを話さないと、と思った時だった。 「こんにちは、名前さん」 今度は柔らかく可愛らしい声が私の名を読んだ。 「あ……こんにちは、紡さん!」 「お久しぶりですね!先日はありがとうございました」 「こちらこそ今日は打上げまでよろしくお願いしますね」 声をかけてきた相手はIDOLiSH7のマネージャーである紡さんだった。 紡さんとは初めて会ったあの日に、同い歳なこともあってすぐに意気投合し、その後も個人的に連絡をとる仲になっていた。そのことは今はもう女の子の友達なんて一人もいなかった私にとって、本当に嬉しいことでもあった。 「あれ?マネ子ちゃん、だよね?」 「ああ!ご挨拶が遅れて申し訳ありません……!千さん、百さん、お疲れ様です」 「……二人はどういう関係なの?」 千さんが不審がる気持ちは十分分かる。つい先日までRe:valeしか私の素性を知らなかったのに、TRIGGERに続いてこの有様だ。特に千さんは常々私のことを気にかけてくれていたから、軽率だって怒られるかもしれない。 「あの……本当に色々ありまして、IDOLiSH7の皆さんにも私の正体がバレてしまいまして……」 縮こまりながら小声で話す様子は、まるで叱られる前の子供のようだと自分でも思う。 けれど二人は深く追求することもなく。 「うん、でもIDOLiSH7の皆なら大丈夫そうじゃない?」 「そうね。皆いい子達だしね」 変わらない優しい笑顔を向けてくれた。 「名前は打上げも参加するの?」 「はい。ただ初めてのことで少し不安なので、紡さんに一緒にいてもらうことになりまして」 「あおりんは?」 「どうしても外せない仕事が入ってしまったようです」 出発ギリギリまで嘆いていた青山さんの姿を思い浮かべる。一応紡さんが一緒にいてくれることで、こうして参加することを許してはもらえたけれど、時田さんとは逆で青山さんは打上げの参加は反対していた。 「そりゃ、あおりんは気が気じゃないだろうね」 「彼のことだから今頃本気で泣いてそう。関係者って一言で言っても色んな奴がいるからね」 「あー……了さんとかには絶対関わってほしくない……」 「来てるの?」 「いや。けどあの人ってふらっと現れてそういうことするタイプじゃん?」 Re:valeの二人が誰のことを話しているのか分からず、二人の顔を交互に見ていると、千さんの顔が私の耳元に近づいた。 「名前。打上げでは知らない男とは喋っちゃ駄目だよ」 千さんがとても甘い声で囁くものだから、いつもの悪ふざけと分かっていても思わず顔が熱くなってしまった。 「聞いてる?」 「はい、聞いてます……!ちゃんと肝に銘じておきます……!」 「心配だからやっぱり僕も参加しようかな」 「ユーキー。コンサートが終わったらオレ達はすぐ仕事だよ。あ、時田さん戻ってきた」 「本当だ。じゃあ名前、また連絡するよ」 去っていくRe:valeに手を振って見送ると、紡さんにそっと袖口を引っ張られる。 「Re:valeのお二人とは仲が良いんですか?」 「活動前からお二人にはお世話になっていて、私にとって兄のような存在なんです」 「なるほど。名前さんのことをとても大切になさっているように見えたのは、そういうことだったんですね」 Re:valeと入れ違いで時田さんが私達の元へ戻ってくる。そして私達もRe:vale同様、用意された関係者席へと向かった。 席に座りコンサートが開幕するのを待つ間、私は今一度携帯を手に取った。開いた画面は今朝天くんとやりとりしたラビチャだ。 “体調は大丈夫ですか?” “もちろん。誰に向かって言ってるの?それにキミが来るなら、カッコ悪いところだけは見せられないしね” “そんな。天くんはいつだってカッコいいですよ?” “それはどうもありがとう。今夜は心置きなく楽しんでいって” “はい!ありがとうございます” “キミがTRIGGERのために作ってくれた曲は、ボク達がファンのために全力で歌うよ” 私達はあの夜自分の想いを打ち明け、互いに好き合っているということを知った。けれどそこから私達の関係が発展することはなかった。多分それはお互いにさせなかった、という方が正しいのだと思う。 天くんが好き。 その気持ちに変わりはないけれど、付き合いたいとか独占したいという気持ちはあまり芽生えなかった。 彼はアイドルであり大切なファンに対してどうあるべきかを、常日頃考えて生きてきた人だ。そんな彼に迷惑だけはかけたくない。だから好きだと言ってもらえて、そして自分も好きだと伝えられただけで、それだけで私は十分だった。 “会いたくなったらまたここに来るよ” それでも天くんは帰る間際にそう言ってくれた。 それがとてもとても嬉しかった。恋人同士になったりする必要なんてない。これ以上を求めるだなんてきっとバチが当たる。 「名前さん、始まりますよ」 紡さんの声に顔を上げると会場は暗転し、TRIGGERのコンサートは幕を開けた。 大歓声と共にTRIGGERの三人が姿を現す。それを私はじっと黙って見つめていた。歌もダンスも演出も全てが超一流のエンターテイメントだ。一瞬たりとも目を逸らせない。 「やっぱり凄いですね……TRIGGERは」 紡さんの言葉に私は静かに頷いた。私は天くんが、TRIGGERが、そして音楽が何よりも好きだ。 彼には負けたくない。対等でいたい。そして私にしか作れない音楽を作りたい。この感情は初めてTRIGGERのコンサートを見たあの時よりも、ずっとずっと強いものになっていた。 本編ラストを前にある曲のイントロが流れる。 その瞬間、観客からはより大きな歓声が上がった。 「お前の曲、今日一番の大歓声だな」 時田さんに言われ唇をぎゅっと噛み締めた。 自分の曲で会場が一つになって沸いているのが、目の前にハッキリと見える。それは生まれて初めて見る光景だった。 “今回のツアーで一番人気があった曲は紛れもなくキミの作った曲だよ” 天くんの言ったことは本当だったんだ……。 「自分の曲なんかでこんなに……」 「言ったじゃねぇか。お前は天才だって」 「私は……違いますよ」 「そろそろ認めてやってもいいんじゃねぇか?お前がお前自身を」 「私、自身……」 「お前は普通の生活も学校も友達も全てを捨ててこの世界に入ってきた。どこよりも汚くてシビアなこの世界にだ。そして一度も弱音を吐かず重圧にもずっと耐えてきた」 時田さんの言葉に目頭が熱くなる。零してはいけないと堪えようとしても頬には涙が伝っていた。 「ガキのお前が誰よりも努力してきたことは俺が一番よく知ってる。だからそろそろ自分で自分を褒めてやれ」 昴として自分の楽曲がどれだけ売れようと、それが自分のことだと実感出来ないことは多々あった。どれだけの富や名声を手に入れようとも、私が本当に欲しかったものはそんなものじゃなかった。 多分私はずっと誰かに認めてもらいたかったんだと思う。私の音楽と私という存在を。 それを私は今全身で感じることが出来ている。だからこんなにも嬉しくて涙が出るんだ。 「時田さん……私、まだまだ頑張れそうです。さっきからずっとメロディーが湧いて止まらないんです……」 「そうかよ。そりゃ期待してるぜ。なんたってお前はうちのドル箱だからな」 時田さんにぐしゃりと頭を撫でられる。 私は涙を拭いながら最後まで彼等の音楽を、そして大好きな彼の音色を聞き届けた。 ◇ そうして大盛況だったTRIGGERのツアーは無事最終公演を終え幕を閉じ、予定通り私と時田さんと紡さんは打上げ会場へと移動した。会場内はすでに多くの人で賑わっており、中に入るのも気後れするほど豪華なものだった。 「凄いですね……!有名人の方はもちろん業界関係者の方もたくさんいらっしゃいます」 「紡さん……。何だか私、ここにいちゃいけない気がしてきました……」 「何を言っているんですか!いていいに決まってます!それに……あ、あそこ。TRIGGERの皆さんがいますよ」 紡さんが指差す方に視線を移せば、人混みの間から天くんの顔がちらりと見えた。楽しそうに話している姿を見て自然と私も笑顔になってしまう。 「TRIGGERの皆さんにご挨拶をしてきましょうか?」 「えっと……私はその……大丈夫ですので、紡さんだけ行ってきて下さい」 「そうですか……?ではすぐに戻って参りますので」 そう言って紡さんは人混みの中へと消えていった。 一方私はというと部屋の隅でじっと黙って打上げの様子を見つめていた。その間何度か天くんの方に視線を向けるも、天くんと目が合うことは一度もなかった。 天くんはそのへんに関してとても徹底としていた。私との関係や私の素性そのものが周囲に知れ渡らないように、という配慮が遠くからでも伝わってくる。 やっぱり私はここにいちゃいけない気がする。 「名前さん、お待たせしました」 「おう。苗字」 このまま帰ろうと思ったタイミングで紡さんが戻ってくる。そしてその横には八乙女さんの姿があった。 「八乙女さん……!お疲れ様です」 「紡から話は聞いた。苗字もコンサートだけじゃなくて打上げまで来てくれてたんだな」 あ、今の声色ですぐに分かってしまった。 八乙女さん、紡さんのことが気に入っているんだ。 ならここはやっぱり……。 「紡さん。大変申し訳ないんですけど、私は一足先に帰宅することにしますね」 「え……!?ご帰宅されるんですか?なら私も今日はここで……」 「いえいえ!紡さんはまだいて下さい。つもる話はまだありそうですし。ね、八乙女さん」 「あ、ああ……まぁ」 私が合図するように笑顔を向けると八乙女さんも意図をくんでくれたのか、少し照れくさそうな顔をして返事をしてくれた。 「では私はこれで失礼します」 「待って名前さん……!私、外まで送ります」 そう言って紡さんは小走りをしながら私の横に並んだ。そのまま二人で談笑しながら入口に向かう。 今日は紡さんがいてくれて良かった。 「また連絡しますね」 「はい、名前さんもお体には気をつけてお仕事頑張って下さいね」 そうしてタクシーを一台拾い、乗り込もうとした時だった。 「苗字さん」 大好きな音色に呼ばれ咄嗟に後ろを振り返る。 「九条、さん」 するとそこにはいるはずのない天くんが立っていた。 「……あの、どうして」 「楽から苗字さんが帰るって聞いて」 「そうでしたか……。えっとあの……」 まさかこうして話せるとは思ってなかったから、言葉に詰まってしまった。 それでも紡さんのいる前だ。余計な話も名前で呼び合うことも一切出来ない。 「……今夜も素敵なコンサートにご招待して下さりありがとうございました。とても楽しかったです」 「こちらこそ今日は来てくれてありがとう」 これだけ話せれば十分だ。早くお別れしないと。 そう思ってタクシーに乗り込んだところで、ドアを抑え車内を覗き込むようにこちらを見る天くんと視線がぶつかった。 そして彼の唇がほんの僅かな音を立てて動く。 “また連絡する” 私の耳はハッキリとその声を捉えていた。 「じゃあ、おやすみ」 「はい……おやすみなさい」 ほんの少し話しただけでうるさいくらい心臓が高鳴っている。 バタンとドアが閉まり発進した車内で、私は自分の顔を両手でパタパタと仰いだ。 「この調子じゃ私のせいでバレちゃうかもしれない……」 この夜、私は味わったことのない幸せをたくさん噛みしめていた。 幸せであることが怖いなんて思いもしなかった。 幸せなんて一瞬で失ってしまうこともあるのだと知っていたはずなのに。 ◇ そこから数日はいつもと変わらない毎日。今日も溢れ出るメロディーから音楽を作る日々を過ごす。 そのはずだった。 「名前ちゃん。とにかく急いで事務所に来てほしいんだ」 それは青山さんからの一本の電話が始まりだった。当たり前の日常が音を立てて壊れていく予兆。 言われるがまま事務所へと向かった私を待ち受けていたのは、神妙な面持ちをした時田さんと青山さんの二人だった。 「……どうしたんですか?お二人共そんなに怖い顔をして」 本当に怖いと思ったのは二人から聞こえる音色だ。二人のこんな音は初めて聞いた気がする。怒っているのか悲しんでいるのかはっきりとは分からないけれど、とても不穏な音はこの部屋に入った時からずっとしていた。 「名前ちゃんに今すぐ確認したいことがあるんだ」 「確認って……何をですか?」 青山さんが数枚の写真をテーブルの上に並べる。 そうして青山さんはゆっくりと私に問いかけたのだった。 「ここに映っているのは名前ちゃんと……TRIGGERの九条くんで間違いがないか聞かせてほしい」 私は一体何を浮かれていたのだろう。 幸せを壊すシャッター音が、今になってようやく頭の中に鳴り響いた気がした。 [ back ] |