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入学前に行われた制服寸法で出会い、入学してから1ヶ月ほど経ったあの日から桃井さつきという女の子と共に行動することが増えた。
不安がないと言えば嘘だった気持ちを察してくれたのか、それともこれは彼女が自然としているからなのか。
日常会話程度ならなんとか日本語を話せるようになったが、やはりそれでも国語をはじめとする文系の授業については中々聞き取ることが出来ず、どうしても黒板に羅列されていく文字を書き写す作業でいっぱいになる。
そんな状況の中、教師に指名をされて慌てる名字に助け船を出してくれるのが桃井さつきという女の子だった。
フランス人と日本人のハーフというせいで周りからは変わった目で見られ、物珍しげな視線を飛ばす生徒たちとは違う、名字名前というひとりの人間を見てくれる友達に出逢い、ホームシックに陥りそうだった心はゆっくりと回復していった。
初めて会話を交わしたあの日から1週間ほど経ち、名字と桃井は屋上の日当たりのいいポジションで持参してきたお弁当を広げた。


「わあ!名前ちゃんのおいしそう!」
「、Il n'y a aucune telle chose.(そ、そんなことないよ)」
「あ、照れてるー」


お弁当を覗いた桃井の言葉に名字はちょっぴり頬を染めながら否定的な科白を紡ぐ。
無意識にフランス語が出てくるのは照れている証拠だ、とここ最近になって桃井に指摘された。
どれだけ自覚していても出てしまうものは仕方がない。
赤くなった顔を冷ますように大きなくじらが悠々と泳ぐ空を見上げ、不意に視界のはじっこに男の子の足が映った。
誰だろう。そう思いながら視線はそのままで顔を動かす。
足、腰回り、首、顎、そして顔まで辿り着いた目線の先には、少し肌黒くて眉間に皺を寄せながらこちらを睨んでいる青い髪の男の子がこの屋上にいた。
彼は、制服寸法のときに見た―――


「青峰君?どうしたの?」
「弁当忘れた」


1年生にしてこの桐皇学園高校男子バスケ部のエースとなり、偶然にも同じクラスになった青峰大輝がポケットに突っ込んでいた手を出して桃井のお弁当をひょいっと掴みあげた。
取られた桃井は「あっ!」っと声をあげて掴まれたお弁当を取り返し、きっと彼からすればあまり効果のないような目で睨みつける。


「お弁当忘れたなら購買に行ってよ!せっかく名前ちゃんとお弁当食べようとしてたのに…もう!」
「購買に行く金なんてねーよ。ちょっとくれ」
「あっ、ダメ!それはダメ!」
「んだよ、1個くらい別にいいだろーが」


やってきた青峰は桃井のお弁当からタコの形をしたウインナーを摘まんだがどうやらそれは食べられたくないらしく、ウインナーを摘まんだ青峰の指をぺちんと軽く叩き落として唇を尖らせた。
お弁当を守るように抱える桃井の様子に参ったのか、青峰は乱暴に自身の髪をかきむしってお腹をさする。
男の子という生き物は女の子よりも食欲旺盛でお昼抜きだと辛いだろう。と考えて視線を手元にあるお弁当箱へ移し、それからまた青峰の方へ向けた。


「よかったらコレ、どうぞ」


手元にあるお弁当を青峰に差し出すと彼は目を丸くして、何度かぱちぱちと瞬きを繰り返してからポケットに戻った手を引き抜いて小さなお弁当箱を受け取った。
間の抜けた声を漏らし、おもむろに隣へ腰を下ろしてから受け取ったお弁当箱を胡座をかいた足の上へ乗せた青峰に桃井が驚いたような声をあげるが、青峰は桃井の高い声に僅かながら眉間に皺を寄せて、お弁当と共に受け取ったお箸をつかんでおかずを摘まんだ。
そしてそのおかずを口の中に放り込んで何度か噛み合わせ、ゴクリと喉に通して再び開いた口からはたった一言、「うめぇ」という言葉だった。
その言葉を聞いた名字は嬉しそうに大きく頷き、抱え込んでいたお弁当と名字のお弁当を交互に見つめる桃井は身を乗り出す勢いで名字に詰め寄る。


「ねぇ、私のお弁当あげるから名前ちゃんのお弁当食べてもいい…?」
「うん、いいよ」


もう半分くらい食べられちゃってるけど。そう笑いながら付け足せば桃井は抱えていたお弁当を名字の手に預け、もうあまり残っていない青峰が持っているお弁当からおかずをつかんでは青峰と小さな勃発を起こし始めた。
腐れ縁のような幼馴染みだと聞くまではてっきり恋人同士かと思い込んでいたが、それくらいにお似合いだと言えば桃井は勢いよく首を左右に振って「好きな人がいる」とハッキリ答えてくれたことを思い出しながら、桃井のお弁当箱をあけてタコの形をしたウインナーをお箸で摘まんだ。
好きな人がいると告げた彼女の顔は紅潮していて、本当にその相手のことが好きなのだと伺えるほどに惚れ込んでいる姿はまさに恋は盲目だと言えるものだった。

そういった感情を抱く桃井を見ていると羨ましくもあり、そう想うことができる異性が自分にもできるだろうかとちょっぴり不安にもなった。
現に今はライクとラブの違いがイマイチ分からない。
ただ、気になる存在は?と訊かれて不思議と頭に浮かんだのは緑色の髪をした緑間真太郎と名前を告げてくれた男の子。
だからといって名前しか知らない男の子のことを好きなのかと訪われても間違いなく首をひねることしかできない。
だから桃井には言っていないが、まずは彼とお友だちになってから。それから話してみようとご飯を噛みしめながら考え、放課後は初めて緑間のバスケを瞳に焼きつけたあのストリートバスケ場に行ってみようかな。なんて、部活に入っていない空っぽの放課後の予定を組み立てた。


「J'aimerais rencontrer…(逢いたいなぁ…)」


逢えるかも分からないのに、あの場所に行けば緑間に逢えそうな予感がする。
名字の呟きをたまたま聞いた青峰は聞き慣れないフランス語に首を傾げるが、特に追求することもなくお弁当のおかずをバクリと食べた。


title/魔女 (2013.03.19)

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