16:はじまりはじまり2.5


無理やり入隊させてもらった鬼殺隊。辛くて厳しい鍛錬の日々。そして義勇との共同生活。思い返せばこれまで様々なことがあった。
それでも最近は少しずつ、自分の存在や実力も認められるようになり、鬼殺隊の中でも生きやすくなったように思う。とはいえ名前には、当初抱えていた悩みが解決されていく一方で、新たな悩みが生まれていた。

「雛鶴さん、まきをさん、須磨さん。一通り皆様にお話を聞いて頂きましたが、率直にどう思いますか……?」

この日名前は、どうしても聞いてほしいことがあると、宇髄邸を訪れていた。畳の上でちょこんと正座をしながら話す名前の様子は、いつも以上に真剣そのものだ。
そんな名前の話に、天元の嫁である三人も真剣に耳を傾ける。

「一緒にいたら、何だか胸がぎゅっと苦しくなる時があるのよね?」
「はい」
「で、触れたりでもした日には心臓がもっとやばいことになると」
「はい」
「それから笑顔を見るだけで凄く幸せを感じる、とも仰ってましたね」
「はい」

三人は顔を見合わせこくりと頷きあった。
なんの事はない。答えは至極簡単だ。

「名前は恋をしているのよ」

雛鶴が口にした言葉に、名前は目をパチくりさせた。

「え……誰が?」
「名前が」
「誰に……?」
「冨岡さんに」

私が、冨岡さんに、恋……?

え………。

「ええええええ!!!!」

恋という言葉が頭の中で一周し、その言葉の意味をはっきり理解すると、名前は顔を真っ赤に染め、部屋中に響き渡るほどの大声を出してみせた。

「そんなに驚くなんて、よっぽど自覚がなかったのね……」

名前はまきをに向かってコクコクと大きく頷いた。
もちろん義勇のことは誰よりも尊敬してるし慕ってもいる。義勇の言動に一喜一憂している自分がいるのも事実だし、ドキドキする瞬間だって義勇といた時にしか起こらない現象だ。
でもこの揺れ動く感情が恋だとは知りもしなかった。

「じゃあ名前にとっては、冨岡さんが初恋なのね」
「そう、なりますね……」

雛鶴に微笑まれ、名前は照れくさそうに俯いた。

「あの……そうなると、皆さんは天元さんにこんな感情をいつもお持ちになってる、ということなんですよね?」
「舐めないでよね。私達のは恋じゃなくて、それよりももっともっと大きな愛よ」

胸をどんと叩きながらまきをが言った。

「それはどんな感情なんですか?」
「どんなって言われると……」
「難しいですね……」
「そうかしら。まきを、須磨、私達の想いはいつも一緒でしょう?この命が尽きるまで天元様の側にいてお守りする、よ」

己が死ぬまで冨岡さんの側にいたい。
命に換えても冨岡さんを守りたい。

その想いなら私にも──。

「おい、お前ら。そろそろ任務の時間だぞ」
「天元様!」

勢いよく開けられた襖から天元が顔を出す。すぐさま駆け寄った須磨の頭越しに、天元と名前の目が合った。

「おう名前。お前また来てたのか」
「お疲れ様です、天元さん。いつもいつもお邪魔してばかりですみません」
「構わねぇよ。好きな時に好きなだけ遊びに来たらいい。こいつらは特にお前のことを気に入っているしな」

皆の笑みに名前の胸がぎゅっと締め付けられた。
鬼殺隊に上手く溶け込めなかった名前に対し、雛鶴達は最初からとても好意的に接してくれた存在だった。そんな面倒見が良く、心優しい三人が愛する天元もまた、柱の中で早い段階から自分も受け入れてくれた存在であった。だからこそ名前にとってこの宇髄邸は、鬼殺隊の中でも数少ない安らげる場所であった。





恋というものに気付いた衝撃と、皆で過ごした幸せな時間を抱え冨岡邸に帰宅する。

「ただいま戻りました」

どんな顔をして義勇に会えばいいのだろうと考えながら家に上がるも、義勇は振り返ることもなく、名前に背を向けたままだった。

「どこへ行っていた?」

義勇に声をかけられるも、いつも以上に低く冷たい声色に心臓が跳ねる。

「えっと、天元さんのところですが……」
「……そうか」

今日も冨岡さんがどことなく不機嫌だ。

そう思ったら名前の中に一気に不安が駆け巡った。

「あの冨岡さん……もしかしたら、私はあまり出歩くべきではないのでしょうか……?」

本当は雛鶴達に聞いてほしかった話はもう一つあった。それは最近の義勇の名前に対する態度だ。
ほんの少し前だろうか。義勇の態度が冷たいと感じることが増えた気がする。あからさまに避けられている時もあるし、目すら合わせてもらえない時だってある。
二人で過ごし始めた時から、いつだって優しかった義勇が何故、と何度も何度も考えた。

冨岡さんが優しかったのは、お館様に面倒を見るように言われたから。全てを失った私に同情したから。きっとそうなのだろう。
一緒に過ごしてくれているのだって任務の一環というだけであって、本当はずっと私の存在が煩わしかったのかもしれない……。

そんな考えばかりが浮かぶ。

「名前」
「はい……っ」

義勇の声に伏せていた顔をぱっと上げた。
いつの間にかこちらを振り向いていた義勇と視線がぶつかる。今は目の前の青い瞳にすら冷たく覚えてしまった。

「……お前は少し人との距離感というものを考えろ」

天元達に馴れ馴れしくするな、ということを言いたいのだろうと名前は解釈した。
柱としての立場や多忙な日々を考えれば、自分の行動に配慮が足りなかったことは当然だ。いくら本人達が快く受け入れてくれているからといえども、名前はあくまでただの隊士で、相手は鬼殺隊で最も位の高い柱なのだ。仲良くなれたなどと勘違いをしてはいけない。

「あの……それは……」
「何だ」

つまり冨岡さんにも馴れ馴れしくするな、ということですか……?

出かかった言葉をぐっと呑み込んだ。
そうだ、と肯定されるのがあまりにも怖かったからだ。

「いえ……以後気をつけます」

鼻の奥がツンとする。
瞬きをしたら今にも涙が零れてしまいそうだった。
正直今日まで義勇とは少しずつ仲良くなれている気がしていた。でもそれは思い上がりだったようだ。
感じたことのない胸の痛みに、はっきりとわかったことがある。
雛鶴達の言う通り、自分が義勇に対して恋愛感情を抱いているということ。

……だからこんなにも胸が苦しくて痛いんだ。

背を向けた名前は、義勇に気づかれぬよう、そっと目に浮かんだ涙を拭った。





それからしばらくしても、義勇のそっけない態度が改善することはなかった。
名前もまたそんな義勇を察して距離を置くようになり、二人の会話は日に日にすれ違っていく一方だった。

そんな中、お館様から言伝を預かった名前は、不死川邸へと向かっていた。
不死川と言えば、最初こそかなり嫌悪感をあらわにされていたが、最近は普通に会話をしてくれるようになったと思う。どういう風の吹き回しかは分からないけれど、名前にとっては嬉しいことには変わりない。

「でも不死川さんも柱の一人なんだから、馴れ馴れしくしないように気をつけなくちゃ」

自分に言い聞かせながら歩いていると、前方から不死川本人がこちらに向かって歩いて来るのが目に入った。いつもなら手を振り大きな声で不死川の名前を呼ぶところだけど、今日の名前は違う。
顔がはっきりと見える距離になったところで、不死川さんと小さな声で丁寧にその名を呼んだ。

「ちょうど今、不死川さんの屋敷に向かっていたところです」
「俺の屋敷?何の用だァ」
「お館様から稀血の件について言伝を預かりまして」
「ああ。稀血──か」

ならばもう一度屋敷に戻った方が良いものかと考える不死川が、あることに気づく。

名前が何か──。

伏せ目がちの顔を覗き込むと、不死川の中で感じた違和感が更に大きくなっていった。

「何か……?」

不思議そうに名前が見つめ返す。
そのまま見つめ合うこと数秒、黙り込んだままの不死川が口を開く。

「何かあったのはお前の方じゃねぇのかァ?」
「え……?」
「お前、いつもと様子が違ェだろうがァ」

名前の心臓がドクンと大きく跳ねた。
どうして不死川がそれに気づいてしまったのかは分からない。ただその言葉と不死川の目から、感じたことのないほどの優しさに触れてしまい、気がつけば名前の目からはぽとりと涙が零れてしまった。

「な……っ。お、おい……」

名前の涙にらしくもなく不死川が慌て始める。

優しいと思っていた義勇が急に冷たくなってしまったことにより、名前は抱えきれないほどの不安や寂しさに押し潰されそうになっていた。
それを冷たいと思っていた不死川に急に優しくされ、名前の中の不安や寂しさが一気に溢れ出してしまったのだ。
こんな風に泣いてしまっては不死川に迷惑をかけるだけだと分かっていながらも、涙は止まるどころか溢れ出す一方だった。

こんなつもりじゃなかったのに。けれど今はその優しさがひどく胸を掻き乱す。

「すみません……っ、これは不死川さんのせいではなく、ですね……」

名前の言う通り。泣かせるようなことを言った覚えは不死川にはない。
じゃあ一体これは誰のせいで流している涙なのだろう。そんなことを考えながら、不死川は名前の頬にそっと手を伸ばした。
触れた指先が小さな涙を掬う。

瞬間、不死川の中に感じたことのない感情が一気に広がった。

「名前、お前──」

「──何をしている」

突如、不死川の思考が遮断される。
気がつけば触れていたはずの指先が名前から遠のき、名前の背後には一人の男が、不死川を睨みつけながら立っていた。

「はっ……なるほどな。テメェかァ、冨岡」

名前の涙の原因が義勇であると、瞬時に察した不死川が口角を上げ笑った。

「行くぞ」
「あ、え……冨岡さん……っ」

義勇は名前の腕をこれ以上ないほど強く引っ張り、即座に不死川から遠ざけてみせた。
その速さに半ば引きずられる形になり、足がもつれそうになりながらも、名前は義勇の背に必死についていく。
何か言葉をかけたかったけれど、名前から声をかけられるような空気では一切なかった。背からも伝わる義勇の感情が、容赦なく名前を突き刺していく。

「あんなところで何をしていた……!?」
「何をって……」
「お前はいつからあいつと──」
「え……?」
「……いや、何でもない」

また冨岡さんが怒ってる──。

再びじわりと涙が滲み始める。
他の誰でもない義勇だから。好きな人だからこそ、冷たくされるとこれほどまでに苦しくなることを初めて知った。
もう側にいることは許されないところまで来てしまったのだろうか。好きだと分かった途端にこんな仕打ち……。

俯く名前に義勇が振り返ることは一度もなかった。


無理やり帰還させられた冨岡邸で、名前は立ち尽くしたまま、敷居を跨ごうとはしなかった。

「どうした。早く上がれ」

そんな名前に義勇が言葉をかける。それでも名前は義勇に向けて顔すら上げられなかった。

「冨岡さん……一つ聞いてもよろしいですか?」
「何だ」
「私にはこの家に上がる資格がありますか……?」
「は……?」

名前がゆっくりと顔を上げる。
その目にいっぱいの涙が浮かんでいたことに、ようやく義勇が気づいた瞬間だった。

「無理を言って鬼殺隊に入隊させて頂いただけでも有難いことなのに、こうして今日までお世話までして頂いて……私が冨岡さんにとって重荷でしかないことは、十分理解しているつもりです」
「重荷……?それは一体何の話だ?」
「それでももし今後もこの家に置いて下さるのであれば……私に足りないところがあるのであれば何でも仰って下さい……っ。どんなことでもお応えしてみせます」
「おい、名前」

今は義務だろうと同情だろうと何でもいい。前みたく普通に笑い合って、少しでも長く側にいたい。
その一心だった。

「もし出ていけと言うのなら私は──っ!」
「名前!」

一瞬何が起こったのか理解出来なかった。
言葉の途中で強く抱き寄せられた体は、気がつけば義勇の胸の中に収まっていた。

「お前はいきなり何を言っている。何故お前がこの家を出ていくだなんて話にまでなっているんだ」
「……だって、それは」
「不死川か?」
「え?」
「ここを出て不死川の家にでも行くつもりなのか……?お前はいつから奴とそういう関係に……!」

は…………?
不死川さんと?いつから?
はい────!!??

「あの、何を誤解しているのか知りませんが、不死川さんは何の関係もありませんから……!」
「なら何故出ていくだなんて話をした?」
「だからそれは……冨岡さんが私のことが嫌になったんじゃないかと思ったからであって……!」
「俺が名前を?何を根拠に?」
「根拠は、最近の冨岡さんの態度ですけど……」

無言になってしまった義勇を恐る恐る見上げる。
何だろう。怒ってるとは違う、どちらかと言うと青ざめた顔をしている気がする……。

「だって冨岡さん、ここのところずっと私のことを避けていたから、私が側にいるのが嫌になったんじゃないかって思って……」
「違う、そうじゃない」
「違うんですか……?ではどうして私のことを避けるようになったんですか……?」
「だからそれは、その……」

先ほどのように取り乱す義勇もそうだが、こんな風に慌てふためく義勇を見るのことも、名前にとっては初めてのことだった。

「……不安にさせるような態度をとってしまったことは謝る」
「いえそんな……っ」
「とにかく……俺はお前のことを嫌いになったつもりはないし、勝手に出ていくことも許さない」
「そう、ですか……分かりました」
「それから俺以外の奴の前でこんな風に泣くことも許さない」
「それは何故ですか……?」
「……つけ入る隙が出来るからだ」

きょとんとした顔で名前が見上げる。
義勇の気持ちなどお構いなしにだ。
そんな涙を浮かべた顔で上目遣いなどされたら、義勇としてはたまったもんじゃない。純真無垢な名前には分かるはずもないのだろうが。

「では冨岡さんに泣かされた場合はどうしましょう……?こんな風に抱きしめて慰めてもらえばいいんでしょうか?」

今度は義勇がきょとんとした顔で名前を見つめる。

「……なんて冗談ですよ。こういうところが馴れ馴れしくてダメなんですよね。もっと冨岡さんに言われた通り、人との距離感を考えないとですね」
「いい。必要ない」
「え?」
「俺にだけは遠慮などいらない」
「冨岡さん……」
「俺のせいで泣いた時はお前の言う通り、こうしていくらでも慰めてやる。だから何でも我慢せずに伝えろ」

抱きしめる力がより一層強くなる。

「元より泣かせたりしないことが一番なのだろうが……これでも俺なりにお前のことは、大事に思っているつもりだ」

その言葉に再び名前が腕の中で泣きじゃくってしまった。

「すまない……また誤解を招くような態度を取ってしまったか?」
「いえ……っ、違うんです。これは嬉しくて泣いているだけで……っ」

例え大事に思う理由がお館様の命令だから、でもいい。
義勇の腕の中、雛鶴の言葉を思い出す。

私も同じ。
死ぬまで冨岡さんの側にいて、冨岡さんを守り続けたい。その想いはきっと誰にも負けない。

「私、まだ冨岡さんの側にいてもいいですか……?」
「ああ……お前がいたいと思ってくれるなら」

今はまだ、許される限り。





誤解が解けたおかげか、安心しきった顔で眠りについた名前を見つめる。
次第に義勇の中に愛しいと思う感情が広がり、気がつけば名前の頬を優しく撫でている自分がいた。

「……お前のことが嫌になったからじゃない。むしろその逆だ」

溢れ出る醜い欲望や嫉妬を知られたくはなかった。側にいればいるほど、触れてしまえばしまうほど、名前が欲しくて堪らなくなる。
しまいにはどうしていいか分からなくなって、遠ざけてしまったことが、名前をあんな風に泣かせ追い詰めてしまった。

全ては名前のことが好きだと気づいてしまったことが始まりだ──。

名前がここにいてくれるのは、お館様の命令があるからだ。いつか名前にも一人前になる日が訪れる。そうすれば二人で過ごすこの生活は終わりを迎えるだろう。

「いつかは手放さなければいけないと分かっていたはずだ……」

それでも好きになってしまった。
初めて出逢ったあの日から、まるで運命に引き寄せられるかのように。

「ん……、冨岡さん……」

寝言とはいえ名前を呼ばれ、義勇から小さな笑みが零れる。
そんな可愛らしい声で名前を呼ばれるうちは、この恋心を消せそうにもないと思う義勇なのであった。


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