第14話 恋心 初めて天くんが遊びに来てからどれくらいの月日が経っただろう。 テレビもずっとつけていないし、まともにカレンダーも見ていなかったから、何日経ったかなんて分かりもしない。 そのせいかは分からないけれど、何だか何ヶ月も会っていないような錯覚に陥ってしまう。 それはあの日がとても楽しかったからだろうか。 それとも自分の城からほとんど出ることなく、ひたすら作業をし続けているからだろうか。 またも作業部屋にはピザの箱が山積みになっていた。 「ふぅ。そろそろ休憩ー……」 ひとまず切りのいいところで制作の手を止め、腕を伸ばし大きく深呼吸をした。 次にその手は作業机の上に置かれた携帯へと伸びる。 画面を見ても彼からの通知は一切なかった。 「当たり前か」 あの日天くんはこれからツアーが始まって忙しくなるって言ってた。 元々過密スケジュールだろうにそれに加えてツアーで全国を周るとなれば、どれくらい忙しいものかなんて万年引き籠りの私に分かるはずもない。 彼との接点はIDOLiSH7の楽曲が出来たら教えてほしいと言われて、一度だけラビチャを送ったのが最後だった。 リビングに出て何気なくテレビをつける。 するとそこには今しがた頭の中に思い浮かべた彼の姿が映っていた。 ああ、これは確か去年天くんが出演した恋愛ものの映画だ。テレビで放送してくれてるんだ。 『キミに会いたかったから』 画面越しから聞こえてきた声に、思わず体がビクっと反応してしまった。 「いやいやこれは演技!台詞!」 テレビから流れる台詞のせいで、あの日の背中越しの体温や声がはっきりと蘇ってしまった。 急に顔が熱くなりパタパタと手で顔を扇いでいると、着信音がなり響いた。 『お疲れ様。今大丈夫?』 「はい。大丈夫ですよ、千さん」 電話の相手はRe:valeの千さんだった。 『新曲聞いたよ』 「え、もうですか?」 『マスタリングが終わってすぐに、あおりんが事務所まで持ってきてくれたんだ』 「どうでした……?」 『うん。今回も凄く良かったよ。物凄い短期間で仕上げたんだって?それでよくここまで仕上げたね』 「何でもタイアップの関係で発売日を変更したいと言われまして……。そのおかげでスケジュールに空きがなくて、今回はレコーディングに参加出来なかったのが心残りですけど」 『IDOLiSH7の曲だったよね。僕達も歌ってみたかったな』 「ふふ、何言ってるんですか。千さんの曲に敵うはずないのに」 制作活動を始めてから曲が出来上がると、千さんは必ずこうして感想やアドバイスをくれる。 最初こそたくさんダメ出しもくらったし、落ち込むだけ落ち込んだ日も多々あった。 最近は褒められることが多くなったとはいえ、何年経ってもこの感想を聞く瞬間だけは心臓に悪いものがある。 『最近かなりの依頼数をこなしてるんだって?』 「何でか分からないですけど、不思議なことにどんどん曲が湧いてくるんですよ」 『恋でもした──?』 「は……?え……っ!?」 電話越しに千さんの小さな笑い声が聞こえる。 「今のは名前の耳がなくても何を考えていたか分かる反応だな」 『私が恋なんてそんな!ずっと家にいて曲作ってるだけですし、今だって女子力の欠片もない凄い恰好なんですよ?』 誤解だからと言って急に饒舌になって弁解している自分も、それはそれで傍から見れば益々怪しいだろう。 だって千さんがいきなり変なことを言うから……。 『名前も年頃なんだしいいんじゃない?』 「だから誤解ですってば」 『……やっぱり妬けるけどね』 「え?」 『いや。僕よりいい男じゃないと認めないよって言いたかっただけ』 「そんな人早々いるわけないので、それだと私は一生彼氏すら出来ないですよ」 『その時は責任とってあげるから僕のところにおいで』 昔から千さんはまるでドラマのワンシーンみたいなことを口にする。 こういう冗談ばかり言う千さんにも慣れてはきたけど、全く照れないわけでもない。 何でも魅力的になってしまうところは王者たる所以ともいえる。 ──ピーンポーン。 「あ、誰か来たみたいです」 『名前の想い人かな?』 「もうまたからかって。この時間なら青山さんしかいませんから。それじゃあまた連絡しますね」 『うん、またね』 千さんとの電話を切り急いでモニターへと向かう。 こんな時間に何の用だろう?いつもは来る前に一本電話してくれるのに。 はいはーいと陽気な声を出して画面を覗くと、私の体が一瞬で硬直してしまった。 “名前の想い人かな?” 先ほどの千さんの言葉がこだまする。 「え……え、えええ!?どうして天くんが……!?」 モニター越しに見えるのは紛れもなく天くんだった。 「待って!何で?ツアーは?どうしてここに!?そ、それより私こんな恰好で出られないよ……!」 ボサボサの髪の毛に気の抜いた部屋着。 散乱した作業部屋に積み上がったピザ箱。 引き籠りをより強調したこの有様を天下のトップアイドル様に見せられるはずがない。 ああ、でも早くしないと待たせたままに……。 ひとまず家には上げるかどうかは置いておいて、呼び鈴には出ることにした。 「はい……!」 『急に来たりしてごめんね。九条です』 「ぞ、存じております」 『存じてって』 あの日以来の天くんだ。モニター越しだとしても笑ってるその姿に、自分もつられて笑ってしまった。 『大した用じゃないしこんな時間にどうかなって思ったんだけど、マスタリング出来たって聞いたから』 「あ、新曲のですね……!はい、えーっとえっと」 上がってもらって聞いてほしい気持ちはあるけれど、こんな恰好では出られたもんじゃない。 どうしようかと困っていると、それを察したように天くんが口を開いた。 『聞かせてもらえたらって思ったけど、やっぱり日を改めるよ』 「天くん、あの」 『ただ一つだけお願いしてもいい?』 「お願いですか?」 『タオルを貸してもらえるかな。タクシーを降りた時にどしゃ降りに当たっちゃって』 は……?どしゃ降り? 作業部屋にこもっていていたから気付かなかった。もしかしてもしかしなくともまた私、雨女発動した?九条天がどしゃ降りにあたって風邪でも引いてしまった日には……! 「今すぐ開けます!早く部屋にいらっしゃって下さい……!」 恰好のことなどすっかり頭から消えた私は、持てるだけのバスタオルを抱え込んで玄関へと走った。 今か今かと待ち構え鍵を開けると、そこには本当に頭から雫を滴らせた天くんが立っていた。 「大丈夫ですか!?とにかくこれを使って下さい!」 「タオル……持ってきすぎじゃない?」 「だって私のせいで雨にあたってしまったかもしれないので……」 「キミに会う時は本当にいつも雨かもね。今もここに向かう途中で突然降り出したし」 ありがとう、と言いながら天くんがふわりと笑う。 天くんは数少ないオフの時間を利用してここに寄ってくれたそうだ。 一応特定されないようにと私のマンションから少し離れたところでタクシーから降車し、そこから傘も持たずにどしゃ降りの中歩いてきた結果こうなってしまったらしい。 そこまで配慮してくれる天くんの優しさに感謝しながら、リビングまでの廊下を歩く。 「ずっと作業してたの?」 「そうですね。仕事以外で外に出ることはほとんどなくて、最近はそれも特にひどかったかも──って……きゃああああ!」 「一体何事……っ?」 ありえないありえないありえない! この恰好で天くんの前に出ちゃった……。 一気に汗が噴き出てまともに天くんの顔が見れなくなる。 「5分だけ……5分だけ時間を下さい……。着替えてきます」 「別にそのままでも構わないよ。素の名前って感じがする」 「私は大いに構いますので……!ここで、テレビでも見てくつろいでて下さい!」 強制的に天くんをリビングのソファに座らせ急いで着替えに向かう。 とりあえず失礼にあたらないちゃんとした服と、それから髪も少し結って、ああ出来ればちゃんとお化粧もしたかった、と考えていたところで手を止めた。 何だか私妙に浮かれている。いやいや曲を聞きに来ただけだし。浮かれている場合じゃない。 私は頭をぶんぶんと振って邪念を払いながら、急いでリビングへと戻った。 「お待たせしました」 「ねぇテレビでも見ててって言ってたけど、さすがに自分のやつは恥ずかしいんだけど……」 「ああ!すみません!あ、でもこの映画テレビで放送するの初めてなんですねぇ」 「そうみたいだね。撮ってた頃がつい最近のことのように思えるよ」 「とっても素敵な映画ですよね。甘酸っぱくてドキドキするシーンもいっぱいで、もちろん天くんの演技も素晴らしいですし。どうせなら一緒に見ます?」 冗談まじりにそんなことを言ってみたら無言で手招きされる。 なので天くんの指示通り近づいてみれば、今度は隣に座るよう促された。 ちょこんと座ってみれば、私の顔を覗く天くんと目が合った。 「本物がここにいるのに、画面の中のボクがいいの?」 「えっ……!?」 「キミがボクをどう思っているか教えてほしい」 “恋でもした?”という千さんの言葉を思い出した。 本当はあの時否定しながらも、もしかしたらなんて気持ちがあった。 だって私は天くんにこんなにもドキドキしている。他の誰でもない、天くんにだけ。 だからきっと私は──。 「確かこうだったかな。この後の台詞」 と言って笑う天くんのすぐさま後で、テレビから『君が僕をどう思っているか教えてほしい』という台詞が流れるのが聞こえた。 ということは今のはつまり映画の台詞を真似していただけで……。 「ひ、人が悪いですよ!何てことをするんですか……!」 穴があったら入りたい……! 勘違いしてしまった自分が恥ずかしすぎて両手で顔を覆う。 「真っ赤になって可愛い。ねぇその顔見せて?」 「今日の天くんは凄まじく意地悪です……」 「そう?もしかしたら名前が可愛いからいじめたくなっちゃうのかもね」 「そ、それも演技ですね。私、もう騙されませんから……!」 「じゃあキミの言う通り演技を続けようか?」 そう言って天くんは私との距離をまた一つ縮める。 「ねぇ、本当はボクのことどう思ってるの?」 「ずっとキミの気持ちが知りたかった」 「……ボクはキミが好きだよ。名前」 そして耳元で囁くように甘い台詞を吐いてみせた。 「せ、台詞を間違っています……!そこは私の名前じゃなくて確か桜ですよ桜……!」 「……そうだったね。ヒロインの名前はキミの言う通り桜だった」 「曲、そう新曲……!急いで持ってきますね!」 ガバっとソファから立ち上がり、カチコチの体で作業部屋へと向かった。 会いたいと言われた日から私達の間に流れる空気の何かが違う。 口には出せないけど、一緒にいる時の天くんから楽しいという感情が音色となって流れてくる。 それが私にはとても嬉しくて、ほらまたこんなにもドキドキしている。 鼓動が弾んで音となって私に知らせる。 もうこれ以上誤魔化しきれない。 私、天くんが好き……。 新しい七色の曲を握りしめながら、その夜私は自分の想いを自覚することとなった。 [ back ] |