ありきたりな事象のありえない日常 1 何がどうなってこうなったのか。 分かる人がいるなら誰でもいいから教えてほしい。 「おい名前……。一体これはどういうことだァ……?」 「そ、そんなの私の方が聞きたいです……っ!」 今にもキレそうな不死川と、今にも泣きそうな名前。 いや端から見れば今にもキレそうな女と、今にも泣きそうな男がいるようにしか見えない。 状況は大いに矛盾しており、その理由も当の本人達にはさっぱり分からない。 が、とにかく。 「何で俺とテメェが入れ替わってんだァ……!?」 「何で私と不死川さんが入れ替わってるんですか……!?」 互いに今目の前にいる自分の体に向かって叫んだ。 「どういうことですかこれ!これは紛れもなく不死川さんの体ですよね!?」 「何で俺がテメェの体になってるのか今すぐ簡潔に説明しろォ……!」 「そ、そんな今にも殺しそうな勢いで凄まないで下さい……!兎にも角にも私達の中身は入れ替わってしまったってことで間違いないですか……っ!?それも原因不明で……!」 「最悪すぎて信じたくもねェがな……」 夢だと思いたい。夢なら今すぐ覚めてほしい。 しかし悲しいかな。頬をつねるもこれは間違いなく現実で起きていることらしい。 二人は頭を抱えた状態から動けず言葉を失った。 「とにかくどうしてこうなったか考えてみませんか……?」 名前の提案に、不死川もつい先ほどまで起こっていた事象を思い返す。名前はお館様の屋敷から帰る途中、不死川はお館様の屋敷へ向かう途中のことだった。 『今日はこれから義勇さんとお出かけだ。ふふ、急げ急げ』 義勇と名前は二人揃っての久しぶりの休暇だったことから、今日はデートをする予定だった。 一分でも早くお出かけしたいとはやる気持ちを抑えきれず、勢いよく曲がり角を走り抜けた時だった。 『わああっ!』 曲がり角から急に現れた不死川と衝突してしまったのだ。覚えている限りの出来事はたったそれだけのことだった。 「え……じゃあぶつかった拍子に入れ替わってしまったと……?」 「そんな作り話みたいなことあってたまるかよォ」 「じゃあどうしてこんなことになってるんですか……っ?」 「名前、テメェ俺の体でメソメソしてんじゃねェ。気色悪ィな」 「不死川さんだって私の体でそんな言葉遣いしないで下さいよ!もっとおしとやかにして下さい……!」 本気で頭が痛いと再び二人は頭を抱えた。 原因は分からないがとにかく入れ替わった現実を受け止めるしかない。 そして二人が今すぐにでもやるべきことは、一刻も早く元に戻る方法を見つけることなのだ。 「しのぶさんに相談してみませんか?」 「ふざけんなァ。この事を誰かに話してみろ。それこそ大変なことになる」 「じゃあどうするんですか……?」 「元に戻るまでは誰にもこの事を悟られないようにしろ」 「つまり入れ替わった事がバレないように、私は不死川さんになりきって過ごせと?」 「そうせざるを得えねぇだろォ」 不死川の提案が得策なのは否めない。 それこそ不死川の言う通り、誰かに知られても説明のしようがないのも事実。 それは名前も理解出来る。 ただ名前には気がかりな事が一つだけあった。 「まさか義勇さんにも内緒にするつもりじゃないですよね?絶対にバレますよ?」 「俺がテメェのフリをしてどうにか」 「なるはずがないですよ……!私達これからお出かけする約束をしてたので、会わないようにする訳にもいかないし……。それに万が一にでも私と勘違いして義勇さんが、ほら、その色々したら……!」 名前と不死川が無言になる。 互いに同じことを思い浮かべたに違いない。 例えば不死川と気づいてない義勇が、名前だと勘違いしたままキスしたり……。 「勘弁してくれ……」 「なので義勇さんには本当のことを話して協力してもらいましょう……!」 必死に訴える名前を前に、不死川にはそれを呑み込む選択肢しかなかった。 結局二人並んで冨岡邸の門をくぐることになった。 「遅かったな。一体どこまで……」 名前と不死川が一緒に現れたことで、義勇が完全に固まってしまったのは言うまでもない。 そして込み上げる怒り……を通りこして殺気に近い感情が向けられた。 「お前ら……何故一緒に」 「違うんです義勇さん!私達にも何がなんだか分からないんです!」 「は……不死、川……?今、名前が喋ったような……」 「だから私が名前なんです……!」 不死川が自らの顔を指差しながら、まるで名前がそこにいるかのような口調で喋っている。 目の前で何が起きているのか、もちろん義勇には全く理解出来ていない。 そんな義勇に手っ取り早く理解してもらうなら、正直に話すのが一番だと二人は察した。 「私と不死川さんの中身が入れ替わってしまったんです……!」 「そういうことだからテメェも協力しろォ冨岡」 涙を浮かべながら自分にすがる不死川の姿と、眉間に皺を寄せ腕を組みながら威圧する名前の姿を前に、義勇は先ほどの二人同様頭を抱えたのだった。 その後事態はどうあれ目の前の二人を受け入れるしかない義勇は、詳しい話を名前から全て聞くこととなった。 「義勇さん……私達どうしたらいいでしょうか……?」 「名前、だからテメェは俺の体でクネクネメソメソしてんじゃねェよ……!」 「そういう不死川さんこそ私の体であぐらをかかないで下さいよ!眉間の皺もダメですよ!?もっとにこーってしてにこっと!」 「テメェ誰に向かって言ってやがる」 「目の前の私に言ってるんです!不死川さんは今私なんですから、その自覚をして下さい……!」 ありえないと何度も思いながらも、この不可思議な現実を受け止めるより他はない。正直受け止めたくないというのが本音だが。 「で、この後はどうするんだ?」 義勇の問いに二人は言い争いを止めて顔を見合わせる。 まずは元に戻る方法を考えなくてはならないが、その間ここにいる三人以外には秘密裏で生活は続けなければいけない。 「とりあえず今日は珍しいことに、私達三人とも休暇なのは助かりました」 「不死川の今日の予定は?」 「カブトムシの世話と手配しておいたおはぎの受け取りだァ……」 「随分と可愛らしい用事だな」 「おい冨岡、テメェ今なんつったァ?」 「お前こそ名前の中に入っている以上は低俗で汚い言葉を吐くな」 今にも喧嘩が始まりそうな雰囲気に、名前が間に入りとりあえず事なきを得る。 何とか二人を宥めるも不穏な空気の中、話し合いは再開された。 「では私はカブトムシのお世話に行ってきますので、お二人はデートを装っておはぎを取りに行ってきて下さい」 「……名前、それは」 「死んでも御免だ」 「この非常事態に我が儘ですねお二人共……」 「テメェこそカブトムシの世話が出来るのかよォ」 「それは……確かにそうですね」 ならば一番簡単なのはこの方法だ。 「では不死川さんは自分のお屋敷に戻ってカブトムシのお世話を、おはぎは私が取りに行きましょう」 「その姿でテメェ一人でかァ……?」 「え、ダメですか?」 「……ヘマをする予感しかねェ」 もちろんずっと屋敷にこもっている方がボロは出ないが、だからといって普通の生活をしない訳にもいかない。 その狭間で葛藤はあるものの、とにかく三人は意を決するしかないのだった。 ◇ 結局話し合いの末、義勇と名前がおはぎを取りに街へ向かうこととなった。 不死川に渡されたメモを見る限り、その店までは結構な距離がありそうだ。 「本当にぶつかっただけなのか?」 「本当の本当にぶつかっただけです」 「どうしてお前と不死川が……」 「私が一番泣きたいですよ……。今日だってせっかくの義勇さんとのデートだったのに……。そりゃ確かに今こうして出かけてますよ?でもこれは私の体じゃないし……っ」 目を潤ませながら泣き言を言う名前を慰めてやりたくなったが、隣を見ればその容姿のせいで反射的に躊躇ってしまう。 「それとその口調じゃバレるのは時間の問題だと思うが」 「そうでした……!え、じゃあ私義勇さんのことを呼び捨てにしたりテメェって言ったりしなきゃいけないんですか……!?どんな罰ゲームですかそれは……!」 「そうも言っていられない。非常事態だと自分で言っていただろう」 苦悩する名前を義勇が諭すも、中々納得いかない様子だ。 というかこんな初歩的なことで躓いているようなら、本人になりきるなど到底無理な話だと義勇は思う。 「よし。では……」 「不死川」 「何だァ、冨岡…………さん……。だああああ!やっぱ無理です!」 そう叫びたくなる気持ちを義勇も分からない訳ではない。義勇の方も名前に向かって不死川と呼ばなければならない状況は、中々キツいものがある。 「せめて下の名前にしましょう!」 「それもそれでどうかと思うが……まぁいい。じゃあ、不死川」 「何だァ、義勇…………って、いきなり呼び捨ても照れますね……」 「……待て。頼むからそこで顔を赤らめるな」 それに反して義勇の顔は青ざめていた。 名前のそんな姿を見たのなら、きっと可愛くてしょうがなくなる自分が容易に想像出来る。 しかしモジモジと照れる男の姿など、今は受け入れ難いにもほどがある。 「よし、義勇!おはぎを取りに行くぞ!」 なんて名前が調子をこいた矢先だった。 「……お前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」 二人の背後から聞き覚えのある声がして、義勇はいつもと変わらず、名前は冷や汗をかきながら振り返った。 「二人で並んで歩いてるところを見て何かの間違いかと思ったが、いつの間に下の名前で呼び合う仲になったんだ?」 「……つい先日だ」 突如現れたのは天元だった。 もちろん天元の反応は当たり前の反応である。それも柱であるなら尚の事、義勇と不死川の不穏の関係はよく知っている。 義勇はそんな天元に対し、目線を合わせず適当に返事をした。 「お、おう天元じゃねぇかァ。嫁達は元気かァ?」 「……は?」 やばい……!何か間違ったことだけは私にも良く分かる! 「不死川、お前なんで俺の名前まで……。それに今まで嫁の話なんて」 「あーあーそうそう!最近俺の中で下の名前で呼ぶのが流行ってるってだけで特に意味はねぇ……っ。も、もうこんな時間か……!俺はちょっとカブトムシの世話に戻るからよォ……!」 「あ、おい不死川!」 天元が呼び止める声に一切振り向かず、名前は義勇と向かうはずだった道とは逆方向に走り出して行った。 残された義勇ですらこの状況をどうするべきか、頭が上手く働かない。 「冨岡、ありゃどうなってんだ……?」 「……俺の方が知りたい」 ◇ 不死川さんになるのって難しい……! 終始反省と後悔の感情が溢れ出す中、名前は人気の無いところまで走り抜けた。 走り抜けて気がついた。この体、全然というか全く疲れない。 柱になる人は基礎となる体からしてこうも違うものなのかと、名前は身を持って体験した。 不死川の体に関心していると、少し離れたところに人影が見える。よく目を凝らしその人物が誰か判明すると、名前は無意識にその名を口にして手を振っていた。 「おーい!玄弥く……っと。玄弥ー!」 「え……?え……!?」 「こんなところで何してんだァ?」 よし、今度は上手く不死川さんの真似が出来てる気がする! 「え、えっと……その、本当に兄貴……だよな……?」 げ!また疑われてる!? そうか。不死川さんは普段から玄弥くんに冷たい態度を取ってるから……。 「お、おう。テメェはバカか。兄貴に決まってんだろうがァ」 「でも……いつもはもっと邪険にするから……」 いつも名前が話しかけてもクールな印象の玄弥が、小さくなって気まずそうなに下を向いている姿に、名前の胸が締め付けられる。 そしてどこまでも不器用な不死川を思い浮かべながら、どうにか二人を仲良くしてあげたいと強く思ってしまったのだ。 「今度一緒におはぎを食うかァ」 「え……おはぎ?」 「名前が俺達に作ってくれるって言ってたからよォ」 玄弥は遠慮がちに嬉しそうな顔をしてコクリと頷いた。その姿を見て名前も思わず笑顔になってしまう。 不死川の体でいることなどさっぱり忘れて。 「じゃあな、玄弥。それまで元気でなァ」 「柱は激務だって聞いたから……兄貴も体には気をつけて……!」 玄弥の声を背に名前はその場を後にした。 何だか足取りが軽い。今すぐにでもおはぎを作りたい気分になってきた。 「おはぎと言えば義勇さんを一人にしちゃったままだ……」 やはり義勇と二人で行動するのは不自然だったようだ。 不死川とはお互いに用事を済ませたら、もう一度冨岡邸に集まる約束をしていたことを名前は思い出す。 「私は一足先に屋敷へ帰っていよう」 このまま外にいたらまた誰かに会うかもしれない。正直今のままでは隠し通す自信もない。 「もう一度不死川さんの情報とか口調を取り込む勉強をしないと……」 そんな余計な課題に真剣に取り組もうとする、論点のずれた名前なのであった。 [ back ] |