炭治郎の疑問 刀がぶつかる音が、森の静寂を突き破る。 それは鬼殺隊のたゆまぬ努力の音だった。 「そうです。もっと踏み込んで下さい」 「はい!」 「いいですね。先ほどよりもキレが増してますよ、炭治郎くん」 名前さんは俺の連撃を全て受け止めながら、それはそれは楽しそうに笑った。 「はあああっ!」 「もっと無駄のない動きを意識して下さい」 どんな攻撃を仕掛けても、流水の如く流されてしまう。いつまでも縮まらない名前さんとの実力の差を、まざまざと見せつけられる時間が続く。 「炭治郎くん、いきますよ!」 その掛け声が合図となって、俺は名前さんと同じ構えをした。 『『水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き』』 二人同時に同じ技を繰り出し、己の最速をぶつけ合う。 結果どうなるか。 「ぐわぁっ!」 今日もいつもと変わらず、俺が思いっきり飛ばされる結末となった。その様子を確認したところで、名前さんが静かに刀を納める。 「惜しかったですね」 毎度こうして吹っ飛ばされていることの、どのへんが惜しかったのか。肩で呼吸をする自分とは裏腹に、名前さんは息一つ乱れていない。彼女の底知れない強さに、俺の疑問は深まるばかりだった。 「そろそろ休憩にしましょう」 まだだ。こんなやられっぱなしのまま、休んでなんかいられない。 「まだやれます!」 「ですがそろそろ体力も限界に……」 「大丈夫です!もう一回だけお願いします!」 名前さんが、懇願する俺をじっと見つめる。 「……どうかしましたか?」 「いえ、懐かしいなと思いまして。まるで昔の自分を見てるみたいで」 「昔?」 「私も義勇さんにそうやって挑んでは、何度も返り討ちにされてきました」 「……なるほど」 「義勇さんは私より容赦ないですよ。手加減なんてもってのほかです。でもそのおかげでこうして強くなれたんですけどね」 昔話をしながら名前さんが再び構える。休憩はせずに今一度手合わせしてくれるようだ。けれどにこにこしているその間も全く隙はないことに、改めて名前さんの凄さを痛感した。 よし。今度は先手必勝……! 策を練り、先に攻撃を仕掛けるも、名前さんはそれら全てをひらりとかわしてしまう。 何度打ち込んでも結果は同じ。気がつけば一瞬の内に、名前さんの刀の先が喉元に向けられていた。 「はい。お終いです」 何とも呆気ない幕切れだ。さすがの俺もそれ以上は動けない。不本意だとしても刀を下げるより他なかった。 「名前さん」 「まだ続けますか?」 「あ、いえ。そうじゃなくて……」 聞いても良いのだろうかと躊躇はしたが、どうしても名前さんの強さの秘密を知りたかった。 「一つ質問してもいいですか?」 「質問、ですか?では、お一つだけどうぞ」 「名前さんって義勇さんの継子じゃないんですよね?」 「はい。私は継子ではありません」 「それはどうしてですか?」 「あれ。質問はお一つまで、でしたよ?」 はっとして手を口に当てる。確かに一つだけとは言ったものの、彼女に対しての疑問は湧き上がるばかりだ。 これだけの水の呼吸の使い手で、且つ常に義勇さんと共にいるとなれば、誰しもが継子だと勘違いするだろう。 「ふふ、いいですよ。今日は好きなだけ質問して下さい」 いつも自分自身のことをあまり話さない名前さんが、珍しくそう言った。 「じゃあ改めてお聞きしますが、どうして名前さんが継子ではないんですか?」 「それは私がこれ以上、水の呼吸を極められないからです」 「え……?極められないってどういう……」 「炭治郎くんと一緒です。水の呼吸が私には合っていないんです」 名前さんが自身の刀をじっと見つめる。手に持つのは俺と同じ黒刀だ。 「私にはもう一つの、水とは全く別の呼吸法が存在するんです」 水とは違う別の呼吸法とは、一体どんな呼吸法だろう。名前さんの様子からいって、それは既存のものではなく特別な呼吸法な気がした。例えば自分と同じような。 「この呼吸法を見せたことがあるのはほんの数名だけ。内情を把握しているのは、お館様と義勇さんだけです」 名前さんが再び刀を構える。 「今日は炭治郎くんにも特別にお見せしましょう」 「え、俺にですか……!?」 「いつも義勇さんと仲良くして下さっているお礼です」 ドクンと胸が大きく高鳴った。一体どんな技が隠されているのか。緊張と好奇心にまみれた刀が小刻みに震えている。その感情を俺はゆっくりと名前さんに向けた。 「どんな攻撃でも呼吸でもお好きに使って下さい。もちろん全力で構いませんよ」 「本当に全力でいいんですか?」 「ええ。私を殺すつもりでかかってきて下さい」 空気が一変する。けれど不思議なことに、彼女から殺気はおろか何も感じられない。何の匂いもしない。 こんな名前さんの姿は初めてだった。 ──来る。 名前さんが向かってくるコンマゼロ秒の世界、俺は今注ぎ込める全力で技を放った。 放ったつもりだったのに。 「はい。お終いです」 結果、名前さんの台詞も含めて、先ほどと全く同じ幕切れを迎えてしまったのだ。ただ一つ違う点は、俺の刀が名前さんの手の中にあるということ。 「いつの間に……っ!」 確かに自分は全力で技を出したはずなのに、瞬きをするよりも刹那。名前さんの呼吸を全く認知出来なかった。 「今……一体何が起きたのか、全く分かりませんでした……」 「正しい感想ですね。今のはそういう剣技なので」 再び名前さんが笑顔で刀を鞘に納める。 「さぁ今度こそ休憩にしましょう。おにぎりを持参しましたので、いかがですか?」 「名前さんのおにぎり!?」 本当はもう一度、と性懲りもなく頼みこもうと思っていた。が、名前さんのおにぎりとなれば話は別だ。そのうえこれだけの激しい稽古に、かなりの空腹状態。俺の中の優先順位がいとも簡単に覆る。 「ではあそこで一緒に食べましょうか」 「はい、そうしましょう!」 兎にも角にも名前さんのおにぎりは美味しいのだ。 たかがおにぎり。 されどおにぎり。 善逸や伊之助が聞いたら、さぞかし羨ましがるだろう。名前さんの隣に腰をかけながら、差し出されたおにぎりに思い切りかぶりつく。 「美味しいです!」 炭焼き小屋の息子である俺も、これまで料理に関しては褒められてきた方だと思う。特にお米の炊き方、火加減に関してはそんじゃそこらの奴らには負けないと自負していた。のに、名前さんのおにぎりには敵わない。 炊き方?火加減?一体何がここまで美味しくさせているんだろう。 「秘密は塩加減と握り方です」 「名前さんが自分で編み出したんですか?」 「いえ。昔、里で教わったんです」 里とは、名前さんの故郷のことだろうか。珍しい。名前さんからそういった類の話を聞くことも、また初めてのことだった。 「……名前さんの里って、どこにあるんですか?」 こんなこと聞いていいのか分からないけれど、今日の名前さんなら何でも話してくれそうな、そんな匂いがした気がした。 そして名前さんは、しばし考え込んだような様子をみせて。 「最初に好きなだけ質問して下さいと言ったのは、私の方でしたね」 ほんの少し笑みを浮かべて言った。 「私の里は、一番空に近い場所にあると言われていました。それが本当かどうかは分からないですけど」 「一番空に近い場所、ですか……想像もつかないですね」 「のんびりと穏やかでとても空気が澄んでいて、たくさんの自然に囲まれた里でした」 その話を聞いて妙に納得した。名前さんの雰囲気は、生まれ育った故郷からくるものだと分かったからだ。 名前さんが育った穏やかな里か。 「俺、いつか行ってみたいです!」 「興味が沸きましたか?でも残念ながらそれは叶わないんです」 「え……?どうしてですか?」 「里を鬼に潰されたからです」 どう言えばいいのか分からなかった。淡々と話す名前さんの姿とは裏腹に、ある匂いを感じてしまったからだ。ほんの一瞬だけした、深い哀しみの匂い──。 「生き残ったの里の人間はたった一人。私だけです」 「そんな……」 「なので里にはご案内出来ないんです。ごめんなさい」 どうして名前さんが謝るんだ。 悪いのは名前さんじゃなく、里を潰した鬼なのに。俺の家族を殺した奴と一緒だ。悪いのは鬼──そして鬼舞辻無惨なんだ。 ぐっと歯を食いしばる。そんな俺の様子を見て、名前さんは優しく頭を撫でてくれた。 「気に病ませてしまいましたね。でも今はもう大丈夫ですよ」 不思議だ。名前さんに頭を撫でられると、湧き上がった怒りが静まっていくのが分かる。 「ここに来たことで、私には大切な人達も守るべき人達もたくさん出来ました。鬼殺隊の皆さんはかけがえのない仲間であり、私にとって大切な宝物のような存在です」 「……宝物」 「もちろん炭治郎くんと禰豆子ちゃんもそうですよ」 身も心も委ねてしまいたい程の、柔らかくて穏やかな空気が流れる。やっぱり名前さんは不思議な人だ。それは先ほどの呼吸が何か関係してるのか。それとも別の何かがまだ隠されているのか。でもきっともうこれ以上は追求は出来ないし、するべきじゃない……。 「炭治郎くん。もし私に何かあった時は、義勇さんをよろしくお願いしますね」 貴方になら義勇さんを任せられる。そう言って名前さんが笑った。いきなり何を言い出すのかと思えば。 「そんな縁起でもないことを言うのは止めて下さい」 「もしもの話です」 「その時は俺が全部守ります!義勇さんも名前さんも!そしていつか鬼舞辻無惨を倒して、悲しみの連鎖を断ち切ります!」 その言葉に偽りはない。 俺にとって名前さんだって大切な仲間なんです。義勇さんほど強くはないけれど、禰豆子だけじゃなく、名前さんも皆も守れるくらい強くなりたい。 「炭治郎くん、ありがとう!」 「え……!?ちょっ……名前さん!?」 何を思ったのか、突然名前さんにぎゅっと抱き寄せられた。咄嗟のことに反応出来なかった俺はされるがまま。そして柔らかい感触と、ほのかに香る甘い匂いに襲われる。 「やっぱり炭治郎くんは可愛いです!」 「……名前さんっ、これ以上はちょっと……!」 これはまずい……! さすがに、本当に、色々まずい! 名前さんを押し返しそうとした瞬間。 「わぁっ!」 名前さんから大きな声が上がり、重なっていた体温が離れていく。いや意図的に離された。 「あ、義勇さん」 そこには名前さんの首根っこを掴んだ義勇さんが立っていた。 「……一体何をしている。稽古はどうした」 義勇さんの声色が一段と低い。睨みつけられてるのも気のせいではないと思う。あまりの空気に大量の冷や汗が流れ始めた。 しかし名前さんはそんな空気などお構いなしに、いつもの調子でにこにこと話を続けた。 「さっきまでちゃんと稽古はしてましたよ。今は二人でおにぎりを食べて休憩していたんです」 「……休憩?」 「はい。それより義勇さんこそ、天元さんとの手合わせは終わったんですか?」 「ああ」 いつも以上に素っ気ない態度をとる義勇さんに、名前さんは首をかしげた。 名前さん、義勇さんはさっきの場面を見て俺に嫉妬しているんです……!ほ、ほら凄い怒ってますよこれは!不可抗力という言い訳すら許してくれないほどに……!さすがの名前さんも分かりますよね!? 「なるほど、分かりました」 ああ、良かった。これで少しは──。 「義勇さんもぎゅってしてほしかったんですね」 斜め上すぎる発想に、思わず手の平で顔を覆った。 「すぐに言って下されば私はいつでも──おっと……!」 名前さんの体がぐらつく。 抱きつこうと近づく彼女を、義勇さんが突っ返したからだ。 「違う。離れろ」 更に追い打ちをかけるように、義勇さんは拒絶の言葉を言い放った。その言葉に誰の目にも明らかな程、名前さんは落ち込んでいた。あれだけ穏やかでにこにこしていた名前さんが、義勇さんのたった一言でここまで……。 「炭治郎」 「っ……はい!」 義勇さんに名を呼ばれ、一層背筋をピンと伸ばした。不可抗力とはいえやはり怒られるのだろうか。とぐるぐる考えていると、義勇さんは一言。 「稽古はもう終わりだ」 そう言って、来た道をまた戻っていった。 「あ、義勇さん。待って下さいよー!」 そんな義勇さんを名前さんが走って追いかける。 「炭治郎くんごめんなさい!また一緒に稽古しましょうね!」 「はい……!ありがとうございました!」 咄嗟に深くお辞儀をする。顔を上げると小さくなっていく名前さんが、大きく手を振り続けているのが見えた。 二人が仲良く並んでいる姿を見るのが俺は大好きだ。自分の気持ちに正直で愛情深い名前さんと、そんな名前さんを誰よりも優しく見守る義勇さん。 もしもなんてことは考えたくはない。いつまでも二人一緒に過ごしてほしい。ついでに言えば何で夫婦でも恋人でもないのか分からない。名前さんは側にいられればそれだけでいいって言っていたけど……。 「一方で宇髄さんのところは三人も奥さんがいるし、それぞれ色々な形があるんだなぁ……」 そうして俺は二人の背中が見えなくなるまで、その背中を見送り続けた。 ◇ 義勇さんを追いかけて歩き続ける。それも三歩ほど後方を遠慮がちに、だ。本当はいつもみたくピタリと隣に並んで歩きたい。でも離れろと言われてしまった以上、悲しいけれどこうするしか他にない。 ちらりと義勇さんを盗み見しようとしたら、バッチリ目が合ってしまった。これは気まずい。 「ごめんなさい……!離れろって言われたことは重々承知なんですけど、やっぱり私義勇さんから離れるのはどう考えても無理なので……せめて三歩後ろでいいのでいさせて下さい……!」 「そうじゃない」 「え?」 「……離れろと言ったのは人前だったからだ」 「あ、なるほど……」 「それから誰彼構わず無闇に抱きつくな」 視線を逸らしながら義勇さんは言った。話すことが苦手な義勇さんが、一生懸命伝えてくれてる本当の気持ち。何だか胸がぎゅっとなって好きが溢れていく。 「義勇さん、抱きついていいですか?」 「何故そうなる。今しがた話したことを忘れたのか?」 「もちろん覚えてます。だからですよ。だって今ここには私達二人きりだけです」 まだ道の途中。つまり外であることには変わりないし、誰が見ているかも分からない。けれど事実今は誰もいない。 「人前じゃなければいいんですよね?」 義勇さんが困惑した表情を浮かべる。無理もない。だってこれは私が抱きつきたいがための屁理屈だ。 だから観念して下さい。 「無言は肯定です」 「……っ、おい」 「私が好きなのは義勇さんだけですよ」 ぎゅっと抱きしめると義勇さんの匂いがした。この腕の中が世界で一番安心する。大切な私の居場所。 「……帰ったらしっかり責任を取ってもらう」 義勇さんの言葉が何を意味するのか。それを理解した瞬間、私は恥ずかしさで再び義勇さんから離れてしまうのだった。 [ back ] |