病は鬼から


名前が鬼にやられた。
自身の鎹鴉がそれを伝えてきたのは、名前とは別の地で任務を遂行していた時だった。

「……くそ!」

心臓の音がこれほどまでにうるさいことなどあっただろうか。
早く。もっと早く。
心の中で何度も名前の名を呼び続け、一心不乱で駆け抜けた。


蝶屋敷に運ばれたと思っていた名前だが、伝達では自身の屋敷へ運ばれたとのことだった。義勇は最短距離と最高速度で帰路し、辿り着くや否や名前の寝床へと向かった。

「……名前!」

勢いよく扉を開けると、そこには静かに横たわる名前の姿があった。

「あら?冨岡さん。予想以上にお早いご帰宅でしたね」

その隣には胡蝶しのぶもいる。

「どういうことだ!一体何があった……!?」
「冨岡さんったら、そんなに凄まないで下さい」
「名前の状態は?」
「ご覧の通りぐっすり眠っていらっしゃいますよ。解毒治療も無事済みましたので、後は回復するのを待つのみです」
「……解毒?」

詰め寄っていた義勇がしのぶから一歩離れる。よく見れば名前は、小さく寝息を立ててすやすやと眠っていた。

「名前さん、鬼の毒にやられたんですよ」

鬼の毒にやられただと?

「あれ?ちゃんと冨岡さんのところの子に、伝達をお願いしたはずなんですけどね」

俺の鎹鴉に……。
その点に関しては思い当たることがある。名前の情報は確かに自身の鴉から得た情報だ。ただ義勇の鴉は年配なこともあり、伝達を聞き間違えたりすることが多々あった。つまり今回も鴉の伝達ミスだということだろう。
溜息と共に、全身の力が一気に抜ける。

事の詳細はこうだ。
名前は数名の隊士と共に、鬼狩りに出向いていた。その際対峙した鬼の血鬼術が、毒を含むものだったらしい。

「別の隊士を庇って、鬼の毒に冒されたみたいです。ただ、そんな状態でも名前さん一人で鬼を仕留めたそうですよ」
「……そうか」

名前は毒によって四肢が麻痺した状態になり、胡蝶しのぶの私邸である蝶屋敷へと運ばれたそうだ。鬼殺隊の中でも格別に医学と薬学に精通しているし胡蝶は、自身の屋敷を診療所として開放している。
その胡蝶が名前を診たというのなら、診断に間違いはないだろう。

「幸いにも毒の種類もすぐに特定出来ましたので、治療もスムーズに行うことが出来ました。後遺症が残るようなこともないでしょう」
「すまない。胡蝶」
「いえいえ。本当は私の屋敷で経過を診たかったのですが、申し訳ないことに現在うちは満床でして……」

それでも名前を受け入れようとしていたそうだが、名前はどんな提案をしようと受け入れなかったそうだ。

“解毒は済みましたし、回復を待つだけなら自宅療養で大丈夫です。ただでさえ満床なのに、これ以上しのぶさんに負担をかけたくはありませんので……”

実に名前らしい話だと思った。
そうとはいえ心配だったしのぶは、ここまでの帰路に付き添い、そして義勇が帰ってくるまでの間、看病をし続けてくれていたのだった。

「今は薬が聞いてぐっすり眠っていますが、熱が下がるまでに数日はかかるかと思います。それからこれは三日分の薬です」

しのぶが薬の入った袋を義勇へと渡す。

「もちろんしばらくは往診もしますが、後は冨岡さんにお任せしますね。何かあればすぐに私の屋敷にいらして下さい」
「胡蝶」
「はい?」
「……すまない。恩に着る」

そう言って頭を下げる義勇に、しのぶは思わず目を見開いてしまった。いや例えしのぶでなくても、この義勇の姿を見れば誰だって驚くに違いない。

「いいえ。お気になさらずに。その代わりとてもいいものが見れましたので」

いいもの、というのが分からずにいると。

「今の謝る冨岡さんと、先ほどの顔面蒼白で帰ってきた冨岡さんです。いつも無表情の冨岡さんが、あんな風に取り乱すこともあるんですね」

そう言ってしのぶは笑った。
彼女の言うことを否定することは出来なかった。あんなに必死な姿、名前にならまだしも、他の隊士に見せたことなどあるはずがない。罰が悪そうな顔をして視線を逸らす義勇に、しのぶは柔らかく微笑みかけた。

「では名前さん、お大事に」

そしてしのぶは眠る名前に声をかけて、自身の屋敷へと帰っていった。





それは現か幻か。
見慣れた景色は、名前の愛する里の景色。

『名前!早く師匠のところに行くぞ!』
『うん!待ってー!』

そう言って子供の名前は、隣に並ぶ男の子と笑顔で駆け出していた。右手には体に似つかぬ大きな刀。これは宙の呼吸の修行の記憶だ。

『なぁ、俺さっさと弐ノ型にいきたいんだけど』
『バカもんが!まずは壱ノ型を極めてからといつも言ってるだろう!極めるためにも何年もの修行が必要なんだぞ!』
『ちぇっ。まだ基礎の修行かよ』
『お前はもう少し名前を見習ったらどうだ。努力の量一つにしても、お前よりも数段見込みがあるぞ』

どれだけ辛い修行も、名前にとってはかけがえのない時間だった。毎日が楽しくてこんな日が永遠に続くと思っていた。

『おかえり名前。ご飯出来てるわよ』
『どうだ。また一つ強くなったか?今度父さんと手合わせしてみるか』

家に帰れば優しい両親がいつも笑顔で迎えてくれた。それがどれだけ幸せだったか。失ってから気づいたところでもう遅い。不変だと思っていた景色は、たった一人の鬼によって全て奪われてしまった。

『お母さん……っ!』
『……ここに隠れていなさい!』
『嫌だ!離れたくない!』
『息を潜めて全集中“常中”を!早く!必ず宙の力が貴方を守ってくれるから……!』
『うう……っ!』
『そう。いい子ね』

それが母の最期の姿。今でも頭を撫でられた感触が忘れられない。

待って。皆私を置いてどこへ行くの?お願い。独りにしないで。
この手を握って。あの頃みたいに空の下で。
永遠に──。

「大丈夫だ。握っている」

声がする。愛しい人の声。握られた手がとても温かい。

……目を覚まさなくちゃ。私にはまだ現世でやるべきことがあるから。鬼を討つことと、彼の側で生き抜くこと。今度こそこの手を離さない。私が死ぬその瞬間までは。

「……名前?」

ゆっくりと瞼を開けると見慣れた天井と、心配そうに覗き込む義勇の姿が見えた。

「義勇さん……」

義勇の指が名前の目尻にそっと触れる。そこで初めて自分が涙を流していたことに気づいた。

「気分はどうだ?」
「大丈夫ですよ……」
「うなされていたようだが、何か悪い夢でも見ていたのか?」
「……昔の夢を少し」

目覚めと共に、徐々に記憶がはっきりとしてきた。
数名の隊士と鬼狩りに行って、鬼の毒をまともにくらってしまったこと。運びこまれた蝶屋敷で応急処置をしてもらったこと。自宅療養となりしのぶさんが付き添ってくれたこと。
ただ、義勇がここに来た記憶だけはない。ふと窓に目をやると真っ暗な景色から、今が夜だということは分かった。

「私、どれくらい眠っていましたか……?」
「丸二日だ」
「二日もですか?もしかしてその間、義勇さんが看病して下さったんですか……?」
「看病というほどのものではない。経過観察も含めて全て胡蝶がやってくれた」

義勇の顔色や目の下のクマを見れば、本当は寝ずに看病してくれていたということはすぐに分かった。

「胡蝶を呼んでくる」
「……ううん。大丈夫です」

そんな義勇が愛しくて離れがたくて、強く手を握り引き止める。

「それにもう夜みたいですし……明日自分でしのぶさんのところに伺います」
「だが」
「……今は側にいて下さい」

夢のせいもあってか、今は義勇とは一瞬でも離れたくなかった。

「……その鬼に宙の呼吸は使わなかったのか?」
「もちろんです……人前での使用は極力避けるって約束ですので。でもちゃんと義勇さんに教わった水で仕留めましたよ……?」

弱々しく微笑む名前を見て、義勇の中にどうにもならない悔しさが込み上げる。
鬼殺隊にいる以上、負傷することなど当たり前だし、最悪死だって覚悟しなければならない。それでも何があっても側で守りたいだなんて、出来もしないことばかり欲張ってしまう。

「解熱後まずは一週間の安静、その後機能回復訓練をするとのことだ」
「えー……そんなに休まないといけないんですか?」
「胡蝶からはそう言付かっている」
「そんな……でも私」

それ以上言葉を紡ぐなと言わんばかりに、言いかけた唇に義勇の指がそっと触れた。

「勝手な判断で無茶をすることだけは許さない」

その圧たるや。いつもとどこなく違って見えて、いくら強情な名前ですら、これ以上は反論することが出来なかった。
今回ばかりは自身で毒に対する対処が出来ない故、経過観察も含め全てしのぶの判断次第となるのだろう。致し方ないとは言え、それでも前線から外されるのはとても悔しい。

「また義勇さんを守れなくなってしまいました……」
「二言目にはすぐそれだな」

呆れたように息を吐き目を逸らす義勇に、名前の胸はぎゅっと苦しくなった。

だってそうしないと不安なんです。また里の時みたく大切な人を失ってしまうんじゃないかって。
もう何も出来ない無力な自分には戻りたくない。
鬼のいるこの残酷な世界で、永遠に続くものなど存在しないのかもしれない。それでも私は、私の想いだけは違うのだと証明したい。

──義勇さんが大好きだって気持ちだけは永遠だと。

貴方が生きていてくれないと、私の生きる意味が無くなってしまうんです。だから貴方を私の手で守らせてほしい。

「戦えないと価値がないっていうか、側にいる意味が無くなってしまう気がして…………って、こういうじめじめしたのは私らしくないですね。今のはなしです。なかったことにしましょう」

我ながらとても情けない弱音を吐いてしまったと、名前は掛布団を持ち上げ顔を隠してみせた。体が弱くなると心までこうも弱くなってしまうのか。布団の隙間からちらりと義勇を見やると、深い青の瞳と交わった。そのまま沈黙が流れること数十秒。

「名前」

名を呼ばれ、名前の心臓が跳ね上がる。
不安が駆け巡る中、義勇が口にした言葉は、名前にとって予想外の言葉だった。


「俺の妻になるか?」


はい────?

あまりにも斜め上すぎる言葉に、頭の中が真っ白になった。

「は……今……何と──?」

自分でも分かる。今の私はとんでもなく阿呆面をしていると思う。

「側にいることにどうしても何か理由や形が欲しいのなら、それが一番互いに納得いくものかと思ったんだが」
「ぎ、義勇さん……落ちついて考えましょう……!何かの間違いですよね……っ?」
「俺は至って冷静だ。ついでに間違ったつもりもない」

あまりにも真っ直ぐな言葉と視線に、名前はその場に倒れそうになってしまった。頭が上手く働かない。まずは状況整理をしよう。

「そ、そもそも私達付き合ってもいませんよね?」

名前の言う通り、二人は恋人という経緯を辿ってはいない。もちろん好き合っている者同士には変わりないし、一緒に住んでもいるし、あまつさえ体の関係すらある。
それで恋人ではない方が不自然だとさえ言われてきたが、名前もそこは義勇に追及することはなかった。
もしかしたら心のどこかでそれを問いただすことにより、今の関係が壊れてしまうのではないかと恐れていたからかもしれない。
それが今こんな形で追及することになろうとは。

「そもそも付き合うという概念が、俺にはよく分からない」

言われてみれば名前自身にも答えは分からない。
それはただの口約束にしかすぎないし、それが好意を証明する全てではない。そこには何の保証もないし、相手を繋ぎ止めるためにするものでもない。
だからといっていきなり妻になるかと問われると……斜め上にも程がある気がします……!

「ただ俺は漠然と、お前とはずっと一緒に生きていくものだと思っていた」

その声はとても優しく響いて聞こえた。

「鬼殺隊の隊士としてじゃなきゃ側にいられないと考えているなら、今すぐその考えは改めろ」
「……義勇さん」
「俺の気持ちはずっと変わらない。名前が好きだ。側にいてほしい。それをどう証明すればいい?」

あの口下手な義勇が、こんなにも一生懸命自分の気持ちを口にしてくれている。そして自分と同じように、この気持ちが永遠であることを証明したいと言っているのだ。
頬に触れる手に名前の涙が伝っていく。

「義勇、さんは……本当にいつも不意打ちです……っ」
「すまない……泣かせるつもりはなかった」
「っ……謝らないで下さい。これは嬉し泣きなので……っ」

嬉し泣きとはいえどうしたものか。何度義勇が拭おうと、その涙はポタポタと流れ落ちて止まらない。

「……私で、いいんですか?」
「俺は名前がいい」

その言葉と共に二人の唇が重なった。
一度だけ、音を立て優しく啄むようなキスを落とされる。

「……ん?」

名前が義勇の袖をきゅっと握る。その様子に義勇が顔を近づけ問うと、顔を赤く染めながら名前が言った。

「もう少し……したいです」

無論、今の二人に初々しい関係性はもうない。ならば名前がその先を求めるのはごく当たり前のこと。それが義勇の理性に対して、どれだけの破壊力を持つか知らずともだ。

「……この状況で煽るとは」
「あ、いえ、私はその……もう一回」
「俺はキスだけじゃ止まらなくなる」

ここで抱いてしまえば、病み上がりの名前の負担になることは間違いない。それを万が一でも胡蝶が知ることになれば何を言われるか。正直想像もしたくない。

「そ、そうですか……っ、ごめんなさい」
「謝る必要はない。その代わり治ったら覚悟しておけ」

そう言って義勇は小さく笑った。
この想いが永遠であるように。この笑顔をずっと側で守れるのなら。互いに同じ想いを胸に秘めて、二人はこれからも戦い続ける。


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