第9話 プロVSプロ 迎えたTRIGGERレコーディングの日。 マネージャーである僕は、名前ちゃんと一緒に、いつものレコーディングスタジオに向かった。昴の曲をレコーディングする時は、いつも決まった場所で行っている。ちなみに時田さんが所有する、日本屈指のスタジオだ。とにかくスタジオ設備が凄く、初めは僕もそのスケールに驚愕したものだ。 「おはようございます。よろしくお願いします」 名前ちゃんの挨拶に、馴染みのエンジニア達が挨拶を返す。ひとまず顔を合わせ終わると、名前ちゃんは専用の控室に一度姿を隠す。これはレコーディングするアーティストと、顔を合わせないようにするためだ。もちろん僕も控室に同行する。 「お茶、ここに置いておくね」 「ありがとうございます」 いつものような雑談は一切しない。名前ちゃんにスイッチが入り、昴の顔になった時は大抵そうだ。 「青山さん、TRIGGERは今日何時間空けてくれてますか?」 「向こうは一人2時間以内でって希望だったけど、こちら側としては一日空けてもらうようには伝えてあるよ」 「そうですか」 「TRIGGERはアイドルの中でも、かなり多忙なグループだからね」 レコーディングが長引かないにこしたことはないけれど、それは目の前にいる名前ちゃんにかかっている。そのまま二人で待機していると、僕の携帯が通知音を鳴らした。 「名前ちゃん、八乙女くんの準備が出来たみたいだよ」 「分かりました。行きましょう」 トップバッターは予定通り八乙女くん。スタジオに入ると機材の調整が全て済んだ状態で、全員が待機していた。名前ちゃんは、八乙女くんから姿が見えない位置へ移動する。ここには身を隠しながら作業が出来る、名前ちゃん専用ブースが存在するのだ。そこからインカムを使用して、名前ちゃんと時田さんは連携を取り合う。こうした名前ちゃんのための設備を考えると、時田さんの過保護っぷりも大概だと思う。 「とりあえず最初はAメロから、軽く1テイク録らせてくれ」 時田さんの指示のもと、八乙女くんのレコーディングはスタートした。 軽く1テイクとは言ったものの、八乙女くんの歌は高い完成度を誇っていた。1テイク目からこれほどの技術を見せられるのは、この若さでは大したものだと思う。エンジニア達も満足そうな表情で、ボーカルブースを見つめていた。 「よし。今度は少しアプローチを変えて2テイク目いこう」 順調にレコーディングが進んでいく。そのまま3テイク目、4テイク目と終わり、これでオッケーとなればBメロへと作業は進む。順調にいけば、TRIGGER側の希望通りの時間で終わりそうだ。僕もそう思っていた。 「時田さん、もう1テイク録って下さい」 「何かあんのか?」 「彼に求めてる音はこれじゃありません」 「了解」 時田さんがもう一度八乙女くんに歌うよう指示を出す。希望通りの時間に終わるかも、なんて思った僕が甘かった。 「おい青山。TRIGGERのマネージャーに連絡して、龍と天を連れてきてもらえ」 「二人をですか?でもまだ予定の時間じゃないですけど……」 「どうせ呼ぶ羽目になるから早くしろ」 一瞬ピリっとした空気が流れる。それを僕は瞬時に察した。 TRIGGERの各メンバーの入り時間は、二時間ごとにずれている。時田さんはそれを前倒しで、今すぐ全員ここに呼べと言っている。多分この後の展開を予想すると、八乙女くんのレコーディングは一度中止になり、次を予定している十くんの歌録りを先に開始することになるだろう。 「今のところは叩くように強めの発音だ」 「はい」 「で、そこは音を伸ばさないでちゃんと切ってくれ」 「分かりました」 時田さんが細かな指示を出し続けていく。しかしこのどれもが時田さん本人の指示ではない。 「……違う。次は意識しすぎて走ってる。その音じゃない」 全ては僕の隣でブツブツ独り言を続ける、名前ちゃんの指示だった。 もう何度目のリテイクだろうか。八乙女くんは未だAメロから進めていない。理由は一つ。総指揮をとっている名前ちゃんが納得しない、ただそれだけだった。 「楽、もう一回頼む」 「はい……っ」 業界内ではレコーディング時の時田さんは超曲者だ、という噂があるらしい。もちろんそれは全くの誤情報だ。曲者なのは時田さんではなく、昴である名前ちゃんなのだから。 八乙女くんのレコーディングがこのままじゃ上手くいかないと、早々に時田さんは読んだのだろう。僕も遅ればせながらそう思う。これは絶対長引くパターンだ……。 読み通りになどいってほしくはないと、ここにいる誰もが思っている中、時田さんは八乙女くんに一旦休憩をとるように促した。 そして八乙女くんがいなくなったスタジオでは、名前ちゃんと時田さんの攻防が始まった。 「これじゃあいつまで経っても終わんねぇぞ。どうすんだ」 「分かってますけど、妥協はしたくありません」 「じゃあもっと具体的に指示を出せ」 「出してるつもりです」 「お前には一通り技術的なことも楽理的なことも、機材一つにしたって一から教えてきたつもりだ。それを生かせっていつも言ってるだろ」 僕はもちろんのこと、時田さんですら一番理解し難いと言っているものは、名前ちゃんの感性そのものだった。名前ちゃんは常日頃、その並外れた感覚で音楽に触れ制作していく。もちろん依頼内容に沿った曲だったり、売れるということを狙った曲だって書ける。不本意ながら打算的な楽曲を提供したことだって、過去にいくつかあった。その件に関しては終わった後も、ふて腐れてはいたけど……。 ただ良い曲だと肌で感じるような曲は、そういったことが一切含まれていない、彼女の感覚優先で作った曲が多いのが事実だ。名前ちゃん曰く、頭の中で鳴ったメロディーをアウトプットし、そのメロディーラインに一番合う声色を乗せるのが、レコーディング作業なのだそうだ。 彼女にはどんな音が聞こえて、どんな色が見えるのだろう。 「だって……あの日のコンサートの時と全然違うんですもん」 「言葉で表すとどんな感じに?」 「バラバラでちぐはぐ。疲れてるっていうか怒ってるっていうか……とにかく今の八乙女さんの歌じゃ、三人の声が綺麗にまとまらないです」 「さっぱりその感覚が分かんねぇわ……お前に何が聞こえてんだよ……」 頭を抱える時田さんに深く共感した。 話は平行線のまま、今度は急いで到着した十くんがボーカルブースに入る。八乙女くんの状況は、十くんも耳にしているだろう。緊張気味な様子からもそれは伺えた。 「じゃあ龍、とりあえず軽く1テイクいくぞ」 「お願いします」 八乙女くんと同じく、Aメロから歌録りを開始していく。こちら側に響いてくる歌声は八乙女くんの時同様、とても完成度が高いように思えた。先ほどとはまた一味違った、男らしさや大人っぽさが伝わってくる。 たった一人を除いては。 「今度は主張しなさすぎ……色が欠けてる。これもTRIGGERじゃない」 またもや名前ちゃんが、全く理解出来ない独り言をブツブツと言っている。 どうしよう……嫌な予感しかしない。さっきと全く同じ展開にならないようにするためには、僕は一体どうしたらいいんだ……このままじゃ負のループだ……! 「すまんが、もう1テイク頼む」 リテイクが重なっていく内に、今度は#NAME1#ちゃんの方が先にしびれを切らしてしまった。 「休憩を挟んで下さい。九条さんと交代してもらいます」 怖れていたことはいとも簡単に起こってしまった。指示通り十くんが退出し、今度は九条くんがやってくるのを皆で待つ。 ここまで苦戦している名前ちゃんを見るのは久しぶりだ。15歳の頃はまだ幼かったこともあって、上手く伝えられないことに苛立ちを見せたり、妥協出来ないことで言い合ったりする姿も見てきた。だけど最近はそういったことも、滅多になかったように思う。 「名前ちゃんも一回休憩しようか?」 絶対に首を縦に振らないだろうと分かっているけれど、僕に出来ることは、せいぜいこういった声かけくらいなものだった。 「お待たせしました」 名前ちゃんの返事を聞くより前に、九条さんがスタジオへと入ってくる。名前ちゃんと面識のある九条さんには警戒しなくて良い分、僕としては少し気が楽だった。 「悪いな天。お前から先にレコーディングを──」 「ちょっと待って下さい」 勢いよく扉が開く音と同時に、八乙女くんの声がスタジオ内に大きく響いた。 「天がレコーディングする前に話がしたいんです」 「楽、龍。どうして……」 「このまま大人しく楽屋で待機してられるかよ」 「あの、俺達邪魔するつもりは一切なくて、何が悪かったのか知りたいだけなんです」 彼等の言い分は正しい。それにこうして二人が来たことも、真摯に音楽に向き合ってるからこそだと思う。 「あー、それはだな……つまり……」 時田さんが言葉を濁しながら答えようとするも、中々上手い言葉が見つからない。あやふやな返答を続けていると、予期せぬ事態が起こった。 「理由は様々ですけど、とにかく今のお二人の歌ではOKは出せません。これじゃあ三人の音が絶対に重ならないですから。以上です」 開いた口が塞がらなかった。あろうことか名前ちゃん本人が口を開いてしまったのだ。 「あんた一体誰だ?いきなり出てきて、何訳の分からないことを言っているんだ?」 そこに食って掛かったのは八乙女くんだった。 「こっちこそ、訳の分からない皆さんの歌声に頭を悩ませてるんです」 「ど、どういう意味なのかな……?」 「どういう意味かじゃねぇだろ、龍。部外者の言葉を一々気にするな」 「気にしてもらわなきゃ困ります!」 「だからどうして俺達があんたとやりとりしなきゃいけないんだ。俺は時田さんに聞いてるんだ」 お互い引き下がろうとはしない。それどころかここまで食い下がる名前ちゃんを初めて見た。彼女にこんな激しい一面があったなんて。 「あ、あの。ちょっと一回落ち着いて……ね?お互いに一旦休憩して……」 「大丈夫です。とにかくお二人は楽屋に戻って下さい。九条さんのレコーディングに入ります」 「何であんたが勝手に決めてんだよ!」 「ほら……や、八乙女くんも落ち着こう……っ!?」 名前ちゃんと八乙女くんの間に入って必死に制止しようと試みる。それでも両者は絶対に引き下がろうとはしなかった。 その時だった。多分それは売り言葉に買い言葉だったんだと思う。そうじゃなければ名前ちゃんが自らそんなこと──。 「だから部外者のあんたに何が分かるんだ!」 「分かります!誰よりも分かるに決まってます!」 「じゃあそこまで言う根拠はあるのかよ!?」 「根拠も何も、私が昴だからです!」 見事にその場にいる全員が固まってしまった。 名前ちゃんのせいでも、八乙女くんのせいでもない。これは誰のせいでもないんだ。 名前ちゃんが納得しないとレコーディングは進まない。僕達はいつも昴を総指揮として活動してきた訳だから、それが当たり前だと分かっている。 でもそんな事情、TRIGGERの皆が知る由もない。八乙女くんや十くんにだって、プロとしてのプライドがある。精一杯歌って応えてるのに、それが受け入れてもらえないなら、せめて理由が知りたいと思うのは至極真っ当な考えだ。 互いにプロだからこそ譲れないものがある。それがぶつかり合ってるだけだ。 ただし、僕の予想を遥かに超えてぶつかってはいるけれど……! 「何だって……?あんたが、昴……?」 「あーあーあーゴホン!ね、八乙女くん!とにかく一度楽屋に戻ろうかーははははー」 正直僕もこの場をどうしたらいいのか、頭がかなり混乱していた。一刻も早く八乙女くん達を楽屋に戻そうと、必死にその場を取り繕うも、それすらも無意味だった。 「ごめんなさい……っ」 青ざめた名前ちゃんは、謝罪の言葉だけを言い残して、スタジオから出て行ってしまった。 「名前ちゃん!待って……!」 即座に僕も名前ちゃんを追いかける。今にも泣きそうな顔をした名前ちゃんを、放っておけるはずがない。 彼女は今まで僕達大人の我儘に、散々付き合って我慢してきたんだ。きっと過去には、自分が昴だと名乗りたいと思った場面もあったはずだ。たった一度正体を明かしたことがなんだって言うんだ。何ならこれを機に公表したっていい。君の音楽が素晴らしいことに変わりはないんだから。 そう伝えたくて、必死に追いかけた。 [ back ] |