水でも湯でも滴らなくてもいい男 1


「きゃっ、冷たい!やりましたねー!?」
「うおお逃げろ逃げろ!名前が来るぞ!」
「バカ伊之助!名前さんの顔に何てことを……!名前さんの仇は俺が取ります!」
「ははっ!今度は伊之助が標的だ」

ばしゃばしゃと皆で水の中を駆け回る音が響き、舞い上がった飛沫が、太陽に照らされてキラキラ光る。そしてそこには名前、炭治郎、善逸、伊之助の笑顔があった。

「ちょこまかとすばしっこいですね。こうなったら水の呼吸を使って……」
「おいおい!使うのはこいつだけって約束だろ!?」

伊之助が慌てて、右手に持っている竹の筒を大きく振って見せた。

「冗談ですよ」
「顔が冗談じゃなかったぞ!」

伊之助の言う通り、刀や呼吸の使用は一切禁止、この竹筒のみ使用することが、最初に全員で決めた条件だ。もちろん名前もそのことに承知済みだが、顔まで濡れたことにより、ほんの少しだけ闘志が湧いた。

「あくまでこの水鉄砲だけでやり合う約束だからな!」

そう、これは修行でも何でもない。
四人による全力の水遊びであった。

事の始まりは、鋼鐵塚さんが竹筒の水鉄砲をたくさん作ってくれたことだった。その水鉄砲の威力が凄まじいの何のって。遊びとは言え、刀鍛冶の本気を見た気がした。

「伊之助くん!待ちなさい!」
「ぶはっ!えっ、ええ!?何で伊之助じゃなくて俺!?」
「油断してるからですよー!善逸くん」
「はは!善逸、凄い顔!」

四人が全速力で川を走り回る姿は、傍から見れば無邪気な幼子のようで、とても鬼殺隊の隊士になど見えないだろう。
時間も忘れはしゃぎ続けていると、いつの間にか全員びしょ濡れになっていた。

「すっかり濡れちゃいましたね」
「まだやろうぜ!遊び足りねぇ!」
「でもこのままだったら風邪を引くかもしれないし……」

炭治郎の言葉など一切聞いていない伊之助は、水鉄砲を片手に走り回り、名前目掛けて再び水を飛ばした。それを名前がヒラリと交わしたことが幸か不幸か。事態は思わぬ方向へ展開していく。

バシャンっ。

伊之助の放った水は予想外にも、その場にいる四人以外の人物へと当たってしまったのだ。

「……あわわわわ」
「俺は知らない何にも知らない……!全部伊之助のせいだからな!」
「な!善逸てめぇ……!裏切りやがって!」

三人が慌てるのも無理はない。その人物から向けられる鋭い視線……いや最早完全に殺意を向けられていると言っても過言じゃない。
誰だって凍りついてしまう状況であるにも関わらず、彼女だけはそんなことお構いなしな様子だ。

「義勇さん!」

名前は手を振りながら、大好きな義勇の元へと駆け寄った。

「……何をしている」
「これですこれ。この水鉄砲で遊んでいました」

羽織で顔にかかった水を拭う義勇に、名前は竹筒をひらひらとさせて見せた。

「鋼鐵塚さんが竹筒で作って下さったんですけど、これが凄く楽しいんですよ。義勇さんも一緒にどうですか?」

その様子を三人は固唾を飲んで見守る。さっきまでの義勇の様子を考えると、何をされるか分かったものじゃなかった。
それが今はどうだろう。名前が側に行ったことにより、義勇の雰囲気が徐々に柔らかいものとなっていく。

「名前さん、凄ぇな」
「婚約したって話は聞いたけど、あれはもう冨岡さんの精神安定剤の域だよな……」
「しっ、善逸!そんなこと言ったら……」

ふと会話の途中で三人に同じ疑問が湧き上がる。

今、一緒にどうって誘った……?

「は!?冗談だろ!冨岡さんも参加すんの!?」
「いやでも義勇さんはこういうので遊ぶタイプじゃないと思うから、きっと断るんじゃないかな……?」
「柱の参戦か!うおおお!俄然燃えてきたぜ!」
「「伊之助!馬鹿……っ!」」

限りなく小声で話す二人が、雄叫びをあげる伊之助を抑え込む。このまま何事もなく終わってくれたら。そう願いながら名前と義勇を見守るも。

「はい。義勇さんの分です。こうやって使って下さいね」

がっつり水鉄砲を受け取ってるーー!

「皆さーん!義勇さんも参加することになりました!」

願いは虚しく、名前の眩しい笑顔が三人に向けられた。

ひょんなことに、今度は五人で水遊びをすることになった。しかもその中の一人が冨岡義勇だとは、にわかに信じ難い光景だ。当の本人は名前に言われて嫌々なのかもしれない。現に彼はこの場の雰囲気に全く溶け込んでいない。

「さぁ始めましょう!」

名前の掛け声と共に、再び激しい撃ち合いが幕を開けた。
この現状に一番戸惑っていたのは善逸だった。

おいおいおいどうすんだよこれ!
さっきまでの和気あいあいとした空気と同じと思ったら大間違いだよこれ!約一名全く動く気配ないけどどういうこと!?どうぞ撃って下さいってこと!?
冨岡さん意外にM気質……いやいやいや笑えない笑えない!騙されるな。あの人は間合いがヤバすぎる。ここは無難に伊之助か炭治郎に集中攻撃だ。万が一冨岡さんに水がかかったら、死を覚悟した方がいいかもしれないな……。
ああ、名前さん凄い楽しそうに笑ってる。やっぱり可愛いよなぁ。強くて芯があって凄く余裕がある感じなのに、あの無邪気な笑顔が男心をくすぐるっていうか。

──あ。

「……わっ!」

一瞬にして善逸の背筋が凍る。伊之助や炭治郎に向けるはずだった竹筒は、まさかの名前目がけて放たれていたのである。

おおおお俺の馬鹿野郎ォォォ!
は!?何俺名前さんに撃っちゃってんの!?いやだって名前さんのこと見てたら手元が狂ったっていうか何というか……!
待て待て待て待て。冨岡さんは見ていたか?もしかしたら逃げる途中で背を向けていたかもしれない。見てない可能性もある。大丈夫だ俺!気をしっかり!しっかり……。
微動だにせずがっつりこっちを見てますけど……。
終わった。
俺の人生は今日をもって終了した。

「すすすすすみませんでしたァァァァ!!」

大声をあげながら逃げる善逸を、容赦なく義勇が追い詰める。変わらず無表情のままなのが余計に怖すぎる。が、意外にも義勇ははりきって参加していたのだ。

「あ、あの。義勇さんは怒ってるんですか……?」
「いいえ。あれは楽しんでいる義勇さんですよー」
「嘘だろ……俺にはぜんっぜん分かんねぇ」

名前曰く義勇は楽しんでるというが、三人には彼のどこをどう見たら楽しんでると分かるのか、さっぱり理解出来なかった。だからと言ってあの義勇に笑いながら追いかけられても、それはそれで怖いものがあるが。
そうして追い詰められた善逸に、義勇の水鉄砲が勢いよく当たった。その威力たるや。

「いででででで!嘘!?何で!?ぎゃあああああ!」

並大抵のものではなかった。

何で冨岡さんだけこんなに威力強えんだよ!は!?特注の竹筒か何かか!?もしくは水柱だからみたいなオチ!?冷たい通りこして痛いんですけど!早すぎて逃げられないんですけど!
つうか何でこの人参加しちゃってんのよ!それにあいつら何やって……!

善逸がちらりと見ると、遠巻きにこちらを見るだけの三人が目に入る。未だ全速力で走り続けながら、善逸は助けろ馬鹿野郎と大声で叫んでいた。

「善逸……助けられなくてごめん」
「……心配してる場合かよ。俺らもすぐああなるぜ……」
「じゃあ私が善逸くんを助けてきますね」

二人にそう言い残し、今度は名前が全速力で駆けていく。そして義勇に近づくや否や。

「義勇さん、スキありです!」

容赦なく義勇目がけて水鉄砲を放った。その威力たるや。今まで手加減をしていたとでも言うのか。義勇にも引けを取らない勢いで、彼の顔を再びびしょ濡れにした。
今度は義勇と名前の追いかけっこが始まる。先ほどの善逸との攻防を更に上回る速さで、義勇は名前を追いかけた。名前も負けてはいない。次々に放たれる水を楽しそうにかわしていく。

「こうしてると二人でたくさん修行した時のことを思い出しますね。っと、危ない」
「そうかもしれないな」
「あの頃みたいにすぐにはやられませんよー!」

その様子を呆然と眺める三人。

「これ、水遊びだよな……?」
「尋常じゃない速さで繰り広げられてるけど、多分全力の水遊び……」
「俺らも遠慮しないでやっちまおうぜ!」

三人は顔を見合わせ頷き合った。伊之助の言う通りだ。これはただの水遊びなのだから、遠慮する必要なんかどこにもない。義勇と名前のように全力でやり合って楽しめばいい。

「行くぜお前ら!」
「「おう!」」

上も下も立場も一切関係なく、全身びしょ濡れになろうとも関係なく、笑い声と叫び声を終始響かせて遊び続けた。
そんな五人の元にさらなる人物が訪れる。

「何してやがる、お前らァ」
「何してるんですか、皆さん」

川の左右からその声が重なった。

「あれ、不死川さんにしのぶさんじゃないですか」

真っ先に気づいた名前が二人に声をかける。そして義勇の時同様、持っていた竹筒をひらひらと見せて

「お二人も一緒に水遊びしませんかー?」

笑顔で勧誘をした。

それからあれよあれよと事は運び、七人での水遊びが始まった。そのうち柱は三人。それも本気の水遊び。

「よそ見してんじゃねぇぞォォォ!しのぶ!」
「誰に向かって言ってるんですか?伊之助君」
「てめぇ何しのぶさん怒らせてんだよおおお!……って、ぐはあっ!何で俺ばっかり……!」
「はい。一人仕留めました」

本気で襲いかかる二人をいなすことなど、しのぶにとって戯れにしかすぎない。水遊びをするならカナヲも連れてくれば良かった。そんなことを思いながらしのぶは楽しそうに駆け続ける。

一方隣では──。
不死川と義勇が向かい合いながら立ち尽くしている。しのぶ達とは真逆に、未だ一歩も動く気配はない。

「よォ冨岡。いい機会だから言っておきたいことがある。名前の──」

言いかけた矢先。義勇が放った水が不死川の顔目がけて、一直線に飛んでいった。見事にびしょ濡れになった不死川の顔が、一気にピキピキと歪んでいく。

「てめェ……何しやがる」
「何って、水遊び……」

いつも以上に飄々としている義勇を見て、不死川の顔が更に歪んだ。義勇の言い分は正しい。これはあくまで水遊びであり、濡れるのは当然のことだ。そのうえ不死川は同意をして参加をしたのだから、責められる理由などないのだが。

「上等じゃねぇかァァァ!ぶっ殺してやる!」

今の不死川に、正論など通じる訳もなかった。

『風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ』
『水の呼吸 肆ノ型 打ち潮』

不死川によって即座に放たれた技を、義勇は一瞬にしてかわし対抗した。

「わぁ!あれをかわすなんてさすが義勇さんですね……って関心してる場合じゃない。二人ともー!呼吸は禁止ですよー!」

名前の声などもう聞こえちゃいない。二人の負けられない戦いが始まったのだ。
たかが水遊び。されど水遊び。

「……柱、本気すぎだろ」

善逸の言葉に、炭治郎と伊之助は深く頷いた。

「オラオラァどうしたァ!遅ェんだよォ!」

不死川の猛攻全てを義勇は相殺していく。同じ柱同士じゃなければ成立していない争いだ。

『風の呼吸 伍ノ型 木枯らし颪』
『水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き』

双方の竹筒が、バキンと大きな音を立てて破壊された。当たり前だ。日輪刀でもなく木刀でもない、竹筒はあくまで竹筒。水遊びするための道具にすぎないのだから、技の威力に耐えられるはずがない。

「クソガキ!テメェのを寄越せェ!」
「義勇さん!」

炭治郎から奪った竹筒と、名前が投げた竹筒が音を立てて再びぶつかり合う。そして又もその威力に耐えられず、双方ともバキバキに割れてしまうのだった。

「ちっ。じゃあ次は素手で殺し合うかァ!」

水遊びなどとっくに忘れた不死川の前に、立ちはだかったのは名前であった。

「駄目ですよ。ルール違反です」
「どけ。名前」
「あくまでこの水鉄砲で遊んで下さい。こんな風に」

名前は隊服から新しい水鉄砲を出すと、躊躇うことなく撃ってみせた。またもや不死川の顔に、思いきり水がかかる。もちろん先ほどの善逸とは違い、名前は当てるべくして当てたのだ。

「テメェら揃いも揃って……」
「ふふ。水も滴るなんとやらですね」
「上等だァ!テメェも一緒に地獄を見せてやらァァァ!」
「きゃー!不死川さんが怒りましたー!」
「名前!」

義勇に手を引かれ、名前も全速力で駆け抜ける。名前一人ならすぐさま不死川に追いつかれていただろう。義勇の反応速度が恐ろしく速いことに、こんな状況の中名前は改めて感心をしていた。

「冨岡ァ!いちゃついてんじゃねェぞごらァァァ!」

物凄い形相で追いかけてくる不死川から、名前は終始笑顔で逃げ回っていた。
たかが水遊び。されど水遊び。
全力で楽しんだ今日という日に、名前は幸せを噛み締めていた。





時間を忘れて散々水遊びをしたのち、全員が解散したのは夕刻のことだった。
全身どこもかしこも濡れた状態で帰宅したはいいものの、どこから手をつけていいものやら。兎にも角にも、まずはお風呂に入ることが先決だろう。そうとなればと名前は急いで用意をした。

「義勇さん、先にお風呂に入って下さい」

そう声をかけ隣にいる義勇に目をやると、心臓がドクンと跳ね上がった。
滴る水が疎ましいのか、髪をかき上げ前髪を後ろに流している。かき上げる仕草。こめかみから頬に伝う雫。

義勇さんが色っぽすぎて鼻血出そう……!

「か、風邪を引いてしまったら困るので……はい。タオルです」

視線を逸らしながら義勇にタオルを差し出すと、何故か腕ごと掴まれて引っ張られてしまった。

「それを言うならお前も同じだ」
「私はいいんですよ。義勇さんの後で入りますから」
「駄目だ。入れ」
「駄目です。濡れたままの義勇さんを待たせておくなんて出来ません」
「なら一緒に入ればいい」

今、何と……?

恐ろしい一言を言われた気がする。いやいや義勇さんがそんなこと言うはずがない。聞き間違いに決まってる。もしくは冗談を言ってからかっているんだ。

だって。ねぇ?

「そんな冗談言ってないで早く──」
「冗談なんかじゃない。さっさと入れ」

義勇は掴んだ腕を離すことなく、本気で名前をお風呂場へと連れ込んだ。


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