第15話 七色のメロディー 前編 元々電車が苦手だったこともあるけれど、この仕事をしてから更に電車に乗る機会は減った。 それでも時々電車に揺られて旅に出たくなる時がある。 その旅は時々私に新しい音楽との出逢いを与えてくれることがある。 ただし大抵いつも後悔するのことの方が多いのだけれど……。 「うう……気持ち悪い」 電車を降りしばらく歩いたところで私は足を止めた。 生まれつきあった特殊な聴覚のせいで、昔から人酔い──ならぬ音酔いすることはよくあることだった。 今はコントロール出来るようになったとはいえ、苦手としている電車ではその症状が未だに顕著に現れやすい。 強い吐き気に襲われその場でうずくまりかけていると 「ねぇ、あんた大丈夫?」 背後から男性の声がした。 顔を上げて大丈夫ですって言わなきゃ。 ああでもやっぱりダメかも。このままじゃ倒れ──。 最後に覚えている光景はその男性の顔と、彼の腕が伸びてきたところまで。 そうして私の視界は真っ黒になった。 ◇ この耳は音と共に色や感情までもが聞こえてくる。 私は知りたくもないことを知ってしまうこの特殊な聴力が大嫌いだった。 人の心なんていつもうるさくて、そのうえ私をいつも傷つける。 だから何度も何度も自分を呪った。 『お兄ちゃん……聞きたくもないのに、またたくさんの音が聞こえるの……』 『……それは困ったな。よしじゃあ今日は何が聞きたい?』 『弾いてくれるの?』 『名前だけ特別』 『じゃあお兄ちゃんの曲がいい。海の曲』 才能溢れるお兄ちゃんが作り出す曲が私は大好きだった。 いつだってお兄ちゃんの音色は私を救ってくれた。 でももうその音を聞くことは二度とない。 人は死ぬと空に昇っていくという。 それならお兄ちゃんは今も空から私に音楽を届けてくれているのだろうか。 それはまるで降り注ぐ雨のように。 ──ねぇ。昴お兄ちゃん。 うっすら目を開け視界に映ったのは見知らぬ天井と、心配そうに私を覗き込む女性の顔。 「……大丈夫ですか?」 「あれ……私」 頭がまだぼーっとしていて、そう問われてもすぐさま返事をすることが出来なかった。 背中の感触とかけられた毛布から、どうやら自分はここで眠っていたようだと推測出来た。 「皆さん、目を覚ましましたよ」 「本当!?良かったぁ!」 「Oh!やはりとってもキュートなレディです!」 「こら陸、ナギ。いきなり大きな声を出したらびっくりするだろ」 「そうですよ二人とも。兄さんの言う通りです」 「どこか具合が悪いところはありませんか?」 「知らない場所で驚いてるかもしれないが、あんたが倒れそうになったところをうちのタマが助けたんだ」 「気を失ってたからどうしていいか分かんなくて、とりあえずここに連れてきた」 いつの間にやら私の周りには続々と人が集まり始め、視線が一気に私へと向けられる。 そんな中最後に口を開いた男の子は、倒れる直前に見た顔であることは間違いなかった。 「ご迷惑おかけしてすみません……。それから助けて下さってありがとうございます」 ということは彼等の言う通り、私は倒れそうになったところを助けてもらったのだろう。 「最初タマが女の子を抱えて帰ってきた時は、さすがにお兄さんもびっくりしたよ」 「でもちゃんと人助けをして偉かったね、環くん」 「じゃあご褒美に王様プリンちょうだい」 「さっき食べたばっかだろ」 再びわちゃわちゃと喋り出す彼等の姿を見て、とあることに気付いた。 この顔ぶれとこの声色。多分間違いないと思う。 「IDOLiSH7……?」 その名を口にすれば一斉に皆がこっちを振り返った。 「わぁ!オレ達のこと知っててくれてるの?」 「七瀬さん……!」 「何するんだよっ、一織!」 「陸、忘れたのか?」 不穏な空気が流れていることは私も瞬時に察した。 もしかしてグループ名を間違った……? いやでも間違いなくIDOLiSH7だと思うんだけど……。この前まで新曲の作業でずっと聞いていた声だし。 「あの……不快な思いをさせたらすみません。大変失礼かとは思うのですが、一つだけ確認させて下さい」 様子を伺う私に目の前の女性が申し訳なさそうに声をかけてきた。 「貴方はIDOLiSH7のファンの方でしょうか?」 「え?私がですか?」 「最近この寮の場所を特定しているファンの方が増えてきてまして、それでその……中にはいきすぎた行動をする方もいらっしゃったりして……。いきなり疑うようなことをして申し訳ありませんが、最近特にエスカレートしてる人がいるみたいで皆さん困っていたところなんです」 「私達も別に貴方が犯人だと言ってる訳ではありませんが……」 「おい、一織」 なるほど。彼等はIDOLiSH7でここは彼等が住む寮。 そして私がIDOLiSH7のファンで、偶然を装ってここに来たんじゃないかと疑っているということだ。 無論それは全て見当違いではあるのだけれど、そのおかげでアイドルというのは普通の生活をすることすら難しいという現実を垣間見た気がする。 さてそれをどう弁解すればいいのか。 別にファンではなく普通に彼等の存在を知っていた一般人を装えば事は済むのだけれど、この先彼等とはまたどこかで会うことがあるかもしれない。 そうなると話がややこしくなりそうでもある。 だからと言って本当のことを話す訳にもいかないし……。 「あー……えっと、ファンかファンじゃないかと言われればファンになるのかな……?」 面と向かってファンじゃないなんて言葉を言うのも気が引ける。 現に私はIDOLiSH7の歌声が大好きだし、とても良いグループだとも思っているから。 「それはどういう意味ですか?」 「皆さんのことは伯父からよく話を聞いていたので存じておりました」 嘘をつくならやっぱりこの設定が一番妥当だ。 「伯父というのは一体どなたのことですか?」 「音楽プロデューサーの時田尚茂です」 「「「と、時田尚茂ーーーー!?」」」 皆のあまりの驚きように、思わずこちらまでびっくりしてしまった。 やっぱり有名音楽プロデューサーの肩書きは伊達じゃないってことだ。 「って誰だっけ?」 「環くん!君はなんてことを……!」 「この前レコーディングで散々世話になっただろ!」 「あーあの強面の顔したおじさんか」 「タマ……!馬鹿お前……!」 「あははっ、はは!確かに強面ですね。私もそう思います」 その言葉に思わず私も吹き出してしまった。 そうか。そういえばIDOLiSH7のレコーディングは時田さんにお任せしたから、その時に接点はあるんだ。話が早くて助かった。 「た、大変失礼致しました!私、IDOLiSH7のマネージャーを務めています小鳥遊紡と申します!」 「いえそんな!頭を上げて下さい……!私はただの姪ってだけで……」 「でも何も知らずに疑ってしまって……。それに時田さんには先日大変お世話になったばかりなのに……」 「僕達、この前時田さんと一緒に新曲のレコーディング作業をしたんです」 「そうそう。すっげぇいい曲だから発売したら聞いてほしい」 私を助けてくれた彼が、私を真っ直ぐ見つめてそう言った。 歌ってくれたアーティスト本人から、良い曲と言われることがどれほど嬉しいか。 その曲を作ったのは私だと、思わず伝えたくなってしまう。 「オレもあの曲大好き!」 その声色に私の耳が一瞬で反応した。 私の聴覚は直接会った時が一番その人の音や色をはっきりと捉える特徴がある。 それは音源やテレビ越しでは聞こえない、その人の根本とも言える音。 今目の前にいる彼からした音に反応してしまったのは、大好きな彼と音がリンクしたから。 まさかそんなこと──。 「オ、オレ何か変なことでも言ったかな?」 無言でじっと見つめる私に不安を覚えたのか、キョロキョロしながらメンバーに助けを求めている。 もっと彼の声が聞きたい。 もっと彼のことを知りたい。 「貴方は確かIDOLiSH7のセンターの七瀬陸さんですよね?」 「は、はい。そうです!」 私にしか分からない綺麗な音が聞こえる。 ほら、やっぱりこの音色は私が大好きな音色ととてもよく似ている。 TRIGGERの九条天と同じ音色──。 「私、貴方と二人きりでお話がしたいです」 「え……ええっ!?」 再び全員が驚きの声を上げた。 「オーノー!なぜワタシとじゃなくてリクなのですか!?」 「ナ、ナギさん。そういう問題じゃ……」 「七瀬さんに何のお話があるんですか?」 「それは秘密です」 「アンタ、りっくんのファンだったんだ」 「そうではなくちょっと確認したいことがあるだけです。皆さんが不安になるのは分かりますが、襲ったりやましいことは絶対にないと誓います」 「や、やましい……!?貴方今何てことを……!」 「落ち着けイチ」 素性を隠しながら話を進めるのは何とも難しい。 嘘に嘘を重ねるから自分が疑わしい存在になってしまうのは当然だし、でもこの機会を逃したくないのも確かだ。 それに今はまだ安易に天くんの名を出すことも出来ない。 「オレ、彼女と話してきます」 どうしようか考えていると、彼の方からそう切り出してくれた。 「陸さん、でも」 「大丈夫ですよね?」 彼が私に問いかける。 とても真っ直ぐで純粋な音を奏でる人だと思った。 「はい。お約束します」 そうして私達は皆が心配そうに見守る中、彼の部屋へと移動した。 ◇ 赤やオレンジを基調とした彼の部屋に入ると、真っ先に目に入ったものがあった。 それはテレビの前に置かれたTRIGGERのライブDVDだった。 「それでオレに話したいことって何ですか?」 互いに向かい合うような形で座り見つめ合う。 話を切り出すにはまだ情報が足りない。 だからもっと彼から引き出さないと。 「TRIGGER、お好きなんですか?」 パッケージを手に取り彼に問う。 「とてもカッコいいですよね。センターの九条さんについてどう思いますか?」 「え?えっと天に……っ、じゃなくて……九条さんは本当にアイドルとして完璧で凄い人だと思います」 今のは本心。でもどこか寂しそう。 「お会いしたことはありますか?」 「はい。音楽番組とかで会ったりはします」 「そういえば時田さんから聞いたことがあるんですけど、二人は芸能活動を始める以前から知り合いだったとか」 もちろんそんな話は聞いたことはない。 確実な情報──という名の音を聞き出すための作り話だ。 「えっ。いえ、九条さんを知ったのはこの世界に入ってからですけど……」 今のは嘘。 そして天くんにIDOLiSH7の話をした時と同じ、何かを誤魔化そうとした時の音。 やっぱり私の聴覚は間違っていないと思う。 「それでその、肝心な話って……?」 「では率直に聞きますね。九条さんと七瀬さんは双子の兄弟なんですか?」 無言だろうと誤魔化せはしない。 彼の音が私に正解だと教えてくれたから。 二人は歌手としての声質も声色も違う。 だから音楽を聞くだけでは分からない。 伝わってくる感情も他の人と変わりはない。 ただ一つだけ、誰しもが潜在的に鳴っている根本的な音だけが全く同じなのだ。 そしてこれは双子に遭遇した時によく起こる現象でもあった。 ──私にしか分からない、私だけの世界の話。 「どうしてそれを……っ」 だからそれを説明するには全てを話さなければならない。 自分の素性は明かしてはいけないことは分かってる。 けれども目の前の彼の存在は見過ごせなかった。 きっとそれは好きな人に関わることだったからだと思う。 天くんのことがもっと知りたいと、欲張りが加速した結果が招いたことだった。 「色々嘘をついてごめんなさい。貴方には本当のことをお話しますね」 「キミは一体……」 「先ほどお話していた時田さんとレコーディングした、IDOLiSH7の新曲ありますよね」 「あ、はい。オレの大好きな曲って話した……」 「あれを作ったのは私です」 ……全く反応がなくなってしまった。 いきなり話したからあまり理解してもらえなかったのかな……? 「え、え?あれ?確かあの曲、昴さんに作ってもらった曲だった気が……」 「あ、そうです。だから私が昴なんです」 「誰が?」 「私が」 沈黙が流れること数秒。 「えええっ!………ぅっ!」 「大きい声を出したらダメです……!他の方にバレてしまいます!」 咄嗟に彼の口を両手で塞いでしまった。 もごもごと息苦しそうにする彼の表情を見て急いでその手を離す。 そして彼に自分が昴である実情と自身の聴力のこと、それから天くんとの関わりについてなど一通り事の経緯を説明した。 「昴が女の子で同じ歳だったなんて驚きました」 「同じ歳なんで敬語、使わなくてもいいですよ。私も陸くんってお呼びしてもよろしいですか?」 「もちろん。じゃあオレは何て呼べばいいかな?」 「一応本名は苗字名前といいます。名字でも名前でもお好きなようにどうぞ」 「じゃあ同じ歳だし遠慮なく名前って呼ばせてもらう」 太陽みたいに笑う人だと思った。 歌声は星のようにキラキラしていてとても心が純粋な人。 「名前は天にぃとよく会ったりするの?」 「よく、ではないですけど時々。陸くんは会ってはいないんですか?」 「うん……。仕事以外では基本的に会ってはくれないし、昔みたいな関係には中々戻れなくて……」 だけど陸くんは時折とても暗く寂しい音を出す人でもあった。 その原因が何なのかは私にははっきりとは分からない。 私にも様々な事情があるように、天くんにも陸くんにもきっと抱えているものがあるのだろう。 それでもやっぱり諦めてほしくない。 私のように大好きな兄に二度と会えない訳じゃない限りは。 「天くんは強くて優しい方ですから、きっと何か考えがあるんじゃないかと私は思います」 「そうかな……」 「それでも可愛い弟を悲しませるのはダメなお兄さんですね。……なんて、私が言ったらキミには関係ないでしょって怒られる気がしますが」 「ははっ。今の天にぃにそっくり」 二人で笑い合うとまた楽しい音が彼から聞こえてくる。 「ということで私の話は済みましたので、そろそろ皆さんのところへ戻りましょうか」 「はー!それにしても本当にびっくりしたぁ!」 「あ、陸くん。くれぐれも皆さんには昴のことは内緒にしておいて下さいね」 「もちろん分かってるよ!」 そして私はもう一度IDOLiSH7の七人が揃う場所へと戻るのだった。 [ back ] |