甘い甘い如月の君 1 「義勇さん、チョコってお菓子を知っていますか?」 それは何気ない日常会話が始まりだった。 「チョコレートのことか?」 「そうです!まさしくチョコレートです!」 チョコレートという単語に目を輝かせる名前。一体それがどうしたと言うのだろうか。 チョコレートと言えば、西洋から渡ってきた高級洋菓子のことだ。大福や最中とは違い、とても高価な代物で、このへんのお店では中々買うことが出来ないという話を聞いたことがある。 もちろん義勇もチョコレートの存在は知っているが、実際は口にしたことも目にしたこともない。元より甘い物にはさほど興味がないということもあるのだが。 「そのチョコレートなんですが、この前蜜璃さんが初めて食べたそうで、それがとーっても甘くて美味しいお菓子だったみたいなんですよ」 金平糖を口に運びながら、ニコニコと話す名前をじっと見つめる。その顔とその話から、相変わらず甘い物が好きなのだなと再認識した。 「チョコレートってどんな味がするんだろう。食べてみたいなぁ……」 その言葉を聞いて、義勇はピクリと反応した。 ──名前が何かを欲しがるなんて、とても珍しい。 出逢ってからというもの、これまで名前に何かをねだられた記憶などないと思う。 里から出たことのなかった名前には、知らない事や知らない物がたくさんあった。出逢った当初は任務で大きな町に行くたび、何にでも驚き目を輝かせ、そのたび立ち止まり、何度も任務に支障をきたしそうになったのを覚えている。 『義勇さん義勇さん!これは何ですか?』 『これは簪だ』 『試しにつけてみるかい?お嬢さん』 店の者によって、名前の髪に簪が付けられる。 『どうですか?義勇さん』 そう言って振り向く名前の笑顔が、どれだけ可愛いかったか。今でもはっきりと覚えている。 でも当時の義勇は、その気持ちを直接名前に伝えることなど出来なかった。似合ってる、とたった一言すらもだ。 『戦いの邪魔になっちゃいますかね』 黙ったままの義勇に気を遣ったのか、名前は簪を外しながら苦笑した。 『ああ、でもいざとなればこれを武器に出来るかも』 『武器だって?あんた可愛い顔して随分物騒なことを言うもんだね』 『あはは。ごめんなさい。ほんの冗談です』 ふとそんな過去を思い出した。 きっとあの時名前は、あの簪が欲しかったに違いない。想いが通じ合った今なら、よりはっきりと気付いてやれる。とはいえ時間は戻せないし、後悔してももう遅い。それに今さら理由もなく簪を渡せるほど器用でもなかった。 それから何度も二人で大きな町やたくさんの店が立ち並ぶ場所へ赴いたが、名前が何かを欲しがることは一度もなかった。 そんな名前がチョコレートを食べたいと言ったのだ。 何が欲しいか何がしたいか聞けば。 『一緒に稽古がしたいです』 『私は義勇さんの側にいられればそれでいいんです』 大抵これしか言わないあの名前がだ。 義勇は思い立ったように半々羽織に腕を通し、日輪刀を手に取った。 「あれ?任務は夕刻からじゃなかったでしたっけ?」 「その予定だったが、やることが一つ増えた」 「そうですか。ただでさえお忙しいのに……。それに今回の任務は長引きそうだと言ってましたもんね」 基本的に水柱である義勇は非常に忙しい。警備担当地区が広大な上に、鬼狩りだけではなく鬼の情報収集。更にその合間で、自身の剣技向上の訓練も常にしなければならない。一度任務に向かえば、連日家を空けることもざらにある。 今回も数日家を空けることになりそうだ、と義勇は前もって言っていた。 「名前は?」 「今日はまだ伝令が来てないんです」 どちらにせよ鬼殺隊の隊士である以上、遅かれ早かれ名前にもすぐに任務が与えられるだろう。 「外に出る時はくれぐれも鬼に気をつけろ」 「はい。義勇さんも、っていうのは柱に対して失礼でしたね。無事に帰還されるのをここで待っています」 ニコニコといつもの笑顔を浮かべながら、名前は義勇の出発を見送った。 ◇ そうして笑顔で出発を見送って数日。 名前の隣に未だ義勇の姿はない。いつものことだと分かっていても、時間が経てば経つほどおのずと寂しさが募っていく。 「義勇さんまだかなぁ……会いたいなぁ」 いつ帰ってくるか分からないけれど、夕飯は毎日二人分作るようにしている。それでもある程度の時間まで待って帰宅しなかった場合は、寂しさを埋めるように二人分やけ食いした。 が、さすがに今日はあまりにも作りすぎた気がする。 「そうだ、蜜璃さんにお裾分けしよう!」 ついでにチョコの話も、もう一度聞かせてもらおう。 そうと決まれば、名前は急いで料理を重箱に包み、甘露寺邸へと向かった。 突然訪問した名前を、蜜璃は温かく迎えてくれた。 「わぁー!こんなにたくさんありがとうっ!」 「いえいえ。押し付けたみたいで申し訳ないんですけど……」 「私は凄く嬉しいよ?だって名前ちゃんの手料理大好きだもの」 快く受け入れてくれた蜜璃に、名前はそっと胸を撫で下ろした。 上がっていく?と優しく問われるも、今夜こそ義勇さんが帰ってくるかもしれないと、丁重にお断りする。 「蜜璃さん、帰る前に一つだけお聞きしたいんですが」 「なぁに?」 「この前お話していた、チョコレートが売っているお店を教えて頂きたいんです」 名前の言葉に、何故か蜜璃はきょとんとした顔を見せた。 「あれ、でもこの前冨岡さんが──」 そこまで言いかけて蜜璃は口を閉ざしてしまった。その様子に、今度は名前がきょとんとした顔をして見せた。 「義勇さんがどうかしました?」 「あ、ううん……何でもないの……!そうだ、今度は名前ちゃんも一緒に行かない?」 「いいんですか?」 「もちろん!」 二人でお出掛けをする約束をしたところで、名前は蜜璃に見送られ、甘露寺邸を後にした。 そういえば蜜璃さんが言いかけた話って何だったんだろう。結局分からずじまいだったな。 もうすっかり辺りも暗くなってる。私が留守にしている間に、義勇さんが帰ってきていたらどうしよう。ご飯もあげちゃったけど、そうなったらもう一回作ればいいよね。今夜あたりには帰ってきそうな気がする。 なんて期待した名前だったが、この日も義勇が帰宅することはなかった。 翌日の夜。 「さすがのさすがに私も寂しいですよー。まだですかー?義勇さーん」 ここまでくると独り言も当たり前になり、誰もいない玄関に向かって話しかけるほどになっていた。他人から見れば、明らかに怪しい人間であること間違いない。 義勇がいないと部屋は無駄に広く感じるし、聞こえるのは自分の声と生活音だけ。ぽつんと取り残されたような状況は、必要以上に名前に孤独を感じさせた。 「でも大事な任務だものね。我が儘言っちゃだめだぞ私」 今夜こそと布団に入らず待ち続けるも、徐々に眠気に襲われ瞼が落ちてくる。 「瞼よ……上がれー……私の愛の力はこんなもんじゃないんだから……」 なんて言っても、カクンカクンと頭が何度も落ちてしまう。 ……ごめんなさい義勇さん。 愛の力でも睡魔には適わないみたい、です……。 瞼、限界。無理……。 待ち続けるということは本当に難しい。それをより実感しながら、名前は畳の上で眠りに落ちてしまった。 眠りに落ちた名前の目の前には、極上の光景が広がっている。 『えー!何このお団子食べ放題って……!』 たくさん並んだ大好物のお団子達。味付けだって全種類並んでいる。加えてお団子の前には、食べ放題の立て札が立っている。一人では到底食べられない量を前にして、名前はぴょんぴょんと跳ね上がった。 『嬉しいー!幸せー!』 どれから食べようか選ぶだけでも、幸せな気持ちになる。まさに夢のような世界だ。 まさに、夢……? まさかぁ。お団子の世界にそんな夢なんて存在しないもの……って、いやいやお団子の世界って何?私は何言ってるんだろう。 「……い」 じゃあやっぱりこれって夢なの?こんなにいーっぱいお団子があるのに?そんなぁ……! お団子が食べたいーーーー! 「おい。名前」 その声に反応して、名前の目がパチリと大きく開かれた。 「こんなところで寝ていたら風邪を引く」 目の前には名前を覗き込む人物が一人。その顔を見て、一瞬で頭の中がクリアになっていく。名前をお団子の夢から覚ました張本人は、ずっと待ち続けていた愛しい人だった。 「義勇さん……?いつ帰ったんですか……?」 「今帰ってきたばかりだ」 本物の義勇さん……やっと帰ってきた。やっと会えた。言いたい言葉はたくさんあるのに頭が上手く回らない。 だから今はひとまず。 「……おかえりなさい」 「ああ。ただいま」 無事に帰還してくれたことに感謝して、義勇にぎゅっと抱きついた。いつもならこのままキスを落とされる流れなのに、ぐいっと義勇に体を押され離されてしまった。 もう少し抱きついていたかったのにな……。 そうは思っても連日任務で疲れてるであろう義勇に、そんな子供じみた我が儘なんか言えるはずもない。今は自分に出来る最大限のことをするべきだ。 「さすがに義勇さんもお疲れですよね。お風呂を沸かしましょうか?それとも何かお作りしましょうか?と言っても夜中なので軽い物になってしまいますけど」 「いや、それよりも」 「やっぱり睡眠が一番ですかね?じゃあ今すぐお布団を──」 「待て、名前」 「え?」 「その前に一つ謝らなければいけないことがある」 義勇の言葉に、名前は一瞬にして固まってしまった。 何ですか。その話の切り口。 義勇さんがそんな風に切り出すのは初めてな気がする。そのうえ義勇さんの顔は、いつになく神妙な面持ちだ。 それだけで悪い話をすることしか想像出来ない。 謝りたいことがあるって、それってつまり私にとって何か不都合なことがあったってこと? え……やだ。一体何だろう。もしかしていつもより帰りが遅かったことが関係してる……? 嫌な予感が一つだけよぎる。 もし。もしも。他に好きな人が出来た、なんて話だったらどうしよう……!そんなの……そんなの絶対聞きたくない! 「名前」 「待って、義勇さん……っ!」 「だが」 「私っ……嫌です!」 「そうか。やはり一番の好物にするべきだったか」 ──はい?好物……? 「両手を出せ」 「両手?こう、ですか……?」 「先に言っておく。団子じゃなくて申し訳ない」 義勇に言われるがまま、名前はそっと両手を差し出した。すると義勇の手から、ポトリと何かが落ちてきた。両手におさまったそれは、何やら小さな紙袋に包まれている。 この時の名前は、今までにないくらい間抜けな顔をしていたに違いない。 「開けても良いですか……?」 手の上に置かれたままのそれを見つめて名前が問うと、義勇は迷うことなくそれを了承した。 カサカサと袋の中を探り、中に入っているものを取り出す。義勇が何をくれたのか、目をこらしてじっくり見てみるも、その正体が分からない。なので素直に問いただしてみることにした。 「これはなんですか?」 「チョコレートだそうだ」 え。 え!? 「えーーーーーー!!」 あまりの大声に、義勇の眉間に皺が寄る。間に合うのなら耳も塞ぎたかったほどだ。 「チョコレートってあのチョコレートですか!?どうしてこんなところにあるんですか!?一体どうしたんですか!どこで見つけたんですか!?」 名前は一気に捲し立てて、次々に浮かぶ疑問を義勇にぶつけた。 何から答えようか迷っていると。 「もしかして、義勇さんが買ってきて下さったんですか……?」 今にも泣きそうな声で聞いてくるものだから、義勇はゆっくり頷いて肯定してみせた。 「甘露寺に売っている場所を聞いたんだが、店の場所が思ったより遠くて、予定よりも帰る時間が遅くなった」 「そうだったんですね……それで……。でもあのこれ、凄く高かったんじゃ……!」 「そんなことは気にするな」 名前の頭に、ぽんと優しく義勇の手が被さる。そのせいで堪えていた涙が、ポタポタと落ちていった。 流れる涙を拭いながら義勇の顔を見つめると、何故か浮かない表情を浮かべていた。突然泣いてしまったせいで、驚かせてしまっただろうか。そう思い謝ろうとする名前に、義勇は思いがけない言葉を口にした。 「本当に欲しかったのはこれじゃなかったみたいだな」 「え?あ、違いますよ!?これは嬉しくて涙が出てるんであって……っ」 「そうなのか。俺はてっきり団子の方が良かったのかと」 確かにお団子は一番の大好物だけど、だからと言って何故今ここで、お団子の話が出てくるのか分からない。 「団子が食べたいあまりに、夢まで見ていたんじゃないのか?帰るなり団子が食べたいと言っていたぞ」 「は……?夢……」 ちょっと待って下さい、義勇さん。それってまさか。 「私ってば、そんな寝言を言ってたんですか……?」 「ついでに涎も垂らしていた」 「よ、涎まで!?」 「だからよほど食べたかったのだろうなと」 「まさかそれで謝りたいって言ったんですか!?義勇さんのばかぁ!もうどこまで優しいんですか……!」 流していた涙など、とうに引っ込んでしまった。それどころかこれほどまでに間抜けな自分に、別の意味で泣きたい心境だ。 寝言に涎……。ついでにチョコを買ってきてくれた義勇さんに、他に好きな人が出来たんじゃないかと疑いまでかけて、どうしようもなさすぎる自分を恨めしく思った。 [ back ] |