Merci | ナノ

鏡の前に立ってリボンをきゅっと結ぶ。
初めて袖を通したときの感覚がまだ残ったまま鏡に映る制服姿。
短いスカートを必死に伸ばしていた入学式から1ヶ月も経てば少しは慣れも出てきて、今では1ヶ月前よりも短いスカートが幾分か平気になった。
とはいえ季節は5月半ばでちょっぴり寒い。
もうすぐ梅雨時期だと母親から聞いた情報に目線を窓の外へ移す。
一滴の露もない快晴な空に今日も1日頑張ろうと心の中で気合いを入れ、鞄を持って寮の扉を開けた。
晴れて今春から通うことになった高校は桐皇学園高校。
学校までの道のりにあるストリートバスケ場を通りすぎたとき、入学式のときに行われた部活紹介で男子バスケットボール部の選手はクセが強そうだということを思い出した。
それから日本に来て初めて仲良くなった男の子、緑間のことも思い出し、彼がどこの高校生なのか、または大学生なのかまた気になり始める羽目になった。

悶々としながら辿り着いた学校の校門をくぐって昇降口に行く途中、体育館からバスケットボールの弾く音が耳に届き、気になるがままに身体を体育館側に向けて控えめに中を見る。
部員数は少なくもなく多くもない。
ふとベンチで部員たちのタオルやドリンクを準備している女の子を視界に捉えた。
桃色のきれいな髪にきれいな手足、まさに容姿端麗なその子は入学前にあった制服寸法で見かけた女の子で、実は同じクラスだったりする。
話したことは一度もなく、彼女がクラスの子たちと話している姿もまだ見たことがない。
ただ、同じく制服寸法で見かけた怖そうな男の子とよく一緒にいる姿は何度か見かけたことはあった。
どこのクラスの子かも学年も知らない子たちが彼女と彼の仲をひそひそと話していることは小耳に挟んだことはあるが、きっと誰もふたりの真相は知らないだろう。


「……あっ、」


女の子を見つめながらそんなことを考えていたせいか、落としていた視線をあげた女の子とぱっちり目が合った。
声を聞いたのもこれが初めて。
すっと耳奥に響いた女の子の声の余韻がじわりと浸る。
なんて言葉を返せばいいんだろう。どうしよう。緊張で身体が強ばって声が喉に詰まる。
それなのに女の子は一歩、また一歩と近づいて、気がつけば女の子との距離はすっかり縮まっていた。


「同じクラスの、名字さん…」
「…!」
「私、桃井さつきって言うの。あ、えっと、名字さんハーフなんだっけ?」


女の子、桃井は名字がクラスでの自己紹介をフランス語で話していたことを思い出し、日本語が通じていないのかと思って身ぶり手振りでおかしな動きをしている。
英語で何かを伝えようとはしているが、時折日本語混じりでとても英会話が成立するとは考えられない。
失礼だと分かっていても桃井のその必死さが可愛らしく、つい唇から小さな笑みが漏れてしまった。


「ごめんなさい。わたし、日本語は話せるの」
「え!?嘘!早く言ってよー!」
「うん、本当にごめんなさい。でも、話せるようになったのはつい最近」


滑り落ちる笑みを阻止するようにそこで唇を結えば桃井は驚愕に染みた表情をした。
発音もイントネーションも特別に違和感を感じることはない。
ずっとフランスに住んでいて日本に来たのがつい2ヶ月前程だなんて信じられないとでも言うような目で見つめてくる桃井の視線が堪らなくなり、だからと言って視線を逸らすこともできずに制服の袖口を触っていると、桃井のきれいな腕が伸びてパッと両手を握られた。


「あの!わ、私とお友だちに…!」


耳まで真っ赤に染めて強く握りしめられ、桃井の可愛い唇から紡がれた言葉に大きく心臓が脈打つ。

『Devenez des amis!(友だちになって!)』

あれはいつだっただろう。
記憶すらも曖昧になっている幼少期、誰かに向けてそう伝えたことがある。
ありったけの勇気を出して心臓が破裂しそうなくらい緊張しながら言った言葉だったが、今から思えばあれはきっと相手に言葉が通じていなかったのだとすぐに判断できるほど、伝えた相手は瞳をまあるくしてただパチパチと瞬きを繰り返していただけだった。
伝えた相手の顔も、声も、今となっては記憶も薄れて覚えていない。
小さな感傷に浸って伏せていた瞼をあけて映ったのは不安げに揺れる桃井の瞳。


「わたしも、あなたとお友だちになりたい」


―――ね、さつきちゃん。

ぎゅっと両手を握り返しながらそう呟いた直後、桃井に勢いよく抱きつかれ後ろに倒れそうになったものの、彼女が心底嬉しそうに微笑んでいる顔を見るとこっちも嬉しくなる。


「名前ちゃん、これからいろんなこと喋ったり遊んだりしようね!」
「うんっ!」


桐皇学園高校に入学して1ヶ月。
制服寸法をしたときから惹かれていた女の子と初めて言葉を交わし、友達となった桃井とのこれからの学校生活を描いて胸を膨らませた。
日本に来て初めてのともだち。
このときもやっぱり日本語を教えてくれた緑間が脳裏にちらつき、彼とも友達になりたいな。なんて、緩む頬を抑えられなかった。


(2013.02.20)

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