3センチの恨めしや


最近巷で流行しているものがある。

「皆さん、これから一緒にお化け屋敷に行きませんか?」
「「お化け屋敷?」」

名前の言葉に、三人は声を揃えて聞き返す。

「お化け屋敷って何だ?」
「お化け屋敷というのはですね、あたかも幽霊がいるような演出をして、その屋敷に入った人を驚かせたり恐怖に陥れたりする娯楽施設ですよ」

首を傾げる伊之助に、名前は得意気に説明してみせた。

「といっても、私もまだ行ったことはないんですが」
「そこに今から行くんですか?」
「はい!今から義勇さんと行くところだったんですが、皆さんもぜひ!」

炭治郎が名前の横に立つ義勇に、ちらりと視線を向ける。
とりあえず怒ってはいなさそうだけど、それってデートの邪魔にはならないのだろうかという疑問はある。

「お化け……ははっ。俺はもうそういうので喜ぶような歳じゃないんで……」
「善逸、顔が怖いよ……!」
「お前本当は怖いんじゃねぇのか?」
「うるせえええ!怖い訳ねぇだろうがあああ!」
「そうですよ!皆で行けば怖くないですよね!」

キラキラと輝く名前の笑顔から、とにかく行きたいという気持ちが分かりやすいほど溢れ出していた。多分この笑顔に義勇さんも根負けしているのだろう、と炭治郎は妙に納得する。
結局炭治郎、善逸、伊之助も加わり、一同はお化け屋敷へと向かうこととなった。


お化け屋敷というものが特設されている、という話だけを頼りに街に来てみれば、案外それはすぐに見つけることが出来た。想像以上に大きい屋敷は、外見から既に迫力満点だ。

「うオオオ!これがお化け屋敷か!すげぇな!」
「凄くよく作られているなぁ。ね、名前さん」

炭治郎が声をかけるも、名前からの返答はない。

「名前さん?」

もう一度声をかけてはみたが、どうしたものか。名前はその場で硬直し全く動かなくなってしまっていた。ついでに善逸も名前の隣で、全く同じような状態になっている。

「怖いのか?」
「ぎ、義勇さんったら何をおっしゃいますかぁ……!こんなの全然ですよ……ぜーんぜん!ねぇ善逸くん……!」
「え、ええ!こんなの楽勝ですよ……楽勝楽勝!なんなら僕が先頭を歩きますよ……!」
「じゃ、じゃあ私達はお言葉に甘えて、善逸くんの後ろを歩きましょう……!」

そう言って名前は炭治郎と伊之助の手を取り、善逸の背を追いかけるように屋敷へと向かってしまった。

「おい、名前……」

その手を引こうと思った義勇は肩透かしをくらったような気分だ。そのうえ名前の両の手は、他の男に握られてるときた。
もちろん恐怖からということは理解出来るが、それだけでも義勇にしてみれば単純に面白くないに決まっている。

「結構暗いんですね。名前さん、大丈夫ですか?」
「た、炭治郎くん……絶対に手を離さないで下さいね……」
「あ、お化け」
「きゃあああああ!」
「ぎゃアアアアア!」

伊之助の指差す方向に目をやれば、血塗れの幽霊が一人佇んている。それを見るや否や、名前と善逸は同時に絶叫した。

「名前さん、作り物ですよ。作り物」
「そっか、そうですよね……」
「あと、その、名前さん……ちょっとくっつきすぎといいますか……」
「炭治郎くんは私を見捨てるんですか!?」
「そうじゃなくて幽霊より後ろが、後ろの方が俺は一番怖いんですけど……!」

炭治郎がちらりと後ろに視線を向けると、先ほどより更に機嫌を悪くした義勇がいた。
手を繋ぐだけならと目を瞑ったのも束の間、今度は体を密着させている。面白くないなどという感情はとうに通り越して、怒りさえ湧いてきた。

「名前、こっちに──」
「義勇さんは後ろにいて下さい!」
「……何故」
「万が一後ろから誰かが襲ってきたら、叩き斬ってもらうためです!」
「いやいや、斬ったら駄目ですよ!」
「つか幽霊って斬れんのか?」
「ぎ、義勇さんなら幽霊も斬れますよ……きっと!」
「斬ったことはないが試してみる」

いやいやいや試したら絶対にやばい……!この場合幽霊を斬るんじゃなくて、確実に驚かせにくる幽霊役の人が斬られる!義勇さんが相手だなんて命に関わる問題だ!
ここはいったん引き返した方が──。

「きゃあ何!?きゃあああ!」

なんて炭治郎が心配している間に、場面は次々あらぬ方向へと展開していく。

「伊之助!何があったんだ!?」
「こんにゃくが名前に向かって飛んできやがった!」
「こ、こんにゃくのお化け……!?こんにゃくも化けて出るなんて、私知らなかった……!」
「名前さん、これは驚かすためのもので」
「じゃあ俺はそれを斬ればいいのか?」
「いや、それより食った方がいいんじゃねぇか?」
「伊之助も義勇さんも違う違う!」

もうぐちゃぐちゃだ。頭が痛い。とにかく先に進んで一刻も早くここを出よう。
という炭治郎の考えも虚しく。

「恨めしや……」
「きゃーー!いやーー!」
「おい、名前。いい加減……」
「嫌!無理!触らないで下さい!」

今度はお化けと勘違いした名前が、義勇の手を振り払ってしまった。拒否されたのがよほどショックだったのか、義勇まで固まってしまう始末だ。

「名前さん!お化けじゃなくて義勇さんですから!」
「ぎゃアアアアア!ごめんなさいごめんなさい!生きててごめんなさい……!俺もう無理……!これ以上無理!」

今度は先頭を歩いていた善逸が絶叫し、事態は更なるパニックへと陥っていく。

「ぜ、善逸……!名前さんにしがみついたら駄目だって!」
「いえ、むしろそのまましがみついてて下さい……私も誰かにくっついてないと足がすくんじゃって……」
「……じゃあ俺はそいつを斬ればいいのか?」
「わあああ!義勇さん……っ、落ち着いて!」
「善逸お前、あんまりこっちに、おっと……!」

善逸が名前に抱きついた拍子で、今度は伊之助がよろめいてしまう。そのまま伊之助は側にあったランプと共に、大きな音を立て倒れてしまった。
当然ランプは割れ、辺りは一層暗闇に包まれる。炭治郎が名前の手を再び握ろうとするも、その手はいつの間にか離れてしまった後だった。

「名前さん?」
「おい、真っ暗で何も見えねぇぞ!?」
「俺はもう終わった……!ここで死ぬんだ!」

皆が大声を出す中、名前は浅い呼吸を繰り返していた。


暗い。怖い。
びっくりして咄嗟に皆の手を離してしまった。
真っ暗な所は嫌い。あの日を思い出すから。

“……ここに隠れていなさい!”
“逃げろ……っ!早、く”

違う。ここはあの日じゃない。
けれど父と母の断末魔が、耳に焼き付いて離れない。
怖い。本当は怖い。鬼も独りぼっちでいることも──。

「義勇さん……義勇さん……っ!義勇さん!」

必死で彼の名を呼んだ。
私を暗闇から救ってくれた、この世で一番大切な人。
彼さえいれば私は──。


「ま、前が……あっ!うわああ!」
「きゃっ、きゃああ!」
「名前……!?名前!」
「おい!こっちにもう一つランプがあったぞ!ひとまずこれで明るく――」

伊之助が明かりを灯したと同時に、全員がその場で固まった。

「善逸……お前……」

一番最初にそれに気づき、青ざめたのは炭治郎だ。いくらお化け屋敷だからといえども、いくら暗闇で前が見えないといえども、これだけは駄目だ。もう庇いきれない。

共に倒れ込んでしまった名前と善逸の唇が、ものの見事に重なっていたことなど──。

「す、す、す……すみませんでしたアアア!」
「いえ……それより善逸くんに怪我はないですか?」

善逸が名前の上から飛び起きて土下座するも、事が起きた後では何もかも無意味だ。

「名前……お前を襲う奴がいたら叩き斬れという約束だったな」

義勇の日輪刀が薄暗い屋敷の中、青く光る。

俺……これはもう確実に死んだ……。
不可抗力とはいえ名前さんにキスだなんて、冨岡さんが許してくれる訳がない。
いや、そもそも躓いて倒れた後だったから、何がどうなったのか俺にもよく分からなかったけど。
弁明してみるか?命乞いしてみるか?
……無理無理無理無理!完全怒っちゃってんじゃん!もう殺す気満々じゃん!俺詰んでるじゃん!

「義勇さん、落ち着いて下さい」

善逸が諦めかけた最中、名前が落ち着いた口調で語りかける。先ほどの怖がっていた名前とは正反対だ。というよりいつもの名前に戻ったと言う方が正しいか。
その様子に義勇は歩みをひとまず止めた。

「大丈夫です。私達キスしてないですよ」
「へっ?」

義勇よりも先に、善逸が間抜けな声を出した。

「触れたのは唇の3センチ横です」
「そ、そうなんですか!?」
「はい。なので今のはキスに入りません。ね、義勇さん」

有無を言わせない笑顔を浮かべる名前に、義勇は溜息をついた。
本当はキスをしたけど、善逸を庇うための嘘かもしれない。けれどそれを嘘だと証明出来る者は、どこにもいないし無論証拠もない。はたまた名前の言う通り、キスなどしていないのかもしれない。
どちらにせよ名前にこう言われしまったら、義勇は何も手出しは出来なくなってしまうのだ。
彼女にはいつだって敵わない。そうは思っても気持ちは収まらない。3センチ横だろうと、触れたことには変わりないのだから。

義勇が再び名前の元へと歩みを進める。上手く宥められたと思ったのに、その表情はまだ何か思うところがあるようだ。

「義勇さん?まだ何か……?ん──っ!?」

自分に何をするのかと身構えていると、信じられないことに義勇は名前の顎を掴み、その唇を己の唇で強く塞いだ。らしくない義勇のキスに呼吸すら忘れてしまう。
もちろんその様子一番驚いたのは名前ではなく、残された三人の方だった。
これでもかと言うほど胸板を押し返すと、押し付けられた唇がやっと離れていく。

「な、な……なんてことを……っ!」
「念のための消毒だ」
「だ、だからって皆さんの前で……っ」
「叩き斬るよりかはマシだろう」

わなわなと震える名前に対して、義勇はいつも以上に飄々としていた。絶対に人前では恋人らしいことなど一切しないあの義勇が、と名前すらも驚きが隠せない。

「さっきから一体何の騒ぎだ!」
「おい!ランプが壊れているのはお前らの仕業か!?」
「何だ!?こっちの奴は刀を持ってるぞ!?」

そんな名前達の元に、何やらわらわらと男達が集まり出した。お化け役の人まで何が起きたのか覗きだしている。

「やば……」
「み、皆さん全速力で逃げますよ……!」
「「了解……!」」

こうしてあれほど怖がってた名前達は、目にも止まらぬ速さで出口に辿り着いたのだった。





途中、義勇に手を引かれ、いつも以上の速さで走らされた。その結果、三人とはどこかではぐれてしまったようだ。

「ふぅ……さすがにここまで来れば大丈夫ですね」

ほっと胸を撫で下ろし呼吸を整える。顔を上げると義勇がじっとこちらを見つめていた。

「どうかしましたか?」
「顔色が戻っている」

義勇の手が名前の頬に触れる。

「暗い所はあまり得意じゃないだろう」

過去の話をしたことはあるけれど、先ほどみたいに心を乱してしまう姿を見せたのは初めてだった。
それなのに全てお見通しだと言わんばかりだ。

「自分の得手不得手は把握してから行動に移せ」
「……それはごもっともです」

彼にはいつだって敵わない。

「まだ怒っていますか……?」
「……さっき真っ暗になった時、一番最初に俺の名を呼んで助けを求めていたな。あれに免じて今回だけだ」

義勇は名前の手をぎゅっと握った。
やはり手を繋ぐのは、いつだって自分でありたい。

「私、当分お化け屋敷はこりごりです」
「同意見だ」

お互い何が嫌だったかは別として、これ以降二人がお化け屋敷を訪れることはなかった。
無論3センチの真相は分からずじまいのまま。


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