12:水の綾、二人


初夏の風が通り抜け目を閉じる。
流れる雲の隙間から、時折顔を出す日差しが、程よく暖かくて心地良い。
こんな日はきっと名前なら、ぽかぽかと暖かくて気持ちが良いですね、なんて口にしながら笑顔を見せてくれるのだろう。そんなことを想像しながら義勇は、柄にもなく縁側に寝転んだ。
こんなに静かでゆっくりとした時間を過ごすのは久しぶりだ。しばらくこの陽気の中まどろんでいると、近づく足音で遠のいていた意識がはっきりとし始めた。

「お茶が入りましたよ、義勇さん」

条件反射のようにその声にパチリと目を開けた。
むくりと体を起こせば、何やら甘い匂いがする。

「……羊羹か?」

甘い匂いの正体である小皿に視線を落とせば、名前の声はより一層弾んでみせた。

「はい!とっても美味しい羊羹なので、ぜひ一緒に食べたいなと思いまして」

名前が義勇の横に腰を下ろす。

「では頂きましょうか」

名前の口に次々と羊羹が放り込まれていくのに比例して、名前自身がどんどんとご機嫌な様子になっていくのが見て取れる。大福といい団子といい、とにかく名前は甘いものに目がない。以前チョコレートを買ってきた時の喜びようも未だに覚えているし、甘いものを口にするたびにそれはそれは幸せそうに笑うのだ。

「そんなに美味しいのなら俺の分も食べればいい」
「ダメですよ!それはちゃんと義勇さんにも美味しく召し上がってほしくて用意したものなんですから」

俺はその笑顔が見れれば十分なんだがな。
そう伝えてもきっと名前は譲らないのだろう、と思いながら義勇も羊羹を口にした。

「そういえば義勇さん、庭の紫陽花はご覧になりましたか?」

名前の言葉に庭の様子を思い浮かべるも、紫陽花はまだ目にしていない気もする。
一人だと手入れなど一切したことがなかった屋敷の庭は、名前が一緒に住むようになってから格段と景色が変わった。

「義勇さんの瞳と同じ、綺麗な青色の紫陽花がたくさん咲き始めましたよ」
「そうか。もうそんな時期か」
「そうだ、後で一緒にお庭を散歩しませんか?」
「ああ」
「やったぁ!義勇さんとお散歩お散歩」

たかが目の前の庭を歩くだけのことなのに、何故そんなにも幸せそうな顔を見せてくれるのか。
名前と出逢ってたくさんの小さな幸せに気づけるようになったと思う。
花一つにしたってそうだ。そこから四季がこんなにも美しいことや、当たり前の景色に鮮やかな彩りを与えてくれる。

「義勇さん、流しそうめんって知ってます?」

無口な自分の代わりといっては何だが、名前は色んな話をしてくれる。その内容は他愛のないものから突拍子のないものまで、毎日実に様々だ。

「流しそうめん……?」
「竹を半分に切ったものを繋げて、そこにお水とそうめんを流すんです」
「流してどうするんだ」
「それを上手く箸で掴んで食べるんですって」

竹を切ってまでして流す意味が分からない。義勇がそんな表情を名前に向ける。

「もう少し暑くなったらぜひ皆でやりましょうよ」
「何故……」
「面白そうじゃないですか。水遊びの時みたいに絶対楽しい思い出になりますよ」

名前のこの笑顔が何よりも好きだ。何度そう思ってきただろうか。
この笑顔を守り抜くためにもっと強くなりたいという思いは、日に日に大きくなるばかり。

「義勇さん?」

じっと見つめたまま動かない義勇に、名前は不思議そうな表情を浮かべる。
また何か変なことでも言ったのではないかと段々と心配になり、名前が声をかけようとしたその時。

義勇は突如ごろんと寝転び、名前の膝の上に頭を置いてみせた。

驚きながらも口元を緩める名前に、今度は何をそんなに嬉しそうにニヤついているのかと言わんばかりの顔を向ける。

「だって……義勇さんが可愛すぎて……!」

名前の考えていることなど概ねそんなことだろうとは思ったが、こうしてはっきりと口に出されると正直耐え難いものがある。
居心地が悪くなった義勇がパッと起き上がる。
が、その体はすぐさま名前の手によって引き戻されるのであった。

「どうして離れるんですか?」
「いや……」
「ちゃんとここにいて下さい」

名前の言葉に身を委ね、義勇はそっと目を閉じた。
しばらくして感じたのは名前の指先が髪に触れる感覚。それが何とも心地良い。
名前と過ごす時間は温かく穏やかなものばかりだが、時折泣きたくなるような気持ちにさせられる時がある。

“大好きです、義勇さん”

彼女はいつもそう言って、自分には勿体ないくらいの大きな愛情を与えてくれる。
そしてその愛情は、大切な人達を失った深い傷跡に染み込んで、幸せへと導いてくれるのだ。
泣きたくなるほどの幸せへと──。

「ふふ。ぽかぽかと暖かくて気持ちが良いですね」

義勇が最初に縁側で予想した通りの台詞を、名前が口にする。きっと名前はいつもの笑顔を浮かべているのだろう。
そう思い義勇はそっと目を開けた。

「あれ、起こしちゃいましたか……?」
「いや」

柄にもなくこのまま時が止まってしまえばいいとすら思ってしまった。

誰にも邪魔をされたくない。この幸せな時間のまま、大好きな名前とずっと──。

義勇の手がすっと名前の頬へと伸びる。
無言で目を合わせたままの二人に風が通り抜けた。





一方その頃。

「本当に名前さんが言ったんだろうな!?」
「うん。任務内容が変わって時間が出来たから、今日なら一緒に稽古出来るって確かに言ってたよ」
「本当に本当なんだな!?」
「もしかしたら義勇さんも一緒に稽古をつけてくれるかもとも言ってたけど」
「半々羽織もか!?そいつは腕が鳴るぜ!」

冨岡邸の門の前には炭治郎、善逸、伊之助の姿があった。三人が足並みを揃え門をくぐっていく。
そのまま何の問題もなく屋敷の入口へと向かうはずだったが、突如炭治郎が歩みを止め立ち止まってしまった。

「どうしたんだ?炭治郎」
「あっちの方から甘い匂いがする」
「甘い匂い?」
「うん、それと名前さんと義勇さんの匂いも」

炭治郎の言葉に今度は善逸が耳を傾ける。

「あ、本当だ。二人の話し声だ」
「もしかしたら二人は縁側の方にいるのかもしれないね」
「じゃあそこで何か美味ぇもんを食ってやがるってことか!」

入口に向かうはずの足取りが方向転換した。先陣を切って歩き出したのは伊之助だ。その後に炭治郎と善逸が続く形となりながら、三人は縁側へと向かう。
そして名前と義勇の気配を徐々に強く感じながら、屋敷の角を曲がりかけたその時だった。

ある光景を目にした三人は、一瞬にして屋敷を壁にし身を隠したのだった。

そのまま固まること数秒。

「あれ……名前さんと冨岡さんだよな……?」
「多分、間違いなく……」
「甘いもんがなかったぞ。空の皿と湯のみしか置いてなかった」
「伊之助、お前どんだけ目いいんだよ……って見るとこ違う違う!俺達が話し合うべきはそこじゃない!」
「あ?じゃあ何だよ」
「何だよって、あれだよあれ!ひ・ざ・ま・く・ら!それ以外に何があるんだよ!!!!」

血走った目で善逸が力説するも、伊之助は特にこれといって大きな反応を示さなかった。その横では顔を赤らめている炭治郎には、事の重大さがそれなりに分かっているのだろう。

「あの終始無表情で何考えてるかさっぱり分からない冨岡さんがだぞ!?ひ、ひひ、膝枕だなんて信じられるか!?お日様の下、縁側で二人で……おいおいおいこの鬼殺隊にそんなのどかすぎる幸せがあったなんてそんなの………!!」
「善逸……っ、もっと声を抑えないと……」

名前と義勇が恋仲であることも、二人が互いを信頼し合い誰よりも大事に想い合っていることも、もちろん三人はよく知っている。名前が義勇を好きだ好きだと言って追いかける姿もよく目にしてきた光景だ。
だがしかし義勇が甘える姿など、見たことあるはずもない。正直想像すらつかない姿だ。
それを今しがたこの目で見たのだ。義勇が名前の膝の上で寝転ぶ姿をだ。

「正直幻だったんじゃないかと思ってる……」
「義勇さんは二人きりだといつもあんな感じなのかな……」
「……もう一回覗いて確かめて見るか?」

善逸の提案に二人の喉がゴクリとなった。

「覗くだなんてそんな……っ」
「そうは言っても、稽古の話が切り出せそうかどうか確認する必要はあるだろ?」

ボソボソと小声で相談しあう炭治郎と善逸を置いて、早々に伊之助が動き出す。

「よし。甘いもん貰いに行ってくる。名前の作るもんは何でも美味ぇからな!」
「ば、馬鹿……!伊之助!そうじゃなくて……っ、あ!ずるいぞ!」
「二人とも……!」

何やかんや言いながら結局三人は、屋敷の壁に身を隠しながらこっそり覗き見する形となった。
じっと見つめるその先には、先ほどと変わらず膝枕をする名前と義勇の姿がある。

「ふふ。ぽかぽかと暖かくて気持ちが良いですね」

名前の柔らかな声が三人の耳にも届き始める。

「あれ、起こしちゃいましたか……?」
「いや」

そこには温かくて穏やかで優しい空気が流れていて、まるで陽だまりのようだった。
誰もが求めてやまないものが二人の間にあるような気がして、炭治郎達の胸はぎゅっと締め付けられた。

そんな様子を見続けていると、すっと義勇の手が名前の頬へと伸ばされていく。
空気が一変したのを肌で感じた瞬間だった。
義勇が名前の頭を引き寄せるその一秒一秒が、とてもゆっくりに感じられる。

そうして炭治郎達が口を開けたまま見つめる先で、名前と義勇は唇を重ねていた。

「キス…………してる」
「…………うん」

炭治郎と善逸が顔を赤らめながら言った。
二人が唇を重ねるところを見るのはこれで二回目だ。一回目はお化け屋敷での出来事だった。
ただその時と今のキスは明らかに雰囲気が違う。
今のはもっとこう、甘くて──。

「義勇さん?えっと、どうしました……?」

すると今度は名前の膝に寝転んでいた義勇が起き上がり、名前との距離をどんどん縮めていくではないか。

「何だその手は」
「いえ、あの、急にどうしたのかなぁって……」
「拒むのか?」

今度は名前の顔が赤く染まり始める。

「まさか。拒むだなんてそんな」
「そうか」
「はい。いつも通り大好きですよ、義勇さん……」

再び二人の唇が重なり合う。
今度は一度のキスなんかじゃ終わらない。何度も角度を変えては啄み、やがて名前の体は縁側でゆっくりと倒されていった。

「義勇、さん……っ、ここで?」

義勇が無言で名前を見下ろす。

「……それはお前次第だな」
「え?」
「お前は見られる方が興奮するのか、それとも……」

義勇は何を考えているのだろうと探れど、名前にはさっぱり分からないままだった。

「や、やっぱり出直した方がいいんじゃないかな……このまま覗き見続けるのはちょっと……」
「馬鹿!こんないいとこで帰れるかよ!」
「半々羽織って結構助平なんだな……」

一方で覗き見三人組は、別な意味での緊張感と興奮度がどんどん増していた。

「今後さ、俺達もその……いつかああいうことをする日が来るかもしれないじゃん……だから、その時の勉強って言うか……」
「だからってやっぱり覗きはよくないよ……っ」
「おい炭治郎どけ!よく見えねぇ!」
「い、伊之助……!そんなに押したら……」

しかし次第に三人の均衡が崩れ始める。伊之助の手によって炭治郎の体がぐらつき、そのままバランスを崩したのが決め手だった。

「伊之助!馬鹿お前……!」
「わあああ!」
「危ねぇ……!」

大きな音を立てて雪崩れいく三人に砂埃が舞う。
もちろんその音に名前達が気づかない訳がなかった。

「み、皆……!?どうしてそんなところに……!」

名前が慌てて身を起こし炭治郎達に問いかけると、彼等も同様に慌てて身を起こししどろもどろに返答した。

「すみません……!えっと、これは……」
「お、俺達別に覗きなんてしてねぇからな!」
「伊之助お前何余計なことを……っ!」

今ので一部始終見ていたことがはっきり分かった名前は、あまりの恥ずかしさにより一層顔を紅潮させ、体をわなわなと震わせている。

「全部見ていたんですね……!?」
「いや!俺達は一切何も……!」
「そ、そうだ。俺用事を思い出したんだった」
「あ!伊之助もか!そういや俺も用事があったんだった!あははははは…………お邪魔しましたああああっ!」

わざとらしく誤魔化しながら、嵐のように去っていく三人を、飄々と見つめる男が一人。

「何だかいつと様子が違うと思ったら、義勇さんは炭治郎君達があそこにいたことを最初から分かってたんですね……!?」

今度は行き場のない恥ずかしさを、全力で義勇にぶつける。けれど義勇の表情は変わらぬまま。それどころか悪いことなど何一つしていないとでもいうような表情を浮かべている。

「あいつらの気配に気付かないほど、お前の実力が鈍っていただけの話じゃないのか」
「柱の義勇さんと一緒にしないで下さい……!」

一連の流れは全ては義勇の手のひらの中、という訳だ。それが今は何とも悔しくて恥ずかしい。

「それに義勇さんに膝枕をしている状態じゃ、致し方ないことだと思います」
「何故だ?」
「だってそんなのドキドキしすぎて、義勇さんのことしか考えられなくなるに決まってるじゃないですか。甘えたな義勇さんがどれほど貴重か分かってます?そんな義勇さんが可愛いなぁ愛しいなぁって思ってたら、急に色気全開で攻められて……そんなのこっちだって大好きが全開になって気配どころじゃ──んん……っ!」

捲し立てる名前の口を義勇が強引に塞ぐ。先ほどまでの優しい口づけとは正反対の荒々しいキスに、名前の反論は全て押さえつけられてしまうのだった。

「……これ以上は煽るな」
「煽ってなんか……思ったことを口にしたまでです」

それが一番質が悪い、と義勇が伝えたところで、名前のそれが直ることはない。

「……それを言うなら義勇さんこそ、こんなところで私を煽った責任を取って下さい」
「何?」
「ここじゃなくて、ちゃんとお布団で……」

名前が義勇の手のひらの上で転がされてると思っているのなら大間違いだ。
きゅっと義勇の袖を摘む小さな手も、赤らめた顔も尖らせた唇も、発せられる言葉の一つ一つさえも、全てが義勇の欲を掻き立てる。

「あの、でも、散歩の約束を果たせるくらいには手加減してもらえると嬉しいです……」
「……そういえばそうだったな。なるべく善処はしよう」

いつだって義勇の方が名前の愛情と無自覚に振り回されているのだ。でも悪い気は一切しない。それが義勇にとっての幸せへと繋がっていくことを知っているから。


そして衝撃的な光景を目にした三人は、その後全員が蝶屋敷に向かったそうな。
彼等もまたいつの日か、義勇と名前のような幸せを手に入れる未来が訪れるのだろう。
どうか彼等の未来は鬼のいない世界でありますようにと、願わずにはいられない義勇と名前なのであった。


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