ありきたりな事象のありえない日常 2


一方その頃不死川というと。

「よし。大体これで終わりだな」

誰にも会わず自身の屋敷に辿り着き、無事カブトムシの世話も終えていた。
思ったより順調な滑り出しにフゥっと大きく息を一つ吐くと、少しだけその場に寝転んでみせた。
そのまま天井に向かって手を伸ばすと、今は自分の手じゃなく名前の手が目に入る。

「……小せぇ手」

白く細い腕は思ったよりも華奢に感じた。
この手で鬼狩りをするには、人一倍の努力と鍛錬が必要だろう。いつもにこにこしている名前からは、そんな様子は全く感じないが……。

『不死川。名前の体に何かしたら、俺が承知しないということを覚えておけ』

名前の体についてそんなことを思っていると、ここに来る前に義勇に釘を刺されたことを思い出した。

「あの野郎、誰に向かって言ってやがる」

一度は惚れた女の体だ。気にならないと言ったら嘘になるかもしれないが、ここで何かしようものなら、義勇に負けるような気がして余計に腹が立つ。
そう思いながらもちらりと上半身の膨らみに視線を移し、見つめること数秒。

「チッ。何を考えてんだ俺はァ……っ」

一刻も早く元の体に戻りたいとより強く思った不死川は、急いで冨岡邸へと戻ることにした。


行きは順調だったんだから、帰りもきっと大丈夫だろうと油断していた時だった。

「おーい!名前さーん!」

誰かに呼び止められ振り向けば、こちらに向かって手を振る奴と、こちらに向かって全速力で走ってくる奴が見える。
そして一人の男はそのまま名前だと思い込んだまま、不死川へと抱きついてみせた。

「こら善逸!無闇やたらに抱きついたらダメだって何度も言ってるのに……!」 
「名前さんがいいって言ったからいいんだよ!ねぇ名前さん」

善逸が満面の笑みで顔を覗くと、そこには全力で眉間に皺を寄せた名前の姿があった。

「おいクソガキ……テメェ誰の体に抱きついてやがる……あァ?」

ボソリと善逸の耳元で囁けば、善逸が物凄い速さで今度は炭次郎に抱きついてみせた。

「ぜ、善逸!?今度は何……!」
「い、いいいい今名前さんがっ!え!え!?今の何!?空耳……!?」

名前になりきるのをすっかり忘れていた。こいつは鬼の妹がいる炭治郎って奴だったか。もう一人のガキは随分馴れ馴れしい野郎だな。

「俺達これから稽古をするんです。よろしければ名前さんもどうですか?」
「稽古?」
「はい。最近名前さんとはあまり手合わせ出来ていなかったので、もしご一緒出来たら嬉しいです」

名前はこいつらに稽古を付けてやっているのか。
上等だァ。今日は俺が直々にしごいてやらァ。

「ぜひ、ご一緒に」

そう言って不気味な笑顔を浮かべる名前に、炭治郎と善逸は身震いがした。


二人をズルズルと引きずりながら稽古場へ向かうと、早速不死川は木刀を片手に稽古を開始した。
容赦なく全力で攻めてくる様子に、当然のことながら炭治郎も善逸も何が起きてるのかさっぱり分からない。
とにかく攻撃を受け止めることでいっぱいだ。

「ほらほらどうしたぁ!」
「名前さんこそ、どうしたんですか……っ!?」
「こええええ!ぎゃああああ!」

しごく気満々の不死川が木刀を振りかざす。
こうして動くと身のこなしは軽いが、筋力を含めた基礎体力等、自身と比べて劣る部分がより顕著に分かる。
というかこんな細っこい腕で、あいつはどうやって鬼の頚を狩っているのか甚だ疑問だ。

「お前らの実力はこんなもんか?しけてんなァ」

結局後先考えずボコボコに打ちのめしてしまったところで、稽古は終わりを迎えた。

「名前さん……どうしちゃったんだろうな……?」
「善逸が抱きついたのが原因とか……?」
「でもいつも笑って受け入れてもらえるのに、名前さんって怒るとあんなに怖いんだな……」
「というより何だか人が変わったみたいだった」

いつもより大股で歩く名前の背を見つめながら、炭治郎は最後まで首を傾げていた。





余計な時間を使ってしまった。
誰かに会うと色々と面倒くさい事だらけなことを身を持って知った不死川は、足早に冨岡の屋敷へ向かった。
その途中だった。

「……玄弥?」

向こう側から歩いてくるのは間違いなく自身の弟である玄弥だった。避けようにも一本道ではそれも出来るはずもなく、すれ違う前に思いがけず玄弥は声をかけてきた。

「名前さん……!」

そうか……そういえば俺は今名前だったな。
鬼殺隊に入ってから恐る恐る話しかけてくる玄弥しか知らない自分にとって、自然体な玄弥はどこか懐かしく感じた。

「おう……どうしたァ?」
「……え?」
「あ……いや、違う。そうじゃなくて……」
「名前さん?」
「ど、どうかした……?」

かなりの抵抗はあったが、出来る限りおしとやかに言ってみた。

「あの、名前さんなんですよね?兄貴と俺の仲を取り持とうとしてくれたのって」
「は?」
「今日兄貴が珍しくすげぇ優しく話しかけてくれて……名前さんの作るおはぎを一緒に食べようって言ってくれたんです」
「何……?」
「そのうえ最後には笑いかけてまでくれて……」

あのクソ女俺の体で……殺す……!

「俺すっごい嬉しかったんです……。名前さん、本当にありがとうございました」

自分に話しかけられたと目を輝かせて嬉しそうに話す玄弥を見て、一瞬胸が締め付けられた。

「じゃあ俺はこれで。おはぎ楽しみにしています」

その話は無しだと訂正する前に、玄弥はあっという間に目の前から去ってしまった。
体が入れ替わったことでこうも次々と面倒くさいことが起こるものなのか。
とにかく今はあの女の始末が先だ。





一人先に冨岡邸に着いた名前は、いつも通り家事に勤しんでいた。
そこへ思いきり玄関の扉が開く音が響く。
義勇が急いで帰ってきたのかと思い覗くと

「名前……テメェ!」

物凄い剣幕でこちらに向かう不死川の姿があった。

「ど、どうしたんですか?そんなに怒って……」
「テメェ玄弥と何を話しやがったァ?あァ?」
「何故それを……」
「ついさっき玄弥とすれ違って、俺とおはぎを食う約束をしたとほざいてやがったがテメェの仕業かァ!?」
「ま、まぁまぁ。責任持ってちゃんとおはぎをたくさん作りますから……ね?」
「そういう問題じゃねぇよ……殺す!」

自分の顔に殺意を向けられるのは、何とも妙な気分だ。
この場合こちらに手を出せば不死川の体が傷つくことになるのだけど、それはそれでいいのだろうかと名前はそんなことを考えていた。
掴みかかってきた不死川に抵抗すれば、予想外にもその勢いは簡単に止めることが出来た。

「不死川さん、落ち着いて下さい」
「クソ……っ!テメェ!」

なるほど。いつもならすぐに不死川の力にねじ伏せられるが、入れ替わったのなら話は別だ。
不死川の体だといとも簡単に相手の体を抑え込める。彼の力が強すぎるのか、自分の力が弱すぎるのか。
どちらにせよこれなら殺される心配はなさそうだ。
と、油断していたのも束の間。

「わぁ!」

不死川に足を引っ掛けられ、二人はもつれ合うように畳に沈んだ。
組敷くような形になっても、不死川は諦めずに名前に食ってかかる。

「ぶっ殺してやらァァ!」
「だから私の体でそういう物騒なことを言うのは止めて下さい……!」

名前は不死川の両手首を掴み、畳に貼り付けるようにして抑え込んだ。
端から見れば名前が不死川に覆い被され、今にも襲われそうな形だ。
しかし今は肝心の中身が違う。

「……何だか新鮮な眺めですね」
「はっ。自分で自分に欲情してんのかァ?」
「なわけないでしょう……っ。違いますよ!」

というかこんなことしてる場合じゃない。

「不死川さん、そんなことより早く元に戻る方法を考えないと」
「それとこれとは話が別だァ……!」
「あ。ゴミ」

名前が不死川の耳についたゴミを取ってあげた時だった。

「……っあ」

その声に一瞬にして二人は顔を見合わせた。

「な、何甘ったるい声を出してるんですか不死川さん……!」
「知らねぇよ!耳なんか触るからテメェの体が勝手に反応してんだよ……!」
「そういう言い方しないで下さいよ!」
「どこまで敏感なんだよテメェはよォ!」
「だからそれを止めて下さいってば……!」

大声で言い合いしていたものだから、名前も不死川も玄関の開く音に全く気がつかなかった。

「おい、何をそんなに大声を出して――」

そこにはおはぎを抱えた義勇が立ち尽くしていた。
固まること数秒。義勇が物凄い足音を立てて近づいてきた。
何をするのかと思いきや。

「きゃあ!」

義勇は覆い被さる名前をぶん投げ、横たわる不死川を抱き上げた。

「大丈夫か名前……!何を、され……」

途端に義勇の顔がみるみる青ざめていく。

「義勇さん……私はこっちです」
「まぁ、あれだ。悪ィな……冨岡」

義勇からしてみれば中身はどうであれ、どこからどう見ても名前が不死川に襲われているようにしか見えなかったのだから、本能で動いてしまうのも無理はない。
とにかく更に重苦しくなった空気の中、今度は名前がとんでもないことを口にし始めた。

「不死川さん。手始めに思いきり頭突きさせて下さい」
「は……?何言ってやがるテメェは……」
「とにかく試せるものは何でも試さないと元に戻れないじゃないですかぁ……!ぶつかってこうなったのなら、同じ衝撃を与えれば……っ」
「だから俺の体でメソメソすんじゃねェ……!」

頭が痛い。目の前の光景が夢であってほしいと何度思ったことか。
義勇が額に手を当てながら溜息をつく。
言い争う二人を再度引き離そうと、名前の肩を引っ張ったまさにその瞬間だった。

「あ」

ぐらりと名前の体が傾き、義勇もまた体をぐらつかせた。このまま倒れこめば義勇の顔に、自分の顔が当たるかも……いや、確実に当たる。
事故だとしても身体的なことだけ言えば、それはつまり義勇と不死川のキスを意味するのであって。

男だろうと女だろうと誰かが義勇さんにキスするなんて絶対阻止っっっ!

「ダメーーー!」

そのままお前ら二人が倒れこめば、そこに落ちている俺のおはぎが巻き添えになる。
そんなの絶対阻止に決まってんだろうがァァァ!

「馬鹿がァァァ!」

結局ドッシーンっと大きな音を立てて、全員が倒れ込む形となった。

「いててて……」
「名前……大丈夫か?」
「……重ぇ」

横たわる義勇と不死川の体の上に、名前の体が乗っている。
どうやら名前の体に傷はついていないようで、義勇はとりあえず一安心した。

「あっ、ごめんなさい……!重いですよね!」

そう言って名前が義勇と不死川の上から飛び起きた。
その様子に二人は無言で名前を見つめる。

「どうしたんですか?二人ともじっとこちらを見てって……え?あ、あーーーー!」
「……元に戻ったのか?」
「どうやらそうみてぇだなァ」

何がどうなってそうなったのか全く分からないが、再び入れ替わり名前と不死川が元に戻ったことは事実だった。

「倒れ込んだ拍子に戻ったのかなぁ……?でもでも、良かったぁ……!このまま戻れなかったらどうしようかと思って……!」
「名前、おい……」

ベソをかきながら名前が義勇に思いきり抱きつく。
その横で不死川はおはぎを拾い上げ

「続きは俺がいねぇところでやれ。あと名前、テメェは今後ゆっくり教育的指導してやるから覚えておけェ」

そう言って去って行った。

「一体何をしたんだ、名前」
「ちょっとしたお節介を……」

笑って誤魔化す名前の前髪を掻き分ける。

「何はともあれ、やっと義勇さんに触れました……」

泣きそうな表情をしながら見上げる名前に、義勇の胸は大きく高鳴る。
のだけど、そこから先がいつものように進まない。

「本当に名前なんだろうな……?」
「本当の本当に私ですよ」

先ほどまでこの体に不死川が入っていたことの方が信じられないが、現にあれほどガサツな名前を見せられた後だ。
元に戻ったことすら信じていいのかどうか。

義勇の指が髪を掻き分け耳をするりと撫で上げる。

「……っあ」

思わず甘い声が漏れてしまい、名前は慌てて口を塞いだ。

「どうした?」
「いえ……別に何も」

嘘だ。

“どこまで敏感なんだよテメェはよォ!”

本当は不死川に言われた言葉を思い出していた。

「まさか不死川のことを考えていたんじゃないだろうな……?」
「いえ、そんな。まさか……!」
「そうか。名前……今日は互いに休暇で良かったな」
「え……どういう意味ですか?」
「今何に嘘をついたのか、これからじっくり体に聞けるからだ」

その後、散々義勇に啼かされたのは言うまでもない。
そして後日、不死川にこっぴどく稽古させられたのも言うまでもない。

結局何が原因で二人は入れ替わってしまったのか。
真相は誰にも分からずじまいだった。

ちなみにしばらく炭治郎達は名前を見かけると逃げ惑うようになり、玄弥は不死川を見かけると少しだけ笑いかけるようになったとかなっていないとか。


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