継子くん 1 始まりはお館様からの指令だった。 「継子候補として、彼の育手になってやってくれないか」 目の前にいる鬼殺隊の当主──産屋敷耀哉が、水柱である義勇を真っ直ぐ見つめながらそう言った。 「彼、とは……?」 「庚の隊士で水田正宗という子だよ。同じ水の呼吸の使い手で義勇をとても慕っているみたいでね」 「わぁ!義勇さんをですか!?」 そんなお館様の言葉に大きく反応してみせたのは、義勇ではなく隣に並んで頭を垂れていた名前であった。 「どうしても義勇を師とし継子になりたいと、その一心でこの屋敷までやってきたんだ」 「え……!お屋敷にまで……!?」 名前が驚くのも無理はない。産屋敷邸の場所は鬼殺隊内でも最重要機密事項のため、隊の中でも詳細は秘されており、限られた一部の人間しか知らないはずだからだ。 それを突き止めた執念を考えれば、継子になりたいという思いはよっぽどのものなのだと考えることが出来る。 「とはいえ義勇も柱としての任務があるからね。多忙なのは承知だよ。だから一ヶ月だけで構わない。名前と一緒に育手になってやってくれないかい?」 「お言葉ですが俺は……」 「はい、お任せ下さいお館様!喜んでお引き受けいたします! 」 「ありがとう名前。頼りにしてるよ」 自分に育手など務まるはずもない。そう言って義勇が断るのは分かっていた。だからそんな義勇の言葉をかき消すように、名前は大きな声を被せお館様の指令を承諾した。 隣にいる義勇さんはそれはそれは嫌な顔をしていたけれど。 ◇ 「何故あっさり承諾した」 ルンルンとご機嫌で帰路を歩く名前に、義勇が不機嫌な声をぶつける。 「だって、義勇さんを慕ってお館様のところまでお願いに来てるんですよ?それだけ継子になりたいって気持ちが強いってことじゃないですか。よっぽど義勇さんのことが好きな子なんですよ。好意を無下には出来ません」 「俺は慕ってほしいなど思ったことはない」 「またそういうことを言って」 「そもそも俺に育手など務まるはずがない」 ほら、やっぱりその言葉を口にした。 何度伝えれば、義勇さんがどれだけ強くて立派な柱なのだと分かってくれるのだろうか。 今度は名前が不機嫌になり口を尖らせる。 「私のことを立派に育ててくれたじゃないですか」 「お前は別だ」 「まぁそれは確かに私は境遇も扱う呼吸も特殊でしたから、義勇さんが面倒を見るしかなかった状況でしたけど……」 「そういう意味ではない」 「では、どういう意味ですか?」 「お前だからこそ死んでほしくなどなかったし、失いたくない一心で育てたんだ」 思わず目を見開いてしまった。あの頃の気持ちを今こうして知ることは、あまりないことだったからだ。 「俺はお前にだけ好かれていればそれでいい」 なんて不器用な人なのだろう。とてつもなく甘い言葉を吐いておきながら、その表情は前を見つめたままほんの少しの口角すら上がっていない。 良くも悪くも全てを口に出し、いつだって名前を翻弄してしまうのだ。 ああ、そんな義勇が何よりも愛しいと思ってしまう。 「では私の大好きな義勇さんがどれほど素晴らしい柱なのか、その子にとことん分かってもらいましょう」 「だから俺は……」 「お館様の話ではその子は冨岡邸に訪ねてくるとのことなので……さぁ急ぎましょう、義勇さん」 自分のように義勇を大好きだと言い、炭治郎のように義勇を慕ってくれる隊士がいるのなら大歓迎だ。たくさんの人に義勇の強さや素晴らしさを分かってもらいたい。 その思いが溢れてどうしようもない名前は、義勇の手を引っ張り屋敷までの道のりを駆け抜けていった。 二人が仲睦まじく暮らす冨岡邸。 駆け出してから数分後、その大きな屋敷が二人の視界に入る。歩みを進めれば屋敷の前には、鬼殺隊の隊士が一人佇んでいた。 もしかしてお館様が言っていたのはあの子かも。 もう訪ねてきてくれたんだ……! 義勇を置き去りにして名前が走り出す。そして弾むような気持ちで彼の肩を軽く叩いた。 「こんにちは。このお屋敷に何か御用ですか?」 まだどこか少しあどけない表情に、炭治郎達と変わらない背格好をした少年が振り向く。 「初めまして、水田正宗と申します。本日は水柱である冨岡さんに師事をして頂きたくお尋ねしました」 「やっぱり貴方が正宗くんですね!私達もさっきお館様から育手の話を聞いて、承諾したところなんです」 「貴方は……」 「私は名前と申します。今日から一ヶ月義勇さんと共によろしくお願い致します」 笑顔で挨拶をするも、何故か彼から何の反応もない。緊張しているのかと思い、そっと顔を覗き込めば。 「は……?貴方に頼んだ覚えなんてこれっぽっちもないんですが」 予想外にも、もの凄い鋭い睨みと言葉をぶつけられてしまった。 「あれ、えっと……」 「いい機会だから言わせてもらいますけど、何故継子候補でもない貴方が冨岡さんの側にいつもいるんですか?何でも入隊当初はつきっきりで鍛錬してもらっていたとか。特別扱いを受けていて、そのうえ婚約者だなんて噂も耳にしました。貴方は一体どんな手を使って、冨岡さんの側にいるんですか?何か冨岡さんの弱みでも握っているとか?」 わぁ。久々にありったけの敵意をぶつけられた。 入隊した頃はよくこんな事を言われてたっけ。 今はもう懐かしさすら感じる。 「何を笑ってるんですか……!?」 「あ、ごめんなさい。思わず懐かしくてつい」 そう言って笑みを浮かべていた名前の顔が一変する。後ろからとてつもない気配を感じたからだ。 これは間違いなく後から遅れてやってきた義勇さんの……それもかなり怒っている時の気配……! 「名前。今こいつはお前に何を……」 「冨岡さん!」 そんな義勇の様子など知りもしない少年──正宗が目を輝かせながら駆け寄っていく。 「俺、水柱である冨岡さんに憧れてまして……ずっとずっと継子として育ててほしいって思ってたんです!やっと、やっと承諾して頂けて、俺……っ」 「承諾などしていない」 「え……?」 「承諾どころか金輪際俺と名前の前に姿を──」 「だめだめだめ!義勇さん……っ!」 咄嗟に名前が義勇の口を手で覆った。そのせいで今度は怒りの矛先が名前に向けられる。 「何の真似だ」 「だめですよ、断ったら。お館様に引き受けると言ったばかりじゃないですか」 「お前が勝手にしたことだ」 そのうえ最愛の名前に対して、あんな態度を取っておいて許せるはずもない。育てるなど以ての外だ。 そう義勇が怒るのも無理はなかった。 「私のことはいいんです。あの手の事には慣れてますから。いつものことじゃないですか」 「俺は慣れる気など毛頭ない」 「そこを何とかお願いします。せっかくなんですから、ね?」 「どうしてお前はそう……」 自分のことをないがしろにする名前に、大きな溜息が溢れる。顔の前に両手を合わせ頼み込む仕草をしながら、決して譲る気はないと言わんばかりの目をしている。こうなった名前が義勇の言う事など聞くはずもない。 分かっているからこそ、義勇は大きな溜息をついたのだ。 「……水田と言ったな」 「はい!」 「そこまで言うのなら早速腕前を見てやろう……木刀を持ってついて来い」 「あ……ありがとうございます!」 手合わせをしてもらえることに、今にも泣き出しそうな顔をしている。そんな正宗を見ながら、名前はまた一つ懐かしい記憶を思い出していた。 口数は少ないし表情は乏しい。それでも初めて出逢った時から優しい人だと思っていた。 そんな義勇との稽古の日々は、それはそれは大変厳しいものだった。 ほらこんな風に。 「ぐあああ……っ!」 一瞬にして正宗が飛ばされていく。 まるで昔の自分を見ているかのよう。きっと明日は痣だらけだろう。 「立て」 「うぅ……っ」 「あれだけ悪態をついておいて、これで許されるとでも思っているのか?」 「く……っ、もう一度、お願いします……!」 稽古場の角で二人を見守る名前が、先ほど同様笑みを浮かべる。そうやって諦めずに何度も向かっていく姿も、あの頃の自分と重なって見えたからだ。 「義勇さんの稽古は本当に容赦ないですからね。手加減は一切してくれません。そのうえ未だにご機嫌斜めですし。はたして正宗くんは一ヶ月付いて来れるでしょうか」 大丈夫。きっと付いてこれる。 そんな予感と期待が名前にはあった。 どちらかというと義勇に一ヶ月育手が務まるのか。その方が不安だ。何とか二人の仲を取り持たないと、と名前は心の中で静かに意気込んでいた。 ◇ それから一週間ほど経った頃。 「ごめんください」 名前の予想通り、正宗は厳しい稽古にめげることなく連日冨岡邸を訪ねていた。 「こんにちは、正宗くん」 「げ……貴方ですか」 ちなみにこの反応も一週間前と何も変わっていない。むしろ悪化してるような気がしないでもない。ともかく相変わらず彼には嫌われたままだ。 「冨岡さんは?」 「それが訪ねてきてもらって申し訳ないんですが、本日義勇さんは急な任務が入りまして、稽古は難しいとのことです」 「そうですか……任務なら仕方のないことです」 そう自分に言い聞かせているのだろう。言葉とは裏腹に思い切り項垂れている。 義勇に会えなくてそうなる気持ちが一番理解出来るのは、他でもない目の前にいる名前だろう。 だからこそ名前は正宗を邪険にすることはなく、何ならその気持ちに寄り添ってみせた。 「よろしければ、私が手合わせしましょうか?」 「貴方が……?」 「はい。義勇さんの代わり、とまではいかないかもしれませんが」 「そうですよ、貴方なんかに冨岡さんの代わりが務まるとはとても……」 「でも正宗くんよりは強いですよ。確実に」 「な……っ!」 「ついでに義勇さんを思う気持ちも絶対に負けません。私が一番義勇さんを愛していますし尊敬しています」 「貴方は恥ずかしげもなく何を堂々と……!」 「どうです?勝負してみます?私を負かせば義勇さんの隣にいられるのは貴方になるかもしれませんよ?」 「そ、そこまで言うなら望むところですよ!」 素直に手合わせなどしてくれそうにない正宗を、名前はわざと挑発してみせた。 けれど口にしたことに偽りはないし、実力でも気持ちでも正宗に負けるつもりなど名前にあるはずがない。 やっと手に入れた義勇の隣という居場所を守るには、いつだって命懸けだからだ。 「さぁどこからでも遠慮なくどうぞ」 二人きりで訪れた稽古場で、名前は両手を広げながら正宗を迎え入れる。義勇の時とは違う、とても穏やかな表情だ。 自分を舐めているのだろう。そう思った正宗は全速力で名前に目がけて走り出し、自身の最速をもって木刀を振りかざした。 「良い太刀筋ですね」 「偉そうに……!余裕ぶってられるのも今のうちですよ!」 「よっぽど私を負かしたいんですね。気持ちが刀に乗ってます」 「そうだ!貴方を倒して、俺が冨岡さんの継子になるんだ……!絶対に、俺が……!」 「剣技も悪くないし力もあります。もちろんそうやって気持ちで押すのも悪くないんですけど、でもそれじゃあ水柱の継子からは遠ざかってしまいますよ」 「な!ちょっと待っ……!」 「待ちません。無論鬼は待ってはくれませんから」 「がはぁ──っ!」 名前の木刀が、正宗の腹部に思い切り打ち込まれる。その拍子に正宗は床に膝をつき、呆気なく平伏す形となってしまった。 「基本からおさらいしましょう。水の呼吸はいかなる攻撃にも対応できる受けの術です。極めるには、常に呼吸を保つ心が必要になります」 「ぐ……っ、う」 「心に水面を思い浮かべろ。そして水鏡のように静かで穏やかな心を常に保て。これは私が水の呼吸を習得する際、一番最初に義勇さんから教わったことです」 「くそ……っ」 「そんな風に感情を剥き出しにしては、水の呼吸は扱えません」 「そんなこと分かってますよ……!今のは油断してただけです!さぁもう一本!」 「そうですか。では遠慮なく」 この子はきっと強くなる。純粋に強くなりたいという直向きさと負けん気が、もっともっと成長させるはずだ。 そうして本当に継子になってくれたらと、名前もまた純粋に願っていた。 稽古すること数時間。 気がつけば、時刻はすっかり日暮れ時を迎えていた。 「では今日はこのへんでおしまいにしましょうか」 「はぁ……っ、はぁ」 「手合わせ、楽しかったですね。正宗くん」 「何でそんな……息一つ切れてないんですか……っ」 「それは単純に正宗くんの何倍も鍛錬してきたからですよ」 結局正宗は名前を負かすどころか、一発当てることすら出来なかった。今もなお名前は変わらず穏やかな笑顔を浮かべている。 それが憎たらしくもあり、同時に自分との実力差がどれだけあるのか、思い知らされた瞬間でもあった。 「たくさん稽古をしたらお腹が空きましたね。そうだ、せっかくですから正宗くんも一緒にどうですか?晩御飯、お作りしますよ」 そのうえあれだけ悪意をぶつけてきた自身に対して、稽古だけではなく御飯の世話までしようとしている。本来なら怒ってもおかしくはないのに、その優しさはどこから生まれてくるのか。 正宗の胸がギュッと締め付けられる。 今何か言葉を発したら震えてしまいそうな気がして、正宗はただ黙って静かに頷いてみせた。 その後冨岡邸に帰宅した名前は、手際良く三人分の夕飯を用意した。 任務の合間に一度屋敷に寄って夕飯を食べると言っていた義勇の頼み通り、今日の御飯は鮭大根だ。 「さぁたくさん召し上がって下さい」 「ありがとうございます……頂きます」 こんな風に誰かと御飯を食べるのはいつぶりだろうか。 「美味しい……!」 「本当ですか?良かったぁ」 鬼に家族を殺されてから、ずっと一人だった。鬼が憎くて仇を打ちたくて鬼殺隊に入隊した。目の前で微笑む彼女はどうだったのだろう。どうして冨岡さんの隣にいるのだろう。 「あの……一つ質問してもいいですか?」 「はい。何でしょう?」 「どうして貴方は継子ではないのですか……?」 ピタリと名前の箸が止まる。 「あ……っ、その、話したくなければ別に……」 「いえ、そうではなくて。以前全く同じ質問をされたなと思いまして」 あれもまた炭治郎と稽古をした後のことだった。 「私は継子にならないのではなく、なれないのですよ」 「え?」 「本来私は水の呼吸の使い手ではないので」 「それはどういう……」 「なので継子になって下さる方がいらっしゃるなら、私は歓迎しますよ」 水の呼吸は受け継がれていくべきだと思うし、一人でも多く義勇を支える隊士が増えてほしいとも思う。 ただ義勇のあの性格だ。育手になるのは相当嫌がるだろうし、継子を持つ気など無いに等しい。 それが分かってるからこそ、こうして名前が一肌脱いでいるのだ。 名前の笑顔に、正宗も箸を止める。 どうして継子になれないのか本当は問いただしたかった。けれど何だかそれ以上は聞いてはいけない気がしたし、話してもくれない気がした。 もしかしたら自分と同じように、彼女にも悲しい過去があるのかもしれないと、そんな気がしてならなかった。 「次こそは貴方に勝ってみせますから」 「ふふ。楽しみにしています」 「絶対にいつか、冨岡さんの隣には俺が相応しいって証明してみせます」 「私もそれだけは譲りませんよ。義勇さんは絶対に渡しません」 ガタンと玄関から音が聞こえる。 「あ、義勇さんです」 それが愛しい人が帰ってきたものだと分かると、すぐさま名前が玄関へと駆け出していった。 「おかえりなさい、義勇さん!」 「あぁ。ただいま」 「ちょうどよかった。先ほど夕飯の用意が出来たところなんで、温かいうちに召し上がって下さい」 「そうか。ならそうさせてもら……」 義勇の足がピタリと止まりその場で硬直する。 「おかえりなさいませ、冨岡さん!」 「何故、ここに……」 「正宗くん、今日も稽古を受けに訪ねて下さったんですけど、義勇さん留守だったじゃないですか。なので私が代わりに稽古をつけたんです」 「……それがどうして俺の屋敷に上がりこんでいる?」 義勇の声が次第に不機嫌なものへと変わっていく。自分を慕い師事を仰いだ隊士とはいえ、男であることには変わりない。それが堂々と自分の屋敷に上がりこみ、名前と二人きりでいるだなんて。 そもそも二人の仲は悪かったものだと認識していたはずだが……。 「稽古の後にお腹が空いてしまいまして、ぜひご一緒に夕飯をとお誘いしたんです」 それなのにどうしたものか。 名前の方から誘ったと言うのだから理解し難い、というより正直あまり理解したくない。 「今ちょうど義勇さんの話をしていたところなんですよ」 「俺の話?」 「はい、義勇さんは渡さないって話です。義勇さんの隣は私って決まってますものね」 「いえ、俺です!俺が絶対に奪ってみせます!」 最早じゃれあっているようにしか見えない二人に、またしても大きな溜息がこぼれる。そのうえ二人きりで自分を取り合う話をしているだなんて、頭を抱えて当然な義勇なのであった。 [ back ] |