第11話 貴方の音色に包まれて 後編 二人とも一体どうしてしまったというのか。目の前で繰り広げられるこれを、どう止めたらいいのか。 「本人が構わないって言ってるんだからいいだろ」 「そういう問題じゃないでしょ」 「何だよ。おまえ名前の前だからって、いい子ぶってるのか?」 「楽のプロ意識が足りないだけでしょ。年下だとしても彼女はプロの音楽家で、ボク達の楽曲を書いてくれた人だ」 「今の言葉そっくりそのまま返してやるよ。年上に対して礼儀がないのはおまえの方だろ!」 止まる気配など一切なく、言い争いがどんどんヒートアップしていく。場を収めるつもりが、余計なことを言ってしまっただろうか。 「天と楽が言い争うのはいつものことなんだ」 どうしていいか分からずオロオロする私に、十さんは溜息をついて言った。 「TRIGGERはコンサートの時みたく歌って踊る時は一つになれるのに、ステージを降りると気持ちがバラバラになってしまうことが多いんだ」 十さんのその言葉でやっと腑に落ちた。三人の声が重なり合わない理由はそれだ。 「今朝も二人はこの調子で衝突しちゃって……」 「……そうだったんですか」 「名前ちゃんに、今日の俺達がコンサートと違うって言われてドキっとしたよ。見透かされてるってね」 「いえ、そんな……」 「名前ちゃんはその耳で、こうしてたくさんの人の心に触れてきたからこそ、あれほど人の心を動かす音楽を生み出せるんだね」 その笑顔に私はまた、兄のような音色を聞いた気がした。 「二人ともそろそろ止めるんだ!」 十さんが間に入って二人を止める。それでも相容れない二人に、十さんは困った表情を浮かべていた。 ステージ上とは違うバラバラなTRIGGER。理解すると色んなことが分かってきた。 「ごめんね名前ちゃん。何だか巻き込んじゃって」 「とんでもないです。でも八乙女さんって、好きだからこそなんですね。九条さんもそうかもしれないですけど……」 「一体何の話だ?」 「同じ言い争いでも、さっき私と言い争っていた時とは音色が違いますから」 「名前ちゃん、それってどういう意味?」 「えっと、上手く説明出来るかな……?八乙女さん、さっき私には本気で怒っていましたけど、九条さんにはそうじゃなくて、怒っていてもちゃんと好意もあるといいますか……そうなると色が微妙に変わるんですけど」 三人の視線が一気に私に向けれられる。 感覚的なものだから、やっぱり上手く伝えられなかったかな……? 「へぇ。楽ってボクのことが好きなんだ」 「誰もそんなこと言ってねぇだろ……!」 「でもキミの音はそう聞こえるみたいだけど」 「そんなもん俺が知るか……っ!」 「……そうですよね。こういうのを伝えるのって気持ち悪いでしょうし、やっぱり良くないですよね」 「違う……っ、別にあんたのせいじゃなくてこいつが……」 「ボクが何?ほら、楽が素直に好きって言えば許してあげる」 「このクソガキ……っ!」 「だから二人とも!止めるんだ!」 凄く不思議。 言い争っているのに仲が良い音がする。 好き、というより信頼に近い感情かもしれない。例えばそれは私が時田さんや青山さんに抱くような感情に似ている。 三人を見ていると、また頭の中でメロディーが鳴り出した。過去のTRIGGERと、今のTRIGGERを混ぜ合わせたイメージが、どんどん溢れてくる。 ああ、そうだ。彼等ならもっと高みへ行ける。 「そっか……もう少しあれを加えて、イントロも短く……ううん、ピアノリフをこれに変えた方が……」 「苗字さん?」 「皆さんレコーディングに戻りましょう。修正点を見つけました。これでTRIGGERはさらにカッコ良くなること間違いなしです!」 バラバラだったピースがどんどんハマっていく。こうなった私はもう誰にも止められない。私達は急いでスタジオへと向かった。 スタジオの扉を開けると、時田さんを始めとするエンジニアの皆が、一斉にこちらを振り返る。 その空気に一瞬不安が広がるも 「おう。おかえり」 時田さんは文句一つ言わず、私達をいつも通り迎え入れてくれた。本当は凄く怒られるんじゃないかって覚悟をしていたから、ほっとしたと同時に、一瞬でも気を抜けば涙が零れそうだった。 「全て私の責任です。TRIGGERの皆さんに一切非はありません」 それでもその優しさに甘えてはいけない。私は頭を下げて皆に謝罪をした。 再びスタジオに沈黙が流れる。次にそれを破ったのはTRIGGERの三人だった。 「いえ、今回の件はボク達に責任があります」 「そうです……!彼女に非はありません!」 「俺も熱くなってしまった自分に反省しています」 三人も私と同様に頭を下げてくれたのだ。私を庇ってくれているのか、その気持ちがとても嬉しくて胸がいっぱいになる。今なら彼等と絶対良い作品が作れる。そう強く思えた。 顔を上げると時田さんは笑顔を浮かべていた。この顔はよく知っている。しょうがないなって思ってる時の顔だ。 「誰のせいでもねぇよ。それでもあえて責任を追求するなら、それは紛れもなく俺のせいだ」 そんな時田さんの言葉は予想外のものだった。 「天、楽、龍。お前ら三人に頼みがある」 「頼み、ですか?」 「ああ。まず一つ、こいつの……昴のことは他言無用でお願いしたい」 時田さんが私の頭をくしゃくしゃと撫でる。 「それからこいつとは良い仕事仲間でいてやってくれ。いつもオッサン達に囲まれて、同年代の仲間ってのが今までいなかったからよ」 「……時田さん」 「まぁ基本変わった奴だから、色々手ぇ焼くかもしれねぇがな」 か、変わった奴なんて言い方……。 でも本当のことだから否定出来ない。それに時田さんが、こんな話をしてくれるなんて思ってもみなかった。いつもこんな事は絶対口に出さないから……。商売道具として成り立たなかったら、私なんかすぐに切られる存在くらいに思っていた。 「さ、このへんでこの話はもうおしまいだ。おら、さっさとレコーディングを再開するぞ」 「はい!」 修正箇所を皆に説明して、早急に作業を進めていく。先ほどとは打って変わって、とてもスムーズなレコーディングだった。 正体を明かしたこと。 TRIGGERと話し合ったこと。 全てが功を奏して完成した曲は、誰もが支持する一曲へと生まれ変わったのだった。 ◇ マネージャーさんが希望していた予定時刻は少し過ぎてしまったけれど、TRIGGERのレコーディングはこの日無事に終えることが出来た。 作業が一段落すると必ず訪れる場所がある。そこへ行くためにまず必要なのが、目の前に並んだ自動販売機の──。 「いちごミルクだらけ」 「わああああ!」 いちごミルクを買おうと思ったところで背後から聞こえた声に、思わず大声を出してしまった。 「ビックリしたぁ……九条さんでしたか。お疲れ様です」 「ねぇこの自動販売機、いちごミルクしかないけど」 九条さんは目の前にある自動販売機を見て、私に疑問を投げかけた。 時田さんが所有するこのスタジオ──正確にはこのビルは、私もいつも仕事で利用している。 作業の際や終わった時に欠かせないのが、何と言ってもこのいちごミルクだ。それを必ずコンビニで数本買ってくる私の姿を見て、毎度買いに行くならここで買えと、こうして時田さんが設置してくれたのだ。 ちなみに特注の自動販売機らしい。 ガコンと二つ落ちてきたいちごミルクを手にとり、一つを九条さんへと差し出す。 「美味しいのでぜひどうぞ」 「……かなり甘そう」 「さぁこれを持って行きましょう、九条さん」 「どこに行く気?」 「私のお気に入りの場所へご案内致します」 そうして私は九条さんを連れて屋上へと向かった。 一段落すると私が必ず訪れる場所、それはこのビルの屋上だ。 それもただの屋上ではない。敷地内を庭園にリフォームし、ガーデンテーブルセットからあらゆるものを用意した、私専用の屋上だ。 「ここが私のお気に入りです」 空からはポツポツと雨が降っていた。もちろん雨の日も対策済みだ。 「凄いね。屋根までちゃんと付いてる」 「はい。雨の日もバッチリです」 ちなみにここの設備投資に関しては、時田さんではなく私が全て請け負っている。だから私の思うがままにリフォームし放題なのだ。 「ここで休憩しながら、いちごミルクを飲むのが至福の時なんですよ」 二人で椅子に腰をかけて、いちごミルクをグイっと喉に流し込む。いつも通りの絶妙な甘さが堪らない。 「美味しい!」 「……甘すぎ」 九条さんが私とは全く違った反応を見せる。何だかその様子が可笑しくて、私は思わず笑ってしまった。 「九条さん、今日は本当にありがとうございました。レコーディングが無事成功したのは、九条さんのおかげです」 「ボクは特別なことは何もしていないよ」 「そんなことありません。九条さんが私を諭して下さったり、八乙女さんと十さんとの間に入って下さったりしてくれたからです。おかげで凄く良い曲が出来上がりました」 「ボクもこの曲は凄く気に入ってるよ。歌っていて凄く気持ちが良かった」 「九条さんの歌声、凄く綺麗で素敵でしたよ」 なぜか九条さんが私の目をじっと見つめている。 な、何だろう。 九条さんの綺麗な顔立ちでじっと見つめられると、正直凄く恥ずかしい。目を逸らしたいけど失礼にあたるかな。 あれこれ考えていると、また私の心臓がうるさく音を立て始めた。 「キミに聞きたかったことがあるんだけど」 「な、何でしょう?」 「初めて会ったあの日、ボクにぶつかった後に言った言葉」 ──凄く綺麗。 「今も言っていたから気になって」 「ええっと……それは」 どう上手く説明したらいいだろう。どうしたら私に聞こえてくる音を伝えられるだろう。 九条さんの声がとても美しく、稀有な音だということを。 「……九条さんの声は、とてつもなく澄んだ綺麗な音がするんです。魅力的で人を惹きつける、唯一無二な音だと思います」 それからコンサートではもちろんそうだったけど、レコーディングでも伝わったことがある。 「あと九条さんは、いつも誰かのために歌を歌っているんですね。その想いが誰よりも強く伝わってきます」 上手く伝えられなかったのか、九条さんが黙り込んでしまった。また余計なことを言ってしまったかもしれない。 「あ、あくまで私が聞こえたってだけですよ……!?検討違いだったり不快な思いをさせたら、聞き流して下さい……」 と言っても、九条さんは何の反応も示しはしなかった。 こんな時どうすればいいのか正直分からない。私の生活は音楽を作っているか、時田さん達のような大人と関わっているかの、二択しかないからだ。同年代の友達がいたことは中学の途中までで、この仕事を始めてからは誰一人いなくなってしまった。それは昴として活動をしたことの代償でもあった。 ◇ 彼女の言動に驚いて、ボクは思わず言葉を失ってしまった。 “いつも誰かのために歌を歌っている” 誰かの口からこんな風に言われたのは初めてだった。もちろんボクはいつだってファンのために歌を歌っている。それをインタビューやコンサートで言葉にしたことも何度かあると思うし、楽や龍ももちろん承知のことだ。 でも彼女のように、ボクの想いを歌声から汲み取ってくれた人は初めてだった。全てお見通しだと言わんばかりに話す彼女の笑顔が、ボクの目に焼きついて離れなかった。 ──彼女の世界には、一体どんな音楽が溢れているのだろうか。 ボクが返事をしないことにオロオロする彼女を見て、そんなことを考えていた。 「別に嫌な思いもしてないし、怒ってもいないから。あと検討違いでもないし、ただ少し驚いただけで……」 ほっとしたような顔を浮かべている。それを見てボクも自然に笑顔になる。 そしてキミをもっと知りたくなる。 「……もしボクがキミと同じ聴力があったら、キミの声はどんな音色に聞こえるのかな」 「え……?」 「きっと綺麗なんだろうなと思って」 キミの声もきっと綺麗な音に違いない。一緒にいて心地良いと思える、そんなメロディー。 「どうかした?」 今度は彼女の方が黙り込んでしまった。 声をかけても反応がない。 それならと 「名前」 名前を呼んでみた。 すると彼女の顔がみるみる赤くなっていくのが、はっきりと分かった。 「い、今……名前で呼びました……!?」 「うん。呼び捨てでも構わないって言ったのはキミの方でしょ」 「確かにそうなんですけど……っ」 「なに?楽は良くてボクはダメなの?」 「いえ!決してそういう訳じゃないんです……!」 目の前で慌てふためく姿が可愛くて仕方がない。そういう一面を見せられると、ついいじめたくなってしまう。ボクにこんな子供じみたところがあるなんて……。 「……九条さんに呼ばれると何だか恥ずかしくて」 「じゃあボクのことも天でいいよ。あと敬語もいらない」 「そ、それはダメですよ……!」 「同い歳でしょ。何がダメなの?」 「九条さんはTRIGGERの九条天なんですよ!?失礼にも程があるじゃないですか!」 確かにボクはTRIGGERの九条天だけど、だからって彼女が何に謙遜しているのか、いまいち理解が出来ない。 「それを言うなら名前も音楽家の昴でしょう」 「私は大したことないからいいんですよ……!」 あれだけヒット曲を書いておいて、世間からも業界内からも支持されているのに、大したことないなんてよく言えたものだ。 何度も会話している内に気づいたことがある。それは彼女が地位や名誉に興味がないということだ。 純粋に音楽が好きで堪らないということだけが、いつも伝わる。 「ほら、早く名前で呼んで」 「く……九条さん」 「違うでしょ」 「無理ですよぉ……」 「ほら早く」 逃げられないところまで彼女を追い詰める。 すると彼女は観念したのか。 「…………天……くん」 小さく可愛い声でボクの名前を呼んだ。 ◇ あまりの恥ずかしさに、九条さんを見ることが出来ない。名前で呼んでしまって本当に失礼じゃないのだろうか。 それから九条さんに下の名前を呼ばれた時は、本当にビックリしてしまった。名前を呼ばれることなんて、別に珍しいことじゃない。さっきだって八乙女さんに呼ばれたばかりだ。 けれど九条さんに呼ばれると、なぜか胸がきゅっと締め付けられる。こんな感情は初めてだった。 「……雨が降ってきた」 九条さんが空を見上げる。 「そういえば私、雨女なんですよ」 「思えば初めて会った時も雨が降っていたね」 「TRIGGERのコンサートを見に行った日も雨でした」 「それってつまりキミと会う時はいつも雨ってこと?」 確かにそういうことになる。 「……私、野外コンサートの時とかは、ご迷惑になりそうなので自重しますね」 「ふふっ、何それ。名前ってやっぱり面白いよね」 でも実際本当に雨が降ったらシャレにならないから、念の為自重することにしよう。 「私、実は雨の方が好きなんです」 「へぇ。珍しい」 「雨音のせいなんでしょうかね。昔から雨の日の方がメロディーがよく浮かぶんです」 雨と共に空からメロディーが降ってくる、なんてくさい台詞までは言わないけれど。 「いつもはどこで楽曲制作してるの?」 「基本的にはほとんど私の家でしています。私、一人暮らしをしているんですけど、引っ越した際にかなりこだわった作業部屋を作ったんですよ。所謂私のお城ってやつですね!」 「それは興味深いね」 「よろしければいつでもいらっしゃって下さい。この前新しく調達したスピーカーがありまして……そうだ!新調したマイクの性能も試してみてほしいですし、それから──」 とまだ話を続けていたところで、九条さんの言葉が被さる。 「……キミさ、それ意味分かって言ってる?」 どういう訳か。微かに呆れたような感情が伝わる。 そうか。性能を調べろなんて、それじゃあ九条さんに仕事を頼むようなものだ。もしかしたら契約の関係だったり、ギャラのようなものでもあるのかもしれない。 「なるほど。事務所を通して正式に依頼するべきでした」 「間違ってもそれだけは絶対にしないで」 思いっきり返答を間違ったことは、九条さんの表情を見れば一発だった。 ええと、じゃあ仕事じゃなくてお家にお誘いするってことだから……友達を誘うみたいな感じ?子供の頃ってどうしてたかな。確かこんな風に。 「では……ゴホン。天くん、よければうちに遊びに来ませんか?」 これだ。思い出の中を必死に探ったら、こんなやりとりをした記憶があった。 これならきっと気兼ねなく……なんて思いながら九条さんの顔を見ると、これも正解ではないような気がした。 「間違えました……ゴホン。九条さん、よければうちに遊びに来ませんか?」 さらに訂正をしてみると、今度は九条さんが盛大な溜息をついた。 「名前で呼んでいいって言っていたような気が……」 「うん、言った。だからそこは間違えてないし、むしろそのまま直さないで」 つまり天くんと呼んでいいと。じゃあ結局どこが間違っていたのか。さっぱり分からない。 けれどこれ以上何か言おうものなら、もっと呆れられそうなので黙っておくことにした。 「キミのそれ、無自覚なら本当に厄介なんだけど……」 九条さんが何か呟いた気がするけど、雨音にかき消されて、私にはよく聞こえなかった。 九条さんとは、突然距離が近づいたり離れたりするから、距離感を掴むのが中々難しい。感情を読み取りにくいことも多いし、何だったら自分の感情も上手く表現出来ない。誰かに相談したい気もするけど、現状は誰にも出来ない。 帰ったらコミュニケーションについての本でも買い漁ってみるべきかな……? そんな私達を覗き見る人物が二人。 「おい。天のあんな顔見たことあるか……?」 「いや、俺も初めて見るよ」 「あいつら知り合いだったのか?」 「さぁ……そんな話は聞いたことはないけど」 「苗字に挨拶してから帰ろうと思ったけど、やめとくか」 「そうだね。邪魔しちゃ可哀想だ。って楽、結局名前ちゃんのこと名字で呼ぶことにしたのか?」 「まぁ、天のあんな顔見せられたな……」 彼等がそんな会話をしているとは露知らず、私達は雨の中、二人きりの時間を過ごしたのだった。 [ back ] |