先輩と後輩 | ナノ

―――人事を尽くして天命を待つ。
人間の能力で出来る限りのことをし、あとは静かに天命をまかせるといえることで、事の成否は人知を越えたことであり、結果がどうでても悔いはないという心境のたとえ。

悪い結果を心配して、ただ心を労する。
結果は天に任せて心を労しない。
良い結果を期待して、ワクワクする。
悪い結果に不安を感じたら、結果を良くするために今できることをすればいい。
結果をあれこれ考える時間があったら、結果を良くするために今できることをする。


「まぁ、つまり、『ベストを尽くす』ことが基本だとおれは思うんだよ」


このことわざを信条とする緑間真太郎は、秀徳高校バスケ部の入部挨拶でそう言った名字名前という人に、ひどく心を打たれたことを思い出した。
どうしてそんなことを今思い出したのかは判らないが。
と、ひとりごちでそんなことを考えながら鞄からお弁当箱を取りだし、箸をつけようとしたとき、屋上のドアがガチャリと音をたてて開いた。


「あーやっぱ屋上のが涼しいわー」
「いきなり大坪が『今日は屋上で食べないか』なんて言い出したときはびっくりしたけどなぁ」
「無性に屋上で食べたくなったんだ」


ドアが開いて入ってきた男たちは口々にそう言って、ふと顔をこちらに向けた途端、「あ」とひどく短い声を落とした。
思わず、緑間の手が止まる。
隣に座っている高尾和成の手も同じく止まるが、高尾は緑間が声を発するよりも早く、そして嬉しそうに座ったばかりの腰をあげた。
入ってきた男たちの最後尾。
高尾よりも黒い髪を風に揺らしながら、ゆっくりとこちらを振り向く横顔。


「―――名字先輩!」


高尾の声で紡がれた名前の彼は、自分の方向へと一直線に向かってくる高尾の姿に目をひらき、次の瞬間、

ボスッ。

と、なんとも軽い音がした。


「うわっ、びっくりしたー…」


高尾が抱きついた彼、名字名前は睫毛をはたはたと瞬きさせて視線を下に落とした。
その名字の横では、バスケ部の先輩、宮地清志が流れるような動作で彼の肩に腕を回しながらひどく楽しそうな表情で高尾の頭を押さえつけている。


「おい、高尾。オレたちもいるんだけど?」
「いででででですみませっ、!ちょ!マジ痛いっすよ!」


嬉しそうに、そして楽しそうに名字の腰に抱きつく高尾を弄る宮地に、名字は困ったような表情で傍にいる大坪に視線を送った。
「困った、助けて」と視線が語っている。
大坪は皺の寄った眉間に指をあて、「痛い!痛い!」と叫びながらも名字から離れないようとしない高尾の首根っこをガシッと掴んだ。


「宮地、手加減してやれ。昼飯を食う時間がなくなる」
「あ、そっか。仕方ねぇ」
「ってぇ…。宮地サンひどいっすよ〜」


大坪に首根っこを掴まれ、ようやく名字から離れた高尾は口を尖らせながら掴まれていた首をさすった。
そんな高尾だが、名字が少しばかり眉をさげて「ごめんね」と言えば「大丈夫っす!」と笑顔で答えるものだから、お前はどっちなのだよ、と緑間は小さくそう呟いた。

名字はバスケ部の選手ではないが、秀徳バスケ部にとっては大事なマネージャーだった。
身長はそれなりに高く、体格もいいのになぜマネージャーなのかと言えば、どうやらサポートする方が好きなんだとか。

(よく分からない人なのだよ…)

ぎゃーぎゃーと騒ぐ高尾と宮地を横目に、緑間は大坪と喋っている名字をチラッと見た。


「バスケ部レギュラー勢揃いだなー」
「やはり教室の方がよかったかも知れん」
「えー?おれは屋上でよかったけどねぇ。緑間くんもそう思わない?」


と、いきなり名字が話しかけてきたせいか、予想もしなかった出来事に箸で摘まんでいた卵焼きを落としそうになった。
そんな緑間の心境も知らず、名字は「こっちで一緒に食べよう」と言った風にちょいちょいと手招きをしている。
その隣で宮地が苦虫を噛み潰したような表情でこちらを睨むが、緑間は怯むことなく広げたお弁当箱と鞄を持って3年生の輪に入っていった。


「真ちゃんだけズルい!オレも一緒でいっすか?」
「却下」
「宮地サンひでぇ…!ちょっ、名字センパ〜イ!」
「まぁ、いいじゃない。ホラ、こっちおいで」


と言って高尾を招いた場所は彼の隣。
パアッと明るい笑顔で駆け寄ってくる高尾だったが、そこに座ったのは高尾ではなく、なんと緑間だった。
右に宮地、左に緑間、正面に大坪。


「そこオレが座る予定だったのに!」
「フン。そんなこと知るよしもないのだよ」
「うるせえぞ1年。木村、軽トラ貸せ!轢く!」
「まぁまぁ、落ち着こうか」


全ての元凶が自分であることを分かっていないのか、名字は小さく笑いながらそのやり取りをただ眺めている。
バスケが格別上手いワケでもない彼だけど、不思議と彼の傍は居心地がいい。
そんな名字が憧れから好きの感情に変わるまで時間はかからず、そしてその『好き』という感情を抱いているのが自分だけじゃないということも、すぐに知ることとなった。


(2012.10.06)


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