嫌い、嘘、好き 1 私達が仲良く暮らす冨岡邸。 のはずが、今日は珍しく言い争う声が飛び交っていた。 「お願いします。行かせて下さい」 「駄目だ」 「一緒に行きたいんです」 「大人しくここにいろ」 「嫌です!絶対に行きます!」 こうなったら意地でもついて行く!絶対に絶対に義勇さんの言うことなんて聞かない! そう腹を括った私に、義勇さんは何度目かの溜息をついた。 絶対に引き下がらない私と、いくら頼まれても許可しない義勇さんのこのやり取りは、朝から平行線を辿りっぱなしだ。 「私なら大丈夫です。明日の任務から復帰出来ます」 「医者の見立てだと全治二週間だったはずだ。まだ一週間しか経っていない」 「だから医者の見立てよりも早く治ってしまったんです」 「それはお前の勝手な判断にすぎない」 「私の体は私が一番良く分かっています」 原因は、私が前回の鬼狩りで後輩の隊士を庇い、全治二週間の怪我を負ったことだった。もちろん助けたことに一切後悔はないけれど。 「……こうなるんだったら、宙の呼吸を使って仕留めたら良かった」 そしたらこんな言い争いすら起きたかった。口を尖らせる私に、義勇さんは再び溜息をついた。 「お前の呼吸は未だに謎が多い。人体に及ぼす影響も把握出来ていない。だからこそ人前での使用は極力避け、無闇に乱発しないように、お館様から強く言われたのを忘れたのか」 「……もちろん分かってますよ」 必ず水の呼吸で戦うようにと、お館様から忠告された。それでも咄嗟の時や感情が昂ぶってしまった時には、その言いつけを破ってしまう傾向が私にはあった。 「分かっているならここで安静にしていろ」 義勇さんの言ってることは全て正しい。正しいからこそ悔しいのだ。 「だって義勇さんを守りたいんですもん……」 義勇さんを好きになった時からずっと心に誓ってきたことだ。その気持ちはしつこいくらい義勇さんに伝えてきた。 「またそれか……」 「それだけは譲れません」 「お前に守ってもらう必要など──」 そこまで言いかけて義勇さんは黙り込んでしまった。 ……必要なんてない。そんなこととっくに分かってる。それでも義勇さんを失う可能性が1%でもあるなら、私の命に変えてでも守りたいと思うことは、そんなにいけないことなの? 『名前さんって普段は穏やかそうに見えますけど、実はとても頑固で強情ですよね。こと冨岡さんの事に関しては』 『……何が言いたい』 『冨岡さんの為だったら、己の命すら顧みないってことですよ。まぁ愛故なのでしょうけど。とても真っ直ぐで歪んだ愛だと思いません?』 義勇さんがしのぶさんとの会話を思い出しているとは知らず、私の頑固さは更に加熱していった。 「私決めました。もう義勇さんが許可してくれなくても、勝手に参加しますから」 「何をふざけたことを言っている」 「ふざけてなんかいません。大真面目です」 「任務に同行することは許さないと何度言えば……」 「嫌です!」 「名前。言うことを聞け」 「そもそも私が任務に向かうことに、冨岡さんに許可を頂く必要もありません!」 「足手まといだと言っているのが分からないのか!」 ──足手まとい。 初めてはっきりと言われた。 その一言が、私にとても重くのしかかる。 泣いちゃダメだ。泣く資格なんてない。これは全て私の我儘なのだから。 義勇さんは正しい。 「……もういいです」 「名前?」 「っ…………義勇さんなんて嫌いです!」 この日私は大好きな貴方に、初めて嫌いと言ってしまった。 ◇ 勢いよく屋敷を飛び出した私は、当てもなくとにかくひたすら歩き続けた。 「義勇さんの分からず屋!頑固者!あんな言い方しなくたっていいのに!私だって重々承知してるもん!自分が足手まといだってことくらい……」 足手まといか……。 足取りが止まりかけ遠くを見つめる。するとその先に行きつけの茶屋が目に入った。 「怒ったらお腹が空いてきた……お団子食べたい……」 無類のお団子好きである私の頭の中が、一気に食欲でいっぱいになる。つられてお腹もグウっと音を立てている。腹が減っては戦は出来ぬ、だ。 ということで迷うことなく茶屋へ向かった。 「すいませーん。お団子下さーい」 「あら名前ちゃん。いらっしゃい」 「こんにちは」 出迎えてくれたのは、優しい笑顔が印象的な女将さん。とにかくここのお団子が大のお気に入りの私は、頻繁に通っているうちに、女将さんとは気さくに話す間柄になっていた。 「今日は一人?冨岡さんは?」 「義勇さんのことなんて知りません」 「なぁに?珍しい。喧嘩でもしたの?」 「喧嘩というか……義勇さんが悪いんです」 悪いのは私なのに嘘をついた。そんな私を見抜いたかどうかは分からないけれど、女将さんがフフッと小さく笑う。 「何に腹を立てているのかは分からないけれど、そんな時は食べるのが一番ね。食べてお腹がいっぱいになったら、大抵のことは許せちゃうものよ」 「そうなんですか?」 「どうでしょう。本当はお団子をたくさん買ってほしくて言ってるだけだったりして」 冗談ぽく笑う女将さんにつられて笑ってしまった。何だか本当にそんな気がしないでもない。 「じゃあ今日は食べれるだけ食べていきます!」 「ふふ。了解しました」 まるで母のように温かい笑顔を浮かべた女将さんは、店奥へと一度姿を消していった。 結局次々出されるお団子を、限界までお腹へと運んでいった。やはりここのお団子は絶品だ。いくら食べても食べ飽きることはない。散々食べ尽くしたところで、ようやく私は手を止めた。 「……ふぅ」 女将さんの言う通り、満腹になったら気持ちが落ち着いた気がする。お茶をすすり空を眺める。雲一つない晴天だ。どこまでも続く空の青。 その青さに重なるものがある。 私が生まれ育った空に一番近い里。青空の下で暗くなるまで遊んだ仲間達。仲良く過ごした家族。かけがえのない時間。 そして義勇さんの水と瞳──。 いつからこんなに欲張りになったのだろう。里が襲われた時、私の命を助けてくれたのが義勇さんだった。全てを失って絶望した私に、鬼殺隊という居場所を与えてくれたのも、こんな私を愛して側においてくれたのも、全部義勇さんなのに。 誰よりも大切な人なのに嫌い、だなんて言葉を吐いてしまった。傷つけてしまっただろうか。それとももう愛想を尽かされただろうか。 義勇さんに会いたい……義勇さんに会いたくない。 茶屋を出て再び歩き出すも行く当てはない。けれど今はまだ義勇さんのところへ帰ることは出来なかった。解決策など一つも思いつかないまま、時刻はいつの間にか夜を迎えていた。 昼間は賑わっていた路地も、今はあまり人気がない。私のように一人で歩く女性などもってのほかだ。こんな夜道を一人で歩いて襲われても、何の文句も言えやしないだろう。襲ってくるのが人であろうと鬼であろうと──。 「いる」 瞬時に気配を察知した。 「……鬼がいる」 どこにいる?もっと研ぎ澄ませないと。誰かを喰らう前に早く。 「いた!」 私は鬼の気配を完璧に捉えると、その方向目がけて全速力で駆け出した。進むにつれ人気は全くなくなっていく。辿り着いたのは一段と闇が潜む場所。 「見つけた」 私の言葉に振り向いたのは、予想通り異形の姿をした鬼だった。 「何だぁ?若い女が自ら飛び込んでくるなんて、今日はついてるなぁ!」 誰もいない暗闇にたった一人での戦闘。こんな好条件中々ない。これならいくらでも好きに戦える。 「奇遇ですね。私も今日はついているなと思ったところなんですよ」 「あ?何だと?」 「普段はこの呼吸を人前で見せるなって言われてるんですけど、私一人なら心置きなく貴方と戦えますから。ああ、でも貴方には水でも十分すぎるくらいですかね」 私は足手まといなんかじゃない。水ではない、この宙の呼吸を使えばもっともっと強くなれる。 ゆっくりと愛刀を抜きながら、私は笑みを浮かべた。 刀を抜いたと同時に深い霧が立ち込める。 「異形の鬼か。この霧は血鬼術ですね」 陳腐な言動からてっきり小物だと思っていた。 「霧に紛れて私を食らうつもりですか?」 進めど進めど霧は消えない。それどころか深くなる一方だ。このままじゃどこから鬼が出てくるか分からない。今一度気を引き締め、刀を強く握る。 「……っ、…………おい」 「誰……?」 霧の向こうから誰かの声がする。ここは血鬼術の中だと言うのに一体誰だろう。 「……名前!」 「え……義勇、さん?」 目を疑った。いるはずのない義勇さんが目の前にいたからだ。 「どうして義勇さんがここにいるんですか……?」 「……お前が出て行ったきり帰ってこないからだ」 探しに来てくれたと言うの?勝手に飛び出したのは私の方なのに。 「この霧は血鬼術か?」 「はい。仕留める前に術をかけられてしまって……ごめんなさい。世話がないですね」 こんなところまで探しに来てもらって、終いには鬼に捕まったとなれば、結局足手まといに変わりない。 そのうえ言い争いだってまだ解決していないし、義勇さんに合わせる顔なんてあるはずもないのに。 胸がぎゅっと苦しくなり無言で俯いた。そんな私の様子を見てか、義勇さんがこちらへと足を進める。 何を言われるのか。どうしよう。怖い。もし、もし私がいらなくなっちゃったら……。 すると不安に呑み込まれそうな私を、義勇さんはぎゅっと優しく抱き寄せた。 「……もういい。こうしてお前が無事に見つかって良かった」 義勇さん……。 そっか。そういうことか。 温かい胸におさまりながら、私はもう一度刀を強く握りしめた。 「義勇さん」 名を呼び見上げると、義勇さんの瞳に私が映る。大好きな深くて青い瞳。その揺らぎまでそっくりだなんて。 「ご心配して下さってありがとうございます。そして、さようなら」 私は目の前の義勇さんに別れの言葉を告げて、その胸を思い切り刀で貫いた。 「なっ……名前っ、お前、何を……!」 「確かに義勇さんに抱きしめられるのは大好きなんですけど……でも私、偽物には興味がないんです」 刺された部位から義勇さんの体が崩れ落ちていく。徐々に消滅するその姿を、私は黙って眺めていた。すると周りの霧が徐々に晴れていき、見据えたその先に先ほどの鬼が再び現れた。 「貴方の血鬼術には幻覚作用があるのですね」 「何故偽物だと分かった?」 「簡単なことです。義勇さんは照れ屋さんなので、外で私を抱きしめたりすることはないんですよ」 怒りがこみ上げる。すぐに偽物だと見破れなかった自分と、義勇さんを利用したこの鬼に。 「術にかかった私が全て悪いんですけど、偽物だとしても義勇さんの胸を貫くのは、とても心苦しかったです」 「くく……黙って幻覚の中にいれば良かったものを。そうすれば痛みなど感じず俺が喰ってやったのにな」 「そうですね。せっかく義勇さんとも仲直り出来たんですけどね。残念です」 ある一定の距離まで行き足取りを止めた。それが互いの間合い。それ以上踏み込めば戦いが始まる。 「いいことを教えてやろう」 今度は鬼が不敵な笑みを浮かべた。 「俺は人間でも女を食うことを特に好んでいるが、中でも格別なのは血を吸うことだ。だからまずは全ての血を吸い尽くしてからその肉を頂く」 「へぇ。そうなんですか」 「失血量が死に至るまでの間、大抵の奴は断末魔をあげて命乞いをする。その瞬間が極上なんだ」 「それは悪趣味ですね」 「小娘がそうやって笑ってられるのも今のうちだぞ。すぐにお前の血も吸い尽くしてやる」 鬼から禍々しいほどの強い殺意と、全身の血を吸って喰らいたいという欲望が向けられる。 「血が好きだなんて、いいことを教えてもらいました。お礼に私もいいものを見せてさしあげますね」 「あ?」 「幸い月も隠れていますし、ここには私達以外誰もいません」 「ぶつくさと何を言っている?」 「存分に戦いましょうって言ってるんです」 ゆっくりと日輪刀を鬼に向ける。 「血鬼術でも何でも好きなだけ使って下さい。私にはもう通用しないので」 私の黒刀が深い青に染まっていく。それはこの呼吸を使う時にのみ現れる色であり、そして全てを呑み尽くす宙の色だった。 『宙の呼吸 壱ノ型 暗黒天体』 きっと鬼の視界が残した記憶はほんの一瞬だろう。私が刀を一振りしたその姿のみ。 いつの間にか地面に転がされていた鬼は、何が起きたか全く分からない、という顔をしていた。鬼が見上げているのは真っ暗な空と、そんな自分を笑顔で見下ろす私の姿だった。 [ back ] |