5万打 | ナノ

―――ため息つくと、しあわせが逃げるんだよ?

なんて科白は、もうすっかり緑間の頭の中にはなかった。
「付き合ってるんじゃないの?」とか、クラスメイトに自分とカノジョの関係を訊ねられても、「付き合っている」なんて、大きな声で自信を張って言える関係なのか。と、戸惑うばかり。
なにしろ、まだカノジョとちゃんと手をつないだことすらない。
お昼もいっしょにしてるし、部活の時間も、終わったあともいっしょにいる。…が。
しかし、カノジョがどう思っているのか判らないけれど、今日のお昼は『ふたりっきり』ではなかった。


「名字っちの卵焼きもらっていいっスか?」
「じゃあわたし、黄瀬くんの卵焼きもーらいっ」
「オメーらなに卵焼き交換してんだよ」
「とか言ってて青峰君も名字さんの卵焼き食べてますよね」
「黒ちんも食べてるしー」


『お昼はふたりでいっしょに』とか約束しているワケではないが、緑間にとって、部活仲間全員とお昼を過ごすこの時間は些か居心地が悪かった。
熱々のカップルがする、所謂「はいダーリン、あーん」という行為を黄瀬にしたり、青峰と黒子のお弁当侵食を許したり。
たぶん、というか十中八九、カノジョは意識しての行動じゃない。

(こいつは考えてないのだろうな…)

特に何を強く想ってとか、そういう行動じゃない。
なんとなく、思い付いたからそうしてみた、という感じで。
だから『オレとふたりでお昼はいっしょに』なんて言えない。
でも―――付き合っているのに、付き合う前となんら変わりのない関係はどうなのだろう。

とか、それに気づいて、緑間の気分はブルーになった。
で、カレが気にかけてやまない件のカノジョはというと、お箸で掴んだミニハンバーグを青峰に食べられ、ちょっぴり顔を赤くしながら怒っている様子。


「青峰くんのばかー!わたしがハンバーグ好きなの知ってるくせに!」
「あ?残ってっからいらねーのかと思ったんだよ」
「最後に食べようとしてたのっ!」


怒っているカノジョだが、結局それを許してしまい、最後にはおかしく笑っていた。
カノジョの見た目から物静かな感じが強いが、実際はもっとアクティブで人なつっこい性格をしている。
緑間からすれば、カノジョはとても魅力的な女の子だからそれが周りに気づいてもらえて嬉しかったりする反面、独り占めしたい気がなくもなく、複雑な心境だったりする。


「……―――でさ、緑間くんもひどいと思うよね!わたしのお弁当ばっかり!」


ぼーっとしていたせいか、カノジョに話しかけられていたことにも気づかなかった。
でも、気もそぞろで意識がときどき、心の中に引っ込んでしまう。
カノジョが心配そうに顔を覗きこんできたのが引き金となり、素早くカノジョの手を掴んだ。


「緑間くん、?」
「…話があるのだよ」


言って、多少強引ではあったが名字の腕を引きながら屋上を出た。
周りが何かを言っているような気がするが、今の緑間の耳には入ってこない。
名字だけがこの状況を飲み込めず、引っ張られながらあたふたとしている。

そして屋上の階段下まで来ると、その隅の角っこに名字を追いやった。
緑間の体温に、カノジョは少しだけ身体を強ばらせてしまう。
それでも緑間の瞳にゆっくりと視線を合わせれば、名前を形作った唇が押し当てられ、吐息を奪う去るかのように口づけられた。


「んぅ、…っん……!」


舌を捩じ込まれ、貪るような激しい口づけを繰り返されると、名字は息継ぎさえもうまくできない。
口の端から混じりあった唾液が伝い落ちていく。

カノジョの下唇を甘噛みすれば、とても可愛らしい声がもれて、きっと自分しか知らない『カノジョ』がいると思うとどうしようもなく愛しくて。
合わさっていた唇が離れ、緑間はさらに強くその腕に名字を抱きしめた。
名字にはこの腕を拒む理由も抱える不安も、なんにもない。


「……女主名前」


もう逃がさないといわんばかりに強く抱き寄せられ、名前を紡がれたカノジョは心臓を高鳴らせ、緑間の胸の辺りで早鐘を打つ心臓の音に気づいた。


「………すまなかった」
「…え?」
「女主名前をずっと独り占めしたいのだよ」
「そんなの、わたしもいっしょ。…真太郎くんを独り占めしたい」


名字の自然な気持ちが緑間を不安にさせるが、緑間を嬉しくさせるのも、そんな自然な気持ちだったりする。
カノジョが笑顔ならそれでいい。
カノジョが笑っていられるのならこんなに幸せなことはない。


「ねぇ、真太郎くん。…あの、ね、さっきの…わたしのファーストキスなんだけど、…」
「、…オレも同じなのだよ」
「じゃあ、おんなじだね!」


そう言って、名字が耳まで赤くしながら笑えば、緑間も頬を染めながら口もとを緩めた。
からめた指、5ミリ先の唇。

やさしくなる、吐息。




fin.
(2012.11.11)


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