03:貴方じゃなきゃ


「ナマエ分隊長、手伝いますよ」
「っと、ありがとう」

時刻は夕方に差しかかろうとしている。私は一人黙々と今日一日使った資料を書庫へと戻す作業をしていた。
分隊長という響きがまだ聞きなれないのは、就任して日が浅いからだろう。自分に部下がついて隊を任される日が来るとは思いもしなかった。

「こういう雑用は俺達部下にいつでも言って下されば……」
「ありがとう。でもこれは私が個人的に使った資料だから、私が片付けないと」

彼は私の部下の中でも一番若く訓練生上がりの兵士だった。いつも私の仕事を率先して手伝ってくれ、慕ってくれるのその姿に何だか弟が出来たような気持ちだった。

「あ。これ」
「どうかしたんですか?」
「この資料なんだけど昨日兵長が探してた物だなぁって。昨日はいくら探してもなかったのに。誰かが使ってたのかな?」
「兵長が、ですか」

仕事が終わったら届けてあげよう。きっと喜んでくれる。いつものように表情には出さないで。不器用な兵長を思い出して、思わず顔が緩んでしまった。

「……あの、分隊長ってリヴァイ兵長と付き合ってるんですよね?」
「え?うん。一応……」

兵長と付き合っている事は兵団内で特に隠したりはしていない。周知の事実ではあると思うのだが、改まって聞かれると恥ずかしいものだ。

「不釣り合いでしょ?私が兵長となんて」
「いえ!そんな事はありません……!」
「本当?お世辞でも嬉しいな」
「お世辞なんかじゃないですよ。それに俺はその、どちらか言うと兵長が苦手で……近寄りがたいといいますか……」
「うん。確かにイメージと違うよね。私も最初はそうだったんだ」

でも少しずつ兵長を知るたび、知れば知る程惹かれていった。

「兵長は本当はとても優しくて、誰よりも仲間思いの人だよ。ただ凄く不器用な人でもあるから」

兵長と過ごすうちにより大好きになっていった部分。言葉や態度が粗暴でもそこにはちゃんと優しさがある。

「そうそうこの間もね――」

兵長の事を話すと心が弾む。それが引き金になるとは知らず。

「……分隊長、俺は」

――兵長が羨ましいです、と彼が言ったと同時に腕を思い切り引かれた。

「なっ、痛……!」

無理矢理押し倒され床にヒヤリとした感触。その上に覆い被さる彼の顔が一瞬で別人のように見え悪寒が走る。

「ずっと好きでした……ナマエ分隊長」
「じょ、冗談だよね?こんな事……」
「本気ですよ。俺、ずっとこうしたくて」
「や、やめて……!」

突然の事に体が思うように動かない。何で、どうして、と頭の中もグチャグチャだ。
そんな私を無視して彼の唇がヌルリと首筋を這った。

「やっ、やだ!」

身をよじって逃げようとするも、情けないくらい力が入らない。徐々に乱暴になるその手つきは私の上半身を露わにしていった。

「やめて!嫌、嫌だ……っ!」

ブラウスの中に手が滑り込んだ瞬間、一層この場から逃げたいと本能が騒いだ。兵長とは何もかもが違う。いつも味わう感覚とは全く別の感覚。兵長以外に触られる事を、全身が頭が心が拒絶している。

兵長、兵長兵長兵長………!

「...へ、兵長ーーーーっ!」

私の振り絞った大声を掻き消す程の、凄まじい音がしたその音に息が止まる。
そして彼が一瞬にして目の前からいなくなり、白い天井が目に入る。涙でぼやけた視界にうっすら見えるのは兵長の姿だった。

「てめぇは余程死にてぇらしいな……」

横たわる彼に今度は兵長が覆い被さっていた。本当に、兵長が……本当に助けに来てくれたんだ……。

「お、俺は……っ!」
「うるせぇよ」

兵長の振り下ろした拳が真っ赤な血を浴び、その横でコロコロと歯が転がっていく音がした。

「言い訳なんざ必要ねぇ。俺が今すぐ殺してやる」

こんな兵長見た事ない。物凄い殺気に私まで体が震える。壁外の時とは違う感覚。でも今の兵長ならそれをやりかねない。そう素直に思ってしまう程だった。
止めなきゃ。今すぐ止めなきいけないのに体が震えを止めてくれない。

「リヴァイ、待って待って!あなたが言うと冗談に聞こえないって!」
「ちっ!離せクソメガネ、冗談でたまるかよ」
「気持ちはわかるけど……っ、今あなたがすべき事はそんな事じゃないでしょう!」

後を追って入ってきたハンジさんが、後ろから兵長を羽交い締めする。それでも止まらない兵長が腕を下ろしたのは、ハンジさんの言葉と視線のおかげだった。そしてハンジさん同様、兵長の視線が私に向けられる。びくっと体が強張るのがわかった。

「あ……わた、し……」
「これを着ろ」

投げられたジャケットを手に取ると兵長の匂いした。その匂いにようやく私は安堵して深く呼吸を繰り返した。

「とりあえずこっちは私とエルヴィンで処理するから、リヴァイはナマエを頼む」
「……あぁ」





書庫を出た後の兵長は終始無言で私の手を引き続けた。そして兵長の部屋に私を入れるなり、風呂に入れと浴室に追いやった。いくら頭を働かせても兵長にかける言葉が出てこない。一人きりになった浴室でそっと涙が流れる。

「っ……気持ち悪い」

彼に触られた部分を何度も何度も擦る。未だ消えてくれない感触が気持ち悪くて吐きそうだ。兵長に嫌われたくない、嫌いにならないで下さい、と願いながら体を洗い流した。

身支度も終わりそっと扉を開けると、兵長は何をする訳でもなくただ静かにソファに座っている。扉の前でモジモジしているとそこに座れと兵長に促された。用意された椅子の前には温かい紅茶があって、少しだけホッとする。

「……兵長。その、ごめんなさい……。ご迷惑おかけして……」
「お前が謝る必要はない。ただ俺はあいつに会う時は警戒しろと何度か忠告したはずだ」

それは私が分隊長になってすぐの事だった。彼は隊員の中でも一番私に懐いていたように自分でも思う。よく一緒にいる私たちを見て兵長が先程と同じ事を私に忠告した。その時は兵長が嫉妬してくれたと浮かれていた自分は、まさかこんな事になるなんて思いもしなかった。兵長は彼の想いにいち早く気付いていたのだろう。

「お前は普段から隙がありすぎる。それも何度も忠告してきた事だ」

兵長の声がいつもより低く、兵長の目がいつもより鋭い。
今は兵長が怖くて堪らない。

「俺の言う事が守れないのなら仕方が無ぇ。俺は――」
「……っ」

何も言えずただ涙が流れた。体が震えて手足がしびれるような感覚。喉もカラカラに乾いて言葉が上手く出てこない。

思い知った。私がこの世で一番怖い事は兵長に嫌われる事だ。

「……っ嫌いに、ならないで下さい」

兵長にいらない、と言われたら。先程の事なんて忘れてしまうくらい怖い。怖くてどうしたらいいかわからない。

「……何故そうなる」
「だって、私、言う事聞かないしっ……あんな事あって、兵長がもう私を、嫌だ……って、」

泣きながら震える私を兵長がそっと抱き寄せてくれた。

「順番を間違っていた。怖い思いをしたお前にこうするのが先だったな」
「兵長……」

不思議だ。兵長の体温が体中に伝わって、体の震えが心地よさへと転換していく。

「嫌いになんてならねぇから安心しろ」
「……はいっ」
「ナマエ……俺がもうこんな事が二度と起きないように、誰にも会わず誰の目にも触れさせないところで永久に閉じこめたい、と言ったらお前はどうする?」
「……それでもいいです。それで兵長とずっと一緒にいれるなら」
「馬鹿野郎」

兵長の顔が少しずつ近づく。待ち望んでた瞬間。しかしその数センチ手前で兵長は動きを止めてしまう。

「今日はやめとく」
「……どうして、ですか?」

兵長、私あの時にわかったんです。兵長の事がこんなにも好きな事。私の全ては兵長のものになっていたって事。そして、今それを伝えなきゃ後悔する事。

「私、兵長じゃなきゃダメなんです。兵長となら、こういう事……したいって、いつも思ってます……」
「……ナマエ」
「……自分からこんな事言うなんて、引きますよね?」
「いや。むしろ逆だ」

兵長に抱えられた私の体はすぐさまベッドへと沈んだ。
後に続くように覆い被さる兵長と目が合う。

「今日は手加減出来る気がしねぇぞ」
「……はい」
「嫌だって泣いても喚いても止めるつもりもない」
「それはいつもそうじゃないですか……?」

いつもの兵長だ。そうやっていつも少しだけ意地悪そうに笑う。
その笑顔だけで私の中から恐怖は消えていくのだった。





――後日。

「ナマエ。君には分隊長を降りてもらう」
「はい……このたびは申し訳ありませんでした。全て私の力不足です」

エルヴィン団長から辞令が言い渡された。やはり私に分隊長なんてまだま務まる訳がなかったのだ。

「いや、私としてはこのまま続けてほしいんだがね……」
「では……どうして?」
「君には今日からリヴァイ班で兵士長補佐として働いてもらうことになった」
「え……兵長の、補佐ですか!?」
「リヴァイがそうしないと君を閉じ込めるって聞かないんだ」

団長が子供みたいな言い分だろうと困ったように笑った。
どうやら兵長のあの提案は案外本気だったらしい。
それでも閉じ込められても構わないくらい、私が兵長に惚れているのもまた事実なのだった。


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