天才の苦悩 天才だなんて思わない。 天才だったらこんな風に、死ぬほど悩んでもがいたりしない。 『この曲はどうやって生まれたんですか?』 『海岸沿いをドライブしてる時に、ふと浮かんできましてね』 大御所の歌手がテレビの中でそう言った。 この人は曲を作る際、いつもスラスラとメロディーが沸いてくるのだろうか。何もかも投げ捨てて、逃げ出したくなるほど追い詰められたことはあるのだろうか。 『続いては成瀬廉さんです』 『よろしくお願いしまーす!』 『今回の曲はあの昴さんの楽曲だということで』 『はい。有難いことに、凄く素敵な曲を頂いちゃいました』 初めて自分の曲が世に出始めた時は、倒れそうなほど緊張して、受け入れてもらえるか不安不安で、けれど同時に信じられないほどの興奮を覚えた。 でも今は違う。テレビでも街の中でも、自分の曲を耳にすることが当たり前になってしまった。それはとても幸福なことだとちゃんと理解はしている。 ただ、次もヒット曲が書けるかどうかは分からない。いつか全てが枯渇して、何も生まれなくなる日が来るかもしれない。 いつだって私は、莫大な不安と隣り合わせだった。 「もう限界なのかも……何にも浮かばない」 山積みになった仕事に追われ、泣き言を言ったところで、誰も私を助けることは出来ない。 こんな時、私はいつも強い孤独を感じていた。 ◇ 根を詰めていた私の元に、時田さんから連絡があった。気分転換に俺に会いに来い、とのことだった。 余計なプレッシャーをかけられるだけだから嫌だと断ったら、じゃあテレビ局で一緒に音楽バラエティ番組の収録を見るのはどうか、と誘われた。 正直納期ギリギリの状況ではあったが、何か楽曲制作の手助けになることがあるかもしれないと思った私は、その提案に乗っかることにした。 1時間後。迎えに来た青山さんの車に乗り込み、テレビ局へと向かう。 「あ、コンビニに寄ってもらっていいですか?」 そういえば今日はまだ何も口にしていなかったと思い、立ち寄ったコンビニで、パンと栄養ドリンクをカゴ入れた。それから読みたかった雑誌。新商品のチョコレート。それとあとは──。 「苗字さん?」 ガヤガヤと話し声が飛び交う店内で、突如名前を呼ばれたことに驚きを隠せなかった。今はもう限られた人にしか、こうして名前を呼ばれることなどありえなかったからだ。 「ほら、やっぱりそうだ!苗字さんだよね?」 「えっと……」 「私中学の時同じクラスだった山井。覚えてる?」 はっきりと覚えてる。彼女はクラスで一番目立つグループにいたから。 「ありさ、誰?」 「ほら私のクラスにいた苗字さん。中3の途中から学校に来なくなっちゃってさー」 でも私が彼女を強烈に覚えていたのは、彼女からはいつも意地悪な音が聞こえていたからだ。 「あー登校拒否の子か」 「そうそう!ねぇ苗字さん、高校はちゃんと行ったの?皆は引きこもりになったって言ってたけど本当?ていうか今何してるの?」 全部誤解だと言ってしまえたらどんなに楽なことか。それでも昴だと正体を明かすことは絶対に出来ない。それをした瞬間、私は一番大事な居場所を失ってしまうから。 「名前ちゃん……?どうかしたの?」 彼女達の背後から現れたのは青山さんだった。すぐに戻ると言って戻らない私を、心配して来たのだろう。いつもなら過保護だと言って済ますところだけれど、今はとても救われた気分だった。 「誰、この人。彼氏?」 「……違います」 「ああ。もしかして援助してくれる人、とか?」 ガコンと手に持ってたカゴが床に落ちる。 ああ、ほらあの頃と変わらない。とても意地悪な音。 悪意の音の渦の中、私は青山さんの腕を引っ張り、急いで車内へと駆け込んだ。 「名前ちゃん……っ、お会計……!」 「いい。いらない」 「いらないって……」 「すぐ出発して下さい。それからラジオは切って下さい」 「でも」 「いいから早く!」 鞄からスマホを取り出して、すぐさまアプリを起動させる。 早く早く早く──。 早くしないとメロディーが零れ落ちてしまう。 溢れ出る旋律を私はスマホに向かって奏でた。自分で言うのもなんだけど、この曲はきっと売れる。何とも美しく哀しいメロディーに、気がつけば涙を流していた。 皮肉なことだ。 孤独であればあるほど、私の中から音楽が生まれていく。 だから時田さんも、私に普通の生活の全てを捨てさせたのかもしれない。こうなることを見越して。 ◇ 時田さんの姪だという偽りの姿で、収録スタジオに潜入すると、大勢のスタッフが番組を作り上げるために必死に仕事をしていた。 誰もこんな小娘一人、気にもかけない。こっそり見学するにはちょうどいい喧騒だった。 壁にもたれていると、隣に時田さんが並んだ。 「今日のゲストはあいつらか」 「最近デビューしたんでしたっけ」 まだあどけない男の子達が、楽しそうにリハーサルをしている。デビューしたばかりの3人組アイドルグループ。 「お前、あいつらの曲を聞いたことはあるか?」 「ありますよ。TRIGGERを意識しすぎて、彼等の個性が死んでる可哀想な曲でしたね」 「勝手にTRIGGERの弟分なんて名乗ってるみたいだしな。もちろん八乙女事務所には無許可でな」 何て愚かな行為なのだろう。 TRIGGERの唯一無二の音に気がついていないから、そんなことが出来てしまうに違いない。コピーはあくまでコピー。オリジナルには敵わない。 「お前ならどんな曲を書く?」 「キャッチャーな……イメージで言うならラムネっぽい曲」 「ラムネ?はは!何だよそれ」 「もっとポップな衣装にして、皆が真似しやすい特徴的なダンスにして……そうですね、コンセプトは可愛い弟系ですかね」 「へぇ。そこは同意見だ」 「それで時田さんがお菓子のCMタイアップにでもねじこませれば、売れるシナリオの完成です」 「よく分かってんじゃねぇか」 この人の隣にいたらビジネスというものが、嫌でも染み込んでしまった。純粋で真面目なだけじゃそう簡単には売れないし、そもそも音楽自体聞いてもらえない。音楽は聞いてもらって初めてスタートが切れる。だから時田さんはそのためにありとあらゆる手を打つのだ。 「お前の案、いいなそれ。じゃあ早速そのラムネ曲ってやつでも作ってきてくれよ。そろそろ待つのも限界なんだ」 このまま一曲も作れなくなったら、時田さんは私を見限って捨てるだろうか。 消耗品らしくいられない時、そんなくだらないことを考えてしまう。 「作曲の件なら、さっきここに来る途中で出来ちゃいましたよ。とびっきりのやつが」 私は無機質な笑顔を浮かべながら、スタジオを後にした。 拭いきれない孤独を抱え歩く。たくさんの人がいるからって孤独が消える訳じゃない。ここにいられるのだって昴だからだ。 作曲の刺激になればと思って訪れたけど、車内で完成してしまったから、ここにいる必要も無くなってしまった。 青山さんに頼んでマンションに帰ろうか。でもそれも振り回してるみたいで気が引ける。じゃあここからタクシーで……。 「名前?」 コンビニで声をかけられた時とは違う。 その声には一瞬にして体温が上がり、すぐさま胸が躍った。 私の大好きな音。 「天くん……?」 「やっぱり名前だ」 「どうして天くんがここに」 「それはこっちの台詞。名前は?スタジオ見学?」 「あ、はい。時田さんに呼ばれて……」 天くんの前髪がサラリと揺れる。そこから覗く大きな瞳が、私を捉えてふわりと笑った。 「びっくりした。こんなところでキミに会えると思わなかったから」 その笑顔を見ただけで、何故だか涙がこみ上げてきてしまった。 すると天くんが突然私の手を取り歩き出した。合わない歩幅に躓きそうになりながら、彼の背についていく形になる。 「て、天くん……!?あの、もし誰かに見られたりでもしたら……っ」 「いいから黙ってついてきて」 怒ってしまったのかと思ったけれど、音を聞く限りそういった訳ではなさそうだった。運良く誰にも見られることなく、私はある部屋へと通された。 天くんの楽屋なんだろうかと思った矢先。 「天く……っ、んん!」 バタンと扉が閉まったと同時に、天くんの唇が覆い被さった。 「待っ……、は」 「待たない」 突然すぎて真っ白になっていく頭の中に、甘く柔らかいメロディーが鳴っている。音色と共に隠そうとしない天くんの気持ちが流れ込んできて、今この瞬間も温かな愛情に包まれているのが分かった。 「……天くんは、お仕事の現場ではこういうことはしない人だと思ってました」 キスの終わりに憎まれ口を叩く私は、何て可愛くない女だろう。 「うん。普段は絶対しないけど」 「けど……?」 「今にも泣きそうなキミを放っておけなかったから」 孤独が強いほど私の音楽は洗練されていく。昴はそうしてずっと世に楽曲を生み出してきた。 でも今は違う。 一番美しい音楽が生まれる瞬間は、いつだって天くんと一緒にいる時だと知ってしまった。ほら、今だって。 「天くん、もう一回……したいです」 それはきっと、私しか知らない私だけの秘密。 「してあげたいけど、してあげたくない複雑な気分なんだけど」 「え、ええ……っ?」 「名前のその顔、いい曲が思い浮かんだ時の顔でしょう」 「それは……」 むにっと天くんが、私の頬を優しくつねる。 「嘘、冗談。分かってるよ。音楽には敵わないってことくらい」 どうしよう。ほんの少しだけ拗ねる天くんが可愛い。 「それは違います……」 「え?」 「……天くんがいてくれるから」 “ボクは名前のことが好きだよ。キミの音楽だけじゃなく、キミ自身のことも” “いつだってボクが欲しいのは昴じゃなくて、目の前の名前だから” 貴方が昴ではなく私自身を好きでいてくれるから、私は前を向いて生きていける。 愛されるということは、こんなにも無敵になれるということを知った。 私は天くんの襟元をグッと掴み、背伸びをしてみせた。 押し当てるだけの下手くそなキス。でも気持ちを伝えるには十分だったようだ。 「キミって子は……」 頬を赤く染めながら照れる天くんを見て、思わず笑顔が零れてしまった。 そうして先ほどまで感じていた孤独は、気づかぬうちにいつの間にか消えてしまっていたのだった。 ◇ 「サプライズゲストとして出演?」 「そう。楽と龍はスケジュール調整が上手くいかなくて、ボクだけ単独出演だけどね」 どおりで楽屋にしては変な場所にあるなぁと思ったし、楽屋周りのスタッフの数も極端に少なかったんだ。 「ボク達TRIGGERの弟分だって言ってるアイドルグループがいるみたいで、いい機会だから挨拶でもしてこいって八乙女社長の指示」 「それって──」 さっきまで私と時田さんがリハーサルを見ていた番組だ。 あれ……?これってもしかして時田さん、天くんが来るって分かってて私を誘った……? 私と天くんを引き合わせて音楽が生まれるように。 いやまさか。ねぇ? 「ねぇ名前、さっきはどんな曲が浮かんだの?」 「えっと……」 「歌ってみせてよ」 「え!?天くんの前でですか!?」 「そういえば名前の歌声って、ちゃんと聞いたことないかも」 「絶対無理です!天下のTRIGGERの前で歌えるはずがありません……!」 この日浮かんだメロディーが世間を騒がせるのは、もう少し後の話。 [ back ] |