03:聞こえますか?


チリン。
夏のある日、縁側で風鈴と共に揺れるそれは、まだ月日が浅い二人の日々を思い出す。
じっと見つめる義勇に声をかけたのは、それの持ち主である名前だった。

「何をそんなにじっと見つめてるのかと思ったら」
「ああ。懐かしいなと思ってな」
「思い出します?」
「それもだが、お前が未だにこれを持っていたことに驚いている」
「当たり前じゃないですか。義勇さんから頂いたものは、私にとって全て宝物なんですから」

あの日と変わらない台詞を言う名前の横顔を、義勇はじっと見つめていた。





二人を包む鈴の音の記憶は少し昔に遡る。
それは二人の想いが通じ合ってまだ間もない頃のことだった。

「わぁ、凄く綺麗……」
「どうぞお手にとって見て下さい。色の種類もたくさんあるんですよ」

出先で雑貨を取り扱うお店に足を踏み入れた時のことだった。元々里から出たことがなかった名前には、思った以上に知らない物が多く、よくこうして色んな物に興味を示していた時期があった。
ただどんな時でも名前は“欲しい”という言葉を口に出したことはない。いつだって名前は無欲で欲しいものを聞いたところで、義勇さんの側にいられればそれだけで十分です、としか言わないのだ。
そんな名前が目を輝かせて見ていたのが鈴だった。

「ふふ。音も可愛いですね」

普通女性なら着物や帯、はたまた髪飾りなどを好んで欲しがるものかと思っていた義勇は、鈴一つでにこにこ笑う名前に、相変わらず欲がないものだと再認識させられる。
同時にその姿はとても可愛らしくて堪らなくもある。

「好きなのを選べ。買ってやる」
「え?義勇さんがですか?そんな、悪いです……!」
「何が悪い。普通のことだ」
「でも……」
「分かった。選べないのなら全種類買うとしよう」
「全部……っ!?分かりました!今すぐ選びます……!」

強引とはいえ観念した名前が、鈴を一つ手に取り義勇の前に差し出す。

「ではこれにします」
「この色でいいのか?」
「はい、義勇さんの瞳と同じ青色です。とっても綺麗でしょう?」

そう言って笑う名前に、義勇は日々愛しさを膨らませていくのだった。





買った鈴を嬉しそうに見つめ続けていた名前が、ようやくそれを付けた箇所は、自身が持つ日輪刀の鍔だった。

「戦いにくくはないのか?」
「いえ、全く。むしろいつも義勇さんが側にいて下さるみたいで力がみなぎります!」

恥ずかしげもなく名前が答える。
いつだって惜しみない愛情を向けてくれる名前が、こうしてずっと側にいてくれたらどんなに幸せだろうか。願ってやまない義勇は、目の前の名前に小さなキスを一つ落とした。


そんな矢先、名前が初めての長期任務に向かう日がやってきた。

「まだお前には早い気がしないでもないが……」
「大丈夫です。ちゃんとこなしてみせます」
「ちゃんとこなそうとして、得意の無茶をするのだけは避けてくれ」
「宙の呼吸と稀血は使わないこと、ですよね」

鬼殺隊に異例の入隊をしたこと、義勇の側にいたことで、多少なりとも辛いこともあった。でも名前がそれを後悔したことは一度もないし、他者の言葉を跳ね除けるための努力も人一倍してきたつもりだ。
長期任務は名前の努力が認められた一つの証でもある。だから素直に嬉しかったし、絶対に一人でやり遂げてみせたかった。

「義勇さん、一つだけ聞いてもいいですか?」
「どうした?」
「任務をこなしたら……またここに帰ってきてもいいですか……?」

作り笑いと一瞬だけ揺れた不安に染まる瞳。稀に見せる名前の表情だ。

「当たり前だ。俺の側にいたいんじゃなかったのか?」
「……いたいです」
「いや待て。違うな。俺がお前に側にいてほしいんだ。だからちゃんと帰ってこい」

その約束を胸に名前は任務へと出発した。





出発から二週間後。予定の日程から三日も遅くなってはしまったが、名前は情報通りの鬼を探し出すことに成功した。

「義勇さんから教わった水の呼吸だけで倒す……!」

今まで滅してきた鬼よりも強敵ではあったけれど負ける気はしなかった。もちろん油断していた訳でもない。だからきっとそれは運が悪かったの一言に尽きると思う。
鬼の頚を落としたと同時に、鍔についていた鈴が鬼の爪に触れ、千切れて飛んでいってしまったのだ。
大事な鈴を落とすまいと手を伸ばした結果。

ズザアアアア──!

握り締めた鈴と共に名前は崖へと転落していった。
そのまま落下の勢いは止まることなく、体中に痛みが走ったのは、崖下まで落ちきった後だった。

「良かった……」

まず最初に掌にある青い鈴を見つめそう呟いた。そして大事に大事にギュッと握りしめる。自分の体なんかよりも大切とでも言うように。

「痛……っ!」

そんな名前に激痛が走る。

「肋骨……何本かダメかも」

鬼は倒し鈴も無事だったとしても、ここから帰れなければ何の意味もない。だから立ち上がってこの崖を登らなければならないのに、思うように力が入らない。
この辺の地理は全て頭には入れてきた。かなり迂回する事にはなるけれど、上に登る道は他にもある。

「足は折れていないみたいだし……帰らなきゃ……」

帰ってこいと言ってくれた義勇さんの元へ。

その一心で名前はひたすら山道を歩き続けたが、やがて足元はふらつき視界もぼやけ始めてきた。そのうえ疲労と激痛が終始名前に襲いかかる。
日も沈み暗くなりかけた頃、名前はついにその歩みを止めてしまった。

「はぁはぁ……これ以上は……っ、もう、歩けない……」

滅多に弱音を吐かないところは自分で言うのもなんだけど長所だと思う。とはいえ誰もいない今この瞬間くらい──。

「お腹空いた……体中が痛い。早く温かいお風呂に入りたいし……上になんて登れない……」

好きなだけ弱音を吐いたっていいではないか、とでもいうように名前は、自分の気持ちを精一杯吐き出した。
チリンと、掌で握りしめていた鈴を鳴らす。

「でも一番は……義勇さんに会いたい……」

本当の願いだけは消え入りそうな声で呟いた。

そしてその願いに名前自身もハッとさせられる。
思い出すのは義勇と出逢って間もない頃。
鬼殺隊の中でも厳しい位置にいたこともあり、弱音を吐く時は決まって、大好きな家族や里の皆に会いたいと言っていた。最悪いつ死んでも構わないとすら思っていた時もあった。
でも今は違う。
義勇を好きになって義勇の側にいれたら嬉しくて、そしてそれを義勇本人も願ってくれている。

「お父さん、お母さん……会いたいなんて言ってたのに、ごめんね……。私、やっぱりまだ生きていたい……」

叶うのなら義勇さんの側でずっと──。

意識が途切れないように鈴を鳴らし続ける。
ここで目を瞑ってしまったら、二度と目を開けることなく、このまま一生を終えてしまうかもしれない。そんな恐怖さえ襲ってくる。

「歩かなきゃ……ちゃんと、帰るって……約束、した……から」

歩けなくても歩かなきゃ。
泣いてる暇なんかない。
唇を強く噛み締めると、僅かに血の味がした。

会いたい。
義勇さんに会って、抱きしめてもらって、いつものように好きですって伝え──。


「名前……っ!」


頭上から聞き慣れた声がした。
まさか、そんな。
そう思いながら顔を上げると、堪えていた涙がポタリと一粒流れ落ちた。

「義勇、さん……っ」

どうしてここに。
聞きたい言葉が上手く言葉にならない。
そうこうしているうちに、すぐさま崖を下ってきた義勇が名前の元へと辿り着いた。

「大丈夫か……!?」
「はい……と言いたいところなんですけど、肋骨を何本か……」
「崖から落ちたというのは本当だったのか……」
「どうしてそれを……?」
「お前のところの鴉が俺のところまで知らせに来てくれた」

なるほど。そういうことだったんだ。
そういえばあの子は義勇さんにも懐いていたっけ……。

「でも……よくここが分かりましたね」
「捜索している途中で鈴の音が聞こえた」
「鈴……ってこれ?」

二人の目の前に青く光る鈴が揺れる。

「鬼に落とされたのか?」
「いえ……鬼はちゃんと一人で退治出来たんですけど」
「なら何故こんな真下まで……」
「これが落ちそうになったので、手を伸ばしたら一緒に……」

言葉の途中で義勇の顔が物凄い形相へと変貌した。
一瞬で張りつめた空気が名前の全身に突き刺さる。言葉に出さなくても肌で感じる。
義勇が物凄く怒っているということを。

「こんな物のために馬鹿なことを!」

抑えきれない義勇の怒りが名前へとぶつけられるん。それでも名前は驚く訳でも泣く訳でもなく、何故かきょとんとした顔をしていた。
そして、義勇には到底理解し難い言葉を口にするのだ。

「……だってこれは義勇さんから頂いた物ですから」
「だとしてもたかがこんな鈴如き……」
「それでも私にとっては宝物なんです」

いつも大好きだと言っては向ける目だ。
真っ直ぐで無垢な名前の目。
日に日に名前の愛に溺れていく。そしてそれはとても心地良く、けれど時にとてつもない苦しみに襲われる。
与えられる幸せは失う恐怖と常に背中合わせだからだ。

「ちゃんと帰ってこいと言ったはずだ」
「それは分かっています」
「いや、お前は何も分かっていない」

──名前が側にいなければ何も意味がない。

「義勇さ……っ、んん!」

義勇の唇が押し付けられ、苦しいほどに塞がれる。角度を変えては何度も貪られ、逃げ惑う舌はすぐに絡め取られてしまった。
それでも唇に与えられるのは、紛れもない大きな愛情だ。

「はぁ……っ、ぁ」

唇が離され目の前に義勇の顔が見える。
青く揺れる瞳は手にしている鈴と同じ。

「俺の側にいる限り、自分の命を粗末にすることは許さない。お前を失ったら、俺は……」

思いもしなかった。
自分の存在が義勇さんを幸せにするだけではなく、こうして悲しませてしまうこともあるのだということを。

「……泣いているのか?」
「ごめんなさい……その、嬉しくて」

この時同時に誰かに必要とされることが、んこんなにも嬉しいことだなんて初めて知った。

「思った以上に愛されていたんですね……私」
「……やはりお前は何も分かっていないな」
「え?」
「胡蝶のところへ急ぐぞ」

義勇が名前の体をヒョイと持ち上げる。

「早急にその怪我を治してもらえ。でなければいつまでたってもお前を抱けない」
「だ、抱くって」
「俺がどれだけ名前を必要としているか分からせるには、それが一番だからな」

そう語る義勇の首に手を回せば、再びチリンと鈴がなる。そうして義勇は名前を抱え、軽々と斜面を登って行ったのだった。





「あの時の義勇さん凄くカッコ良かったなぁ!あ、でも普段からカッコ良いですからね?それは当たり前の事実だとして」

あの頃と変わらず名前は隣で、己に対する好意を伝え続けてくる。
いやあの頃よりももっと、か?

「こうして思い返すと、無茶をするところは全く変わってないな……」
「でも義勇さんに愛されてるなーってことはちゃんと理解してますよ?」
「理解したうえで結局無茶をするから、今の方がよっぽどたちが悪い」

名前は義勇の強みでもあると同時に、義勇にとって最大の弱みでもある。
万が一でも失うことなど考えたくもない。
だからこうしてずっとこの腕の中──。

「義勇さん?」

名前を引き寄せギュッと抱きしめる。

「……心臓の音が凄いな」
「だって義勇さんが抱きしめるから……」
「このくらいもう慣れてもいい頃だろう」
「慣れるだなんて一生無理な気がします。きっとこうしてずっと義勇さんにドキドキするんですよ、私は」

あまり可愛いことは言うな、とは口に出さず、義勇はそのまま名前を床へと押し倒した。状況は理解しているがまだ飲み込めていない名前が、義勇の胸板を軽く押し返す。

「え、義勇さん?これは一体」
「俺に愛されていることは理解しているんだろう?なら何をされるかも理解出来てるはずだ」
「待って下さい……っ、だってここ、縁側」

それがより義勇を掻き立てるとも知らず。

「誰かに見られたりでもしたら……っ」
「見せつけてやればいい」
「じ、冗談ですよね……?」

鈴の音が聞こえる。
積み重ねた過去と新しく刻まれていく未来をのせながら、いつまでもずっと。


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