Merci | ナノ

大きなキャリーケースを引っ張りながら、12時間前に出発したシャルル・ド・ゴール空港を懐かしむように羽田空港に下り立つ。
外にでると光が眩しくて、 茶色がかかった金色の長い髪の少女は太陽に手をかざした。
海辺にいるわけでもないのにうみねこが大空を泳ぐように飛んでいる。


「…Sans nuages et sans vent.(いい天気…)」


うみねこの真似をするように、踊るようにして大きく大きく腕を広げた。
そよ風にワンピースがはためく。
長い髪の毛がふわりと揺れた。
青色に薄く広がって浮かぶ白い雲はパリで見た雲とおんなじ。
うみねこは空を目指し、羽ばたくように高い空へと飛んでいく。
鳥みたいに空を飛べたらいいのに。なんて刹那的に流れていく雲を見て思った。
青く透き通りそうな空を仰ぐ女の子の後ろでは、女の子によく似た髪の毛をした女性が同じようにキャリーケースを引っ張っている。
青色の色素を持った大きな瞳は女の子と瓜二つ。


「Il va.名前(ローマ字)(名前、行くわよ)」
「Oui !(うん)」


女性に名前を呼ばれた女の子は両手を広げたまま振り返って返事をした。
ブロンドの長い髪の毛が風になびく。
パリとは違った高層ビルが立ち並ぶ東京の街は行き交う人も、建物も、空気も何もかもが異なる。
はじめてみる世界。
おんなじ宇宙の世界にいてもこんなにも違う。
やけに高い空の下を歩く。
東京を見渡すような大きな瞳が街の人を追って、おしゃれに結われたブロンドの長い髪の毛がなびいた。

女の子と女性はキャリーケースを片手に持って、12時間前まで暮らしていた故郷と東京を比べるかのようにあっちこっちのお店を見る。
女の子の目を特に惹いたのはファッション店で、ウインドーガラスの向こう側で等身大の人形が身に纏っている洋服を焦がれるかのように視界に映す。


「Vous etes encore trop jeune pour cela.(あなたにはまだ早いわね)」


ガラスに手をついてその奥を見つめる女の子に女性が小さく笑いながらそう言えば、女の子はちょっぴり反抗しつつ、それでも女性の言葉を否定することができなくて眉をさげた。
ガラスから手を離して再びキャリーケースをにぎる。
しばらく歩いてスクランブル交差点に差し掛かったとき、女性が隣にいる女の子に視線を落とした。


「名前(ローマ字),Veuillez attendre un petit.(名前、少し待っててね)」
「? Je comprends.(わかったわ)」


女の子から離れた女性は行き交う人ごみにのまれ、女の子の目からはだんだんと姿が確認できなくなった。
ひとりぽつんと残された女の子は近くにある喫茶店の側に寄る。
ひとりになると急に心細くなって、それを取り払うかのようにショルダーバックをぎゅっとにぎった。

(………知らない、場所…)

目の前を通りすぎる人たちはみんな似たような風格で、女の子を好奇な目で見たり物珍しそうに見ている。
はじめて足を下ろした日本で早速ホームシックになりそうな女の子はショルダーバックをにぎったまま身体を縮こませ、そして足元に落ちているものに気づいた。
しゃがんで手にとったそれはとても可愛らしいリボンだった。
こんなに可愛いリボンを落とした持ち主はさぞかし落ち込んでいるだろう、と思いながら拾ったリボンを触っていると、


「すまない。それはオレのリボンなのだよ」


女の子の頭の上から男の子の声が降ってきた。
驚いて見上げれば、男の子は眼鏡を押し上げなら女の子の手にあるリボンを指差している。


「Est-ce que c'est ceci ?(これですか?)」


女の子は拾ったリボンを男の子の前に差し出す。
男の子は聞き慣れない外国の言葉に戸惑い、ちょっぴり眉を寄せながらひとまず頷いた。
男の子の髪はきれいな緑色で、眼鏡の奥にある瞳もなんだか緑色が混じっている。
女の子が「きれいな人」なんて思っていることが判るはずもなく、男の子はじっと見上げてくる女の子から目を逸らしてリボンを掴んだ。
リボンの持ち主は可愛い子だと想像したが見事にハズレ。

(でも、この人…きれい)

顔立ちや雰囲気が大人びていて、長い下睫毛はチャームポイントみたい。
男の子はリボンが見つかり、安堵したような吐息を吐いた。


「―――名前(ローマ字)!」


不意に人ごみの中から女性の声が聞こえてきた。
女の子は足先を立てるように背伸びをして近づいてくる女性に大きく手を振る。
ショルダーバックを肩にかけなおし、キャリーケースをにぎって男の子に向き直ると、


「Au revoir,Une belle personne !(バイバイ、きれいな人)」


小さく手を振って、女の子はキャリーケースを引っ張りながら人ごみの中へとはいっていった。
左手にリボンを乗せた男の子は女の子のブロンドの髪が見えなくなるまでその場に立ち、ずれた眼鏡を押し上げて青になった信号の横断歩道に足を踏み出した。


title/魔女 (2012.12.09)

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