誰にも渡しません! 1


──誰ですか、あの人は?

初めて見た光景だった。
義勇さんの隣に女の人が並んで歩いている。それもとびきり美人な女の人が。その人が誰なのか、私には検討もつかない。
そのうえ心なしか、義勇さんも楽しそうな表情をしている気がする……。
ほら。やっぱり笑顔を浮かべている。

何で?どうして?その人は誰なの?


「義勇さんの馬鹿ーーーー!」
「うんうん。気持ちはよく分かるわ」

雛鶴は泣き言を叫ぶ名前を抱きしめ、優しく頭を撫でた。

「冨岡さんも一体何を考えてるんだか」
「そんなの見かけちゃったら、誰だって不安になりますよね」
「まきをさん……須磨さん……」

ここは宇髄邸。
彼女らは音柱である宇髄天元の奥方様である。強く美しい三人の妻は、名前にとってとても頼れる存在だ。
義勇が女性を連れ歩いている衝撃的な場面も見た直後、名前はすぐさま三人に泣きついた。

「名前」

そんなこんなで散々泣き散らかした名前に、とうとうしびれを切らしたこの屋敷の当主──宇髄天元が声をかける。

「……はい」
「ちょっと来い」
「あ、天元様。どこへ……!」
「こいつと二人きりで話がしたい。お前らはここで待っていろ」

天元に強く手を引かれ、名前はずるずると引きずられながら部屋を去っていった。

もう一度話を整理させろ。
別の部屋で二人きりなった直後、すぐさま天元にそう問われた。なのでもう一度事細かに説明をしてみせる。
義勇は今朝もいつも通り任務に出発した。変わった様子など何一つなかったと思う。自分の任務は昼からだったから、それまでの間行きつけの茶屋に行こうと決めていた。

「その道中で見かけたってことだな。見間違えた可能性は?」
「見間違えるどころか、今でもはっきりと思い出せるほど義勇さんが……楽しそうに……っ」

思い出したらすぐさま涙が零れてきた。

「冨岡が浮気ねぇ」
「浮、気……っ、なんでしょうか……?やっぱり……」
「まだそうと決まった訳じゃねぇが、お前はそう疑ってんだろ?」

そう問われると言葉に詰まってしまう。
義勇の性格からいって、隠れて浮気をするようなタイプではないように思える。嘘をつくような人だとも思えない。

とすれば浮気ではなく、本気……!?

「じゃあ冨岡の気が変わったってことか」
「うう……っ、改めて言葉にされると、辛いです……っ」
「お前が今自分で本気かもって言ったんじゃねぇか」

涙を拭う名前の頬を、天元が軽くつねる。

「っ……てんふぇん、ふぁん?」
「何か事情があるのかもしれねぇ。好きなら信じて待っててやれ」

頭では分かっていても、女心はそう上手くはいかない。どれだけ強い女でも、心はとても繊細で、それが好きな男の事となれば尚の事。
天元は不安に押しつぶされそうな名前の頭を、今度は優しく撫でてみせた。

「後はド派手にヤって仲直りすればいい」
「……はい?」

ド派手に。ヤって──?
一体、何を。

「おいおい野暮なことを聞くなよ。男女でヤるって言ったら一つしかねぇだろ。冨岡に派手に抱かれ──」
「わあああ!天元さんっ、何をいきなり……!」
「何だ。処女じゃあるまいし、お前らが派手派手にヤってることなんて皆知って、うぐっ……!」
「ダメです!これ以上は本当に……っ!」

必死に天元の口を抑える。力の差を考えると、すぐにひっくり返されることは容易に想像つくが、こうでもしないとこれ以上は何を言われるか分かったもんじゃない。

「ふぅ……ったく、思いきり塞ぎやがって」
「今のは天元さんが悪いです。絶対にです」
「はいはい分かった分かった。でもな、本当に大事なことだぞ」

今度はいつになく真剣な表情だ。

「言いたいことが言えない時は、触れ合うことで伝えるんだ。今夜はお前から積極的に色々してやればいい」
「私から?何の冗談ですか?」
「は?お前こそ何の冗談だ」

しばし流れる沈黙。
何故か天元に非難するような眼差しを向けられる。訳が分からない名前は首を傾け、もう一度天元に言葉の意味を問うた。

「おいおい嘘だろ。お前、自分から冨岡を誘ったり気持ち良くしてやったりしたことは?」
「は!?ある訳ないじゃないですか!」

項垂れる天元に名前はますます混乱した。今のどこに非難される要素があったのか分からない。そもそも質問の意図も分からない。

自分から?何を?

「何ってナニだろ!」
「た、例えばその、私からとは、一体どういうことを……?」
「……ったく。つまり」

義勇さんのあれをそれしたり、私が乗ってあれしたり、こうなんかもしてみたり──。
と天元が丁寧に説明して見せると、#NAME1#は驚きのあまりひっくり返ってしまった。

「……天元さんは卑猥の塊です!」
「違ぇよ!皆そんなこと当たり前にやってんの!」
「やっぱり冗談ですよね?」
「いやいやお前の方が冗談だろ。まさか一度も咥えたことねぇなんてありえるか?」
「だ、だってそんなこと誰も……っ」

こんなとんでもない話を他人とする機会などある訳がしないし、当の義勇は一切教えてはくれなかった。
となれば初めてが義勇だった名前に、行為の内情など知る手は限られてしまう。
でもこれで一つはっきりした。自分が義勇を満足させてあげられていないということだ。
もしかしてそれで他の人に……なんて考えすらよぎる始末。

「私……今更ですけど、色々と猛烈に反省しております。何とも恥ずかしい……」
「俺もお前らの夜の事情なんて知りたくもなかったが……まぁあれだ。最初に言った通り、奴の帰りを信じて待って、ド派手にヤってこい」
「はい……!」

なんちゅうアドバイスをしてるんだと自分にツッコミながら、天元は小さくなっていく名前の姿を見送った。





大好物のご飯も用意した。お風呂にも入った。布団も綺麗に敷いた。
後は義勇の帰りを待つだけ、という状態からどれくらい時間が経過しただろう。

もし義勇さんが帰ってきてそういう流れになったら、今日は自分からあんなことやこんなこと……。

名前は熱くなる頬を両手で何度も叩いて、平常心を保ち続けた。
けれど待てども待てども、義勇が帰宅することはなかった。そうとなると人間というものは弱いもので、悪い考えばかりがよぎってしまう。

「ま、まさかね……あの人と、どうにか──」

言いかけて自ら口を閉じた。これ以上口にしたら、自分で自分を落ち込ませるだけだ。
天元の言った通り信じて待つ。今の自分に出来るのはこれだけなんだから。
大丈夫。義勇さんはずっと側にいてほしいって言ってくれた。好きだって言葉も数え切れないほど言ってくれた。この前だって、私の一言をちゃんと覚えててくれて、チョコレートを買ってきてくれた。

大丈夫。

私は義勇さんに愛されてる。

多分……きっと。


「義勇さんの馬鹿ーーーー!」

明くる日、前日と全く同じ台詞が冨岡邸にこだました。
信じて待って待って待って。朝まで待っても義勇は帰宅しなかったのだ。

「いい度胸ですよ義勇さん……朝帰りなんて思いもしませんでした」

女心というものは実によく変わりやすい。物分かりの良い女として待ち侘びていた名前などとうにいない。いるのは嫉妬に満ち溢れた女がただ一人。
名前は日輪刀を握りしめ、玄関の戸を叩きつけるようにして冨岡邸を後にした。

一番に向かった先は、義勇が例の女性と歩いていたのを見かけた場所だった。もちろんそう都合よく見つけられるなど期待はしていない。

二人の姿はないのに同じ景色を眺めるだけで、昨日のことが鮮明に蘇る。二人はどういう関係なのか。ここで一体何をしていたのか。
ああ駄目だ。またこの感情に呑まれてしまいそうになり、強く拳を握りしめ自分を戒める。

「……他を当たってみよう」

名前は義勇が行きそうなところを、片っ端から全て当たってみることにした。
それがどれだけ滑稽なのかも気づかず走り回った。

そうしてどれくらいの時間が流れただろう。
思いつく限りの場所を彷徨い、結局最後に辿り着いたのはふり出し。つまり名前が義勇と女性の姿を確認した場所だった。

「もうこれ以上行くあてもないし、私……何やってるんだろう」

怒りに支配されて一日中探し回っていただなんて、自分でも呆れてしまう。今になってようやく天元の言葉が身に染みている。好きなら信じて待っていれば良かった。
呆然と立ち尽くし後悔に塗れていたその時、名前の目に思いもよらない光景が映った。

「義勇、さん……?」

見間違えるはずなどない。間違いなく義勇とあの日見た女性だ。
けれどやっと見つけたのに、駆け寄ることが出来なかった。女性が義勇の腕に絡みつきながら、身を寄せて歩いていたからだ。

「何、で……どうして」

そうして義勇は名前に気付くことなく、女性と共に路地裏へと消えてしまった。

ほら早く動いて二人を追わないと。でも足が震えてここから動けない。
だって義勇さんに拒絶されたらって思うと怖くてしょうがない。私なんかいらなくなってしまっていたら?私なんかよりも、あの人のことが好きになっていたら?
そうしたら側にいられなくなって、生きる理由も居場所も失くしてしまう。

“どこか怪我をしているのかと聞いている”
“名前、お前が好きだ。だからこの先もずっと俺の側にいてくれ”
“俺の妻になるか?”

思い出すのは幸せな記憶ばかり。
このままじゃ大好きな義勇さんがいなくなってしまう。

そんなの死んでも嫌……!
 
鉛のように重かった体が、気が付けば義勇を追って走り出していた。
その背を必死に追うと、徐々に視界に現れるは、目を背けたくなるような光景。再び義勇と女性の姿を見て、名前は唇を噛み締めた。

「義勇さん!」

振り返った義勇がとても驚いた表情を浮かべている。自分がここに現れたことなど計算外だったのだろう。

「名前?お前どうしてここに……」

抑えられないほどの激しい感情が、溢れ出そうとしていたその時。

「──名前待て、来るな!」

何かに気付いた義勇が名前に向かって大声を張り上げる。即座に感じたのは禍々しいほどの気配。そう、これは間違いなく鬼の気配だ。

「ひひひ……やっと目当ての女が食える。食えるぞ」

それもかなりの強さの鬼だ。もしかしたら下弦の鬼に匹敵するほどかもしれないと、名前も義勇も瞬時に察した。

「ん?何だこの小娘は。俺が食べたかったのはあっちの女のはずだ」

あっちというのは、義勇の横にいる彼女ことだろう。けれど今はそんなこと知ったこっちゃない。

「私も貴方と話している暇はないんです。さっさとそこをどいてもらえませんか?」
「名前!さっさとそいつから離れろ!」

離れる?ここから?そんなこと出来るはずがない。義勇さんを失ってしまうかもしれないのに、そんなの御免だ。

「そうかそうか。自ら食われに来ると言うのだな」
「どいて下さい」

そう、だから鬼が消えれば済む話。

「誰に向かって言っている。俺が本気を出せばお前などすぐに──」
「どけ」

いつも戦闘中の時ですらニコニコしている名前が、恐ろしいほどの殺気を放っている。こんな名前を今まで見たことがあっただろうか。

「そうか!なら望み通り貴様から食ってやるぞ!」

その声に反応することなく、名前は義勇に向かって歩き続けた。ゆっくりと上がった手が刀に触れる。

『宙の呼吸 参ノ型 水天殺』

一瞬。
という言葉すら相応しいか分からないほどの速さだった。名前の体はすでに鬼の横を通り過ぎ、地面には鬼の頚が転がっていた。

名前が里で教わった宙の呼吸は壱ノ型、弐ノ型の二つまで。では今しがた見せた参ノ型はというと、宙の呼吸と水の呼吸を合わせた、名前独自の剣技である。
水天殺は、空と海を繋ぐ一筋の雨が閃光したかのような、超瞬速の剣技。それは柱にも匹敵する、いやもしくはそれ以上の速さかもしれない。義勇ならともかく隣にいる女性は、何が起こったのかさえ全く分からなかっただろう。

振り下ろされた刀から、鬼の血が地面に飛び散る。
その刀は鞘に収められることなく、殺気を纏ったまま真っ直ぐ伸ばされ。

「義勇さん、その人は誰ですか?」

あろうことか義勇の隣の女性へと向けられた。

「その人も鬼か何かですか?それともこいつの手先ですか?」
「名前、お前一体何を──」
「鬼ならばこのまま私が斬ってさしあげようかと思いまして」
「何を言っている。この人は鬼じゃない。だから今すぐ刀を下げろ」

鬼だと言われればどれだけ救われたか。鬼じゃないのなら、義勇さんは本当にその人と……。

「……ずっと一緒にいたんですか?昨日も今日もずっと二人で」
「名前……?」
「隣に並んで腕まで組んで」

義勇さん、大好きですよ。
私の願いはたった一つです。いつまでも貴方の側に、隣にいさせてほしい。それだけは誰にも譲れない。

「私、嫌です……っ。だって、だってそこは私の居場所なんだから……だから、義勇さんは絶対に誰にも渡さない……っ!」

涙を流しながら叫ぶ名前を見て、義勇はやっと理解した。鬼への殺意に紛れていた激しい感情は、嫉妬だということを。

“側にいれればそれでいいんです。大好きです”

そう言って笑う名前はどこにもいない。嫉妬心を剥き出しにして涙を流す名前に、こんな事を言えば益々怒るだろうか。
そんな名前が何よりも可愛くて仕方がない、などと。

義勇はそのまま名前へと近づき、力強く抱き寄せた。

「落ち着け」

もう一度だけ耳元で囁くと、少しずつ名前の体から力が抜けていく。

「義勇、さん……」
「何か誤解をしているようだが、お前が思っているようなことは何もない」
「でも、だって」

未だ信じられない、という表情をする名前の顔を優しく撫でる。これはまずい。独占欲でいっぱいの名前に見上げられ、これ以上ないくらい欲情してしまいそうになる。

「あのー……お取り込み中のところ申し訳ないんだけど、事件は解決ってことでいいのかしら?」

我に返った二人が咄嗟に体を引き離す。
名前は義勇の羽織の裾をぎゅっと握り、尚も疑いの眼差しを彼女に向けた。

「もしかして、この子が名前ちゃん?」
「……ああ」
「なるほど。じゃあ義勇の言う通り誤解をしているのね」
「ぎ、義勇……!?な、今、呼び捨てに……!」

義勇は小さな溜息をつきながら、再び嫉妬で歪む名前の額を軽く小突いた。


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